脈②

 その日はたまたま同期の代わりで受付の仕事に入っていた。
 内勤は楽だと言われるが、逆にいいように使い廻されているのも事実。本当は前日に準備してきた授業を自分でやりたかったのだが、やれと言われたら首を横には振れるわけがない。
 でもまあ、雑用と一括りにされがちだが、受付や報告を受ける事も、任務調整も、それぞれ意味のある仕事だ。イルカは任務予定表を手に持ちながら、階段を上る。上忍待機所の扉を開けるとそこには数人の上忍が目に入り、予想していたよりは待機している上忍が多くて内心安堵した。基本待機だからと言っても、ここで大人しく待機している上忍はそういない。 順番に説明をしながら任務予定表を渡し、最後にアスマにも同じように手渡す。アスマは、煙草を口に咥えながら内容を確認するように手渡された書類に目を落とす。ふとこっちへ顔を上げた。
「お前今日暇か」
 不意にそんな事を聞かれ、てっきり渡した書類の事で何か聞かれるのかと思っていたから、少し驚くものの、イルカはそこから今日の予定を思い浮かべながら首を横に振った。
「すみません、今日はちょっと先約が」
 そんな言葉で誘いを断るイルカに、そっか、と特に気にする様子もなくアスマは応えながら、咥えていた煙草を指で挟みながらもう一度こっちへ顔を向ける。
「もしかしてカカシか」
 言われてまた内心驚くが、その通りで、特に隠す事でもないから、素直に認めるしかない。はい、と肯定すると、ソファに座ったままのアスマがイルカを見つめながら、アイツお前を気に入ってるからなあ、と言う。そのまんまの意味だと分かっているが、そこをまた素直に受け答えするべきか迷った。カカシが自分を気に入ってくれているのは分かっている。ただ、それを他の人に言われると妙に恥ずかしさが募る。答えに迷った挙げ句、そうでしょうか、と返せば、アスマは、そうだろ、と直ぐに答えた。
「お前が上手そうに飯食べるところとか、好きだって言ってたしな」
 アスマは何気なく口にするが。好き、と言う単語に思わず反応していた。頬が熱くなる。そんな事を誰かにカカシが言っていたなんて。
 やっぱりそうなんだと思ってもいいのか、なんて思えてきてしまい、そうですか、と照れながら答えると、
「まあ、お前犬みたいだからな」
 そうアスマに言われ、思わず、え?と聞き返していた。
 犬、とはどういう意味なのか。きょとんとすれば、アスマは続けた。
「ほらカカシは忍犬使いだろ?犬好きなんだよ、ああ見えて」
 そこで言葉を切ったアスマは煙草の煙を口から吐き出す。アスマの一人合点している姿を眺めながら、そこから合わせて笑うしか出来なかった。

 待機所を出てイルカは廊下を歩き、受付がある建物に入ったところで足を止めた。
 好きという言葉にはたくさんの意味がある。そんなのは自分でもよく分かっていた。でも、今回は。自分が思いこんでいたせいもあってか。あまりにも温度差がありすぎて。
 犬みたいだから。
 アスマの言葉を思い出しただけで、胸の中に冷たいものが差し込んだ感覚に、イルカは思わず息をゆっくり吐き出した。
 情けない。その言葉に尽きた。だって、そっち系には鈍いとよく仲間から言われていたが。勝手に、あろうことか、あのカカシが自分に気があるなんて思ってしまっていた。
 よく考えたらそんな事あるはずがないんだ。
 カカシは見た目の印象とは違い、部下思いで、優しい、それに気がついていたのだから、中忍の自分にもその優しさが向けられていただけなんだと、気がつくべきだったのに。
 でも相変わらずと言えば相変わらずだ。そう、自分が勘違いしていただけの事だったんだから。
 自分に納得させるように、イルカはその言葉を飲み込んで、受付へ向かった。


「え、今日も?」
 カカシが口にした言葉に、イルカは教材を抱えながら苦笑いを浮かべた。ちょっと仕事が立て込んでまして。そう曖昧な理由を告げるイルカに、カカシは、そっか、と短い言葉を口にする。残念そうな口調にも感じて、それがどうしようもなく自分の気持ちに後ろ髪を引かれるが。あれからカカシと飲む機会を避けていた。と言うか何となくカカシと顔を合わす事事態を避けていて。
 だから、建物を出た時にカカシに声をかけられ、見つかってしまった、と言う気持ちになったのは事実だった。
 当たり前だけど、目の前にいるカカシは自分の真意に気がつくはずもない。自分の口にする理由を素直にを受け止めてくれている。
 これでいいんだと勝手に思っていたのに。それ以上何かを言う事もなくじゃあまたね、と背中を向けるカカシに、断ったのは自分なのに、その背中を見ていたら、じわりと浮かんだのは躊躇いだった。
 自分の勘違いだからと言って、カカシと一緒に飲む事事態が嫌だとはこれっぽっちも思っていないのに。そこにカカシを避ける理由にしていいのか。どんな気持ちでも、一緒にいる事は嬉しいし楽しいのに。
「あの、」
 そう思っていたら、立ち去ろうとしているその背中に声をかけていた。カカシは足を止めてこっちへ顔を向ける。不思議そうな眼差しがイルカに向けられ、その青みがかった目に映る自分を見つめながら、イルカは口を開いた。


