+α

カカシは自分の部屋で一人、窓に打ち付ける雨をぼんやりと見つめていた。
シャワーを浴びて出てきたばかりで濡れている髪を、タオルで拭き。
その手を止めて少し息を吐き出す。
イルカとキスをした。
目的がキスだけに凝縮されていたからだろうか。
イルカの唇の感触が未だはっきりと思い出せる。
あれからイルカは受付の夜間当番に入り、それから数日。ろくに顔を合わせていない。
本当なら、関係なく部屋に押し掛けてしまってもいいはずなのに。
いつもの。前の自分なら、何も考えずにそうしていた。
相手の都合考えず。
それはイルカでなくとも、昔から自分がそうだったから。
それなのに。
自分でも時々ここ最近の自分はおかしいんじゃないかと思えるくらいに。
変だ。
カカシはソファに腰を下ろし、タオルを首にかけたまま。またぼんやりと視線を宙に浮かせた。
イルカ自らカカシの覆面を下ろして、唇を重ねてきた。
驚いたし、何より予測すらしていなかった。
押しつけるだけのキスは、とても恋人らしい甘い空気がある訳じゃないはずなのに。
誰かに見られてもおかしくない、アカデミーの廊下だと不意に思い直したら、うっかり鼓動が早くなった。
その後誘われるままに書庫室で行為に及んだ事は、恋人らしいと言えば恋人らしいが。
それだけで下半身に感じる重い疼きに、カカシは顔を微かに歪めた。そこから濡れた銀色の髪を掻きながら、カカシはソファの背もたれに体重を預ける。
(....また、キスをしたいって言ったら。させてくれるんだよね...)
考えた事もないような事を思っている自分に気がつき、カカシは軽く首を振った。小さく笑いを零す。
したい時にすればいいだけなのに。
(何言ってんの、俺)
イルカの事を考えると、どうも調子が狂う。
酒を飲んで今日は寝よう。
心地いいが、落ち着かない。
冷蔵庫を開けると、がらんとしたその中にビールが数本、それを見て安堵してカカシはビールを手に取った。
そこで、冷蔵庫を閉めながら顔を上げた。
自分の部屋に近づく気配。
それが誰か分かっていたから。カカシはビールを開けることなくテーブルに置くと、玄関に身体を向け。
同時に扉をノックする音が聞こえた。
深夜近い時間の割に、大きな音で扉を叩いている。
ここは上忍専用マンションだから、特に気にする必要もないが、目立つ音には違いない。
扉の向こうから再度大きな音で叩かれ、カカシは鍵を開けた。
開けると、予想した通りイルカが目の前に立っていた。
赤い顔で。
「イルカ先生、どうしたの」
「カカシさんだ」
言い掛けた時に、イルカがふにゃりと笑い名前を呼び。
酒の臭さにカカシは顔を顰めた。
自分はそこまで酒が飲める方ではない。どちらかと言えば、イルカの方が強い。
しかし。
何回か一緒に酒を飲んだ事はあるが、ここまで酔った事は記憶にあまりない。
「とりあえず、入って」
赤い顔でにこにこして立っているイルカの背中を押して、部屋に入れる。
ふらふらしてはいるが、自分で歩けるからまだそこまでじゃないのか。カカシは扉を閉めながらイルカの後ろ姿を見つめた。
ここの場所を教えたのは自分だが。イルカからここに訪ねて来た事は今までなく、今日が初めてだ。
大体自分がイルカの家に通っているから、というのもあるが。
酔った勢いで、と言うことなのだろうか。
おじゃましまーす、と嬉しそうに部屋に入ってソファに座る。
カカシがコップに入れた水を渡すと、それを一気に飲み干した。
「ごちそうさまでした」
空になったコップをカカシに差しだし、深く頭を下げる。
水にそこまで言われても。勿論酔っているからだと分かってはいるが。
カカシは困った顔をしながら座ったイルカを見下ろした。
コップをテーブルに置くと、カカシは座っているイルカの目の前に立ち、同じ目の高さになるようにしゃがむ。
