落とす

 イルカを見かけたのは飲み会の席だった。少し遅れてきた時にはイルカはもうそこにいて、グラス片手に上忍に酒を注いでいる。受付やアカデミーの近く、七班の任務帰りに偶然ナルト達に会った時に何度か見かけたり顔を合わせていたのに。真面目できちっとしている印象が強かったからか、緩んだ表情で顔を赤くして笑う、いつもと違う雰囲気だからなのか。自分の目に留まった。
 返杯を全部受けたんだろう、すっかり出来上がったイルカの顔は赤く、上忍がいる席に座り込んでいる。誰がそんなに飲ませたのかは知らないが、真面目にそれを受ける方も受ける方だ。潰れるのは時間の問題だと思いながら、自分もまた酒をちびちび飲んでいたら、近くにいた上忍がまたイルカのグラスに酒を注いだ。
 並々と注がれたそれは明らかにビールではなく日本酒で。その周りにいる他の上忍もまた面白がっているのか止めようとしない。きっと当たり前に、イルカはそれを飲むのだろう。それが分かってカカシはため息混じりにゆっくりと席を立った。

 カカシがイルカの手を掴んだのはなみなみ注がれた日本酒を口にしようとした時。何で止まったんだと不思議そうにしながら顔を上げるイルカに、カカシの顔が映る。カカシは僅かに眉を顰めながらイルカを見下ろし、小さく息を吐き出した。
「先生、あんたもう無理でしょ」
 明らかな事を口にすると、イルカは少しぽかんとした顔をした後、困ったように眉を下げ、いや、あの、と口を濁した。酔いながらも周りの上忍にまだ気を使う。それが何故か癪に障った。日本酒が入ったグラスを取り上げるとテーブルに置き、そのままイルカの腕を引っ張り立たせて宴会場を出た。
 大丈夫?と、背中を支えていた手で擦るとイルカが僅かに顔を上げる。こっちを見つめながら、平気です、と返すものの、その声は弱々しい。カカシはそのままイルカと一緒に宴会場を出た。


