寝てる間に

 イルカに興味を持ったのは上忍師になって直ぐ。
 七班の任務の報告書を渡した時だった。その日の任務はDランクで農家をしている若い夫婦の生まれたばかりの子供の子守。報告書を確認しながら、どうでしたか?そうイルカに聞かれ、散々でした、と素直に答えたら。イルカは可笑しそうに声を立てて笑った。
 そんな可笑しな事を言ったつもりもないのに、と少し驚くカカシに、イルカは目元を緩めながら、すみません、と言う。
「俺もこの手の任務は昔結構やったので、想像ついちゃいまして」
 そう眉を下げながら続けて言い、
「アイツらにもきっと良い勉強になりましたね」
 白い歯を見せ笑い、嬉しそうに目元を緩めたイルカは、受領印を報告書に押した。

 実際子守の任務はこれが初めてだった。正直言えば、低ランクの任務は過去それなりに受けたが、もっと実戦的な内容ばかりで。芋掘りや子守が任務として増えたのは、里事態が平和になったと言うことで決して悪い事ではないが。まさか自分が上忍師になって下忍の部下を持つとは思わなかったから、新鮮と言えば新鮮だった。ただ、結果自分を含め四人で子守をしていたが、サクラ以外ほとんど役に立たなかったのは事実だった。たぶんそれは他の上忍師にも同じ事が言えるのも事実。
 だから。
 イルカの言葉に子守以外にもきっと色々経験しているだろう事が分かり、そしてイルカは実際アカデミーの教師だ。
 そのまま帰っても良かったが、カカシは背中を見せようとして一瞬躊躇い、そしてもう一度イルカへ向き直る。
「ねえ先生」
 声をかけると、他の作業に取りかかっていたイルカは手を止め、そしてカカシへ顔を上げた。はい、と黒い目を向ける。
「今度一緒に飲みに行かない?」
 誘ったのは、酒を飲みながら自分のあまり経験のない、そこんとこを先生に色々教えてもらおうと、そう思ったから。
 それがきっかけ。
 そこから、距離が縮まるのにそこまで時間はかからなかった。と言うか、自分が逃がしたくないと思った。
 こんなに惹かれる人が自分に出来るとは思っていなかったし、今までも、これから先も誰かと一緒にいたいとか、そんな風に思う事はないと思いこんでいた。
 飲みに誘った当初、会話の流れで恋人がいるいないの話題になり、イルカに恋人も好きな人がいないのも確認済みだったから。飲んでいる席で決意し名前を改めて呼べば、イルカは目の前に座ったまま、カカシを見た。
「人にこう言う事初めて言うんですけど、聞いてくれますか?」
 かしこまった言い方に、イルカは少しだけ不思議そうにするが、素直に、はい、と答える。
「俺とつき合ってくれませんか」
 今思えば人並みな台詞だったと思う。でも、そんな言葉しか浮かばなかった。
 緊張しながら、真剣な眼差しで見つめる先で、イルカはしばらく黙ったまま、瞬きをしながらカカシを見つめ、そしてゆっくりと微笑む。はい、と頷いた。


 ーーなんだけど。
 そこからあまり距離が縮まっていないように感じるのは自分だけなんだろうか。
 自分の単独任務がちょこちょこ入ったのもあるけど。
 イルカ先生はイルカ先生で忙しそうで、タイミング合わなくて声をかけるぐらいがやっとで。
 この前任務帰りに、思い切って家に行ってみたら、部屋着に半纏を羽織った姿で出てきた。疲れているのか、少し寝不足を感じる顔色をしていて、聞けば、今週はアカデミーは年に一回の大きなテスト週間なんだと言う。その通り、テスト週間らしく、イルカ越しにちらと見えた居間にあるちゃぶ台の上には、答案用紙や他に控えている試験の資料やらが山になっていて。上がって行ってくださいと言われたが、流石に空気を読めない恋人にはなりたくない。だから、早々にイルカ先生の家を後にした。

 来週になればテスト週間も開けるから、そしたらイルカ先生も時間が取れるはずだ。
 だから、それまで待っていればいいだけの話なんだけど。
 カカシはそこで、視線を漂わせながら、小さく息を吐き出した。
 会いたいのはもちろんだが。ーー正直言えば、先生といちゃいちゃしたい。
 そりゃそうだ。だってこれじゃつき合う前の関係と何も変わってない。
 むしろ、なんか少し遠くなった気がして少し寂しいし。
 手を繋ぐとか、キスとか、ーー。
「ちょっとカカシ聞いてるの?」
 声に反応して顔を向けると。上忍師仲間の紅が、怪訝そうに眉を寄せてこっちを見ていた。
 ここは上忍待機所で、ぼんやり考え事をしている自分に向かって何か話していたのは分かっていたが。話が長くて途中から聞いていなかった、と言うか今の悩みに思考を巡らせたら聞こえなくなっていた。
「いや?」
 と正直に答えると、表情が一瞬険しくなる。が、紅はため息を吐き出す。もういいわ、と呆れ混じりに言いながらもじっとこっちを見てくる紅に、カカシは眉を寄せた。
「なに」
 短く聞けば、別に、と同じように短い答えが返ってくる。
「なんか、珍しいと思って」
「何が」
「心ここにあらず、って感じよね?」
 図星の台詞にカカシはどう答えたらいいのか一瞬悩む。沈黙に気まずさを感じ、放っておいてくれる?と不機嫌そうにそう言えば。紅はまさか自分の予想が当たってると思っていなかったのか、意外そうな顔をするも、僅かに肩を竦めるだけに留めた。
 カカシは深くソファに座り直しながら、この前家を訪れた時のイルカを思い出した。
 普段はどんな格好をするのか興味はあった。どんな想像もしていなかったが、実際イルカはスウェットに半纏を羽織っていた。中に支給された黒いアンダーウェアを着ていたのは、いつ召集されてもいいようにで。いつも高めにきっちりと結ってある髪型ではなく、解いた髪を緩く下で結んでいた。
 それだけなのに。いつもの印象ががらっと変わって、柔らかな、それでいて落ち着いた感じで。部屋では寛いだ格好をするとは思っていたが、あんなに雰囲気が変わるなんて思わなかった。
 騒ぐ胸にカカシは結んだ口を口布の上から自分の指で軽く押さえた時、半分開けたままの窓からアカデミーの鐘の音が聞こえた。カカシは顔を上げる。
 しばらく考え込むようにして、そこからカカシは立ち上がると、待機所の扉を開ける、外に向かって歩き出した。


