sweet day

「あ」
 待機所でふと声を出したカカシに、アスマが任務依頼書から顔を上げた。
「どこかおかしいとこでもあったか」
 同じように持っていた任務依頼書を覗き込まれ、カカシは、いや別に、と答える。そこから内心ため息を吐き出しながら、もう一度自分の任務表に目を落とした。明日はしっかりと七班の任務が入っている。その日は里外の任務を入れてしまおうとしていたのに。調整する事をすっかり忘れていた。
 七班の任務や子供達の訓練の合間に単独任務が詰め込まれているのはいつもの事だが、忙しさに失念していた事は間違いようがない。
 カカシは口布の下でまた小さく息を吐き出した。カカシが落とした紙面の先に書かれている日付は二月十四日。自分にとっては他の日と変わらないが、世の中ではバレンタインデーとして若者達の間で色めき立つ。
 昔からそのイベントすら知らなかったし、仲間達がそんな事を口にしていたのかもしれないが、全く興味もなかった。だからそのまま過ごしてきたのだが、このバレンタインデーと言う日を肌で感じたのは上忍師になってからだ。
 顔も知らない女を含め、欲しくもないチョコを自分に渡してくる。知った当初は本当に心底困った。甘いものは元々好きではなく、どちらかと言えば嫌いだ。それをこの日だけは大っぴらに堂々と相手にチョコを渡していい日となっているらしく、断っても断っても渡してくる名前さえ知らない女達にうんざりした。
 一体何なんですかねえ。
 そう愚痴るカカシに、苦笑いを浮かべたのはイルカだった。
 たまたま帰り道でばったり会ったイルカを夕飯に誘い、居酒屋で酒を飲む。
「でも子供達は楽しそうですよ」
 そう言われてカカシはグラスから口を離してイルカへ顔を向けた。
「そうなの?」
 聞くとイルカは頷く。
「女の子同士でチョコを渡し合ったりして、なんだかんだでイベントを楽しんでますよ。ほら、俺もこんなに貰いました」
 イルカは足下に置かれた自分の鞄を開いた。見るとその鞄の中にはいくつかの可愛らしいラッピングされたチョコが入っている。へえ、とカカシは関心した。
「先生はこのチョコどうするの?」
「家飲みのつまみにします」
 ビールを飲みながらあっけらかんと言われ、カカシは笑った。

 飲んだ後、店を出てイルカと別れ一人で歩きながら、ふと心がすっきりしている事に気が付いた。今日はあんなにうんざりして憂鬱な気分だったのに。ゆっくりと夜道を歩きながら、さっきイルカと過ごした短い時間を思い出す。自分が人と一緒にいて笑う事はあまりない。
 それなのに、そこまで可笑しいと思ったわけでもないのに、自分は笑っていた。
 視線を少し上に向け夜空をぼんやりと見つめた。

 何となく。薄々気が付いていた。
 自分はイルカに興味があって、ーー惹かれていると。
 だからってそこらの女じゃあるまいし、バレンタインにチョコを渡して気持ちを打ち明ける、何て事はするわけがないが。あくまでも自分たちは同性だ。気持ち悪いなんて思われたそこで終わりになってしまう。
 ただ、少しでも同じ時間を過ごしたい。そこからイルカをちょこちょこ夕飯に誘うようになった。
 
 そして今年の二月に入ったある日。
 商店街でイルカを見かけた。バレンタイン一色になりつつある商店街のある店の前で、買い物袋を手に提げたまま、イルカが立ち止まって何かを見ていた。後ろまで歩み寄り、イルカが見ている先にある、洋菓子屋に並べられたチョコにカカシも目を向けた。
「先生はこう言うの好きなの?」
 声をかけると、分かりやすいくらいにイルカの肩が揺れた。勢いよく振り返えられて、驚かせるつもりはなかったとカカシはごめんね、と眉を下げた。イルカもばつが悪そうに、いえこちらこそ、と苦笑いを浮かべる。再びショウウィンドウへ目を向けた。
「前生徒からもらったチョコの中に、このトリュフって言うのがあったんですが、意外に美味しかったなあって、思い出してたんです」
「甘いのに?」
 そのカカシの聞き方にイルカはまた困ったように笑った。
「そこまで甘くなかったですし、美味しいですよ」
「へえ、だから買おうか迷ってたんだ」
 聞いた後、少し間があった。そこからイルカは鼻頭を指で掻きながら、まあそんなところです、と頷く。
 その間と、イルカの表情から。
 あ、とそう思ったのは。
 イルカがこれを誰かに買って渡すつもりなのだと気が付いてしまったから。
 それから胸の中が酷く苦い気持ちに包まれた。

