The die is cast
カカシが最近自分を避けている気がする。
月に数回飲みに誘い誘われていた仲だったカカシが、ピタリと誘わなくなった。しかも顔を合わそうとすらしない。会話も減り疎遠になる。
最初は気のせいかなと思っていた。
いや、気のせいだと思いたい、が正しいのかもしれない。文字通り、認めたくなかったからだ。
だから受付所に現れたカカシが迷いなく自分ではない列に並んだのが分かった時、それを思わず目で追いながらショックを隠せなかった。
受付業務を行いながらも、いや、もしかしたらたまたまではないか。それか疲れて早く受付を済ませたいから、少しでも少ない列についたのかもしれない。と慰めに近い理由を頭の中で巡らせていた。
やがてカカシの順番が来て隣の同僚に報告書を手渡した。
イルカは手を動かしながら、視界に入る範囲でカカシを窺った。ベストから下半分が見え、手甲から伸びたカカシの長い指が見えた。ズボンのポケットから下には泥のような汚れが付いている。任務でついたものだろう。どんなだったのだろうか。たわいのない疑問もそれをいつものように投げかけれない。それすら寂しい気持ちにさせた。
ただ、隠れながらそこまで見たら、自然にカカシの顔を見たいと欲が湧く。いや、別に見るくらい欲でもなんでもない筈なのだが。
きっとカカシは勿論自分のほうは見ないのだろう。そう思いながらそっと視線を上げた。
が、見ていないと思っていたはずのカカシの目とカチリと合った。淡い青色の目が自分を見ている。
その目には虚を突かれたような驚きを含んでいた。すぐに外される視線。分かりやすいくらいに逸らされた。
カカシは直ぐに報告を済ますと出て行く。
イルカはペンを机に勢いよく置くと立ち上がり、扉から出て行った背中を追いかけた。
姿を消していなかったカカシを見つけると声をかけた。
「カカシさん!」
カカシの背中は面白いくらいに迷いをみせた。まさか追いかけてくるとは思っていなかったのか。背中を見せたまま立ち止まるカカシに一歩近づいた。
本当はここで理由を聞きたい。でも、それは他人の目があり過ぎて踏み止まった。
「今日…時間ありますか?」
猫背の背中が振り返る。
「飲みに、行きませんか?」
兎に角話がしたい。ただそれだけだった。
カカシの目は自分の目と交わる事がなかった。イルカの胸元辺りを彷徨った後、その視線はゆら、と横にズレる。
真っ直ぐ視線をぶつけているのは分かっている筈なのに。その行動がもどかしくなるが、イルカは辛抱強く待った。
「ごめんね。無理」
そう告げられ、姿を消された。
イルカは友人数人と居酒屋にいた。給料日前とか関係なかった。
姿を晦ました上忍を探す事は不可能に近く、ただ、追いかける事自体憚られた。もう避けられているのは明確になってしまった。
空元気にビールを飲む。酒の力の良いところだ。飲んで酔っている間は嫌な気持ちが薄れる。
それが一番いい。
忘れたい。
忘れられる訳がない。
だから、飲む。
楽しく飲んでいる筈なのに、思い浮かべるのはカカシの事ばかりだ。
単純だとつくづく思う。友人の失敗談に腹を抱えて笑っているのに。そんな自分がひどく滑稽に思えた。
奥座敷にいた襖が開けられ追加した酒が運ばれる。
焼酎のボトルに氷に冷水。店員から貰い、ふと顔を上げ襖の隙間から見えたものに一瞬酔いが吹っ飛んだ。
今日見たままの銀髪に猫背気味の広い背中。はたけカカシその人だった。イルカはボトルをテーブルに置くと襖を開けて店が用意していたサンダルを履く。そのまま真っ直ぐその背中に向かって歩き出した。
「おぅ、イルカじゃねえか」
手酌でビール瓶を持っていたアスマがイルカに気がつき声をかけた。