 カカシは歩きながらゆっくりと息を吐き出す。
 なんだか、落ち着かない。それは、胸が騒ぐのに慣れてないから。
 アカデミーの鐘が鳴ったと言うことは、今日のテストが終わったと言うことだ。
 顔だけでも見れたらいい。
 なんて安易な考えでアカデミーへ足を向ける。
 イルカがナルト達と接するのを見て感じだのだが、子どもと教師の顔で接するイルカの表情は喜怒哀楽を全て含んでいた。全てを真っ直ぐな感情で子どもにぶつける。そんな真摯なイルカに、きっとナルトは勿論、あのサスケまでちゃんと向き合おうと、そんな気持ちにさせるのだろう。
 そこはとてもじゃないが、自分は真似を出来ない。
 そんな一場面でも見れたらいいし、あわよくば一緒に帰れたらいいな、と淡い期待を胸にカカシはアカデミーの建物の近くにある木へ身体を飛ばした。

 イルカを見つけたのは一番上の階の、誰もいない教室だった。
 掴んでいた枝から手を離し、ふわりと足音もなく窓から教室に入ったのは、イルカが寝ていると思ったから。
 その通り、イルカは普段生徒が座っている椅子に座り、机に両腕を置きその上に顔を乗せ、突っ伏すように顔を伏せている。
 そっとのぞき込むと目を閉じたイルカは、すー、すー、と寝息を静かに立てている。カカシはその寝顔をじっと見つめた。
 実直で真面目な人だから。生徒の為に一生懸命寝る間を惜しんで問題を考え作り、そしてじっくり丁寧に答案用紙の丸付けをしたのだろう。
 部屋を訪れた時のイルカの姿や散らかった部屋を思い出し、それだけで想像できたイルカの姿に、カカシは一人目を細めた。
 出来れば起きていて欲しかったし、黒い目に自分を映して微笑んで欲しかったし、笑顔も見たかった。そんな欲が出てくるが、イルカのこんな姿を見れただけで、不思議と満足した気持ちになれた。定期的な呼吸を繰り返すイルカの伏せられた黒い睫を見つめ、そこから僅かに開いた口を見つめた。自分よりふっくらと唇。眉を寄せたカカシは、そっと少しだけイルカに顔を近づけた。
 愛おしさを感じる寝顔に、胸が苦しくなる。
「・・・・・・起きないと、ちゅーしちゃうよ?」
 呼吸の仕方から、深い睡眠に入っていると思ったから。カカシはそっとそんな言葉をイルカに囁き、間近でイルカを見つめ、なんてね、と心で呟きながら一人赤面した。
 イルカは寝ていて聞いていないのは分かっているけど。
 やっぱりこんな事言うのは、恥ずかしい。
 うっかり耳まで赤くなって熱を持った顔に、むず痒くてカカシは自分の唇を軽く噛む。落ち着かせる為にゆっくりと息を吐き出した。
(・・・・・・でも、ま、キスなんていつになるのか分かんないんだけどね)
 そう一人ゴチて、カカシは教室から廊下に出た。
 
 誰もいない静かな廊下を歩きながら、柄にもないこと言うもんじゃないと、反省した時、不意に後ろから廊下を走る音が聞こえ、あれ、どこかの教室にまだ誰かいたっけ、と思った時、手を掴まれ腕を後ろに引っ張られる。
 振り返れば目の前にイルカがいて、カカシは目を見開いた。
 見た限りでは、さっきまで熟睡していたはずなのに、なのにイルカは自分の目の前にいて、
「イルカせん、」
 言い掛けたカカシに構わず、イルカはもう片方の手を伸ばし、そして口布を下げる。そのままカカシの唇を塞いだ。
 押しつけられた唇に、その展開にカカシは目を丸くする。
 驚きにキスをされ動かないカカシの唇から、イルカは自分の唇をゆっくりと離す。
 イルカとキスをした事実に、白い頬がじょじょに赤く染まった。あの、と口にしたカカシを、イルカも頬を赤くさせながら、黒い目でじっとカカシを見つめる。
「・・・・・・元気出たんで、今から採点頑張ります」
 そう言うとイルカはぺこりと頭を下げる。そのまま元いた教室へ走って戻っていった。
 イルカの姿が廊下から見えなくなっても、カカシは呆然と立ち尽くしたままだった。そしてその数秒後、顔を覆って勢いよくしゃがみ込む。
(もーーーっ!!!)
 先生からキスしてくれた事実は死ぬほど嬉しいけど。
 それより何より。あの言葉をイルカに聞かれていたんだと思っただけで。
 消えてなくなりたい。
 でも、聞かれてしまったのだから、どんなに後悔しようとも後の祭りだ。
 耳や首もとまで真っ赤にしながら。カカシは恥ずかしさを堪えるように目を閉じ、じっと耐えるしかなかった。

<終>


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