小さなお家

建物から出て外の渡り廊下を歩く。冷たい風に飛ばされないようにイルカは書類を抱え直した。誰かが開けっ放しにしているのか、風で開いてしまったのかは分からないが、扉が少し開いたままになっている。その扉が風に吹かれ勢いで閉めそうになったのをつま先で止めた。
行儀悪いと思うが。両手がふさがっているのだから仕方がないよな。なんて誰に言うわけでもない言い訳を心で呟きながら建物の中に入る。途端。風が強く吹き込み、バタン、と扉が閉じた。
よく晴れてはいるが、今日は風が強いせいか寒くも感じる。夕暮れにさしかかっている時間帯で気温が下がり始めているからかもしれないが。
今日は鍋か、おでんか。
身体が暖まるメニューを頭に浮かべながらイルカは階段を上った。
そこで月曜日に鍋を作ったばかりだった事を思い出す。連日ではないのだからいいのかもしれないし、カカシは何も言わないだろうが。自分だけならともかく、カカシは今やこの里の長。適当にラーメンって訳にもいかない。さて、何にしようかと今夜の献立を頭に浮かべて歩けば、そこから突き当たりにある目的の部屋までは直ぐだった。

「失礼します」
いつもの様に、ノックを2回して扉を開ける。
「あれ、お出かけですか」
部屋の主であるカカシの姿が見えず、イルカは部屋にいたシズネに声をかけると、少し苦笑いをシズネは浮かべた。
「いや、ちょっと会議が長引きましてさっき終わったばかりなんです」
そこからイルカを前に口ごもるシズネに、なんと答えたらいいのか、はあ、と相づちを打つ。
「じゃあ、今休憩中とか、ですか」
話ながら、カカシの机に向かう。書類を机の上に置こうかと思ったが、予想以上に積み重なった書類に躊躇うと、それを読みとったのかシズネが手を伸ばした。イルカは素直に持っていた書類をシズネに手渡す。
「実は、今昼食で席を外してるんです」
眉を下げて言ったシズネに、少し驚くと、すみません、と言われイルカは慌てた。
「いや、別に俺は、」
カカシとの関係を公にしてもいないが、シズネのイルカに対する配慮に少し赤面しながら首を振ってしまっていた。
その件に関しては、シズネが先代火影であった綱手からばっちり話を聞いているとカカシから聞いていたし、何より聞いていなくとも、火影の補佐をしているシズネにバレない訳がない。
用事で自分がここに顔を出す度に、カカシは嬉しそうな顔をするし、シズネにバレているからいいと思っているのか、先生今夜はカレーがいいだの焼き魚が食べたいだの、平気で口にしているのも事実だった。
関係を知っているからこそ、シズネは遅くなった昼食で夕飯時間をずらさねばいけない事をイルカに謝っていた。
首を振るイルカに、シズネに尚も申し訳なさそうな顔をされ、イルカはどう言っていいのか困り、苦笑いをするしかないし、変な冷や汗を掻く。
はっきり言って、ものすごく恥ずかしい。
さっさと退散しよう、と思った時、がちゃりと扉が開く音が背後で聞こえた。
「あれ、イルカ先生」
その声に振り返れば、カカシが少し驚くも嬉しそうに微笑んでいた。
今さっきの流れから勝手にカカシを責めたい気持ちが沸き上がるが、会議が長引きこんな夕方に昼ご飯を食べていた事を思い出す。
お疲れささまです、と言おうとして、すぐカカシの後ろにいる人影に気がついた。
「久しぶり」
紅に手を振られ、イルカは軽く頭を下げた。
「お久しぶりです」
「さっきね、ご飯食べに外に出たらばったり紅に会ってさ、ちょうど渡したい書類もあったから来てもらったの」
ああ、例の書類ですね、とカカシの言葉にシズネが気がつき、書類がファイルされた棚を開ける。
「これです」
「ありがとう」
