オレンジ色

その日はふとコンビニに寄りたくなった。
どうしても今日中に目を通さなきゃいけない資料があると、帰りがけに執務室に立ち寄ったイルカに、カカシがそう言った。それは片手では持てないくらいの厚さから、今日は遅くなるのは確実だと理解する。手伝える訳がないと分かっているが、心配そうに向けたイルカの視線にカカシは大丈夫だよ、とニコリと微笑んだ。先代の綱手から禅譲を受けたカカシの仕事内容は幅広く、引き継いだ通常の仕事の他に里の復興も指揮している。仕事場は勿論、家でも愚痴は時々冗談混じりに零す程度で、飄々とした表情は今も変わらず淡々と仕事をこなし、いつもにこやかで大変さを顔に見せることはない。それを間近で見ていると、自分がカカシのパートナーだから贔屓目で見るとかでもなく、本当に頭が下がる思いだった。
しかも、こんな時こそ息抜きしてね、なんて言われてどうしたらいいのか分からず。まあでもせっかくだから、と一人だけのご飯を自炊する気にはなれないイルカは、コンビニに立ち寄った。
若い頃は手軽だと一時期はよく弁当を買ったりもしたが、それは長くは続かなかった。結局弁当も夕飯も自分で作った方が経済的だし身体にもいい。簡素にはなるが。
店内をぐるっと歩き、結局自分が選んだものは肉まんとおでんだった。
あとは缶ビールを数本。カカシが好きな銘柄だ。冷蔵庫に入れておけばきっと気がついて飲んでくれるだろう。
何だか独り身だった頃(公には今も独り身とはなっていはいるが)を思い出すなあ、と思うともっと若かった自分を思い出し、少し懐かしい不思議な気持ち包まれた。
お金を払って店から外に出ると、イルカは大きな通りから奥へ入り、そのまま家路へと向かう。歩く度に、手に持った袋からはおでんの匂いがふわり漂った。
近道になる公園のわき道を歩く。その小さな公園にはいくつかの街灯があり、薄暗い明かりを放っていた。街灯はペンキの剥げかけているベンチや花壇、ブランコを照らし、ーーブランコに座っている人影に目を留めたイルカは少し驚いた。
金色の髪に、背が伸び大きくなった背中にかつてのあの小さな少年を見る影はないが、見間違える訳がなかった。が、
「ナルトか?」
公園の柵をまたぎ公園へ入りながら、そう口にしていた。
だって、この時間でこの場所で、正直ここにはいるはずがないと思っていたのだから。
イルカの声にブランコから立ち上がり振り返ったナルトは、イルカを見てにこっと笑った。
「偶然だな、先生」
その言葉に疑問符が頭に浮かぶ。先述の通り、偶然って割には偶然出会う場所ではなく、ナルトの家は全くの反対方向だ。
「お前、何やってんだこんな場所で」
「ああ、うん。ちょっと」
予想通りの科白だったのだろうか、ナルトはまた白い歯を見せて笑うと後頭部を掻きながら曖昧な言葉を口にした。
イルカは呆れ気味に眉を寄せる。
「ちょっとってな、今ちょうど夕時だろう。ヒナタが家にいるんじゃないのか?あ、もしかしてお前ヒナタと喧嘩して、」
「違うってばよ、イルカ先生」
説教されると思ったのだろうか、責める口調になったイルカに慌ててナルトは手を振った。
遮られた言葉にイルカは仕方なく口を閉じるが、ナルトはそこから少し口を尖らせるようにして、直ぐには続けなかった。
「・・・・・・まあ、だからさ、ちょっと用事があったんだってば。ヒナタと喧嘩なんてしてねーし、もう帰るし」
もごもごと、恥ずかしそうに、またはふてくされるように言うナルトにイルカは片眉を上げた。
「そうか、まあ、喧嘩してないならいいんだ・・・・・・悪かったな」
余計な詮索するつもりもなかったが、昔から変わらない、ナルトに対しての染み着いてしまった自分のお節介な心配心に、後悔する。
もう小さな子供でもなく今や里のヒーローであり、それにナルトには、妻という優しくも可愛らしいナルトを大切に思ってくれる家族の存在がある。そう思ったら今更のように胸が寂しさで埋まっていく感覚を覚えた。
嬉しい事のはずなのに、心が削がれるような口にはとても言い表せない寂しさがなかなか消えなかった。
これじゃあ丸で子供だ。そう思ったら自分が情けなくなった。
元師である自分は成長した元生徒を心から祝福する、それだけでいいじゃないか。と、自分に言い聞かせてみる。
何でだろう、ふとこんな時にいつも浮かぶのはカカシの存在だった。カカシならきっと、何も言わずに抱き締めてくれると分かっている。そう分かってしまった自分の心を、イルカはまた恥じた。
とんだ甘ちゃんだ、俺は。
イルカの表情に気がついているのかいないのか、大きな青い目を不思議そうに丸くしてイルカを見つめたナルトは、その目を緩ませははっと笑った。
「何で謝んだよ先生。あ、それってコンビニ?珍しいじゃん」
何買ったの?
