俺を知って

ああ、またやってしまった。
イルカは布団の中で重い痛みが残る頭をだるそうに機能させながら、ため息を一つ零した。
(えっと....昨日はどうやって帰ったっけ)
ぼんやり記憶に残る事を思い出してみようとしたけど。どうもはっきり思い出すことは出来ない。
だけど。こうやって自分の部屋にちゃんと帰り、布団で寝ていると言うことは。
考えられる事は二つ。
自力で帰ってきたか。もしくはーー。
カカシの世話になったか。
そこでまたイルカは瞼を閉じながら布団の中でもぞもぞ身体を動かす。まだ酒臭さが残ってしまっていることから考えられるのは。
間違っても前者ではない、と言うこと。記憶も然り。
(やっちまった)
後悔の渦の中でイルカはまたため息が出る。
酒は好きだ。
そこまで弱くもない、と思っているから、適度に飲んでいるつもりだ。
それでも、やっぱり昨日は飲み過ぎた。
まだ残る頭痛に額を手で押さえる。
布団から顔を出して、時計を見てまたため息を吐いた。
そうゆっくりもしてられない。
イルカはシャワーを浴びるためにのそりと布団から起きあがった。

酒臭さはなんとか抜けたものの、顔色を見た途端、同僚に笑われた。どうせ昨日は飲み過ぎたんだろ、と言われて、イルカはただ苦笑いを浮かべた。
「そこまでじゃねえよ」
なんて言ってみせるが、嘘付け、と言われてイルカは口を尖らせた。
そんなはっきり断言しなくても。
確かに本当の事だけども。決めつけられるのは嬉しくないって言うか。
まあ、飲みに行くメンツでどうもイルカの酒量が変わる、と、他のヤツらに言われたのは最近。
言われて初めて気が付いた。

「せんせ」
「あっ」
イルカは受付に入ってきたカカシを見るなり立ち上がった。
自分とは違い、爽やかな笑顔を浮かべながらカカシは歩いてくる。少しだけ眉を下げて、
「昨日はどうもご迷惑をおかけしまして、」
言い掛けたイルカに、カカシはいーよいーよ、と、片手を振った。
ああ、やっぱりカカシにお世話になってしまっていたのか。
事実関係がはっきりして、ほっとしつつもやはり申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
頭を下げたイルカが窺うように顔を上げると、にこにこしたカカシの顔。
自分に気を使わせないようにしてくれている感が、またイルカの良心を苦しめる。
「どう?二日酔いになっちゃった?」
さらには自分の心配まで。
イルカはぶんぶん首を横に振る。
「いえ、もう全然...それより、俺重かったですよね」
言われて、カカシは、ああ、と笑った。
「そんなの。負傷者担いで戦場走る事に比べたら。大したことじゃないよ」
そこまで言われたら、ぐうの音も出ない。
何も言えなくなってしまったイルカに、はい、と報告書を渡される。
イルカは力なくそれを受け取った。


今日は同僚の仲間内で飲みに来ていた。
いつもながら、盛況している居酒屋は、安くて美味い。財布の心配もそこまでしなくていい。
そんな居酒屋でイルカもいい気分で酒を飲む。
ビールから焼酎に変わった辺りで、用を足す為に席を立った。そこから席に戻る時、
「イルカ」
名前を呼ばれる。
その方向へ顔を向けると、突き当たりの個室の前にアスマが立っていた。珍しい、とイルカは顔を綻ばせながら近づく。
「お前も今日は飲み会か」
どうやら煙草を吸う為に席を外したらしい。最近禁煙の店も増えてはいるが、ここもそうだったか、と思えば。アスマはそれを察したのか、煙草を咥えながら苦笑いをした。
「女子が最近キビシーんだわ」
「そうですか」
女子、と言うアスマの表現にイルカもつられて苦笑いするも、じゃあコンパか合コンかと、思えば。
「紅やアンコだ」
それもまたアスマに先に言われる。
煙草に火をつけ、一息吸い煙を吐き出しながら、アスマは促すように首を動かした。
「どうだ。お前らもよかったらここに来るか」
料理頼みすぎて余ってるんだわ。
酒飲みになると食べる量も減るのに、アイツらは適当にばかばか頼みやがって。
そう言うアスマは面倒くさそうな顔をする。きっとまたそれも紅やアンコの事を言っているのだろうが。
でも上忍ばかりの飲み会に、中忍連中がのこのこ顔を出すのは気が引ける。考えるとアスマは後ろにある個室を親指で指さした。
「考えるほどのメンツじゃねえし。あと、カカシもいるぞ」
カカシも。
アスマと仲が良いのは知っていた。よく飲みに行くことも。
深い意味じゃないと知ってはいても。その一言はイルカの心を簡単に動かした。
「じゃあ、俺仲間に聞いてみます」
イルカはそう言った。


