並んで歩く
夕飯を一人で食べ終え、洗い物を片づけたイルカはごろりと居間の床に身体を横たえる。何となく付けていたテレビからは気がつけばニュースからバラエティ番組になっていて、そこまで面白くもない内容なのに、テレビの中から笑い声が上がった。
イルカは腕を伸ばすと、ちゃぶ台の下に置かれたリモコンを取りテレビの電源を消す。画面が真っ黒に変わる変わりに部屋には静寂が戻り、イルカは自分の腕を枕にしてぼんやりと、古びた天井を見上げた。
窓は閉めているものの、外からは虫の音が聞こえる。それを耳にしながら。目線を壁に掛けられた時計へ動かす。
十時を過ぎようとしている針を見つめて、イルカはゆっくりと息を吐き出した。
今日も遅くなると言っていた通り、カカシが帰ってくる気配もない。
今日の午後、書類を渡す為に執務室を訪れたイルカに、カカシはそう伝えてきた。
今が自分の引き際だと綱手が火影から退いてから、様々な業務がそのままカカシに引き継がれた。厄介なものは片づけておいたと言っていたものの、厄介でなくとも業務内容は膨大で。それを不平言わずカカシは黙々と自分の仕事をこなしている。他の者も然り、自分も授業を受け持ちながらもアカデミーの抜本的な対策や他の事務作業を担当して多忙な日々を送っているのは事実で。
カカシとつき合うと決心した日、自分は色々な覚悟をし、そしてカカシが火影に就任すると聞いた日は、彼に合わせていこうと、そう思った。
(・・・・・・でもなあ)
イルカは天井をじっと見つめながら、眉間に皺を寄せた。
翌日、イルカは執務室にいた。
書類を届けた際に、昨日はなかった書類の山が出来ていて。それが任務報告書だと気がつく。イルカはそれを手に取った。
最近自分の後輩へ引き継いだ業務だが、受付番号に揃えてはあるものの、それを更に日付順にも、ランク順にもしていない。あれだけ教えたのに、と少し呆れを含んだため息を零した時、先生も気がついた?と口にしたカカシの台詞に、イルカは今日始まった事じゃないと知り、驚いて顔を上げた。
「これ・・・・・・いつからですか?」
「えっと、先月からかな」
それを聞いてますます呆れた。承認されたらこのままファイリングする事になり、それはそれで確認する時にさえ面倒だ。
「でも、いいよ」
そう続けられ、何がいいんですか、と聞く前に、俺が直してるから、とカカシに言われ、イルカは目を丸くした。
「カカシさんが?」
「うん、まあその書類確認しながら並び替えるだけだし、手間じゃないし、今どこも忙しいからねえ」
手間に決まってるだろ。
ついそんな言葉が突いて出そうになりイルカかは口を結ぶ。
里長であるにも関わらず、咎める事をせず、そんな呑気な口調で返すカカシにも、イルカは思わず眉根を寄せていた。
まとめて受付に突っ返せばいいはずなのに。綱手だったらそうしていた。
苛立ちが沸き上がるが、それをどう口にしたらいいのか分からず、イルカはもう一度唇を結ぶと身体の力を抜くように、ゆっくりと息を吐き出した。
「じゃあ、今俺がここでやっちゃいますよ。それと、今後このまま提出しないように、後輩には言っときますから」
カカシの言い分に納得は出来ないが、口を挟みたくないが、任せるわけにいかない。そう口にすると、カカシは少しだけ驚いた顔をした。イルカ先生も忙しいんじゃないの?と、そう問うから、この後ちょうど空き時間なんで大丈夫ですよ、と笑顔で返す。
イルカの言葉を受けると、うん、とカカシは嬉しそうににこりと微笑んだ。
本当は、自分の溜まった雑務を授業の入っていないこの時間にあてていたし、他にやることが山ほどあったが、それを素直に言ったら、それこそまた自分で処理するとカカシが言いだしかねない。
イルカは部屋の窓側に置かれた応接タイプの低いテーブルに書類の束を置くと、ソファに浅く座る。手際よく並び替えを始めた。