朗らかに笑った声に、しんみりしていたイルカの心も穏やかになる。そこからナルトはイルカの持っていたコンビニを袋をのぞき込んだ。
「あ、おでんだ」
「それと、肉まんとビールな」
「えー俺ピザまんが食べたかったのに」
「別にお前が食べる訳じゃないだろう。俺のだ」
冗談混じりに睨むとナルトがまた笑った。
「先生ってばさ、いつも肉まんなんだよな」
言われて気がつくイルカに、ナルトは何かを思い出しているのか、懐かしむような目を見せた。
「先生これ一人で家で食うんだろ?」
「ああ、そりゃあな」
答えると、へー、と言い、
「一人で食うの寂しくねえの?いい加減彼女とか作ったらいいじゃん」
あ、違うか、結婚すればいいいじゃん。
「イルカ先生を好きだって言ってくれる人くらい、いるんじゃねえの?」
目を丸くしたイルカにナルトはかつてよく見せていた悪戯っぽい笑みを浮かべた。純真で青く澄んだ目は昔から変わっていない。
勘がいいサクラは自分とカカシとの関係を知っていた。でも、公言なんてしていないから、当たり前だが目の前のナルトは知らない。
それなのに、浮かぶのは当たり前に恋人であるカカシだった。
先生、好きだよ
いや、愛してるだったか。というかどちらもだ。
それは昨日言われたばかりだった。正確には今日明け方、が正しい。
ナルトとは違う種類の青い目を向けながら囁いた声。最近忙しくてしてなかったから、なんて言われ昨夜は何度も翻弄された。いや、それを求めたのはカカシだけじゃなく、自分も、だ。
緩い下腹部の痛みがじわりと今更ながらに、刺激する。こんな状況で何で思い出してしまったのか。
頬を赤くなりそうになり、イルカは奥歯に力を入れた。結婚したとは言え、自分よりは遙かに綺麗な心を持っているナルトの前で思い出す内容じゃないと分かってるのに。
最低とまではいかないが、汚ない大人だと感じざるを得ない。
「何言ってんだ、ナルトは。からかうんじゃない」
怒ったフリをすれば、そんな言葉が返ると予想していたんだろう、悪りい、と金色の髪に手を当て笑いながら謝まった。
「じゃあ、俺も帰る。それ、冷めちゃったら美味くねえもんな」
おでんの入ったコンビニの袋を指さす。
「ああ、気をつけて帰れよ」
アカデミー時代から変わらない科白に、ナルトは一瞬の間の後、嬉しそうに微笑んだ。
風を防ぐ建物がない公園に、吹く風は冷たい。
ナルトは手をポケットに突っ込み、笑顔で見送るイルカに背を向け歩きだし、すぐその足を止めた。
くるりと振り返る。
「どうした、ナルト」
「あのさ、先生」
声が重なった。
黙ったナルトが視線を地面に落とした。そこからイルカに向ける。
「肉まんで思い出したんだけど、アカデミーに入る直前に、公園で泣いてた時、声かけてくれたよな」
ナルトを見守ってきた長い年月の記憶がさあっと、風が舞い込むようにイルカの脳裏に浮かんだ。
「・・・・・・ああ、そうだったな。あん時はお前はまだこんぐらい背が小っさくて」
表すように手を動かすと、ナルトは続ける。
「そん時俺に買った肉まんを半分くれた」
「そうだな」
「ありがとう。・・・・・・あと、平気だって強がったけど、転んで怪我した時絆創膏貼ってくれて、嬉しかった」
どうしてそんな事を今、と思いながら聞いてるイルカに、ナルトは真っ直ぐ視線を逸らさずに向けた。
「学校で鉛筆隠された時、何も言わずに一緒に探してくれたよな・・・・・・俺が仕返しに相手を殴った時、本気で俺を怒ってくれて嬉しかった」
「ナルト、お前なに、」