イルカは微笑んだまま黒い目をじっとカカシに向けた。
「どうしたんですか?」
「いや、どうしたんですかは俺の台詞だから。どうしたの、こんな時間に」
カカシの言葉に少し驚いた顔をした。
「一度来てみたかったんです。急に来ちゃ、駄目でしたか」
申し訳なさそうに眉を寄せカカシを見つめる。
任務明けだから、スケジュール的には何の問題もないが。
カカシは後頭部を掻いて、何と返すべきか考える。
経験のない事が多すぎるのが現状で、今日もイルカが自分に会いに部屋を訪ねてくるなんて、考えられない事だった。
どうも、イルカとつき合い初めてから初めてが多すぎる。
一度外した視線をイルカへ向けた。
「いいよ。別に」
素直な気持ちを伝えれば、イルカは黒い目を緩ませた。
「良かった」
酔っているからか黒い目は少し潤み、蛍光灯の光で輝きを見せる。
それがひどく官能的に見えるのは、たぶん自分だけ。
だって、目の前のイルカはだた、にこにこ自分を見つめながら微笑んでいる。
目の前にしゃがみこんで固まったようにイルカの表情に釘付けになっているカカシを余所に、イルカは部屋を見渡した。
「白くて広いですね」
簡素な感想を口に出して、物珍しそうにきょろきょろ首だけを動かした。
子供みたいだな、と思いながらカカシは立ち上がり自分も何か飲もうかと思ったが、ここでビールを飲めばイルカにも出す事になる。これ以上の深酒は避けたいと、カカシは諦めてイルカの横に座った。
「何か食べる?」
聞けば、イルカは首をふるふると横に振る。
「もうおなかいっぱいです」
ぽんぽんとイルカは自分の腹辺りをさすった。
そしてまた部屋を飽きずに眺め始める。
物が少なく、何も見るものなんてないと思うんだけど、と思いながらイルカを横目で見つめる。
「...ズルいなあ」
イルカが小さく呟いた。
「え?」
聞き返してもイルカは応えない。少しばかり唇が尖っているようにも見える。
ズルい。それは部屋の広さを言っているんだろうか。カカシも同じように自分の部屋を見渡した。
確かに上忍と中忍の部屋の格差は、イルカの家に言った時に直ぐに分かったが。
ただ、この人は中忍専用のアパートに済んではいない。倹約家のイルカだから、と言うのもあるが。ここよりは遙かに狭い。
カカシはイルカの部屋を住みにくいと思った事もないし、イルカもそう愚痴った事もないから、イルカ自身不満に思っている事はないはずだが。
「格好良すぎるって問題ですよ」
独り言のような小さな呟きに、カカシはまたイルカに顔を向けた。イルカもまたカカシを見つめている。
「は?」
少し呆けたカカシの声に、イルカは明らかに唇を尖らせた。
「あなたの顔です」
はっきりと口にした。
普段のイルカならそんな事は口にするはずがないから。
それが真意なのか、酔っているからなのか。
何を言い出したんだろう、と思うしかない。
イルカが不満そうな顔をする意味も分からない。
「いや、普通だよね」
「違いますよ」
イルカはふっと笑ってそう言い返した。
「ここで何人の女性を口説いたんですか?」
「....は?」
また自分から同じ言葉が出た。
さっきからイルカが何を言っているのか分からない。
どうなんですか、と追加して言われ、カカシは笑った。
「ないよ。口説くなんて」
眉を寄せ訝しんだ表情をイルカに見せられ、カカシはまた笑った。
「あんた酔ってるね、もういいから、」
言い終わらない内に、イルカはカカシの頬を指で抓った。
「いたた、ちょっとっ」
嫌がるカカシに、むーっとした顔をイルカは近づける。
「カカシさんが嘘言うからです」
口を開くイルカから甘い匂いが漂う。日本酒だ。
しこたま飲んできたんだなあ、と酔っぱらいに抵抗する気が失せる。と同時に不満気な顔をしたままのイルカが可愛くも見える。
諦めたように、カカシは口を開いた。
「俺は一度だってここに女を連れ込んだこんだ事はないけど」
