距離

あの日、話しかけられたのは偶然だと思っていた。


冬に近づいている。
任務明けに見上げた空は、今にも日が落ちんばかりに薄暗かった。
平和な里に戻されて、アカデミーを卒業したばかりの子供達とのどかな任務。馴染めるはずがない思いと、空虚な苛立ちに押しつぶされそうな事もある。
風に転がされている落ち葉を下足で踏み潰す。乾いた音で粉々になる葉。無表情にその葉を見つめる。
こんな生活に、自分は馴染んでいるのだろうか。
確かに今の部下は教えがいがあるし、莫迦みたいに砕けた空気に助けられている部分があるのかもしれない。
商店街の隅にある小さな居酒屋に、そのまま足を向けた。

平日だというのに、以外にも客が多い。店そのものが小さいせいもあるのだろう。
バイトで雇われているのか、若い女はカカシを笑顔で迎え、「混み合っていてすみません」と、カウンターの席へ促した。
小さな四角い木の椅子に跨って、お酒とつまみを適当に注文する。
「カカシ先生」
自分が呼ばれたのだと、分かったのに。何故だか他人事のような科白に聞こえて、聞き逃そうとしていた。
「カカシ先生」
再びかけられた声。顔を上げて横を見ると、忍服に身を包んだ男が立っていた。
特徴があるわけでもない、黒髪を1つに束ねきっちりと額宛てを額に巻いている。
その男にカカシは見覚えがあった。
里に戻って、部下を持つ「先生」になってから、何度か顔を会わせていた。確か、アカデミーの「イルカ先生」。真面目を絵に描いたような真人間。
ちらと目を向けたままのカカシに、イルカは笑顔を零した。
「・・・何?」
「カカシ先生もここで夕飯ですか?」
アカデミーの帰りだったのだろう。肩には大きめのカバンを提げている。イルカは空いている隣の席に腰を下ろした。
「・・・あ、誰か隣に来ます?でしたら外しますけど」
座って同じ目線になったイルカは、ちらりと辺りを見渡した。
真面目な喋り方だが、言っている事は馴れ馴れしい。まともに話したこともないはずなのだが。
「見ての通り、1人ですよ」
「そうですか、良かった」
何が「よかった」なのか。ホっとして笑うその顔は嘘見が無い。
ピンとこないが、隣で笑うイルカは嫌な感じがしない。
「よくこちらには来られるんですか?」
お酒と食べ物を注文し、おしぼりで手を拭きながらこちらを見た。
「ちがうけど」
「じゃあ、いつもは家で?」
「・・・・・」
「あ、そっか。・・・・あの、ほら。料理を作ってくれる人がいるんでしょう?」
「あー・・・俺、甲斐性なしだから」
これは自分に対する尋問か。はたまた単なる世間話か。上忍に対して聞くような言葉とは思えない。
皮肉を込めてカカシは誤魔化した。
「甲斐性なしですか・・・そりゃまた、すごいですね」
苦笑して運ばれた食べ物に箸を付けた。
もごもごと、まだ何か言いたそうにしながら箸をくわえている。
何を考えているのかよく分からない。
横顔をちらりと見た。
思った通りの面白味のない顔をしている。ただ、鼻頭に引かれた傷はイルカの顔によく合うのかもしれない。
「男にも甲斐性なしですか?」
「・・・甲斐性なしじゃなくて、人でなしになるかも」
「あは、それ酷い」
言葉では笑っているつもりなのか。急にイルカの顔から笑顔が消えた。
しゅんとして、そのまま持っている皿に視線を落とす。
「ま、人によるけど」
思わず出た否定の言葉。
「じゃあ、」
『俺は?』と次に言葉が出てきそうだった。唇の動きで簡単に読みとれる。
「あんたには酷い事しないですよ」
先手を取ってカカシは続けた。ただ、目の前にいるイルカがどう出るのか、それが知りたかった。
微かに目を見開いて、すぐに白い歯を見せて笑った。
「よかった」
思っていた通りの反応。
さっきまで全く意図がつかめないような人間だと思っていたのに。
なんだろう、嫌な感じはなかった。
心の中で彼に対する興味が沸き上がる。目の前で無警戒に笑っている男の事をもっと知りたくなる。
これが、『人と親しくなるきっかけ』と言うことなのだろうか。
自分にはもうそんな気持ちは持っていないとばかり思っていたのに。

