それは幸せなんです。

ほんのり色づいた唇から出た息は、白い。
はあ、と息を吐く度に息は何度も白くなり、やがて空気中へと還っていく。
木の葉病院の屋上で一人。サクラはじっと遠くを見つめていた。
最近建ったマンションの屋上とか、や火影岩とか。探せば木の葉を見渡せる場所はどこにでもあるが、サクラは実はここが一番見晴らしがいいと思っている。
敵に襲撃されにくく、怪我をした味方を安全に治療出来る。
少し奥地にあるようで、木の葉の要所として離れすぎた場所にあるわけでもない。商店街もアカデミーも、併設されている執務室も。
病院の屋上から見渡せた。
転落防止の柵に両腕を乗せたまま、サクラは結んだ唇をゆっくりともう一度開く。寒さは和らいではいるが、やはりまだ吹く風は冷たい。

一日中病院の中で過ごしている事も多くなると、自然と外の空気が恋しくなる。
誰かとおしゃべりして、お茶飲んで笑うのもいいけれど。サクラはぼーっとする時間が欲しかった。
晴れていてもこんな寒い日に、誰も好き好んで屋上には来ない。
来るのは最上階の患者の喫煙者か、洗濯物を取り込みに来る看護師か。
誰もいない屋上はサクラ一人だった。
そこから眺める木の葉は広い。だが、その真っ直ぐ見つめるその先には外壁があり、その向こうにはさらに深い森が広がっている。
休憩中で誰かを待っているわけでもないのに、視界の先のずっと先の。霞んで見えなくなるその先に、気持ちを向けていた。
(いや、待ってるんだった、だよね)
一人で素直に認めたら、無性に寂しい気持ちと悲しい気持ちと。胸の奥をくすぐるような甘酸っぱい気持ちでいっぱいになり、サクラはそれを逃すように息を吐き出す。
「・・・・・・サスケくんの馬鹿」
唇を尖らせた。
色んな方向に気持ちを拡散させるのは大事だが、今回は素直に思いを募らせる相手へ向けてみる。
「ばーか、ばーか。ばかばかばかばか」
瞬間、北方から風強く吹いた。干された真っ白いシーツがばたばたとはためき、サクラの髪もまた風に流されるように揺れた。
片手で髪を押さえると同時に、扉が開く音が聞こえた。振り返ったサクラは目を丸くする。
「イルカ先生」
あまり病院で見かける事のない顔に、サクラは驚いた。
「ちょっと知り合いの見舞いに来ててな」
「え?」
今自分がいる屋上があるこの建物は、忍の病棟ではなく一般病棟なのに、と、不思議に思うとイルカは笑った。
「あっちの病棟からお前が見えたんだ」
「それでわざわざ?」
呆れた声を出すとイルカは鼻頭を掻いた。
「まあ、そういうことだ。サクラに最近会ってなかったしな」
素直な気持ちを告げられ、サクラもまたその言葉に素直に嬉しく感じた。頬を緩ませる。
同じ階級の忍びとなったが、未だ気にかけてくれるイルカの優しさと、変わらない笑顔。
ついさっきまでセンチメンタルな気持ちになっていたのに。いつのまにか心が暖かくなっていた。
「サクラこそ、こんな寒い中何やってんだ」
サクラは肩を竦めた。
「気分転換です。ここのところ根を詰めすぎちゃってたんで」
イルカは目を細めて微笑みを浮かべると、そうかと一言だけ返した。
ひんやりとした空気の中、風を受けた髪を押さえながら、イルカを真っ直ぐ見つめる。
ふと胸元に視線をずらすと、イルカのベストが濡れてシミになっていた。
全部が濡れているわけではない。前身頃の一部分だけ。それは想像するに水だと思われるが。首を傾げる。
「あれ、それどうしたんですか?」
「あー・・・・・・これはちょっとな。昼食べたカレーうどんがはねちまって」
「やだ、それでそこだけ洗ったんですか?」
思わずまた呆れた声が出ていた。イルカは笑って頭を掻く。
カレーうどんをお昼ご飯にチョイスすること自体、イルカらしいと言えばイルカらしいが。
カレーうどんを豪快に食べながらベストをカレーで汚すイルカの姿が目に浮かび、サクラは口に手を当て小さく笑いを零した。
「でも先生、そんな汚れを気にする人でしたっけ?」
いつも泥で汚れた格好でそのまま教壇に立ってた事もありましたよね?
窺うように視線を向けたサクラに、イルカは笑いながら目を下にずらした。
「まあ、ちょっと匂ったしな」
少し小さい声で言い訳を口にした。
「あ、まだ匂うか?」
サクラは目を丸くした。そこから笑顔を見せて首を振る。
「いーえ、ご心配なく。ただカレーの染みはうっすら残ってますから、家で洗い直す必要はもちろんありますけど」
「うん、そうだな」
鳥が羽ばたく音に二人は顔を向けた。病院の庭に植えられている木にとまっていただろう小さな鳥が3羽、火影岩の方向へ向かって飛んでいく。
二人はまたゆっくりと視線を元に戻した。
「じゃあ俺はもう行くけど。サクラは、」
「あー、もうちょっと。ここにいます」
「うん、じゃあな」
「はい、また」

