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 込み合うカウンターで、アスマはジョッキのビールを喉を鳴らして飲む。そこからお通しで出された漬け物を箸で摘むと、口に放り込んだ。
 でな、とアスマは口を開く。
「こんな寒くもない時期に、ちょっと朝早い時間に集合しただけで、さみーだのなんだの言いやがって、どんだけふぬけてんだって話だよな」
 自分の受け持つ下忍に対して呆れ気味に言うアスマに、カカシは隣で、まあねえ、と苦笑いを浮かべながら相づちを打った。確かにここ最近朝晩の気温が低くなり温度差が出てきたとは思うが、こんなのは寒いうちに入らないのは確かだ。カカシは縦肘をついてビールを飲む。
 自分の受け持つ七班の部下も似たようなもので、様々な鍛錬不足が目に付くぐらい明らかなのに、低ランクの任務内容に一丁前に文句も付けてくる。あの年齢であれば、威勢がいいのは良くも悪くも必要だから、窘める程度にしているが。
 アカデミーでどんだけ甘やかされてきたのかは知らねーけどよ。そう投げやりな言葉を口にしたアスマにグラスを口から離したカカシが、それはどうかな、と返した。
「あの先生に限ってそれはないんじゃない」
 何でもない風に言うと、アスマが顔をこっちに向ける。カカシはアスマに目線を向けてはいないが、少し胡乱な眼差しを向けているのは分かった。
「そうか?」
「そうでしょ」
 直ぐに返すと、ふーん、とアスマは呟く。
 中忍選抜試験事があったのにも関わらず、あまり人付き合いがいいとは言えない自分が、イルカと一緒に飲みに行くような間柄になっている事が珍しいと、口に出さなくともそんな風に思っていることは明らかで。
 それを感じるがカカシは気がつかないフリをしてビールを飲んだ。

 最初、声をかけたのは自分からだった。
 報告を済ませて建物を出た時、赤い夕日が西の山に沈みかけていた。一人どこかで夕飯を済ませようと思って歩いていた時、イルカを見かけた。同じようにどこかで夕飯を食べるのか、買い物をするのか、分からなかったが、同じ方向に歩いていた。普段声をかけることもなかったが、こんばんは。そう声をかけた時振り返ったイルカは、一瞬驚いた顔をしたものの、笑顔を浮かべた。その笑顔につられ、なんとなく夕飯に誘った。
 二回目はたまたま居酒屋で居合わせたから。そこからタイミングが合えば、自分から誘うようになった。イルカが自分から声をかけないのは相手が上官だからなんだと、知っていた。見た目からそうだが、生真面目な性格だと分かっていたから。それでも自分から誘えば特に用事がない限り誘いには快く応じてくれる。
 普段から誰かと親しくなろうとも思わない自分が、イルカに対して誘いやすいのも、話しやすいのも、イルカの人柄なんだとそう感じていた。つい最近まで。
 今もそう思っているが、自分が向けている感情が明らかに上忍仲間に向けるものとは違うと、そう気がついたのは数日前、イルカがつき合っていた彼女に振られたと噂で聞いた時。
 元々彼女がいるいないなんて話はイルカの口から聞いた事がなかった。イルカからも自分の女関係の事を聞いてくることはなかったし、話すような話題じゃないと思ったから、敢えて口にも出さなかった。
 自分には特に彼女と呼べるような相手はいなかった。というか、作らなかった。いつも常に一人でいるべきなんだと思っていたから、商売女や体目的で寄ってくる女だけを選んでいた。だから。
 ーー先生って女いたんだ。
 噂を聞いた時に、そんな事が頭に浮かんだ。
 ちくちくしたそれでいて不快な感情に包まれ、それでもその噂が本当だったら、飲んで慰めようかとか、そう思ったのに。イルカを誘う気にはなれなかった。
(・・・・・・あーあ)
 カカシは考えないようにしていた事が、気がつけばぐるぐると頭の中で回っている事実に、内心ため息を吐き出す。行儀悪くカウンターに頬杖をつきながら目の前にある煮魚を箸でつついた。
 隣にいるアスマはビールから日本酒に切り替え、熱燗を手酌で飲んでいる。
 お前も飲むかと猪口を自分に向けられたが、カカシは一瞥して、いらない、と短く答えた。
 日本酒が好きなんだと、イルカが言っていた事を思い出す。そこまで飲めないけど、冬になった時にストーブで暖めた熱燗を、炬燵で一人ちびちび飲むのが美味いんです。
 男一人暮らしのささやかな楽しみなんだと、イルカは嬉しそうにそう言っていた。
 何でもない事だと思うのに、その何でもない事を幸せなんだと、そう感じるイルカが、羨ましく、そしてイルカの笑顔が、すごくいいなあ、と思った。関係ないのに、自分も幸せな気持ちになった。
 その時のイルカの嬉しそうな笑顔を思い出し、ぼんやりと視線を宙に漂わせていた時、そういやあ、とアスマが酔った口調で口を開いた。視線を向ければ、その通り、酒が入ったのか気持ちよく酔っぱらった顔をしている。
「イルカと言えば、恋人に振られたって話だけど、知ってるか?」
 嫌なタイミングで聞かれ、でも顔には出さずにカカシは、さあ、と知らない素振りで軽く肩を竦めた。それに特に何の反応も示さず、アスマは、アイツ女いたんだな、と小さく笑って、猪口の酒を飲み干す。カカシは隣で黙っていた。アスマはまた手酌で空になった自分の猪口に注ぐ。日本酒を飲むと多弁になるアスマは、黙っているカカシに、まあなあ、と一人で続けた。
「どんな理由で振られたのかしらねえけど、くそ真面目な感じだもんな、アイツは」
「それでいいじゃない」
 アスマの言葉を聞きながら、カカシは何も言うつもりはなかったのに。酔っぱらった相手だからと言うものあった。否定するカカシに、アスマは何を言われたのかよく聞いてなかったのか、え?と聞き返す。カカシはまた口を開いた。
「真面目で何が悪いの。もしそんな理由で先生を振ってたんだったら、その女がよっぽど見る目なかったんだよ。きっと」
 カカシは嬉しそうにカカシにアカデミーの子供達の事を話す、イルカの朗らかな笑顔を脳裏に浮かべながら言う。
「俺だったら、イルカ先生を幸せにする自信があるよ」
 そこまで独り言のように言った時、背後に感じた気配にカカシは顔を後ろへ向ける。
 目を見開いた。
 イルカがそこに立っていた。きょとんとした顔に、カカシの頭が真っ白になる。
 イルカがいつものように鞄を肩に下げているのは、仕事帰りで、そしてここの居酒屋に立ち寄り、自分の背中を見つけ、声をかけようと思ったのだ。
 それに気がつかず、あろう事か名前を出して、あんな事を。隣にいるアスマはイルカに気がつかず、カウンター越しに店主と酒の事で話しを始めている。ただ、周囲なんてどうでもよくなっていた。
 一瞬止まりそうになった心臓が、どくどくと血液を流し始めた。イルカが、どこまで聞いていたのか、いや、もしかしたら聞いていなかったのかも。
「あの、先生、」
「アスマ上忍とご一緒だったんですね」
 言い掛けるカカシに、イルカは笑顔を見せると、隣の空いているカウンター席を店員に断り、他の席に着くわけでもなく店を出て行く。カカシはその後ろ姿を、ただ見つめるしかなかった。

