そういうこと

 待機所でいつものようにソファに座り、足を組んで小冊子を読みながら感じる視線にカカシが顔を上げれば、紅がこっちを見ていた。威圧的にも思えるが、それはどうでも良かった。内心面倒くさいと思いながらも、何?と聞けば、紅が腕を胸の前で組み、長い脚も組み直しながら、口を開く。
「あんたイルカを何だと思ってんの?」
 はっきりと口にしたその台詞に、何の話なのか予想がつき、カカシが返事の代わりにため息を吐き出せば、当たり前に目の前で紅の目つきがきつくなる。カカシはまたため息混じりに視線を床に落とした。
 ーー少し前に、イルカに告白された。
 それ以前から、たまたまイルカと店で顔を合わせたりして、一緒に飲んだりしている仲ではあった。流石教師と言うのか、ほどよい距離感や話やすさもあって、自分には珍しく、階級関係なしにそれなりに楽しい会話が出来ると思っていた。
 ただ、それだけの間柄だったはずなのに。イルカから気持ちを伝えられ、面食らったのは確かだった。正直、困った。誰かから気持ちを寄せられる事はイルカが初めてではないし、慣れてはいたが、イルカに関しては予想すらしていなかった。もとより男は範囲外だ。だから、断った。
 目の前のイルカは、そうですよね、と苦笑いを見せてはいたが、当然ショックも隠せないでいた。だが、だからと言って自分がフォローしようがない。他の女には一度も思わなかったが、何故かイルカには、悪いなあ、とは思った。
 そこから飲みに誘われる事がなくなったのは、イルカなりの配慮だと分かっていた。でも自分の中ではイルカはいい飲み仲間で、好意を向けられていたとは言えそこはもう終わった話だ。そこを割り切れる器量をイルカは持っている。勝手にそう判断して、カカシはイルカを飲みに誘った。

 それを紅が、責めている。
 イルカを可愛がっているのは知っているが、これは自分たちの問題で、紅には関係がない。顔に出やすいイルカを傍から見てどんな状況か察し、野暮だと思っていても口に出さずにはいられなかったんだろうが。
 カカシは小冊子を閉じ紅へ顔を向けた。
「先生ってゲイなの?」
 本人に聞けなかった事を聞けば、紅が眉を寄せた。
「そんなわけないでしょ」
 いや、知らないし。
 相変わらす攻撃的な返しに、カカシは内心呆れながらも、心で呟く。そう、とだけ返した。

 どの面下げてイルカを飲みに誘ってるのか。口には出さなかったものの、紅がそう言いたかったが嫌でも伝わってきて。それを思い出し、小さく笑いながら、カカシは歩く。
 最初は自分の誘いに断るかと思った。振られた相手に気まずいと思うのはそれは当たり前だ。多少意地悪い誘いだと言うのも自分は重々承知していた。でも、気まずい空気にしたのは向こうからで、自分がそう願ったわけではない。変わらず、一緒に飲む関係をこっちが望んで何が悪いのか。イルカだって、ちゃんと頷いてくれ、一緒に楽しく飲んでいる。
 勝手に納得したところで阿吽の門をくぐると、カカシはそこから足に力を入れ、飛躍する。任務へ向かった。


 短期任務から帰還したのは三日後だった。
 報告を手早く済ませ執務室を後にして、家に帰る前に夕飯をどうするか考えるも、冷蔵庫には食材を置いていない。時間的に既に商店街のどの店も閉まっている。仕方なく、カカシはその先にある飲み屋が立ち並ぶ方へ足を向けた。
 ただ、今の任務帰りのこの格好で入れる店は限られている。カカシは、なんとなく古い居酒屋の暖簾を潜る。そこまで狭くもない店内の隅にあるカウンターに通され、そこでビールを頼み、一息つく。注文したビールを半分くらい飲んだところで、奥の座敷から出てきた客の声に、カカシは顔を上げた。何人かの中忍に混じりイルカが出てきたのが見えた。この店は元々忍びの御用達で、イルカとも来たことがある店だから。イルカがいても何もおかしくはない。仲間と飲んでいたんだろう、イルカの健康的な肌が少し赤く染まっている。その横顔を眺めていれば、二階にある個室から出てきた見たことのある上忍のくノ一が、何故かイルカを呼び止めた。聞いていれば、なんの事はない、イルカがあのナルトを救った英雄だというのは、言うまでもなく上忍界隈にも知れ渡っている話題で。酔ったくノ一達にイルカは取り囲まれる。興味本位に話しかけられ、ここからでもイルカが困惑しているのが見えた。
 思ったより背が高いだの、真面目そう、とか、可愛い、とか。
 酔っぱらいらしい絡みにも、相手がくノ一で上忍だからだろうか、イルカにしては珍しく上手く立ち回れていない。ただの興味本位で、そんなイルカを眺めていただけなのに。
 今から一緒に飲もうとくノ一に甘えるように腕を取られるイルカを見ていたら、気が付いたら立ち上がっていた。
 黒い髪なんだね。そう口にしてイルカの結った髪へ手を伸ばすそのくノ一の手を遮りように掴む。驚くくノ一がカカシを見て、こっちに興味を示し嬉しそうな表情をしたが、それを無視して手を離した。同じように驚いた顔をしているイルカの腕を掴むと、カカシは歩き出す。
 急に強く引っ張られ、驚きに、うわ、と声を出しながらも、カカシさん?と名前よ呼ばれるが、それに答えることなくカカシは歩き、店を出る。裏道をしばらく歩き、人気がなくなった場所で手を離した。
「・・・・・・あの」
 弱々しくも、困惑したイルカの声に、そこでようやくイルカへ顔を向ければ、その口調の通り、不思議そうな顔をしたイルカがそこにいた。
 黒い目がじっと自分を見つめ、そこで、自分の思考が今さらながらに動き出す。動揺した。我に返り、あれ!?と自分自身よく分からなくて、思わず自分の口元に手を添える。じわじわとわき上がってきたのは、決まりの悪さだった。
 自分は、一体何やっているのか。
 とにかく、イルカをあの女達から引き離したかった。イルカの腕を掴んだ女や、イルカの黒い髪に触れようとした女から。
 でも、何で?
「どうかしたんですか?」
 自分でも分からないから困っているのに、イルカは正当な質問を自分に投げかけてくる。いや、とカカシは口ごもりながら、銀色の頭を無造作に掻いた。分かんない、と素直な気持ちを呟くと、イルカに、え?と聞き返される。それだけなのに。無性に恥ずかしさが込み上げた。
 困ってイルカへ顔を向ければ、まだ多少困惑してはいるものの、いつも一緒に飲みに行っている時と、変わらない表情で。カカシはそんなイルカをじっと見つめ返した。たぶん、自分が顔が赤い。それが分かるから、どうしようもなく、恥ずかしい。だから。何でもないはずないのに。
 何でもない、と言うと、カカシはそのまま姿を消すしかなかった。
 
<終>
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