カカシは最初、自分がここにいてくれるのが嬉しいのか、雑談をしながら承認する書類に目を通す。仕事中だけど、こんな風に会話をするのは素直に自分も嬉しい。だから自分も同じように返事をし、手を動かしながらも時折話題を変える。
ふとカカシから返事が返ってこなくなり、イルカが書類を捲る手を止め顔を上げると。カカシは、縦肘を突いたまま、テーブルに広げた資料をじっと見つめていた。
カカシとつきあい初めてから、時々、希にこんな風に何かに集中するのを何度か見てきた。昔から持ち歩いている小冊子ではこうはならない。興味のある忍術に関する本だったり、古い巻物だったり。こうなると、こっちが声をかけても気がつかない。
時々友人や、同じ職場のくノ一なんかが、恋人がテレビを見て自分の話を聞いてくれない、なんて愚痴を聞いた事があったが。それとは違うものの、イルカにはそんなカカシを目にする事出来るのは素直に嬉しかった。
だってきっと、こんな風に何かに耽る姿、他人にはカカシは見せない。
許された相手だからこそ、と言う気がして。だからと言って、そんな姿が好きですよ、なんてカカシに言った事さえないが。
イルカは手を止めたまま、紙面に目をじっと落としたままのカカシを見つめる。
昨日帰ってきたのは日付が変わった頃だった。
就任したばかりの頃は、帰ってこない日の方が多かった月もある。だから、今は多少落ち着いてきているからそこまででないが。
少し伏せた銀色の睫や、その目元から寝不足なんだと感じた時、不意に胸が苦しくなって、イルカは僅かに眉を寄せていた。
頑張り過ぎだと、責めるのは簡単だ。
ただ、それを口にしたら、そんなつもりはなくとも、今までのカカシの苦労まで否定しているようで。
一番側にいる自分が、分かってあげなきゃいけない。
そう、ーーカカシに合わせようと、そう決心したのは、自分だ。
だから自分も、カカシに言われるままに昇格を受け、アカデミーの業務を中心にやってきたが。
「・・・・・・頑張り過ぎなんだよ」
ぽつりと言葉を零すものの、今のカカシの耳には届いていない。イルカは書類をテーブルに置くと立ち上がった。
「火影様」
声をかけるものの、カカシから返事がない。何でもない休日。まだカカシが上忍師だった頃、台所から名前を呼んだものの返事がなくて、ひょこんと顔を覗かせたら、今目の前にいるカカシの様に、じっと本を読み耽っていた。それは父から受け継いだ忍術書だったか、誰かから借りてきた古い巻物だったか。兎に角、カカシは夢中になって、読んでいた。
でも今は、あの時とは違う。今カカシが読んでいるのは、興味のある忍術書でも何でもない。ただの山積みになった仕事の書類だ。
「カカシさん」
もう一度声をかければ、そこでようやく、んー?、と声が返るものの、それは生返事で。心はまだ仕事の中だ。
たぶん、もう一度呼べばカカシは顔を上げる。そして、ごめん何だった?と優しい声で、そして申し訳なさそうに聞いてくる。
カカシの目の前まで来たイルカは、カカシが顔を上げる前に、一回口を結び、そしてゆっくりと開いた。
「カカシ」
はっきりと、愛おしそうにそう呼んだ時、集中していた頭に、イルカの呼んだ声が入ってきたのか、カカシが顔を上げた。
普段も、今までも、一回も口にした事のない呼び方だった。カカシは少し驚きながら、聞き間違えたのかと思いながらも、イルカをじっと見つめた。
少し恥ずかしそうにするイルカに、聞き間違いではないんだとカカシが気がつき、同じ様に白い頬を染め、
「イルカ先生、今、」
そこまで言い掛けたカカシをイルカはぐいと引き寄せる。口布の上から唇を塞いだ。
カカシが目を見開いたのが気配で分かるが、イルカはそのまま自分の唇を押しつけ、そして、ゆっくりと離す。
「何でもかんでも一人で背負うのはもう止めてください」
間近でじっと青い目でイルカを見つめるカカシに、イルカは意志のこもった黒い目で見つめ返した。
そして、カカシの補佐役に自ら立候補すると告げたイルカに、驚いたものの、イルカの表情から駄目だと言っても無駄だと悟ったのか。