「お待たせ」
 そう言われてイルカが顔を上げると、カカシが自分の隣カウンター席に腰を下ろした。待たせてごめんねと言われ、イルカは慌てて首を振る。この前、呼び止めた後、金曜はどうですかと聞いたイルカにカカシは、仕事上がるのが少し遅くなりそうだけど、いい?と、少しだけ申し訳なさそうに言われて、そこで頷かないわけがなかった。カカシは自分なんかより忙しいに決まっている。それでも自分に合わせようとしてくれている事に内心戸惑いもしたが、素直に嬉しくて。
 そんな事を思い出している間に、カカシはカウンター越しに自分のビールと枝豆と冷奴を頼む。店員から手渡された暖かいおしぼりで自分の手甲から伸びた指を拭きながら、こっちへ向けるその眼差しが優しくて、久しぶりのこの時間に、思わず顔を綻ばせると、カカシが僅かに目を細めた。
 いつもと変わらないカカシの優しい表情。
 それだけで迂闊に胸が高鳴るから、イルカは誤魔化す様にビールを飲む。
 話せば話すほど、あの言葉に勝手に傷ついたりもしたんだけど、それが嘘みたいにやっぱり楽しかった。
 ペースを落としながらもイルカもまた上機嫌に何杯目かになるビールを飲む。ふと横を見れば、カカシもまた白い頬を赤く染めながら、七班の子供たちの事を口にしながら、ゆっくりとビールを飲んでいた。その話に耳を傾けながら、イルカは縦肘をついてカカシの横顔を見つめる。
 この時間に満ち足りたものを感じずのはいられない。
 カカシの機嫌の良さそうな顔を見ていたら。悩んでいた事なんてどうでもよくなる。そう、犬みたいだと言われても別にそれで、いい。
 実際、自分がそう思うんだからそうなんだろうなあ、と勝手に自分の中で納得したら、ぐじぐじ悩んでいた自分が、馬鹿らしいとさえ感じた。酔っているからなのか、それが面に出てしまい、思わず小さく笑ったイルカに、カカシが話を止めて顔を向ける。何?と言われてイルカは顔を緩ませながら、いや、と首を振った。
「なんか、自分が馬鹿らしくて、」
 そう言葉を零したイルカに、話題とは違う反応に、カカシは当たり前に不思議そうな顔をした。それでも気にする事なく、何が?とカカシは聞いてくる。イルカはジョッキを両手で持ちながらどうしようか迷いが生じながらも口を開いたのは、本当にどうでもいい悩みだかと気がついたから。だから、えっとですね、とイルカは言葉を繋げる。
「実は俺、カカシさんが俺を好きだって耳にしたんですけど、でもそれは、」
 俺が犬みたいだから、と、笑い話だから。笑いながら続けようとしながら顔をカカシに向けた時、イルカは思わず言葉を止めていたのは、カカシの様子が明らかに変わったから。さっきの目の前にいた穏やかな眼差しを向けていたカカシではなく。酒で赤く染まっていた顔がそれ以上に赤くなっていて。驚いたような顔で。イルカは思わず瞬きをする。あの、と言い掛けた時、カカシが視線をイルカに向けた。
「知ってたの?」
 知ってたの、と聞かれているのは分かったけど、その台詞とカカシの表情が噛み合わない。カカシの表情に気を取られて、自分がどこまで話したのか曖昧になってしまっていて、何がですか、と聞くと、カカシが逆に、え?と聞き返す。
「だから、俺が先生を好きだって事」
 その言葉に、ああ、と自分がさっき口にした言葉を照らし合わせながら、納得しかけながら、何かがおかしいと、感じるけど、それが何なのかいまいち掴めない。そんなイルカにカカシは、少しだけ眉根を寄せながら、こっちを見つめ、嫌じゃない?と聞く。イルカは直ぐに笑顔で首を振った。
「全然、最初こそ戸惑いましたけど、今はそんな事は、」
「じゃあ、つき合う?」
 被せて言われたその言葉に、イルカはきょとんとした。
 つき合う。
 それはどういう意味なのだろう。真面目にそう疑問に思いながらも、目の前のカカシの普段見せない緊張した顔に、今更ながらに熱の入ったカカシの目に気がつく。鈍いと仲間に言われながらも、ようやく合点した事実に、あ、と口から言葉にならない言葉が漏れた。顔が一気に熱くなる。
 自分の中であまりにも急展開で。ぼんやりしていた思考が、急速に動き出すがついていけない。嘘だと思いたくても、眼差しは真剣で、耳まで赤いのは夢でもなんでもなくて。想像もしなかった展開に、ようやくイルカの脈が急速に早く打ち始めた。

<終>
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