林檎

喧嘩のきっかけはくだらない事だった。
夕方、カカシが任務から帰ってきた。にこにこと嬉しそうな顔で手には何やら袋を下げている。
「イルカ先生、見てよ」
テーブルの上にがさがさと袋から出しテーブルに置く。
大きな林檎が何個も置かれていた。
「すごい立派な林檎ですね」
料理をしていた手を止めてカカシの背後から覗き込んだ。
「でしょ?」
言いながらカカシが取り出す袋の中を見て、イルカは驚いた。5個や6個どころではな い。ぎっしりと詰められた林檎にイルカは目を丸くした。
「ちょっと、…こんなにたくさんどうしたんですか?」
「あぁ、任務から帰る時に林檎の売り子に声をかけられたんですよ。林檎なんてそこ まで好きじゃないし、断ろうと思ったんですがね。その売り子が可愛くて。だからつい」
ついなんだ。
イルカは眉尻を下げて話すカカシを呆れて見た。
数個ならまだしも。何日食べても食べきれない数の林檎。それをただ可愛かったからと買ってくるカカシに憤りは隠せなかった。
「だからって…こんな買う必要ありましたか」
「だってたくさん買ってって頼まれちゃって」
「頼まれたら買うんですか?そう言うのが無駄な浪費って言うんですよ」
「あれ、イルカ先生嬉しくないの?この前好きだって言ってたじゃない」
きょとんとした顔にさらに腹が立ってきた。
「言いましたけど、こんなにいりません」
「だって、可愛かったんですよ~」
にへらと緩める顔を思い切り叩きたくなった。叩きたくなる代わりに言いたくない言葉が出てきた。
「…馬鹿じゃないですか」
「馬鹿って…何それ」
一気に険悪な空気に包まれる。
短期任務で3日ぶりのカカシに、イルカだって心待ちにしていた。疲れた身体を労って美味しいご飯を食べてもらおう。そう思っていたのに。可愛いと鼻の下を伸ばして大量に買い込んだ林檎を見せられ、イルカの機嫌は一気に反転した。
渋い顔をしてイルカを見ていたカカシが口を開いた。
「それって嫉妬?だったらもっと可愛く言いなよ」
「ちがっ、」
「違くないでしょ。妬かれるのは嬉しいけど、馬鹿はないんじゃない?馬鹿って言う方が馬鹿ですよ」
ガキの屁理屈がだと分かっていてもカカシに言われると異様に腹が立つ。
思わずテーブルの林檎を一つ掴みカカシに振り被る前に手を止めた。林檎を強く握りしめ溜息をついて床に置く。分かっている。余裕で避けられるのが分かって投げるのは何の意味もない。
「投げればいいじゃん」
嫌な言葉だ。
煽るようなセリフにイルカは唇を噛んだ。イルカはベストを羽織るとすっくと立ち上がり玄関に向かう。
カカシは何も声をかけない。かけられても答えるつもりはなかったが。勢いよく扉を閉め、外の空気を吸い込んだ。外の空気にすっと頭の血が下がる。それだけで随分ほっとした。
何処に行く訳ではないが頭を冷やしたかった。あのままではまた言いたくない言葉がでてしまいそうで怖かった。
夕方だが、陽が長くなり外はまだ明るい。仕方なしに歩みを進める。
気持ちが落ち着き改めて考えると、顔も名前も知らない、売り子に焼きもちを焼く自分の幼稚さに恥ずかしくなってきた。
カカシだって自分が林檎が好きだからと言ってくれていた。喜ぶ顔が見たくて買ってきてくれていたのに、無駄な浪費とか責めて挙句に馬鹿とまで言ってしまった。浮気した訳でもないのに。
可愛いと言う嬉しそうなカカシの顔に、どうしても不機嫌な気持ちを抑えれなかった。
(…大人気なかったよな)
自分がありがとうと、一言言えばそれで済んでいた話だ。良かれと思った気持ちに、子供染みた嫉妬心で嫌味を言われたら誰だって腹が立つ。
(しかも馬鹿って…)
大きな溜息が出た。歩みを止めて顔を上げる。
(帰って謝ろう)
「イルカ先生」
不意の声に手を掴まれてぎょっとした。
しっかりと掴んでいる相手は、家に置いてきたはずのカカシだった。上忍だから当たり前だが気配のなさに驚きを隠せなかった。
「…いつからいたんですか」
謝ろうと思っていたはずが、驚きに頭から飛んでしまった。
「こっち」
そんなイルカに気にすることなく、カカシは掴んでいた手をひっぱり歩き出した。
「…カカシさん?」
謝るタイミングを失い、引っ張らる意図も分からず、話しかけるがカカシは答えない。困惑気味に引っ張らるまましばらく歩き、カカシが手を離し指を指した。
「あれ」
「……?」
カカシが指指す方向に素直に顔を向けた。農家の露店だろうか。道端に野菜や果物を並べている。その一番奥にカカシが指差す林檎があった。竹カゴの中にはたくさんの林檎が積まれている。その林檎に囲まれているように座っている女性ーー。
否、女の子が座っていた。10歳位だろうか。イルカの生徒達とさほど変わらないくらいの幼い女の子は、可愛い笑顔で道行く人に声をかけている。
「ね、可愛いでしょ。…たくさん買いすぎたとは思ったんですが、オレにもイルカ先生の情が移ってたんですかねー。けなげーな感じだからついたくさん買っちゃいました」
「…………」
「だけどさっきは言い過ぎました。…ごめんね、イルカ先生」
言葉を失ったイルカにカカシの素直な気持ちがイルカの胸を締め付けた。先に謝る筈だったのが、こんな形で謝られては、ずるい。
「…すみません」
それ以外に出てこなかった。
自分の気持ちが萎んだ風船の様にみるみるしおれていく。
「帰りましょうか」
泣きそうな顔に見かねたのか、再びカカシは手を取り歩き出した。足取りの重いイルカの歩に合わせるように歩く。
すっかり黙ったままのイルカの横でカカシは小さく息を吐いた。
「ね、イルカ先生。林檎がどうやったら甘くなるか知ってる?」
「……?いえ…」
「何でもそうだけど、表面に傷をつけると成長を妨げられるでしょ。林檎はね、その傷に反応して早く熟すように、とある物質を発生させて甘くなるんだって」
「…はあ」
カカシの意図が掴めず力なく相槌を打った。
「オレたちの喧嘩も林檎と一緒で、傷ついても意味があるんですよ」
「………」
こんな形で慰められるとは。涙腺が緩んでくるのを堪える。
「だから泣くのやめて?」
横から覗き込み口布を下ろしたカカシの唇が目元に落とされた。舌ですくい舐められる。
「あ、甘い」
そんなはずないに。思わずイルカは笑いを零した。
「…くすぐったいです」
「笑った」
満足げに微笑むカカシはもう口布を戻していた。
「林檎、帰ったら食べましょうね」
「その前にイルカ先生を食べます」
「な……っ」
赤くなったイルカを見てにこりと笑う。
「林檎と同じで甘くなったか確認しないと。…あ~楽しみ」
きっと甘味でしょうね。言われて閉口する。少し先を行くカカシの背中は夕焼けで赤く染まる。きっと自分も。

傷ついて傷つけて。それでも意味があるのなら。
黒い瞳に林檎の様な紅い夕陽を写し、その色を閉じ込めるように瞼を伏せた。


<終>