レールの行方⑤

 イルカはあまり行き慣れない喫茶店で、一人椅子に座ってぼんやりと窓の外を眺めていた。友達から、と言う前提で二人で会うようになってから二週間しか経っていないのに。家に行ってみたいと言われ、驚いた。
 勿論その後、汚いから無理だなあ、と笑って誤魔化したが、感じたのは嫌悪感しかなくて。
 自分からいいよと言っておいて何言ってんだ
 流石に自分で自分が呆れる。罪悪感なのか、後悔なのか。自分のよく分からない、整理出来ていない気持ちにため息が出そうになる。イルカは立て肘を付きながら、支えていた手のひらで口元を押さえて僅かに顔をしかめた。
 分かっている。
 今まで自分がそうしてきた。人当たりがいいなんて言われながらも誰にも踏み越えられない壁を作って過ごしてきたから。だからただ単に慣れていないだけだ。裏を返せば慣れればいい。いや、慣れるしかない。
 まあ、人生一度くらいは誰かとつき合う経験だって必要だ。
 窓の外はしとしとと冷たい雨が降っていて、その中を傘を差した人々が往来している。
 昨日は暖かかったのにね、と後ろのテーブルで女性客が誰かに話す声が耳に入った。
 そう、昨日は暖かかった。空気こそまだ冷たいが風もなく穏やかで。演習にはもってこいで。そう言えば、そんな中、カカシを見かけた。
 演習を終え一人片づけをしてその裏にまわり人目ないその場所で、イルカは煙草をポケットから取り出した。
 アカデミーの建物の外でも喫煙出来るとは言え、子供たちの目が届く場所で煙草を吸いたくはない。煙草を咥え火をつけながらふと目を上げた。人影、と言うか記憶のある銀色の髪が視界に入り、ドキリとして思わず煙草を口か離しながら顔を上げる。
 少し離れた場所に、カカシがいた。自分の腕を枕代わりにし、その高さから、顔すら隠れてはいたがあの銀色の髪を見間違う訳がない。うげ、なんて汚い言葉が思わず出そうなってそれを飲み込んだものの、向こうは木陰で草むらの上で寝そべり昼寝をしていた。
 里一の忍でもこんな場所で堂々と昼寝をするのかと内心呆れもしたが、向こうは一向に起きる様子もなかった。
 銀色の髪が木陰の下、木漏れ日によって輝いていた。きっと閉じた瞼にも同じ色の睫毛があるのだろうか。そこまで思って馬鹿らしいと思考を中断する。
 距離があるとは言え、自分の気配を感じ取られたくない。昼寝していてくれて良かった。イルカは安堵しながら煙草を消すと、そこから離れた。

 昼寝なんて休みの日でない限り出来るわけがないし、記憶にあるのは中忍になる前まで。ただ、向こうは戦忍で休息は限られているだろう。
 そう、同じ里の忍であろうが世界が違う。正反対の人間で、ーーそして、変でヤバい奴。それに、向こうはきっと簡単に俺を落とせると思っていただろうが、そうはいかない。ざまあみろ。
「お待たせ」
 不意に声をかけられ、イルカはハッとして顔を上げる。あの年下の女性教員がそこに立っていた。女性が不思議そうに首を傾げる。
「どうしたんですか?ぼーっとしてましたよね」
 言われ、いや、別に、とイルカは慌てて笑顔を作った。