 翌日、カカシは一人上忍待機所にいた。七班の任務は休みで単独任務を昼過ぎに控えている為、中途半端に時間を潰す事も出来ず大人しく待機所にいる事を選ぶ。いつものように小冊子を開いて目を通していても内容が入ってこない。仕方ないからその本を閉じて、ソファに深く座り直しぼんやりとしていた時、扉が開き紅が入ってきた。同じように午後から自分とは違う任務が入っているのは知っていた。向こうも知っているのだろう。紅も特に反応を示さずカカシの対面に腰を下ろしながら、真紅色の目をカカシへ向ける。珍しいじゃない、と口にした。声をかけられ顔を向ければ、紅は目で閉じられたままの小冊子を指し、それ、と続ける。
 その言葉を無視しようと思えば出来たが、どうかした?と問われ、その言葉にカカシは一瞬悩むも、一度落とした視線を紅に向ける。重い口を開いた。
「ちょっとね、ヘマした」
 ヘマと言われて紅は少し驚いた顔をしたものの、あまり表情は変わらななかった。そうなの、カカシに返す。そこからテーブルに置かれた雑誌を手に取り適当に開きながら、で、何したのよ、と聞かれ、視線を雑誌に落としたままの紅に、カカシは少し躊躇うものの、ゆっくりと口を開く。
「昨日、イルカ先生と寝たんだけどさ、」
 そこまで言ったところで、紅が雑誌から顔を上げた。カカシの表情をじっと見つめ、そこから続けようとしないカカシに、今度は紅が口を開く。
「上手くいかなかった?」
 すんなりとそう言われカカシはその鋭さに内心舌を巻いた。呆れられるか、驚くか、そんなところだろうと思っていたのに。先を読まれるのは慣れていない。それが顔に出たのか、脚を組み替えながら紅はカカシを見つめた。僅かに肩を竦める。
「だってカカシ、イルカをお持ち帰りしてたじゃない」
 言われてカカシはムっとして眉根を寄せた。
「お持ち帰りって、あれは介抱したの。紅も見てたでしょ?」
「でも寝たんでしょ?」
 結果からすればその通りで。カカシは否定出来なくなってそこで口布の下で口を結ぶ。
 そう、元々自分は介抱するつもりでイルカに声をかけた。あそこで吐かれるのはどうかと思ったし、きっとこの人の性格上、面目ないと後悔するだろう。それに、それなりに面識がある相手だったから。助け船くらい出してやってもいいと、そう思った。
 当たり前だがあの時点では下心なんてものは丸でなくて。さっさと家に帰らせて、自分は自分で一人で飲み直そうと思っていた。元々連れ出そうとしたのは店の外までで、そっからは自力で帰ってもらおうと思っていたのに。歩き出したイルカの足取りが思いの外おぼつかないから。仕方なくイルカの腕をもう一度取った。
 イルカに教えてもらいながらアパートまでたどり着き、イルカの代わりに部屋の鍵を開け、玄関を上がって腕を離せば、イルカはどさりと尻もちをついたかと思うと、そのままその場に大の字に転がった。ここまで親切に連れてきたのだから感謝くらいしてもらいたいものだが、当の本人はきっと覚えていないだろう。さっさと帰ろうとすれば、水をください、と消えそうな声がカカシの背中にかかる。
 しょうがなく部屋に上がり台所向かいコップに水を汲み、イルカに差し出した。
 だが、持たせたコップをイルカは指から滑らせて零し、床を盛大に濡らす。自分も大概だと思いながらも、カカシは濡れた床をタオルで拭いた。そして二杯目を用意する。しかしさっきは水だけで済んだが二杯目も零され、もしガラスを割られたらそれはそれで面倒だ。
 兎も角、先ずは胃の中のアルコールを少しでも薄める事が先決だ。カカシは何の考えもなしに、自分の口布を躊躇いもなく下ろし、コップの水を口に含むとこっちをぼんやりと見つめているイルカへ唇を近づけ、重ねた。イルカは驚いたように反応し、口を離そうとしたが、カカシはそうはさせなかった。合わさった唇をぴったりと塞ぎ水を口腔へ流し込む。それを繰り返している内に、介抱されているとようやく分かったのか、イルカは抵抗をしなくなり、自分から零さないよう唇を押しつけてくる。
 ただの介抱のはずだったのに、その唇の感触がやけに艶めかしく感じた。唇を離せば名残惜しそうにイルカの黒い目が自分の唇を追う。どんな反応を示すのか確かめたくて、カカシは悪戯にもう一度唇を重ねた。イルカもそれを受け入れ、手を首に回す。そこから、スイッチが入った。
 一回じゃ終わらなかった。初めて見て、感じるイルカの全てに翻弄され、一回吐き出した後も熱が治まらなくて、自分を見つめる潤んだ黒い目や、汗ばみしっとりとした吸いつくような肌が心地よくて。商売女とは比べものにならない快楽に、夢中になった。何回目かで、体力も限界だからかイルカは嫌だと譫言のように口にしたが、欲望に浮かされた自分は到底止めるつもりはなかった。
 ごめんね、と耳元で優しく囁き自分が満足するまで、何度もイルカの中に熱い肉棒を突き挿れた。
 

「それで?」
 紅の言葉にカカシは下げていた視線を上げる。銀色の髪を掻いた。
「セックスは良かったんだけど、」
「終わって直ぐに帰ったとか?」
 はっきりと断言するように言われ、それは間違えようのない事実で。カカシは小さく息を吐き出した。
「鋭いね」
 言えば紅は少し呆れ気味に小さく笑った。
「あんなみたいな男がやりそうな事よ」
 まあ確かに。手当たり次第とまではいかないものの、寄ってくる女を適当に相手にしていて、そこを非難されても言い訳のしようもない。カカシは素直に肩を竦めた。ただ、こんな事で気持ちが落胆するのも自分自身珍しいと思うが、上手くコントロール出来なかった。
 大体、帰る時も、別にこれと言ってイルカの部屋に留まる理由はなかったから、そのまま帰った。それだけの話なのに。だからそれが悪い事とは思えない。
 なのに、イルカの態度はつれなかった。
 待機所に来る前に受付に寄った。任務予定表をもらう為だ。そこには夜明け近くまで一緒にいたイルカがそこにはいた。いつものように変わらずきっちりと髪を高く括り、額当てをして。いつもの姿で座っていた。
 イルカは、顔も見ようとしなければ、いつもの笑顔はもちろんない。どうぞ、とそっけない口調で任務予定表を渡され、どーも、と受け取ったものの、カカシが言い終わる前にイルカは当たり前のように自分から視線を外すとさっさと作業を始める。
 元々こういう事に関しては自分は神経がないに等しい。女に罵られようが身体だけを求められてそれっきりにされても大して気にもならなかった、ーーはずなのに。
 イルカのそれだけの行動が、悔しいけど、心に引っかかった。
 だって、ちょっとは。自分になびくとばかり思っていた。身体を開いたって事はそういうことなんだって、そう思ってもいいはずだし、なにより、あんなに気持ちよくさせてあげたのに。
 