ピクリと反応したカカシが驚いて顔を上げる。その顔がイルカを苛つかせた。酔っている自覚はあった。
アスマに目も向けず、イルカは目を見開いているカカシを見下ろす。
「今日はアスマさんと約束があったんですね」
「…うん、まあ」
「じゃあそう言えば良かったじゃないですか」
「…うん」
間を置かず言い返すイルカに押されるようにカカシは肯定した。
「嘘だ」
その言葉はカカシの視線を上げさせた。
「どうしてそんな分かりやすい嘘つくんですか」
制御しているつもりでも、勝手に声色が変わっていく。憤りはグラフに画いたように、はっきりとした右肩上がりだ。
「イルカ、お前酔ってるな」
アスマは物珍らしい顔をしながら間に入ってきたが、それはイルカから省かれた。
もう周りはどうでもよくなっていた。里一のエリート忍者と言われていようが、言わずにはいられない。苛立ちのままにカカシを睨んだ。
「何で嘘つくんですか。何で避けるんですか」
逃げるように逸らす視線にイルカはカカシの肩を掴んだ。頑なに顔を向けようとしないカカシに更に苛立が募っていく。聞いても黙りなんて酷すぎるんじゃないか。勝手すぎる。こんなに人を振り回して、何を考えているんだ。
「顔を上げてください」
肩を掴んだまま揺するが反応を見せようとしない。それは簡単にイルカの血を逆流させた。
ピリピリした空気を目の前にして、アスマはただ黙って2人を眺めていた。イルカの言い方は酔っているからだけとは言えない。滅多に見せない怒りを露わにしている。黙ったままのカカシも酷く深刻そうな顔色を見せていた。そこから立ち入れない何かを感じていた。
「何で俺の顔を見ないんですか!?見たくないからですか?」
カカシは肩を揺すられながら、ついにはあと長い息を吐き出した。イルカには顔を向けないが眉根を寄せて困った顔をして。
カカシは立ち上がった。立ち上がり、肩を掴んでいたイルカの手を掴んだ。
「イルカ先生、ちょっと外出ましょう」
やり取りを遠巻きに見ているのはアスマだけではなかった。少し離れたテーブルの客も無関心を装いながらもイルカ達を見ている。
イルカはそれらを確認して、グッと口を噤んだ。カカシの申し出は冷静過ぎて、しかも2人きりで話そうと言われて、自分から捲し立てていたのにも関わらず、内心及び腰になっていた。でもカカシが自分に向き合わずに無視をされるよりはよっぽどいい。
「いいですよ、外ですね」
強気を含めた口調を返すと、カカシは黙って店の暖簾をくぐり外に出て行く。
イルカも意を決意するように腹に力を入れ、店のサンダルのまま、その後に続いた。
一瞬止めようとも考えたが、大の大人の話し合いに、成り行きを見守るしかないかと、アスマは2人が出て行った暖簾を見つめながら煙草に火を点けて、
「…まぁ、いいか?」
ぼそりと1人残されたテーブルで呟いた。
店の裏手でカカシは足を止めた。もっとどこか人気がない場所まで行ったらどうしようかと、変に考えていたが、早く立ち止まった事に少しホッとした。
だが人気がない事には変わりない。隣接する店もない為、裏手は手入れされていない荒地が広がるばかりだ。
カカシは口布を下げたままの為、表情はいくらか分かりやすい。薄く開いていた下唇を軽く噛んだのが分かった。
「イルカ先生ってホント直球だね」
「それはお世辞と取っていいんですか?」
「…うん」
カカシはそう言って少しだけ眉を下げて頬を緩めた。
多少緊張をしていたが、今の会話でいつものカカシとの空気が戻ったようだった。が、次の言葉に身体は強張った。
「ハッキリと言っていい?」
「…ハッキリ…いいですよ」
勿論、とイルカは強く頷く。
あのね、イルカ先生、とカカシが話し始める。急速に早まる胸の鼓動に手のひらが汗を掻いていた。
嫌だな。