言い掛けるが、ナルトは遮るように続ける。だいぶ昔の出来事なのに、つい昨日だった事のように思い出していく。
イルカは眉を寄せた。
「火影岩に落書きした時も、授業さぼった時も、すっげー怒られて腹立ったけど、やっぱり嬉しかった」
ははっと、ナルトは笑った。
「弁当忘れた時、先生がくれたおにぎり、でこぼこで中身が梅干しで嫌いだったけど、食べたらすっげー美味かった。あと俺が熱で学校休んだ時、買い物のついでだから寄っただけだって言いながら、ポカリを買ってきてくれたよな。その時、」
「もういい」
強めに出た言葉にナルトが要約言葉を止める。
さっきより強く眉根を寄せながら、イルカはぐっと体に力を入れた。そうじゃないと、涙が、目から落ちてしまいそうで。
「もういい、ナルト」
もう黙っているのに、イルカはもう一度同じ言葉を口にした。
「お前の結婚式の時、泣かないように頑張ったんだぞ、俺は。なのに、」
「言いたかったんだ」
静かに口にした。
「本当は言わないつもりだった。でもさ、イルカ先生。小さな些細な記憶だし、どんなに忘れないって思ってても記憶っていつかは消えるから。イルカ先生に迷惑しかかけてなかったけど、俺がどう思ってたかなんて知らないだろうから。だから、嬉しかったちゃんと口に出して言いたかったんだ」
俺が一番最低な生徒だったって、忘れないで欲しい。
「忘れるわけないだろうっ」
大きな声に、ナルトは目を丸くした。
「馬鹿な事を言うんじゃない」
袖で目の際に浮かんだ涙をぐいと拭くと、イルカはナルトを真っ直ぐ見返した。
「お前の気持ちなんて全部分かってるに決まってるだろう」
泣きそうになりながら笑うイルカを見つめていたナルトは、また地面に視線を落とした。ゆっくりとイルカに顔を戻す。その顔には笑みが浮かんでいた。
「・・・・・・だよな」
「当たり前だ」
笑うイルカに、ナルトもへへ、と笑い。そこからお腹をさすった。
「あー、なんか急に腹が減ってきた。じゃあな先生。俺もう本当に帰るな」
情けない表情に、イルカも頬を緩める。
「ああ、真っ直ぐ帰れよ。ヒナタによろしく言ってくれ」
コンビニの袋を持ちながら腰に手を当てるイルカに、ナルト微笑み頷く。
「分かってるってば」
お腹に当てていた手を上げて、ナルトは走り出す。その小さくなる背を見つめ、イルカも背を向けた。
まだ目尻は涙で濡れている。イルカは手の甲で目を擦った。
本当は、忘れかけていた。
ナルトとの思い出はたくさんあるが、当たり前の些細な日常の記憶に過ぎなかったそれらの記憶は、ナルトにとっては同じ思い出はなかった。
でも、感謝の言葉を口にされるような事なんて、何もしていない。
当たり前の自分でいただけだ。
歩きながら冷めかけているおでんや肉まんの入っている袋ががざがざと立てる音を聞きながら。イルカは星が瞬いている夜空を見上げた。



イルカが歩いている正反対の道を曲がったところで、感じた気配。寒そうに背を丸めてポケットに手を入れていたナルトは、足を止めた。
ナルトの前に影が出来る。カカシが立っていた。
「よ」
火影であるカカシへ顔を向けたナルトは、胡乱な目を作ると溜息を吐き出した。
「なんだよそれ。カカシ先生の事だからどっかでどーせ見てたんだろ」
「まさか。そこまで図々しくないよ俺は」
微笑みながら否定するカカシに、ナルトは信じられないと言いたげに軽く首を振った。
「て言うかさ、けしかけたのはカカシ先生じゃん。本当、今更だっての・・・・・・俺が結婚してから言い出すなんてさ」