 
 数日後、イルカは居酒屋にいた。
 カカシに顔を合わせたくなくて、行きつけの居酒屋から足が遠のいていた。その居酒屋のカウンターにイルカは座っていた。
 熱燗で冷えた身体が中から暖まる。杯に入った酒を飲み干し、ふうと息をついた時だった。
「あれ、先生。一人?」
 後ろでかけられる声。その間延びしながらも低い声に、心臓がぎゅっと縮まった気がした。振り返るまでもなく相手が誰か気が付いたイルカが振り返る前にカカシが隣に座る。
 イルカは顔をカカシへ向けた。
 何でこの人がここにいるのか。
 ここ数週間、何も音沙汰がなかっただけにこの衝撃は大きい。しかし顔に出したくはないのに。カカシを前にしたら、僅かに眉を寄せてしまっていた。
「今日は煙草、吸わないの?」
 イルカは目を丸くした。あの演習場での事を言ってると嫌でも分かる。そしてやはり自分に気が付いていた。苦虫を噛み潰したような顔をする訳にはいかず、イルカは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「別にいいでしょう。煙草くらい俺だって吸いますよ」
 言い返すとカカシが頷いたのが分かった。
「まあね、子供達の視点だけから見たような人間じゃないって分かって俺は嬉しいけど」
 どう思われようが構わないのに、その言葉が嘘ではないと何となく分かって、イルカはどう答えたらいいのか分からなくなった。黙って立て肘をついて日本酒を飲む。
 それにしても、何でこの人はまた隣に座ってきたのだろう。
 疑問視か浮かばない。
 だって、てっきりーー。
「諦めたかと思った?」
 その先を言葉に出され、同時にドキリと心臓が音を立てる。思わず向けてしまった視線を慌てて外した。
「別に」
 素っ気なく答えるイルカに、カカシが小さく笑いを零したのが聞こえた。前と何ら変わらない。余裕のある笑いにも聞こえる。
 何にしますか、とカウンター越しに注文を聞かれたカカシは、じゃあビールだけ、と答えた。
 手渡されたおしぼりで手を振くカカシに、そっと視線を戻すとにこりと微笑まれ、イルカは再び視線を横へずらした。そこから息を短く吐き出し、もう一度カカシを見る。
「ねえ先生。俺はあんたが欲しい」
 ああ、またこの話か。
 だが、もうその手はもう通じない、とイルカは思わず笑っていた。そうですか、と答えるだけに留め、杯を傾ける。
「俺の家まで十分弱、近いよ」
「別に距離の問題じゃないって分かってるでしょう?」
 馬鹿らしい。そう目で答えると、カカシはまた微笑んだ。
「その気はない?」
 何度言わせるのかと呆れた笑いを零すイルカに、カカシは立て肘をついてイルカへ顔を向ける。
「あなたに、相手がいるから?」
 イルカは前に向きかけていた視線をカカシに戻した。分かっているのに聞いているのは間違いがなかった。だから自分に近づく事を避けていたんだろうと思いながら、
「・・・・・・ええ、そうです」
 はっきりと肯定をした。どんな反応をするのか予想していなかった。でも、目に映るカカシは丸で余裕がある笑みを浮かべた。
「あなたが何でここにいるのか、当ててあげようか」
 そう口にされ、イルカは片眉を上げ杯を口元から離した。小さく笑う。
「何ですか、それ。一体どういう意味、」
「一時間前に来るはずだった彼女が顔を出さなかった、でしょ?」
 かぶせて言われたカカシの言葉に、心臓が変な音を立てて跳ねた。
 笑えなかった。
 その通り、今日彼女と約束をしていた。でも一時間経っても現れないから。仕方がなくここに一人足を運んでーー。
「なんで、」
「俺のところに来た」
 言っている意味が、分からない。カカシは緩く微笑む。
「あなたが選んだ女がどんな女か、知りたかったから誘ったんだよね。そしたらさ、あの女すぐに俺の家に来たよ。と言っても仮の部屋だけど」
 ぺらぺらと喋るカカシを見つめながら、イルカは眉根を寄せた。
「・・・・・・あんた最低だ」
「そう?」
 責める言葉にカカシはさらりと言って首を傾げる。
「その気もないような相手とつき合うなんて承諾する方がよっぽど酷いと思うけど」
 言われてイルカは口を閉じていた。言葉が胸に突き刺さる。確かに、あの女性のどこが好きかと言われたら、ーー答える事が出来なかった。
 カカシはそれを見透かしたような眼差しをイルカへ向け、まあ、あの女も似た様なもんだけど、とため息混じりに付け加える。
 口を閉じ固まったままのイルカに、カカシは立て肘を解いて覗き込むように見つめた。
「ねえ、先生。だからね、俺はあなたが欲しい。例えるなら勝者が戦利品を欲しがるように。・・・・・・ね?」
まん丸になった黒い目を見つめ、カカシは目を細めながら首を傾ける。
「ああ、今懸命に頭の中で計算してるんでしょ。俺に謝る?あんな好きでも何でもない女で誤魔化そうとした事。それとも開き直る?」
 色めいた青い目がイルカを映した。

 生暖かい感触が、唇を押しつぶすようになぞる。吸いつくように噛みつかれ、舐められる。それが繰り返される度に唇が濡れた。思わず声が漏れ、静かな暗い部屋に響いた。
 言葉もない。肯定も否定もない。ただ、カカシを見つめ返したイルカの目の奥にあるその答えをカカシは確かに気が付いていた。
 自分でも知りようがなかった、知ろうともしなかった答えを。

 濡れて唇同士が絡み合う感触は、経験がなく、官能的で、夢中になっていた。ぞくりと背中が震えた。
「・・・・・・イルカ先生」
 唇を浮かせてカカシが愛おしそうに名前を呼ぶ。再び唇を合わせ緩んだ唇に、舌が口内に滑り込んでくる。イルカはそれを受け入れ手を背中に回した。
 その後は丸で嵐のようだった。
 痛みがあったはずなのに、気が付いたら内側から押されるように次々と押し寄せる快感に、身体が溶けるようだった。自分の声じゃないみたいな甘ったるい声が、ひっきりなしに喉から漏れる。
 濡れた竿で激しく攻め立てながら、好きだよ、とカカシが低い声で喘ぐように呟いたのを途切れる意識の中で聞いた。

 翌日、執務室へ向かう廊下でバッタリカカシに会い、思わずクルリと背を向けたら、追いかけられた上に背後から抱き締められて思わず、ぎゃ、と変な声が出た。
「離せ……っ」
 誰もいないが場所が場所だと、振り解こうと抵抗すれば、さらに腕の内に抱き込まれる。
「何言ってんの。今更でしょーよ」
 クスクスと笑わらいながらも、イルカを抱き締め真っ赤になっている耳元へ口を寄せた。
「俺はあなたにとって最良の恋人でしょう?」
 自信満々に囁かれ、呆れるもその温もりが離れ難くなるくらいに心地いいのは確かで。こうなったのはあの高いチョコにつられたことにしようと、生まれて初めて得た温もりを感じながら、皆にバレた後の言い訳を考えた。


 
<終>
 
 
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