受け取る紅を見つめながら。久しぶりに見た紅は、少し顔が優しく見えた。
日々成長している子供がお腹にいるからだろうか。自分には想像もつかないものなんだろうと思うも、亡くなったアスマを思うだけで感じるのは、胸の痛みよりもはるかに上回る暖かな感情だった。膨らみ始めているお腹の中で、今この時も母である紅の温もりの中で成長しているのだろう。
視線を横に向けると山積みされた書類がまた目に入り、自分にはまだ仕事があったと思い出す。
「あの、俺はこれで」
「ああ、待ってよイルカ先生」
頭を下げるイルカにカカシが呼び止めた。
「せっかくだから、もう少しいてよ」
微笑みながら眉を下げられ、イルカは眉を寄せた。昔ならまだしも、今やカカシは木の葉の火影だ。執務室であるこんな場所でそんな情けない顔で甘えた声を出すのは、自分の中では納得がいかない。
それが顔に出たのだろう、
「私がお茶を飲む間くらいはいいんじゃない?」
紅にそんな助け船を出され、イルカは頷くしかなかった。
「・・・・・・じゃあ、少しだけ」
そう口にすると、シズネが慌ててお茶を淹れに動き、イルカはそれを手伝った。

お茶を飲むと、紅は早々に立ち上がった。
「じゃあ、私は行くわね」
「えー、やけに早いじゃない」
旧友に別れを惜しむカカシに、
「だって最近座ってるより横になりたくて」
お腹が重いかしらね。と紅が膨らんだお腹をさすりながら微笑む。
「それってやっぱりしんどいもんなの?」
紅に聞くカカシの言葉に内心イルカは驚いた。思わずカカシに目を向ける。それは紅も同じだったのか、少し驚いた表情を見せていた。
「うーん、まあそれなりに。でもここまで一気に大きくなった訳じゃないんだし、日々の成長があるから、それを思うとそんなに感じないかな」
蹴られると痛いんだけどね、と紅は、ぽん、と膨らんだお腹を軽く叩いて笑った。カカシもそれを見て微笑み、イルカも微笑む。
「でも背中からじゃ分からないのか、普通に声かけてくる馬鹿な男もいるのよ」
冗談混じりで言って。紅はバックを手に持つ。
「私は行くけどイルカはもう少し相手してあげてね。聞いてると結構仕事大変そうじゃない。カカシみたいな性格の人でも気がつかないストレスだってあるんだから」
まあ、イルカは分かってるんだろうけど。
言われてまたイルカは赤面するしかなかった。公表していなくとも、皆知っているようなのは確実なようで。またしてもどう対応したらいいのか分からなくなる。
「俺みたいなってどういう意味よ」
不満そうなカカシの科白に紅は微笑みだけを返して、じゃあね、と手を振り書類を持つと部屋を出て行く。
「あれ酷くないー?」
むくれるカカシにイルカは小さく笑った。
「いや、案外当たってますよ。あなたは大変でも態度や顔には出さない人だから」
「えー、そう?まあ、顔にはあんまり出さないかもしれないけど」
いや俺には出てるだろう、と思ったがイルカは口には出さずにそんなカカシを見つめる。
カカシと初めて出会ってから、もう何年経っただろうか。確かに、基本カカシは表情を顔には出さない。忍びとしてはある意味必要な事だが、内に秘めたカカシの熱意や愛情はしっかりと子供たちに届いている。
表情豊かでない分、それが現れた時の人間味溢れるカカシは可愛い。それに出会った当初何を考えているのか分からなくて、苦手だと思った事は内緒だ。
「なに?」
「いえ」
イルカの視線に気がついたカカシに首を傾げられ、イルカは微笑みながら首を振った。
「お腹を蹴るって、どっちに似たんだろうね」
ふふ、とカカシは微笑んだ。その顔がひどく優しそうで。不思議な感覚になった。