もともと気さくな仲間しかいないからか、同僚達は嫌がる様子もなく頷いた。
そこから上忍がいる個室に移る。
カカシは、イルカを見て嬉しそうに微笑んだ。頬も少し赤いが、そこまで酔っている様子もない。
「先生」
こっちこっちと手招きされ、イルカはカカシの横に腰を下ろした。
手には自分と同じ焼酎だろうか。水割りのグラスを手にしていた。青色の目がじっとイルカを見つめる。
「今日はまだそこまで酔ってないね」
そんな言葉を言われて、意味が分かり。イルカはただ苦笑いするしか出来なかった。鼻頭を掻く。
「まあ、今日は」
だって今日は同僚と飲んでいたのだ。そのメンバーで酔いつぶれる事は滅多にない。
それなのに。カカシと飲むといつも気が緩んでしまうのもあってか、どうしても飲み過ぎてしまう。
自分でも分かっているのだから、ペースを考えればいいのだけれど。
それに比べて。
イルカは横に座るカカシを横目で見た。
酒臭さもないし、強いていればいつもと変わらない。あぐらを掻いて、周りの会話を楽しみながら、静かにグラスを傾けている。
カカシはそこまで酔った姿を見たことがない。いつも一方的に自分が酔って介抱されて。
それは、自分よりもカカシが酒に強いと言うだけの話しなのだが。
自分はそこまで弱くないと思っていたから。
なんか、不公平な感じもする。
アスマや紅もそこそこ酒が入っているからか、気持ちよく酔った言動にもなっている。
それなのに。
カカシは酔いつぶれることなんてあるんだろうか。
酒を酌み交わす仲であるけど、少なくとも一回も見たことがない。カカシが酔ったら。どんな風になるのだろうか。
「どうした」
アスマが少しむくれた顔のイルカに気が付いたのか。イルカを見た。
トイレと言って席を立ち部屋を出て行く、そんなカカシの背中を見つめて。
「なんか不公平だなって思って」
イルカはぽつりと呟いた。
言えば、はあ?と、アスマが聞き返した。
「何が」
イルカはチビ、とグラスに口を付けながら口を開く。
「いや、カカシさん。いっつもそこまで酔わないんですよね。俺ばっかり酔って。で、世話になりっぱなしで。俺、自分は酒強いと思ってたんですけどね。...だからなんかヘコむんですよ」
アスマもビールをジョッキで飲みながら小さく笑った。
「そりゃ違うわ」
言われてイルカはアスマに顔を向けた。
「何がですか?」
「いや、カカシは酒そんなに強くねえからな」
「....え?」
耳を疑い、聞き返す。
「ここだけの話な。いや、ここだけって訳じゃねえけどよ。カカシは、あいつはそこまで強くねえ。だた、酔わずにセーブしてるだけだ」
目を丸くしているイルカに、アスマは続ける。
「実際、ビール三杯くらいで十分なんじゃねえかな...前言ってたのが、水をこまめにとればいいとか、なんとか」
思い出すような表情で言って、そこでアスマはまた笑う。
「俺がザルだからそれ聞き流しちまったけど、確かそんな事言ってたっけな」
ほら、と言ってカカシの飲みかけのグラスを指さす。
「たぶんそれも水か、うすーい水割りだ」
「へえ...」
言われなきゃ分からなかった。
アスマはビールを飲み干す。
「ま、あいつは暗部時代に培った酔わずにセーブする能力ってのがあるかな」
アスマは目の前にあるソーセージを口に放り込むと、扉が開く。カカシが戻ってきたのを見て、アスマは腰を上げた。イルカの肩を叩く。
「お前とは楽しい酒が飲めてるみたいだから?それでいいんじゃねえ?」
アスマは懐から出した煙草を咥えると、入れ違いに部屋を出る。カカシはイルカの横に座ると、アスマが水と言ったグラスを手にとって口にした。
視線に気が付いたのか。カカシがふとイルカへ目を向ける。
「どうしたの?」
首を傾げるカカシが浮かべる微笑みが優しくて、その目にどうも弱い。それも最近気が付いた事なんだけど。
イルカも笑いながら、いや別に、と、首を振った。
「もう酔っちゃった?」
続けて言われて慌ててまた首を振る。
「酔ってませんよ」
口を尖らせて言い返すと、カカシは眉を下げた。
「ごめん。そんなムキにならないで」
くすくす笑うカカシは子供のように無邪気なようで。それでいて端正な顔立ちなのだからたちが悪い。
そして他国が恐れるほどの忍びでもある。
そんなものは微塵も感じさせないカカシは、ただ、嬉しそうにイルカに邪気のない表情を見せる。
(これもずるいよなあ)
イルカは口を尖らせながらも焼酎を飲んだ。
「でも、酔っても俺がまたおぶってあげるから、飲んでもいいよ?」
だからもっと楽しんでよ。
言われてイルカはまたむくれた。
「そんなんじゃないんですって」
分かってない。全く以て分かってない。
それなのに。カカシは不思議な顔を見せるだけで。からかっている訳じゃないけど、やっぱり悔しい。
イルカはグラスの焼酎を一気に飲み干した。
「俺、お代わりしますけど、カカシさんは?」
聞くと、カカシは一瞬考え。
「ん。じゃあイルカ先生と同じの」
ニコと微笑んだ。
そっか、今度は普通に頼んで。それで水で薄めるとかするのかな。
考えながらイルカは席を立ち、部屋を出る。
店員に手を上げた。
「すみません。焼酎の水割り二つ」
言った後に、ふとイルカは考え。思い立ったようにまた手を上げ、背を向けた店員を呼び止めた。
「あの、今の注文なんですが」