嫌な感じはしないから。それでもいいとカカシは思った。


*****


あれからイルカは、食事にお酒にカカシを誘った。
顔を合わすと、立ち止まって話をするようにもなった。
イルカからの誘いは断らなかった。特に断る理由もない。
人が何を考えているのかなんて、興味もなにもなかったのに。ふと、不思議に思う。
なんで俺に声をかけたのだろう。
気軽に声をかける相手でもないだろうに。仮にも自分は上忍なのだから、この階級差を考えると親しめる対象ではありえない。
それも、すぐに合点した。
「ナルトの調子はどうですか」
「あいつ、ちゃんとやってますか」
顔を合わせる度に今は自分の部下であるナルトの事を口にした。どんな生徒にもイルカは愛を注いでいるが、どうやらナルトは特別らしい。イルカ自身特別なんて生徒はいないと口では言うが、端から見れば分かる。
そういえば、ナルトも良くイルカとの思い出話や最近の事までよく嬉しそうに話している。
生徒の事を良く知るには自分は恰好の対象。

そんな気分にさせるつもりはないらしいが。
一緒にいる時はたいして気にはならない。一緒にいるのは楽しい。
過去の女たちには感じ得なかった。同じ様な時間を共にしていても何かが違う。
だけれど、この友達ごっこをイルカは望んでいたのだろうか。3歳児のままごとの方がまだ分かり易い。

心を許す訳じゃないが、似たようなモノがあるのだとしたら、それは-------
「ねえ、カカシ先生」
「・・・何?」
にぎやかな商店街。お互いに仕事も終わり、イルカと足を運んでいた。
『たまにはうちでご飯でもどうですか?俺、作りますから』
自炊の方が意外にお金かからないんですよ。
そう言われて気がついた。自分とイルカじゃあまりにも給料が違いすぎている。
殆ど毎日外食していては、イルカの財布もきつくなるはずだ。
自分が出すのには一向に構わないが。それを何て口に出して良いものか分からない。
正直、イルカの言葉に戸惑った。
嬉しいが、困る。
それも、どう言ったらいいものか。
考えていたら、一緒にここまで来ていた。
「ねえ、冬瓜。好きですか?」
「あ-、そうね・・・」
「じゃあ、キノコ。よく食べますよね。炭火で焼いたら美味しそう」
指で茸を追って、大きいエリンギを手に取っている。

「はい」
「?」
カカシが差し出した手のひらを、イルカは不思議そうに見た。
「貸して」
イルカの持っていたエリンギと、横に並んでいたキコノを数種類。適当に取って籠に放り込む。
「じゃあ、キノコで。俺奢りますよ」
「え?」
「え?じゃなくて。あんたが作ってくれるんでしょう?」
「・・・でも」
「いいじゃない。あんたが作ってくれる日は俺が食材買うから」
少し間があった。
わざとらしい言葉だと自分でも思った。
ちらりと様子を伺うと、イルカは思考を巡らせて小さく頷いた。それがまたどんな風に捉えてるのか。
この人の頭の中が透けてたら、どんなにいいだろう。
一瞬でもそう思って、頭を振った。
今の関係が、『嬉しいが困る』じゃない。『困るけど嬉しい』だとしたら。
そんなこと、認めたくなかった。



さらにままごとらしくなったと言うべきか。外食は減り、イルカの家でご飯を食べる事が多くなった。
お世辞じゃなく、美味しいご飯作ってもらい。何でもない楽しい話をして。自分が任務から帰ってきた時には風呂を入れてくれた。心地の良い場所だとは思う。
終わらせたい訳じゃないけど、この関係をいつまでも続けられない。少なくとも自分はそう思っているのに。
一緒にいるだけのこの関係を、イルカは望んでいたのだろうか。
これっぽっちも思っていないなんて、言わせない。