前、子供は苦手だと言っていた事を思い出す。アカデミーの行事の用意を子供たちとしていた時、カカシが手伝ってくれた情景がふと頭に浮かんだ。ほぼ素顔が見えない見知らぬカカシに警戒をして近づくことはない子供たちに、カカシは困った顔を終始していた。それでも最後まで手伝ってくれた。その帰り道、俺子供が苦手なんですよね、と情けない顔をイルカに見せた。
「・・・・・・カカシさん子供好きでしたっけ?」
呟くように口から出ていた。
ん?とカカシはイルカに顔を向け、そこから考えるように視線を漂わせる。
「確かに小さい子供って苦手なんだけど、アスマと紅の子だからね。楽しみじゃないって言えば嘘になるかな」
嬉しそうに目を細めて微笑む。
「男にしろ女にしろ気が強いよね、きっと」
悪戯に微笑むその表情をイルカはじっと見つめた。
その視線に気がついたのか、またイルカの気持ちに気がついたのか、
「あー、えっと。ごめん。俺の勝手な想像」
とカカシは誤魔化すように笑った。
カカシのその言動の真意に胸が痛む事はなかった。ただ、カカシが自分をパートナーに選んだ事で、また自分がカカシを選んだ事で、2人の間に子供が出来ない事は明らかだった。
つきあい始めて直ぐの時、カカシの遺伝子が残せない事に気がつきイルカは悔やんだ事もあった。
でも。
それはカカシも分かっていて、分かっていて尚自分を選んでくれた事が嬉しくて。
だから、こんな事は考えないようにしていたけど。カカシのそんな顔を見ていたら、胸が痛くなる事はなく、逆に素直に嬉しかった。
それに、長い月日をカカシと過ごす内に、思う事があった。
「カカシさんと俺の子供だったらきっと・・・・・・生意気な子供になるんでしょうね」
ぽつりと呟くイルカに、カカシは青い目を向けた。
「きっと、アスマさんの子供が比じゃないくらいに生意気です。で、髪はカカシさんみたいな柔らかい銀色で、笑うと子犬みたいに可愛いくて。そんな子供を俺は小さくても暖かい家で帰りを待っていたい」
少し驚いた顔をしたまま、カカシはじっとイルカを見つめている。
「・・・・・・俺たちの間には子供は出来ないけど、あなたのような強くて優しい子になるんだろうなって、時々思ってました」
ぼんやり浮かんでは消えた想像しか出来ない存在を、イルカは初めて口にした。
「あんまり俺に似ないで欲しい、ってのは俺の願望です」
はは、と恥ずかしさを誤魔化す為に笑って頭を掻くイルカを、カカシは呆けたように見つる。
突然勢いよく抱き締め、うわ、と驚きに声を出すイルカを尚も強く抱き締めた。
いつも以上強い腕の力に、イルカは苦しく眉を寄せながら、この場が家でない事も同時に再認識し、
「カカシさん、ちょっとっ」
抗議を含む声を上げても返事がない。イルカは抱き締められるままにカカシの腕の内でどうしたのかと困惑する。行き場を失った腕をそっとカカシの背中に回した。
「・・・・・・カカシさん?」
名前を呼ぶと、カカシが小さく息をゆっくり吐き出すのが聞こえた。
「先生・・・・・・俺すっごい幸せ」
「え?」
小さく聞き返すと、カカシがイルカの首元に顔を埋める。
「ねえ、今から家に帰ろ?こんな状態で仕事なんて出来ない」
ぎゅっと下半身を押しつけられ固く当たるものに、イルカはびくっと身体を震わせた。頬を紅潮させながら驚きに目を丸くさせる。
「はあ?何言ってるんですかっ、だめですっ。カカシさんはまだ仕事が、俺だって、」
イルカが言い終わる前に、カカシが印を組む。
2人が執務室から消えたのはこの後すぐの事だった。


<終>
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