 思い出してカカシはため息をつく。
「どうしたらいいと思う?」
 自分でも格好悪いと思うような言葉が口から出ていた。昔からの知っている相手だからこそ、零せる愚痴だ。昔から自分を知っていようが、紅は、珍しい、とそんな顔をして、そこから、そうねえ、と口を開いた。
「場合によるわよね・・・・・・なかった事にしたい?」
 静かな視線をこっちに向けられ、カカシは言われた事を一瞬考えるも、直ぐに、いや、と返した。それに紅は頷く。
「良かった。不可能だから」
 あっさりと言い放ち、紅は続ける。
「イルカは見ての通り感情的な人だから。時間をおいて、落ち着いてから話すほうがいいと思うけど、」
 途切れた台詞に、けど?と聞き返すと、また紅がカカシを見つめる。
「でも二度目はなさそう」
 丸で分かっているかのような口調に、言われてカカシはムっとした。


 

 確かにそうかもしれない。
 七班の任務で野犬狩りを受け、三人それぞれの動きを確認し、野犬の位置を眺めながら、カカシはぼんやりと考える。
 あの人のああいう態度を見るからに、きっと頑固で意地っ張りだ。それでも根に持つような性格には見えなかったんだけど。
 だからと言ってこの狭い里の中で顔を合わせずに済むのは難しいが、別に自分は避けるつもりもない。
 ただ、ちょっとどうしたらいいのか分からないだけで。
 そして、気に入らないのは。紅のアドバイスでもイルカの自分に対する態度でもない。自分自身だ。
 たった一度の関係に、こんなにこだわる必要はないはずなのに。カカシは岩の上に移動する。この自分の踏ん切りのなさと、目に映る三人の相変わらずの連携のなさに、カカシはため息を吐き出しながら銀色の髪を掻いた。
 
 夕方、カカシはナルトを連れて医務室にいた。野犬に対する扱いでヘマをしたナルトの怪我は大した事はなくとも、体中に傷が出来ていた。
 病院に行くほどでもないが相手は野犬だ。面倒だからと言ってそのまま処置を怠る事を見過ごす事はできなかった。
 アカデミーと違って医務室には担当医がいない。借りてきた鍵で医務室を開けると、ナルトを椅子に座らせる。服を脱がせ消毒を始めた。
 消毒を浸した脱脂綿で触れる度に痛いを口にするナルトにため息をつきながら、お前ねえ、とカカシは息を吐き出した。
「捕獲する事が目的なのに、野犬と格闘してどうすんの」
 呆れ混じりに言うと、だってさ、とナルトから声が直ぐに返ってくる。
 その先の言葉は分かっていた。連携する事を忘れ、サスケよりも早く、そしてサクラにいいところを見せたい。短絡的な考えを優先した結果だ。ただ、それを今自分が咎めたことろで意味がない。ナルト自身で気がつく事が必要だ。
 それ以上なにも言わないナルトはたぶん本心ではどうすべきなのか、気がついているはずだ。それを証拠になるとは口を尖らせるだけに留めている。
 金髪の部下を眺め、全ての傷を確認し終えると、カカシは、もういいよ、とナルトの背中を軽く叩いた。それがまた傷に触れ、いってえ!と文句を言うナルトに笑いながら、さっさと服を着るよう促した。

 ナルトを帰らせ廊下を歩く。報告を済ませるべく受付に向かおうとして、廊下の先にたくさんの書類を両手に抱えたまま歩いている人影が目に入った。見間違いようがない、イルカだった。無視されるくらいだったらこのまま別の方向から建物を出てもいい。紅の言う通り、二度目までとは思っていなくとも、簡単にこの関係を修復出来そうもない。どうしようかと、口元に手を当てその黒い尻尾を、背中を見つめ。そして口に当てていた手を離すと、カカシはゆっくりとイルカへ向かって歩き出した。