 あの時話しかけなきゃ良かった。
 翌日、カカシは七班の任務を終え、待機所に向かう気持ちになれずに、人目を避けるように、ぼんやりと大きな樹木の根本辺りに寝そべる。いつもの小冊子を眺めていた。内容はほとんど頭に入っていない。
 あの時先生に話しかけなければ、あの人の僅かに気恥ずかしそうな、あんな顔を見なくて済んだし、何も知らなければ、今までと同じ様に接する事だって出来たのに。
 胸の中には未だ重い鉛が乗っかっているような気分で、息苦しささえ感じる。
 彼に意中の人がいるのを知っていながら、そうそう夕飯に誘うのは躊躇われた。だから、誘う回数を減らした。
 減らせば、ものの見事にイルカと顔を合わす事さえなくなった。
 カカシは息を吐き出して、小冊子で顔を伏せた。目を閉じる。
 きっと今日は浮かれた女どもに混じって、イルカもまた自分が買ったチョコを誰かに渡すのだろう。
 元々同じ里にいても、こっちが合わせない限りイルカと顔を合わす事はそうないのだから、チョコを渡すところを目撃する事なんてないと分かっていても、その可能性が全くないわけがない。
 それに、元々バレンタインと言う日は、なにかそわそわした雰囲気と色づいた空気に包まれて苦手だ。
 だから里外で任務をしていた方がよっぽどいいと、そう思った。
 なのに、自分は里にいる。
 待機と言われているが火急な用があればきっとどこにいても呼ばれるだろう。
 うとうとしかけた時、ふと近づく気配を捉えた。ここは演習場近くの西の森で、人目を避けている場所とは言え、誰かが通らない事はない。
 もともと気配探る気もない。気にせず昼寝を続行しようとしたが、その気配は真っ直ぐ自分の元へ向かっている事を知る。カカシは薄く目を開けたのは、その気配が誰なのか気が付いたから。
 間違えようがない、イルカだった。
 今日一番顔を合わせたくないと思っていた相手に、カカシは迷った。起きてもいいが、用事があればイルカは声をかけてくるだろう。
 ーーでも。
 カカシは微かに眉を寄せた。
 自分は簡単に感じ取ったが、イルカが明らかに気配を消している。普段から気配を消して行動するような人ではなく、足音さえ一般の人以上立てて歩いていると言うのに。
 視線を横に向けると、伏せた本の間から見える視界に、イルカの足下が映った。屈んだのが気配で分かる。何かがまた視界に映った。それは包装された包みで、その包装紙に書かれた横文字にも見覚えがあった。
 記憶を巡らそうとした時、そこでふっとイルカの気配が消える。
 目を開けて起きあがると、そこにはもう誰もいなかった。横に置かれた包みをカカシはそっと手に取る。
(・・・・・・あ・・・・・・)
 その包装紙が、あのイルカが見つめていた洋菓子の店の名前だと思いだした時、胸の鼓動が早くなった。
 眉根を寄せ、カカシは包みを見つめる。
 イルカが気配を消し、息を殺しながらそっと包みを置いた、その手は確かに震えていて。
 見つからないように。ばれないように。
 そんな光景が目に浮かんだ時、胸が苦しくなった。
 手に持った包みに指で触れ、言葉にならないような甘酸っぱい気持ちに包まれる。
 カカシは白い肌をじわと赤く染めた。

 <終>