知りたくもない愛

 ナルトって本当どんくさいわね。

 アカデミー入って二年目の席替えした日、そうサクラちゃんに言われたのを覚えている。
 そのきっかけは授業中で失敗した事だったか、掃除中にサボったのがバレて先生に怒られた時だったか。それから幾度となく言われたから、覚えていない。その言葉を真に受ける事もなかったし、気にも留めなかったけど。
 でも。つい最近自分のどんくささに痛感した。
 忍界大戦が終わって平和な時間の中で任務や里の復興の手伝いとか、慌ただしい時間を過ごす中で、伸びる身長と共に見える景色も変わってきた気がしていた。商店街の八百屋のおじさんに逞しくなったと背中を肩を叩かれ、テウチさんにも背丈ばっかり大きくなったと笑いながら言われたり。
 僅かに自分が成長しているんだと、その周囲と自分の変化にむず痒さを覚える。
 だけど、変化はそれだけじゃなかった。
 それを知るきっかけは、みんなで店で夕飯を食べていた時。五代目が用意した店でみんなで色々話をして笑って、美味い料理を食べて。盛り上がってるテーブルに座りながらふと顔を上げた時、隅の席に座っていたのはイルカ先生だった。
 忙しいからこれないなんて言っていたのに。来てくれたんだと思った時、イルカの斜め前の空いた席にカカシが座る。額宛をつけていないカカシの横顔がイルカを見つめ、話しかける。いつものような光景で、それだけなのに。カカシのイルカに向ける表情に何故か胸騒ぎがした。思わず席を立ちそうになったが、隣に座っていたチョウジが笑い肩を叩かれ反動で席に戻される。
 視線だけが部屋の隅に奪われたまま。
 その先で、カカシが微笑み、イルカもまた微笑みを返す。そして、テーブルの上に置かれたカカシの長い指が動き、僅かだが同じテーブルにあったイルカの指の先に触れた。
 一瞬の出来事だった。すぐにカカシの手が離れ何事もなかったようにその手でグラスを持つ。
 瞬きをしていたら、きっと見逃していただろう。喧噪の中で気が付いているのはきっと自分だけ。
 そのくらい一瞬の出来事。
 そして、自分の世界が変わってしまった瞬間。
 同時に自分がイルカに抱いていた感情の種類を思い知る。青い瞳の奥が、背中が震えた。
 浮かんだのは、一体いつからーー?
 あんな表情を二人がお互いに向けていたのを自分は知っていた。そう、ずっと近くで、昔から見てきていた。漠然と、何も気が付かずに。
 サクラが投げかけた言葉が胸に今更さながらに突き刺さる。そして頭が機能しない中、苦笑する。
 でも、これって、どんくさいどころじゃねーじゃん。

「ナルト?」

 我に返る。
 声をかけられた事で反射的に顔を向けると、サクラが自分を見つめていた。瞳の色は同じなのに、どんくさいと言い放ったあの頃の幼いサクラの面影が目の前のサクラとわずかに重なるだけだった。
 ショートボブの桜色の髪が微かに風でふわりと動く。そんなサクラを見つめながら、え?と聞き返すとサクラが眉を顰める。顔をのぞき込んだ。

「え?ってなによ、聞いてなかったの?」

 呆れた顔を見せる。

「だから、今日6時に一楽に来れるかって聞いてるの。えっと、イルカ先生と、ーー」

 メンバーを改めて口にするサクラの顔をぼんやりと見つめる。
 サクラは二人の事を、知ってるのだろうか。
 聞いたら、そんな事はとっくに気が付いていたと。目を細めて笑って答えるのだろうか。それともふざけた事を言うなと非難を含んだ目で見てくるだろうか。
 逞しくありながらも、心身共にすっかり女性らしく成長したサクラが話す姿を目に映しながら。胸の内に染まった灰色の感情を隠すように、瞼を伏せた。


 話を聞いてなかった自分も自分だけど。
 ナルトは一楽のテーブル席に座りながら目の前にいるカカシを見つめる。
 ーーカカシ先生も来るなんて聞いてない。

「あれ、ナルト。やけに不機嫌じゃない」

 不思議そうに、でも薄く笑うその顔が。あのイルカ先生に向けた甘さを含んだ表情を向けるのかと思ったら。
 胸くそ悪くならないはずがない。思わずカカシから目をそらしていた。

「何だナルト。なんかあったのか」

 ほら、お前の好きな味噌チャーシューだ。イルカがテーブルに置かれたラーメンと割り箸を差し出す。たぶん給料日だったろう、決まって月に一回はここで、味噌チャーシューを奢ってくれた。そして二人で並んで同じラーメンを食べた。
 もうそれが叶わないわけじゃないのに。
 今も目の前にいるのに。イルカ先生がひどく遠い存在に思えた。
 空腹に刺激されるままに味噌ラーメンを啜る。

「なあ先生」

 チャーシューを頬張っていたイルカが、ん?と顔を上げ視線が交わる。優しい眼差し。

「もし俺とカカシ先生が同時に死にそうだったら、どっちを助ける?」
 
 イルカの黒い目が丸くなる。ぽかんとした顔をしていた。愛おしいくらいに。

 

 一楽を出てすぐにイルカとカカシと分かれる。一緒に歩みを進めるサクラは何も喋らなかった。重みさえ感じるその空気に、何か言ってくれた方がまだましだと思った時、繁華街を抜けたところで、少し前を歩くサクラが振り返る。

 「ナルト、あんた最低」

 こっちを見るサクラの目は、明らかに呆れと、怒りを感じ取れるのに、その奥には痛ましいものを見るような、憐憫に満ち溢れているようだった。
 その意図を計ろうと見つめ返すが、サクラは感情がこもったその瞳を伏せ、背中を見せる。早足で歩き出すその後ろ姿を追いかけるつもりはなかった。
 だって、言われたその言葉に返す言葉が丸でない。
 自分に近い存在の相手に、最低と言われるのは正直結構堪える。青い目を地面に落とした。

「・・・・・・サクラちゃんも・・・・・・やっぱ知ってたんじゃん」

 こぼれ落ちた言葉に、笑いも漏れる。
 だけど。
 サクラちゃんに最低と言われるより。
 イルカ先生に、まあ、お前だろうなあ、と自分を選んでくれた事より。

「そりゃあナルトを選ぶに決まってるでしょ」

 イルカが言うよりも早く、そう口にしたカカシの言葉が。
 何よりも堪えた。
 微笑む青い目。
 ね、と自分に同調を促したその声音は、丸で幼子に言い聞かせるようなもので。
 知りたくもない全てがその言葉に、あった。
 
 そう、知りたくもない愛を、そこで知った。


<終>
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