イルカが帰った後。サクラはまた同じ方向を見つめ、ゆっくりと深呼吸した。腕時計を確認する。
休憩が終わるまであと少し。
小さくため息をついて屋上を後にしたサクラは廊下を歩いてすぐ、また声をかけられ振り返り、目を丸くした。
「え、カカシ先生なにしてるんですか?」
驚くサクラにカカシは眉を下げて頭を掻く。
綱手の後を継いで間もない今、カカシの多忙さはサクラも十分知っていた。その中での久しぶりの半休だと言う事も。
「お見舞い・・・・・・ですか?」
「ううん、違うんだけど、ちょっと」
はは、と笑うカカシにサクラは眉を寄せた。いつもの火影服を着ているわけではないカカシは支給服を身につけている。
「変?」
サクラの視線に気がついたのか、カカシにそう聞かれ思わずサクラは含み笑いをしながらも、首を横に振った。
「いえ、久しぶりだなって思うくらいです」
言いながら内心首を傾げる。せっかくの休みだから家でごろごろするよ、なんて言っていたのはつい先日の事なのに。
支給服でなんでこんな所にいるんだろうか。
「ホントに?変じゃないの?でも今サクラ笑ったよね」
胡乱な眼差しを向けられサクラはまた笑いながらも否定した。
「だから、変だから笑ったんじゃないですって。さっき言った通り懐かしさについ、って感じだったので」
それでも疑う眼差しを向けるカカシに面倒くさいと思いながらも、いや、マジで。の意味を込めて笑顔を返すと、ようやく納得したように、そう、と口にした。
「変じゃないならいいの。それをサクラに聞きたかっただけだから」
え?と聞き返すサクラにカカシは手を上げると直ぐに姿を消した。
だけって。見舞いにきたわけでもないのなら、もしかしてそれを聞くだけにここ(病院)に来たのだろうか。疑問が沸き上がるがそれを聞く相手はすでにいない。
頼れる上司であったカカシは今現在は頼れる里の長なのだが、不透明で言動がよく分からない所は、今も昔も変わらない。
もしかして休みにも関わらず自分で任務を受けたりはしてないだろうか。一抹の不安がサクラの頭を掠めた。無茶をするのは昔からで、そんな愚痴を師となった綱手に何度か聞かされていた。その当時知るわけもなかったのだが、カカシは自分達の師をしていた頃にも頼んでいない任務を勝手に請け負ったりしていたらしい。
あれはよっぽど血が好きなんだろうね、と綱手がそう最後にぼやき、それかよっぽどのお人好しか、と締めくくったのを思い出す。
お人好しとは自分は微塵も思った事がなく、ぴんとこなかったのだが、今思えば、それは仲間思いと言う言葉が口悪く変換されただけなのだと思う。お人好しなだけで火影なんて大役をそう簡単に継ぐなんて事出来っこない。
心配に口に手を寄せた時、腕時計のアラームが鳴った。
はい、もう休憩終わり。
アラームを止めてふう、と一息つく。
そこから歩きだそうとして、ふと廊下の窓から見えたものにサクラは足を止めた。窓へ近づく。
病院の裏庭にいるのはイルカとカカシだった。
支給服で現れたカカシに驚く事もなく微笑を浮かべるイルカに、待ち合わせていたのだと気がつく。
カカシもまた恥ずかしそうに微笑んだ。
触れそうで触れない距離を保ちながら歩き出す二人の後ろ姿をしばらく見つめ、見送った後、サクラは声を立てる事なく笑った。
可笑しくて仕方がない。
だって。
イルカ先生もカカシ先生も。いい歳して服なんてどうだっていいじゃない。
それにくっついてはいないものの、長年お互いに想い合ってるのは周知に知れ渡っていた。
正直、むず痒い。
可笑しさに再び口に手を当ててくすくすと笑い、でもそれは心地の良い笑いだと気がつく。
本当、なにやってんだか。
一頻り笑った後、綱手が廊下の向こうから歩いてきた。
「どうしたんだい。やけに表情筋が緩んでるじゃないか」
言ってサクラが見ていた窓の外へ目を向けた。二人が去った後の裏庭には北風が吹き木々を揺らすのみで、綱手の目には何も映らない。
「何か見てたのか?」
あー、と、何と説明しようか考え不意に閃いた顔を綱手に向けニッコリと笑った。
「幸せです」
は?とあまりにもらしくない抽象的な答えを出したサクラに綱手は不思議そうな顔をした。
「幸せを見てたんです」
そう言い切ったサクラは、もう一度カカシとイルカが並んで歩いていた裏庭を見つめた。



<終>
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