ナルトは不満そうな顔を隠さずにカカシに向けた。それさえもカカシは笑顔で受ける。
俺さ、イルカ先生にプロポーズしようと思うんだよね。
執務室を出て行こうとしたナルトにカカシはそんな言葉を呟いた。分かりやすく反応を見せたナルトに、カカシは縦肘をつき書類に目を落としたまま。
だからさ、言うなら今のうちだよ。
そこでようやく目線を上にあげ、微笑む。
何か言うべきか、口を開く前に執務室にシズネが戻ってくる。ナルトはそのまま部屋を出た。
今思い出しても腹立たしい。
「カカシ先生って結構やらしいよな」
「それこそ今更じゃない」
小さくカカシは笑う。
そういう意味で言ってねえってば、と悔しそうに視線を横にずらしたナルトに、カカシはニコリと笑う。そこから頭を掻いた。
「分からない?それだけお前が驚異だったって事だよ」
驚き目を丸くするナルトに、カカシはまたニコリと微笑んだ。そんなカカシを見つめたナルトは、口を結んだ。それも今更だと言わんばかりに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ視線を足下に落とす。
「・・・・・・聞いてたなくても分かってただろ」
「・・・・・・」
黙ったカカシにナルトは再び口を開いた。
「結局イルカ先生は俺の気持ちなんて、これっぽっちも気がついてもなかったんだって事」
 お前の気持ちなんて全部分かってるに決まってるだろう
晴れ晴れとした表情とあの科白は、決定的だった。あの人は嘘なんてつけない。そう。何にせよイルカは直ぐ顔に出る。
好きだって言ってくれる人がいないかと聞いた時の、イルカの顔。きっと昔の自分だったら何にも気がつけなかった。
思い出しても、艶めかしい。それこそ自分が欲しかったイルカの目の色だった。
舌打ちしたくなる。
悔しくてあんな思い出を口にしたのは、後悔はしていない。だけど、言いたいことはそんな事じゃなかったのに。
ナルトは顔を上げた。冷えた青い目と視線がぶつかる。
そこから浮かんだ感情は、嫉妬だった。
「結婚式には呼んでくれるんだろ」
あまりにも気持ちが入っていない口調。でも、カカシは目を見開いた後可笑しそうに笑った。
皮肉を込めたのに嬉しそうに微笑まれ、ナルトはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向くしかなかった。顔をカカシに向け口を開く、が、ぐっと結んだナルトに、ん?とカカシが首を傾げた。
「なに?」
「別に。もう行く」
「ああ、ヒナタによろしくな」
イルカと同じ科白。それを背中で受け、ナルトは小さく笑いを零す。
分かっている。俺はヒナタを選んだ。そう、選んだんだ。
そのまま振り返らずナルトは走り出した。
ーーそれでも、イルカの心に触れた途端、隠していた心は簡単にイルカを欲しくなってしまう。
走っていた足を止める。ひんやりとした空気に包まれながら、ナルトはぼんやり上を見上げた。
低い位置で光るのは、いつかイルカが自分にくれた飴玉みたいなオレンジ色の星。
イルカの手の内になる飴玉に手を伸ばすのは簡単だったはずなのに。いつからだろう。気が付けば手を伸ばす事も欲しいと強請る事も出来なくなってしまっていた。

青い瞳に光る星を映しながら腕を伸ばした時、ナルトの目から一粒だけ涙が零れた。

<終>
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