カカシは眉を下げて嬉しそうに笑った。
<終>
イルカは腕を伸ばすと、ちゃぶ台の下に置かれたリモコンを取りテレビの電源を消す。画面が真っ黒に変わる変わりに部屋には静寂が戻り、イルカは自分の腕を枕にしてぼんやりと、古びた天井を見上げた。
窓は閉めているものの、外からは虫の音が聞こえる。それを耳にしながら。目線を壁に掛けられた時計へ動かす。
十時を過ぎようとしている針を見つめて、イルカはゆっくりと息を吐き出した。
今日も遅くなると言っていた通り、カカシが帰ってくる気配もない。
今日の午後、書類を渡す為に執務室を訪れたイルカに、カカシはそう伝えてきた。
今が自分の引き際だと綱手が火影から退いてから、様々な業務がそのままカカシに引き継がれた。厄介なものは片づけておいたと言っていたものの、厄介でなくとも業務内容は膨大で。それを不平言わずカカシは黙々と自分の仕事をこなしている。他の者も然り、自分も授業を受け持ちながらもアカデミーの抜本的な対策や他の事務作業を担当して多忙な日々を送っているのは事実で。
カカシとつき合うと決心した日、自分は色々な覚悟をし、そしてカカシが火影に就任すると聞いた日は、彼に合わせていこうと、そう思った。
(・・・・・・でもなあ)
イルカは天井をじっと見つめながら、眉間に皺を寄せた。
翌日、イルカは執務室にいた。
書類を届けた際に、昨日はなかった書類の山が出来ていて。それが任務報告書だと気がつく。イルカはそれを手に取った。
最近自分の後輩へ引き継いだ業務だが、受付番号に揃えてはあるものの、それを更に日付順にも、ランク順にもしていない。あれだけ教えたのに、と少し呆れを含んだため息を零した時、先生も気がついた?と口にしたカカシの台詞に、イルカは今日始まった事じゃないと知り、驚いて顔を上げた。
「これ・・・・・・いつからですか?」
「えっと、先月からかな」
それを聞いてますます呆れた。承認されたらこのままファイリングする事になり、それはそれで確認する時にさえ面倒だ。
「でも、いいよ」
そう続けられ、何がいいんですか、と聞く前に、俺が直してるから、とカカシに言われ、イルカは目を丸くした。
「カカシさんが?」
「うん、まあその書類確認しながら並び替えるだけだし、手間じゃないし、今どこも忙しいからねえ」
手間に決まってるだろ。
ついそんな言葉が突いて出そうになりイルカかは口を結ぶ。
里長であるにも関わらず、咎める事をせず、そんな呑気な口調で返すカカシにも、イルカは思わず眉根を寄せていた。
まとめて受付に突っ返せばいいはずなのに。綱手だったらそうしていた。
苛立ちが沸き上がるが、それをどう口にしたらいいのか分からず、イルカはもう一度唇を結ぶと身体の力を抜くように、ゆっくりと息を吐き出した。
「じゃあ、今俺がここでやっちゃいますよ。それと、今後このまま提出しないように、後輩には言っときますから」
カカシの言い分に納得は出来ないが、口を挟みたくないが、任せるわけにいかない。そう口にすると、カカシは少しだけ驚いた顔をした。イルカ先生も忙しいんじゃないの?と、そう問うから、この後ちょうど空き時間なんで大丈夫ですよ、と笑顔で返す。
イルカの言葉を受けると、うん、とカカシは嬉しそうににこりと微笑んだ。
本当は、自分の溜まった雑務を授業の入っていないこの時間にあてていたし、他にやることが山ほどあったが、それを素直に言ったら、それこそまた自分で処理するとカカシが言いだしかねない。
イルカは部屋の窓側に置かれた応接タイプの低いテーブルに書類の束を置くと、ソファに浅く座る。手際よく並び替えを始めた。
カカシは最初、自分がここにいてくれるのが嬉しいのか、雑談をしながら承認する書類に目を通す。仕事中だけど、こんな風に会話をするのは素直に自分も嬉しい。だから自分も同じように返事をし、手を動かしながらも時折話題を変える。