「あら」
紅が日本酒を飲みながらじっと向かいの席を見ながら口を開いた。
アスマも、アンコも。そして他の中忍仲間も。一点を見つめている。
カカシがグラスを持ったまま、テーブルに突っ伏していた。
銀色の草臥れた髪がまたダウンライトに照らされて、綺麗な色を放っている。
「なに珍しい。どうしちゃったの?これ」
紅は面白そうに言った。
これとは、もちろんカカシを指している。アンコも物珍しいような視線を向けながら、さあ、と呟いた。
「なんだろね。初めて見た。滅多に酔わないのに」
紅の横に座っていたアスマが、周りと違う表情で酒を飲んでいるイルカを見た。
そう、イルカは少しばかりご機嫌に見える。そんな顔でグラスを傾けていた。
「イルカよお、...お前どんな手を使ったんだ?」
アスマの問いに、イルカは嬉しそうに微笑んだ。
「いや、カカシさんのだけちょっと濃いめに酒を作ってもらっただけですよ」
そう。グラスは水割りのサイズながら、そこにほぼロック並の焼酎を入れてもらった。ただそれだけだ。
酔ったカカシを見てみたい。
ただ、それだけで。
でもきっとカカシのことだから、難なく躱して酔わないんだろうな、と高を括っていたのだから、内心驚いた。
最初ロック並の焼酎を口にして。カカシはぐっと眉を寄せた。
そりゃそうなるだろう。氷は入ってはいるが、原液そのもので。違和感を感じない方がおかしい。
その酒を持ってきたのは店員だが、頼んだのは自分だ。それをカカシは知っているから、何か言われると思っていたのに。何も言わなかった。
何も言わず、また一口口にした。ごくごく、とまではいかないが。普通にそれを飲んでいる
イルカはそんなカカシを見ないように、でも注視しながら横で鍋を装って食べた。トマト鍋をアンコが注文していた。
以外に旨い。
それを食べながら横目でカカシを窺っていたら、カカシはそれをぐいと飲んだ。
あ、と思ったが。カカシはそれを飲み続け。
ーー今に至る。
アスマの言葉を信じていなかった訳じゃない。でも、本当にこれ一杯でぐったりなるなんて。
イルカは驚きながらも、酔ったカカシに満足していた。
うー、とカカシは小さく呻くが、目は瞑ったまま。酔うと眠くなるタイプだったのか、と分析してみる。
変に絡んでくる訳でもない、ぐちぐち同じ話しをするような感じでもない。白い頬を赤くして机に伏すその顔を見ながら寝てしまっているカカシを隣で眺めながら、可愛い、なんて思ってしまう。
「お前、...後で怒られても知らんぞ」
呆れ半分で言いながらも、アスマも物珍しい光景を楽しんでいるようにも見える。
「いいんです」
イルカはふん、と鼻をならした。
「だっていつも自分ばっかり酔って、酔いつぶれて。たまには立場逆転したっていいじゃないですか」
むくれ気味に言うイルカも、酔いが回ってきてはいた。ふてくされる表情を見て、アスマは笑う。
「だとよ、カカシ。今日はお前をイルカが介抱するんだってさ。良かったな」
「イルカが?こんなんおぶったら大変じゃない。あんたが何とかしなさいよ」
紅は体格が一番でかいアスマへ視線を向ける。
その時、ふとカカシの瞼が開いた。青い目はやはり酔ってトロンとしている。話を聞いていたのか聞こえていなかったのか。うん?と言いながらむくりと伏していた上半身を起こした。
そこから、ぐい、と身体をイルカに寄せた。
(え?)
一瞬何が起こったのか。イルカはグラスを持ったまま固まった。
それでもカカシはぴったりと寄り添うようにして、頭をイルカに擦り寄せる。
こんなに近くになった事なんて一度もなかった。カカシの匂いが、ふわとイルカに漂う。暖かいカカシの肌も、睫毛さえも、自分の頬で感じる。
「イルカ」
カカシは目を閉じながら。頬を擦り寄せながら、名前を口にした。
低い声が耳元で聞こえる。息も頬にかかるほど近くて。
ぞわ、と背中に痺れのようなものが走った。
「俺のイルカ」
はっきりと、そう言った。
耳を疑う余地もない。
はたと周りを見れば、アスマも紅もアンコも。同僚も。みな固まってこっちを見ている。
そこから一気に身体に熱を持った。顔も耳も。全部、熱い。
「は....はは、...」
イルカは乾いた笑いをひきつった表情で出し。
自分が動揺していないと思われたくて。平静を装うように、鍋を食べようと自分の取り皿を取った。
「カカシさんてば、酔うと可愛いところありますね」
びっくりですよ。
言いながら、イルカが手に持つのは、灰汁を取った皿と、取り箸。
完全に動揺しまくっているイルカの乾いた笑い声だけが、部屋に気まずく聞こえた。