 両手が塞がったままのイルカが、少しだけ出した指先で開けようとする。その書庫室の扉をカカシは先に開けた。
 気配を感じ取っていなかったからなのか、開けようとしていた扉がガラリと開いた事に驚き、そして顔を上げる。カカシの姿を確認したイルカは目を丸くした。
「入らないの?」
 そう言えば、急に現れたカカシにただ驚いていたイルカは、ようやく反応をした。ありがとうございます、と口にして書室に入り書類をテーブルに置く。そこで、扉の前に立っているカカシに振り返った。何か言いたげに口を一瞬開いたが、イルカは口を閉じる。何を言うのかと思っているカカシの前で、躊躇いがちにもう一度、口を開いた。
「カカシさんは・・・・・・時々驚くくらいに親切ですよね」
 想像していなかった言葉が返り、カカシは瞬きをした。微かに首を傾げる。
「そう、かな」
 と言えば、直ぐに、そうですよ、とイルカが言葉を返す。さっきもナルトに会って、怪我の手足の事を聞きました、と付け加えた。確かに手当てはしたが。カカシはまたぴんとこなくて、イルカを見つめたまま、えっと、と口にする。
「それって、皮肉?」
 言えばイルカの眉根が寄った。言葉を間違えたと思うが、その通り、んな事あるわけないでしょう、と低い声で否定される。気まずさに頭を掻いた。こんな時どうしたらいいのか、経験がない。困るも、このまま会話を終わらせたくない。
 あのさ、と言えば、黒い目がしっかりとカカシを映す。その目を見つめ返し、カカシはゆっくりと口を開いた。
「この前のことなんだけど、・・・・・・あんな終わり方にしたのはまずかったなって、」
「同感です」
 その返事にイルカの怒りの根元を見つける、内心少しほっとした。
「もう一回考えてよ」
 言えば、イルカがカカシの台詞に少しだけ意味が分かってない風に眉を寄せた。
「もう一回考えるって、」
「やり直せない?」
 イルカは一瞬目を丸くし、ますます分からないと言うような顔をした。
「やり直し?・・・・・・目的は?」
「それは、」
「何ですか?」
 目的と聞かれてカカシは口を結んだ。恋愛をしてこなかったからなのか、今まで適当に寄ってくる女を相手にしていたからなのか、伝えたくとも、上手い言葉が見つからない。
 二度はないと言った紅の言葉が今更さらながらに心に重くのし掛かる。焦りが広がるも、自分よりカカシを分かっている紅に何故か腹が立った。
 黙ったカカシを前に、イルカが小さく息を吐き出した。
「あれですか。いわゆる若い子のヤるって事ですか?」
「違う」
 合っている。合っているのに、それだけではない。それをどう説明したらいいのか、認めたくなくて短い言葉で否定すると、イルカはカカシを見つめ、何かを考えるように視線をずらした。そして腕を組んでうーん、と唸り、落とした視線をカカシに戻す。
「カカシさん。俺は気軽にセックスするタイプじゃないんです。あの時は酔いの勢いもなかったと言ったら嘘ですが。お堅いと思われようが、俺はあなたの周りの女とは違う。愛は犠牲を伴うんです」
 愛、と面と向かって言われ、カカシは瞬きをせずにイルカを見つめ返していた。その言葉が想像以上に自分に打撃を与えているが、カカシはそれを必死に顔に出すまいとした。黒く輝く力強いイルカの眼差しに、それだけで胸の鼓動が早くなる。こんな風に他人に感じるなんて初めてだった。
「・・・・・・やり直しって言葉が、軽率だった?」
 言葉を間違えたくなくて。頭の中でイルカが口にした言葉を思い浮かべ、ゆっくり問うと、イルカは、そうです、と頷く。
 ひどく胸の中が騒がしくて堪らない。今までにない経験に、そしてこんな時に、わき上がる気持ちが、これがイルカへの何なのか、気がついてしまったカカシは、イルカから目が離せなくなっていた。
 そんなカカシに気がついていないのか、イルカは、軽く咳払いをし、兎に角、と口にした。
「これは提案なんですけど。この話題は、俺があなたを好きになって、自然な流れの時にお願い出来ますか?」
 実直な眼差しと共に、少しだけ照れながら言うイルカに、カカシの白い頬が微かに赤く染まった。ただの提案だと分かっていても、舞い上がるくらいに嬉しい。勿論最高ではないが、期待以上の答えなのは間違いがない。それを隠したくて、強がりたくて。いいよ、と言うだけに留め、そうイルカに返しながら。
 生まれて初めて誰かを落としたいと、そう強く感じて、カカシは密かに身震いした。

<終>
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