書庫室とカカシ②

本当なら。
キスとかじゃなくて、あのうなじに唇を寄せたい。
と、よこしまな気持ちが自分を邪魔し、カカシは、違う、と心の中で呟いた。
そこから距離を縮めると、イルカにカカシの影が重なり、イルカはそれで気が付いたのか。
「もうこれで終わりますから」
と、背中を見せたまま言った。
優しい言い方であるが。丸で子供を宥めるような言い方は癪に障った。
イルカを囲むように手を強めに棚に付けば、イルカは当たり前だが振り返る。
カカシの顔を見て、少し目を丸くした後。困ったような顔をした。
「だから、俺先に行ってくれてもいいって、言ったじゃないですか」
非難するような言い方は、明らかに的外れで。
「...違うって」
カカシは顔を顰めて静かに口にした。
「何でそうなるの?」
この前の今日で、自分の空振りに他ならなくとも、イルカの愚鈍さにも苛立つ。
カカシの言葉に、イルカは微かに眉を寄せた。
「....でも何か怒ってますよね...?」
ああ、面倒くさい。
カカシは少し上を向いて息を吐き出すと、イルカに視線を戻す。
イルカの肩を掴んだ。
イルカの澄んだ黒い目が自分を見つめている。少し赤みがある唇を見たら。途端にまた緊張が沸き上がる。
それが分かったら。カカシはイルカを掴んでいる手に力を入れていた。
え、と小さく声を出したイルカに構わず、肩に置いた手に力を入れ下に押す。
「え、ちょっと、」
カカシが何をするかよく分からず名前を呼ぶが。
ずずず、とイルカは身体を下に押されるまま、気が付けば床に座らされていた。
「....カカシさん...?」
一緒に肩を掴んだまましゃがみ込んだカカシは、少し俯いているため顔がよく見えない。
覗き込むようにすれば、またカカシが肩に置く手に力を入れたのが分かった。
「イルカ先生」
名前を呼び、顔を上げる。
「キス、していいですよね」
自分でも緊張している声だと思った。
それを証拠に、普段かくことがない汗を、手にかいている。
手甲越しだからそれはイルカに分からなくとも、イルカはカカシの声に、少し目を丸くしたまま。徐々に顔が赤みを帯びる。
そこから、イルカはぎこちなく笑顔を作った。
「ま、待ってください。俺は、」
「俺は?」
少し切羽詰まった顔のまま、カカシは問いつめるように聞いていた。
「ま、だ、だって。急に、言われても」
「違うでしょ。キスなんて急にするもんでしょ」
眉を寄せて言うカカシに、イルカも頬を赤らめたまま眉根を寄せた。
「だから、キスするなんて宣言されたら緊張するじゃないですか」
「言わなきゃ毎回毎回駄目なような感じになるから言ったんですよ」
「毎回って..」
分かってなかったイルカの台詞に、やっぱりな、と思うが、もうここまできてしまっているのだから、と、覆面を人差し指で下ろし顔を近づけると、イルカが顔を引き小さく息を呑んだのが分かった。
こくりと、唾を飲み込むのも、聞こえる。
イルカの緊張が手に取るように伝わり、カカシもまた心音が高鳴った。
さんざん身体を繋いでいる相手なのに。
何でこんなに緊張するのか、自分でもよく分からない。
自分の頬も少し熱いのが分かる。
イルカの目が、じっと自分の晒した口元を見つめているのが分かる。
「いいから。キス、しますよ」
この空気感に耐えられなくなりそうで、更にゆっくりと距離を詰める。
「ぁ....」
イルカが小さく声を漏らした。
背後はもう棚で逃げる場所はない。
イルカはぎゅっと目を強く瞑った。
その顔に、カカシの胸が簡単にきゅう、と苦しくなる。カカシは眉根を寄せた。
緊張で固く閉じている唇を指で触ると、イルカが目を閉じたままびくっと肩を揺らす。そのまま手で頬に触れた。

ガタ、と書庫室の扉の開く音と同時に、
「後にしとけよ、もう昼休み終わるぞ」
と声が聞こえ、
「おー」
と誰かが声を返し、再び少し開けられた扉が閉まる。

イルカは驚きに固まったまま、目を見開いて瞬きをしていた。
遠のいていく足音。
カカシは息を吐き出して立ち上がった。覆面を戻す。
「カカシさん...?」
床に座ったままのイルカは、カカシを目で追うように、見上げて名前を呼ぶ。
「もう昼休み終わるって。行こっか」
「え、でも」
言いかけるイルカを置いて、カカシは書庫室から出た。
廊下にはもう誰もいない。
そこで、カカシは一人ゆっくり息を吐き出す。
昼休みが終わるからなんて、ただの言い訳だった。
意気地がないとか、そんなんでもない。
あのまま誰かが入ってこようが、しようと思えば出来た。
それでも、ーー出来なかったのは。
カカシは廊下をゆっくり歩き出す。
イルカのあの時の顔。
キスしようとして。頬に手を寄せた時の。
あの、イルカの表情が。
カカシは眉根を寄せた。
全身に力を入れ、目を固く閉じ。
そして。
ーー震えていた。
緊張するのは分かるけど。
(...したいのって、もしかして俺だけって事?)
胸が痛い。さっきとは違う苦しさに、また息を吐き出した。
分かっていた。
イルカからしようとした事だってないし、そんな仕草さえなかった。
そう思うと、酷く虚しい。
歩きながら、ポケットに入れようとした手を、ぐいと掴まれた。
驚き振り返ると、イルカは強く両手でカカシの手を掴んでいる。
「イルカ先生」
「.....」
少し俯いたまま黙っているイルカに、カカシは頭を掻く。
「何、置いてったの怒ってるの?」
カカシは掴まれていたイルカの手を離し、
「ほら、もう行こ」
そこから促すように前を向こうとしたら、再び手を掴まれた。
「先生、だってほら。もう昼休みが終わっ、ーー」
振り返って言い掛けたカカシの覆面をイルカが下げ、そのまま唇を塞がれた。
驚きにカカシが目を見開くも、更に唇を押しつけられる。
頭上から昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響きはじめる。
そのチャイムが鳴り終わると同時に、ゆっくりとイルカが離れた。
頬を赤くしたまま、固まったカカシを、イルカはじっと見つめる。
キスをされた驚きに情けないくらいに頭が動かない。
「あー...イルカ先生...その、」
ようやくそう口にすれば、イルカはそんなカカシを見つめながら、イルカもまた恥ずかしそうに唇を結んで視線を床に落とす。
「...授業、...始まっちゃいましたね...」
「...だったら、」
さっさと行きなよ、と、そう言おうとした時、
「でも俺、実はこの時間の授業は空きなんです」
イルカは先にそう呟くように言い、カカシを見つめた。
何かを訴えるような、黒い目。
さっきまで触れていた、柔らかい唇が、だから、と開く。
「だから...カカシさん…」
突っ立ったままのカカシに一歩近づき。
それだけで、カカシの身体が、熱くなる。
イルカは再び口を開いた。

「だから、どうします?」



<終>