 
 数日後は七班の任務だった。低ランクの任務内容に文句を言っていたナルト達は、芋掘りを一日中手伝わされ泥だらけで河川沿いの道を歩いている。その手には手伝いのお礼だと渡されたサツマイモが入った袋をそれぞれ持ち、カカシもまた同じ様に依頼主から渡されたサツマイモの入った袋を持つ。
 赤い夕日が西の森に沈みかけ、里を赤く照らしている。その夕日を背中に浴びながら少しだけ疲れた様子で歩く三人の後ろ姿をカカシは見つめた。
 イルカと飲みにいくような関係になってから、何となく気がついていた。イルカが自分に向ける視線に、僅かながらにも好意が含んでいる事を。
 自分は、それに気がつかないフリをしていた。
 だって、自分は。幼い頃から戦忍で。
 それなりに結果を出していて。里を守っている。
 それだけで十分だった。それが自分の望んでいる全てだと、思っていたから。
 これ以上何かを求める事は何かを失う事でもあり。だから、何も必要としてはいけない。そう心に決めていた。
 でも、あの人を見つけてしまった。

 あの時。口に出した言葉は、親しい相手が馬鹿にされたからとか、売り言葉に買い言葉でも何でもない、そう、ーー自分の本心だった。
 ずっと口にしたかった、本音。
 酔っぱらいしか聞いてないと思ってたのに。まさか本人が後ろにいたなんて。
 考えもよらないタイミングに、カカシは思い出しただけで思わず歩きながら眉を寄せていた。
 あの人に彼女がいたのなら。その女と幸せになる道だってあったのに。
 抑えていた感情がそんな事で簡単にあふれ出したとか。
 かっこ悪いと思うも、事実は消せない。
 カカシは手に持っている袋を軽く上げ、その中にある形は悪くとも立派なサツマイモに目を落とした。
 イルカは今日休みだと知っている。
 あの人は、きっと休日だからと部屋の掃除をして、布団を干し、冷蔵庫にある食材を片づけようと、自炊をする。
 そんな風景が思い浮かび、カカシは落としていた視線をゆっくりと上げた。
 
 任務報告が終わったら。
 この袋を持って先生に会いに行こう。
 ーーそして。
 伝えたい台詞を浮かべる。
 それだけで滅多に感じない微かな緊張を覚えながら、カカシは銀色の睫を伏せた。


<終>
 
 

amayadoriのえみるさんのイラストからイメージしてSSを書かせていただきました!
イラストはこちらです!→
  
 
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