*****


任務が早めに終わり、いつものようにアカデミーへと足を向ける。
毎日、まいにち。約束もしていないのに。それでも足を向けてるのはなんでなのか。
甲斐甲斐しいというか。何というか。はたまた自分の自己満足か。
「お疲れさまです」
廊下を曲がる所で、イルカの声が聞こえた。
教員室を出た所だろう。真っ直ぐ廊下を歩き、こちらの角まで歩いてくる。
「なあ、イルカ」
角を曲がる手前でカカシが足を止めた時、誰かがイルカを呼び止めた。
「たまには飲み会参加しろよな」
「あ、あ-、うん。でもごめん。また今度」
また今度。
そんな言葉で、イルカは同僚と別れて自分に会いに向かう。
たわいのない会話に、複雑な糸が絡みつく。
誘われてるならいけばいいのに。
断る理由はなんなの。
俺はそんな存在じゃないでしょ。
「あ、カカシ先生」
廊下の角を曲がり、足を止めて立っていたカカシを見てニコリと笑った。
「任務はもう終わったんですか?」
「・・・・まあね」
「早かったですね」
俺もです、と持っていた教材を上げた。
その笑顔。好きだけど、俺を不安にさせてるの分かってる?
狡い人間だと言ってしまえばそれまでだけど。
こんなに近くにいるのに。

「ねえ、たまには他の人とご飯食べたら?」
イルカの気持ちじゃなくて。どう思われるかとかじゃなくて。
そんな事はどうでもよかった。
「俺も、たまにはきれーなお姉さんと食事したいし」
「え、」
「最近会ってないって、駄々こねられて困ってるんですよ。俺もそういう楽しみ、嫌いじゃないし」
「だ、駄目です!」
怒った顔を見せた。
「・・・言ったでしょ?おれはー、人でなしだって。そんな良いヤツじゃないってあんたにも言ったじゃないの」
酷いヤツだって俺をなじればいい。このままの関係を解放されるのなら、逃げれるのならこれでもいい。
「俺には・・・酷いことしないって言ったじゃないですか」
いつかの科白をイルカは呟いた。
「そう?これが酷い事だって思えないんだけど」
歯を食いしばっているのが分かる。
そうだよね、こんな事言ったことないし、一緒にいるのが当たり前かのような距離にいたから。
このままの関係を望んでるなら、このまま嫌いになってくれたほうがまし。
「・・・っ」
泣くのかもしれない。目が微かに潤んでいる。
「俺が、・・・好きだって言ったら行かないでいてくれますか?」
「・・・分かんない」
言葉を選んでいるつもりなのに、それは自分にとって都合のいい言葉で酷い言葉。
俺の気持ちを動かしたんだから。もう一度動かせてみてよ。
「断られたら怖くて、・・・でも、俺カカシさんが好きです。断られても、好きです」
耳まで赤くなっている。
「ずっと、好きだったんです」
そうだよね。あんた俺が『好き』なんだよね。
なんでもっと早く言ってくれなかったの。あんたも狡いけど、俺はもっと狡い。
「でも、・・・俺悪い犬だから逃げちゃうかも」
「そしたら捕まえます!」
我慢していたんだろう。堪えきれなかった涙が、とうとう目から零れ落ちた。
隠すように顔を伏せる。結った髪が微かに揺れた。
「・・・じゃあ、捕まってみよっかな」
するりとイルカの背に両手をまわして。肩に顔を置いてイルカの顔を覗き込んだ。
「あんたが離すまでの間だけどね」
涙でくしゃくしゃな顔をして、赤い頬を強ばらせてイルカは顔を上げた。

「・・・おれっ、離しません!」

その言葉に、カカシはニンマリと微笑みを浮かべた。
俺もね、あんたが好きだって言いたいけど。
もうちょっと先にするね。
まだ泣き顔のまま鼻を啜っているイルカを見て心の中で呟いた。

<終>
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