翌日、イルカは1現目の授業が終わり、教材を抱えながら教室を出て廊下を歩く。
未だに頭の中は昨日の事でいっぱいだった。
授業はそれなりに集中してこなせたけど。ちらつくのはカカシのあの台詞。
いつもは。先生、とか。イルカ先生、としか呼ばないのに。
 イルカ
低い声で、聞いたことがないくらいに甘い囁きに。思い出しただけで。首筋がちりちりした。
暑くもない季節なのに、変に汗ばむ。
「イルカ先生」
身体が分かり易く跳ねた。恐る恐る振り返ればカカシが立っていた。
「昨日俺飲み過ぎちゃったみたいで」
頭痛がするのか、カカシは指で頭をさすりながら、困った顔を浮かべた。
ゆっくり歩いてイルカの前まで来ると、眉を下げた。
「先生に迷惑かけなかった?」
そう聞かれて、えっと、と、イルカは迷う。
「...昨日の事とか覚えています?」
言えばカカシは情けない顔を見せた。
「いや、気が付いたら自分の部屋だったから。イルカ先生とアスマで運んでくれたって聞いて。ごめんね」
カカシの声からまた昨日の台詞が頭に浮かんでイルカは頬が熱くなり、イルカは慌てて顔を横に向けた。
「どうしたの?」
カカシは不思議そうに顔を傾げた。
「いや、別に」
ぎこちない笑みを浮かべる。
何俺は焦ってんだ。落ち着け。
カカシはただ飲み過ぎて酔っていただけ。あれは酔っぱらいの言葉。
だから、気にする必要は何もないはずなんだ。
だから、きっとカカシは忘れている。
俺の、なんて呼んだことを。
まさか自分が、仲間や中忍の前で、あんな事言ってしまったなんて。知ったらどう思うか。
それに、程良い距離の関係。これが崩れるのもいやだ。
抱えていた教材をぎゅっと力を入れると、カカシに向き直りイルカは笑顔を作った。
「いや、なにも」
カカシはホッとして微笑む。
「じゃあさ、今日メシ奢らせてよ。昨日のお詫び。ね?」
ポケットに手を突っ込んで、カカシはイルカを窺うように顔をのぞき込んだ。
「おでんが旨い店なんですよ」
言われて、イルカは反応した。以前カカシが言っていた屋台のことだ。屋台ながらもスープも具も絶品だと、牛串が特に旨いと言っていた。
「今日は酒なしだけど。行く?」
「はいっ」
イルカは目を輝かせて頷くと、予鈴が鳴る。
「あ、すみません。次の授業行かなくちゃ。じゃあ、またあとで」
イルカは頭を下げ、急ぐために背を向ける。
カカシは片手を上げ、見送った。

イルカが角を曲がり姿が見えなくなって。カカシは上げていた手をゆっくりと下ろす。
口布の下で顔を綻ばせた。
イルカに酒を盛られた事は不本意だったけれど。
結果イルカの反応をみれて。しかも予想以上のイルカの反応。
(...脈あるって...思っても、いいよね...)
カカシは一人廊下を歩き出す。
彼に恋心を抱いてから、もう1年も経つ。
だから。
もっと、もっと。俺のことを知って欲しい。距離を縮めたい。
自分にこんな欲もあるなんて、知らなかった。
(また不意打ちで、やってみよっと)
足取り軽やかに。カカシはイルカの昨夜の反応を思い出して、微笑んだ。


<終>