「嘘ですよ。今まで何人もの女性とおつき合いしてたって事ぐらい分かってるんですから」
ああ、そうか。
カカシはそこでようやく気がつく。
これはヤキモチか。
分かった途端、カカシに想像以上の熱い気持ちがわき上がる。これは何て言う感情だろうか。
この人が自分にヤキモチなんて感情を持っているなんて。
歓喜に近く、それでいてむず痒い。
本当に、口に言い表せないようなむずむずした気持ちは、ここ最近で何度目だろうか。
自分の恋人はイルカが初めてで。ここの部屋に誰かを招いた事はない。
だから、女性はおろか、この部屋に上げた人間はイルカが初めてだと言うのに。
思わず吹き出したカカシに、イルカは不本意だと言わんばかりに顔を顰めた。
そんな顔をされようが。
もう、いいや。
カカシはイルカの後頭部を掌で固定すると、自分に引き寄せイルカの唇を塞ぐ。
あふれる気持ちのままにイルカの唇を求めた。
「んむっ、...な、に」
急の展開だったらしいイルカは、呼吸困難になりながらも、絡んでくる舌に次第に目がとろんと蕩けてくる。
この前の書庫室での怖じ気ついた自分はなんだったのかと、内心自分笑いながらも、イルカの柔らかい唇を堪能した。
唇を離せば、黒く潤んだ目が物足りなそうに輝いている。
手を伸ばして、イルカの髪紐を解いた。高い場所で括られていた黒い髪がばさりと肩辺りまで落ちる。
男性の髪と勿論認識があっても、髪を下ろしたイルカの姿は色っぽいと思う。その髪を恥ずかしそうに触れるイルカの仕草に、簡単に目を奪われる。
「ベット行こ」
自分でも急いているなあ、と思った。
甘えた声で囁くと、イルカはこくんと素直に頷いてくれる。カカシはイルカの手を引き寝室へ連れて行き、ベットに座らせた。
カカシはもう一度キスをすると、そこからイルカのベストのジッパーを下ろす。
ジジ、と下ろされるままに、イルカは黙ってカカシの手を見つめていた。
早くイルカの素肌が見たい。
変な欲求だと思うが、あの日焼けした自分より黒く吸いつくような質感のイルカの肌が、好きだ。
アンダーウェアを脱がそうとして手をかけたカカシに、
「あの、」
言われて手を止めイルカへ視線を上げた。
「なに?」
「もう一回....キスしてください」
可愛い要求に、カカシは目を細め微笑む。
「いいよ」
ちゅっと音を立てキスをすると、誘うように薄く開いたイルカの口に舌を割り込ませた。
熱い舌にとろけた唾液が絡まり水っぽい音が寝室に響く。小さな喘ぎ声を出しながら、イルカも舌をカカシの舌を求めるように動かす。
そのままイルカをベットに押し倒してキスを続けた。
イルカに応えるように内側の粘膜をかき回せば、ん、と甘い声を漏らした。
ゆっくりと舌を引き抜くと、イルカは目を閉じ満足そうに息を吐き出す。
上からその顔をカカシは見下ろす。
薄暗い部屋だが、イルカの閉じた瞼が動いているのさえ見える。
「....イルカ先生ってさ」
名前を呼ぶと、その瞼がゆっくりと開いた。
「キス、好きだよね」
意地悪く言うカカシの言葉に、イルカは少し目を丸くしたが。
少しの間の後、その顔に薄っすらと微笑みを浮かべた。
口を開く。
「好きです」
イルカの腕が伸び、カカシの両頬を包むように触れる。

「カカシさんとキスするの....大好き」

宝石の様に黒い瞳を輝かせながら、恥ずかしそうに言う。
自分だけじゃないと、思う瞬間。
嬉しさと、恥ずかしさと。本能を揺さぶられ。
顔が一気に熱くなった。
耳まで熱い。
一本取られたなあ、とカカシは悔しさに苦笑しながら眉を寄せる。
「あと、...カカシさんに身体触ってもらうのも、好き」
だから、続き。してください。
(...もう、なんなの)
甘えた誘いに、酔っぱらったイルカは最強だと、カカシは顔を赤くしながらイルカに手を伸ばした。

<終>