ふとカカシから返事が返ってこなくなり、イルカが書類を捲る手を止め顔を上げると。カカシは、縦肘を突いたまま、テーブルに広げた資料をじっと見つめていた。
カカシとつきあい初めてから、時々、希にこんな風に何かに集中するのを何度か見てきた。昔から持ち歩いている小冊子ではこうはならない。興味のある忍術に関する本だったり、古い巻物だったり。こうなると、こっちが声をかけても気がつかない。
時々友人や、同じ職場のくノ一なんかが、恋人がテレビを見て自分の話を聞いてくれない、なんて愚痴を聞いた事があったが。それとは違うものの、イルカにはそんなカカシを目にする事出来るのは素直に嬉しかった。
だってきっと、こんな風に何かに耽る姿、他人にはカカシは見せない。
許された相手だからこそ、と言う気がして。だからと言って、そんな姿が好きですよ、なんてカカシに言った事さえないが。
イルカは手を止めたまま、紙面に目をじっと落としたままのカカシを見つめる。
昨日帰ってきたのは日付が変わった頃だった。
就任したばかりの頃は、帰ってこない日の方が多かった月もある。だから、今は多少落ち着いてきているからそこまででないが。
少し伏せた銀色の睫や、その目元から寝不足なんだと感じた時、不意に胸が苦しくなって、イルカは僅かに眉を寄せていた。
頑張り過ぎだと、責めるのは簡単だ。
ただ、それを口にしたら、そんなつもりはなくとも、今までのカカシの苦労まで否定しているようで。
一番側にいる自分が、分かってあげなきゃいけない。
そう、ーーカカシに合わせようと、そう決心したのは、自分だ。
だから自分も、カカシに言われるままに昇格を受け、アカデミーの業務を中心にやってきたが。
「・・・・・・頑張り過ぎなんだよ」
ぽつりと言葉を零すものの、今のカカシの耳には届いていない。イルカは書類をテーブルに置くと立ち上がった。
「火影様」
声をかけるものの、カカシから返事がない。何でもない休日。まだカカシが上忍師だった頃、台所から名前を呼んだものの返事がなくて、ひょこんと顔を覗かせたら、今目の前にいるカカシの様に、じっと本を読み耽っていた。それは父から受け継いだ忍術書だったか、誰かから借りてきた古い巻物だったか。兎に角、カカシは夢中になって、読んでいた。
でも今は、あの時とは違う。今カカシが読んでいるのは、興味のある忍術書でも何でもない。ただの山積みになった仕事の書類だ。
「カカシさん」
もう一度声をかければ、そこでようやく、んー?、と声が返るものの、それは生返事で。心はまだ仕事の中だ。
たぶん、もう一度呼べばカカシは顔を上げる。そして、ごめん何だった?と優しい声で、そして申し訳なさそうに聞いてくる。
カカシの目の前まで来たイルカは、カカシが顔を上げる前に、一回口を結び、そしてゆっくりと開いた。
「カカシ」
はっきりと、愛おしそうにそう呼んだ時、集中していた頭に、イルカの呼んだ声が入ってきたのか、カカシが顔を上げた。
普段も、今までも、一回も口にした事のない呼び方だった。カカシは少し驚きながら、聞き間違えたのかと思いながらも、イルカをじっと見つめた。
少し恥ずかしそうにするイルカに、聞き間違いではないんだとカカシが気がつき、同じ様に白い頬を染め、
「イルカ先生、今、」
そこまで言い掛けたカカシをイルカはぐいと引き寄せる。口布の上から唇を塞いだ。
カカシが目を見開いたのが気配で分かるが、イルカはそのまま自分の唇を押しつけ、そして、ゆっくりと離す。
「何でもかんでも一人で背負うのはもう止めてください」
間近でじっと青い目でイルカを見つめるカカシに、イルカは意志のこもった黒い目で見つめ返した。
そして、カカシの補佐役に自ら立候補すると告げたイルカに、驚いたものの、イルカの表情から駄目だと言っても無駄だと悟ったのか。
カカシは眉を下げて嬉しそうに笑った。
<終>
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