言えと言ったくせに、聞きたくない、逃げ出したいとそれが身体を支配した。
「どうしても先生を友人として見れなくなった」
「そう…ですか」
やっぱり、と心で思う。ハッキリ過ぎやしないか?とも。心にヒビが入ったみたいだ。
まあ、でも、忍びとして格差があり過ぎるのは事実。側から見てもそうだったはずだ。
「先生と一緒にいると、自分が自分でなくなるって言うか…それを抑えるのが辛くて」
自分を出せなくなる。それは知らなかった。カカシは自分といると楽しそうにしているとばかり思っていた。
知らずに隣にいた自分はさぞかし阿呆みたいだったに違いない。
「だから2人きりでいると自分か抑えられなくなりそうで怖くて」
余程イライラしていたんだ。
「でもこんな風に避けてイルカ先生を困らせるのも嫌だから、」
イルカは無理に笑って手を振った。乾いた笑いだと思った。
「いいんですよ。ハッキリ言っていただいて感謝します。愚鈍なんですよ、俺。それに俺もなんか性格上ハッキリしないと嫌だし、こうして向かい合って話してくれて嬉しいです」
「嬉しい…そうですか」
カカシは苦笑いを浮かべて、ポケットに入れていた手を出して頭を掻いた。
「先生はさ、俺といて楽しい?」
思ってもみなかったカカシの台詞に、ポカンと口を開け、素直に頷いた。
「はい、勿論です」
「俺も。じゃあ俺に誘われると嬉しい?」
「はい」
「じゃあ、俺とキスしたい?」
「……はい?」
「俺はしたい」
「え?」
「ね、先生は俺とキス、したくない?嫌だ?気持ち悪い?」
「何の…話しですか」
疑問符が頭から離れない。離れないから、カカシに言われた事を頭の中で繰り返す。
カカシとキス。
目の前にある、薄く形の良い唇をジッと見つめた。ほのかに赤い色が差している。
見られているのを認証しているかのように、カカシはイルカに好きなように見させているようにも感じた。その、視線の先にある唇が少し開いた。あの中には歯並びのいい白い歯がある。一緒に食事をしながら清潔そうだと思った事があった。キスが上手そうだとも、思った。
嫌だとか嫌じゃないとかじゃなく、単純に気持ち悪いとは到底思えなかった。
カカシの顔が近づいてきて視線を集中させていた唇が、自分の唇に軽く触れ、離れた。
「俺が言いたいのはこう言う事」
青い目が近くで覗き込む。
「気持ちに嘘ついてあんたと向き合えないから避けてた。俺はね、先生とこういう事がしたいの。あなたの恋人にして?」
イルカは唖然とした顔から動かなくなってしまっていた。カカシよりふっくらとした唇は薄く開き、そのままに何もない一点を見つめている。
どうやら自分は本当に愚鈍だったようだ。
それだけは確かだ。
一つ飛び、いや二つも三つも離れた場所から飛び越えてきたカカシの告白に驚いただけじゃ言い表せなかった。
反応が鈍くなってしまったイルカに好機と見たのか、カカシが落ち着かせようと背中を撫でる。
「ゆっくり考えていいから、真面目に考えてくれる?」
背中の手が離れて、イルカを残してカカシが店に戻って行った。
1人先に帰ってきたカカシを見てアスマは顔を顰めたが、「先生なら大丈夫」と平然とするカカシに眉を寄せた。
カカシは知っていた。
イルカは直ぐに戻ってくる。
この場所に、自分の元に。戸惑いも、直ぐに溶けると。
カカシは飲みかけのビールグラスを手に取った。
その手は微かに震えている。
それをアスマに悟られる前にグラスを持ち上げグイと飲み干した。
イルカは自分のところに戻ってくる。
その時、背中で居酒屋の引き戸を開ける音が聞こえる。
愛しい人の気配を感じて、カカシは密かにぶるりと震えた。
<終>
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