隣③

「こんばんは」
週に2回だと変に勘付かれて痛い思いをしたくないから1回。火曜か木曜、どちらでもいい。自分の任務がなく里にいる日、カカシはアカデミーの裏口に足を向けていた。
そりゃ出来れば会いたいけど、いなくてもいい、ただこうして足を運んで彼と会えればラッキーだ。
我ながら小娘みたいな思考だと思う。だが身体はいつも緊張を帯びていた。
イルカを目にして胸が高鳴る。人にこれだけの接点で手に汗握る事なんて滅多にない。
ごく自然に。
カカシを見たイルカは嬉しそうな顔を見せた。
「また会いましたね」
「そうね、任務報告してからここで珈琲買うことにしてるの」
「ああ、このメーカー近くにありませんからね」
あと見かけたのは商店街のとこくらいなあ。自分の思惑なんて知らないと、イルカの素直に受け入れた台詞に安堵した。
イルカの手には今日はコーンポタージュ。どんな理由でそれを選んだのだろう。
珈琲のボタンを押しながらイルカを横目で伺った。
流石に同じ時間に行くと怪しまれるからと、多少ずらして此処に来るが、いない事より、こうしてイルカに会う事が多かった。
「カカシ先生」
イルカは椅子に座りカカシを隣に誘った。隙間風も吹き込む寒い休憩所でも、イルカといるだけでカカシはその寒さを忘れた。すぐに職員室に戻らないのは俺がいるからか。
上忍である自分に気を使っていると分かってはいるが。それでもイルカの隣に座れば、そんな事どうでも良くなる。
会うたびにこうして並んで会話をする。もう二ヶ月近く通いつめていた。
確かな繋がりにカカシの心は満たされる。
たわいのない話。それが今の自分にとって何よりも大切な事。

「ナルトのやつ、ちゃんとやってますかね」

コーンポタージュを一口飲んで、その名前を口にされただけで、自分の胸の内が重くなった。その気持ちの明らかな変化に自分でも戸惑った。
正直な気持ち、出来れば避けたかった話題なのは事実だ。だってほら。
横目に伺えばイルカの視線は天井にある剥き出しの蛍光灯辺りを彷徨ってはいるが、黒い瞳の奥には先ほどまで見られなかった彼の淡い想いが見える。
ナルトがまだ自分の部下になって間もない頃からそうだ。そんな目をいつもイルカは見せていた。あの時は自分もまだはっきりと自覚をいていなかったから、胸に現れる靄は何なのか、突き止める事もしなかったし、気に留めないようにしていた。でも、その靄は、その時から確実に広がりをみせていた。
変な気持ちだ。込み上げてくる怒りをイルカにぶつけたくなる。怒りたいんじゃない、だけど分かってほしい。葛藤に揺らぎを抑えようとしながら、まだカカシは答えられず言葉を探していた。
カカシの無言の意図はイルカに伝わるはずもなく。
「でも、自来也様なら、安心ですよね」
その揺らぎは簡単に壊れた。
「さあねえ、自来也様程の方と修行してるんです。大丈夫じゃないんですかね」
明らかに棘がある言い方だった。
いつもなら抑えれた筈なのに。
口からでた言葉に自分自身驚き、イルカに顔を向けた。
イルカも不意を突かれたような、驚きを含んだ、そんな表情をしてこちらを見ていた。
失敗した。
焦りがカカシを支配した。だが取り繕う言葉が出てこない。いつも無表情で誰にでも適当に丸め込める事が出来るのに。五代目を前にしてもその自信はあると言うのに。
横に座るイルカを前に子供のように気持ちを露わにしてしまった。自分が窮地に立たされていると知る。
イルカは何回か瞬きをして、合わせていた目を逸らした。
「…すみません。なんか、俺、」
「あ、いや、でもアイツはあなたが思う以上に頑張ってますよ」
里を出る時の顔を見たでしょう。
なんと滑稽か。取り繕う言葉に焦りが滲みでていた。
繋いだ言葉にイルカは微かに微笑みを返してくれたが、その目はカカシを見る事がない。
しまったと思っても、もう遅い。
イルカは戸惑いながら、でも笑顔を見せた。
無理に作っていると分かるから居た堪れない。
「イルカ先生」
早口になりながらも名前を呼んでいた。
イルカはまだ残るコーンポタージュの缶を片手に立ち上がると苦笑を浮かべた。
「俺、そろそろ戻らなきゃ」
頭を下げられてもまだどうしたらいいのか、カカシは動けない。
一旦背を向け、階段を何歩か上がり、イルカはまた振り返った。
それがまた胸にチクチク痛みを与える。
「おやすみなさい」
イルカはそう告げるとそこから足早に階段を登り、すぐ姿は見えなくなった。

元部下への嫉妬。
今はハッキリとそう分かるのに。苛立ちを抑えられなかった。
子供が好きな子を苛めるなんていう感情を持っていると知ったのは、下忍の子供らを受け持つようになって何回かした時。
最初は脈絡がなくて分からなかった。不意に攻撃的になる男の子の様子を観察して、気持ちと裏腹に逆の事をしたくなっているのだと知った。
恥ずかしくて。ちょっかいをかけたくて。
それは好意からくるものだった。
素直になれないから。
子供が持つ可愛い感情。

ハッキリ言えばそれだ。カカシは顔を覆って項垂れた。
卓越した精神面を持っているとばかり思ってたのに。こんなに気持ちを乱されるなんて。
彼と交友関係を保ちたくて自分なりに努力していた事が崩れてしまった。
あんな顔をさせるつもりはなかった。
もう一度会ったら、イルカはどんな顔を見せるのだろう。

それは裏口に入る前に気がついた。
楽しそうな会話が建物の中から聞こえる。自然気配を消して、相手が確認してこない距離まで縮めて、扉の窓ガラスから中を伺った。
イルカがいつもの様に飲み物を片手に椅子に座っている。隣で笑うのは顔も記憶にない女性。たぶん、同じ教員。
随分と親しげに話す様子は、イルカの表情からも伺えた。あんな顔を自分としていた事があっただろうか。
2人は少し手を伸ばせば手が触れる距離だ。
目は2人の唇を捉えていた。
「来週ですか」
「ええ、良かったら一緒にどうかなって…」
そこで女は一旦言葉を切った。唇の閉じ方を見れば緊張を表していた。
「そうだなあ、…じゃあ、ご馳走になろうかな」
そこまで会話を読んで、ヒンヤリと心が冷えているのが分かった。
それが分かっただけで十分だった。今まで自分はよくやってきたと思う。
何年だ?彼に恋心とは言えない未熟な思いを持つ様になって。
彼が女だったらもっと早くケリがついていたと思う。異性にはアピールしやすいし、相手もそれ相応の見方をしてくれる。
ただ、今回は全く身動きが取れなかった。それでも牛歩の如く我慢強く側に近づくところまで来れた。
でも、これまでだ。
やはり彼には普通の幸せが似合っている。
だって俺は彼を追い詰める事しか出来なかった。
もう此処には来てはいけない。なんでも引き際が肝心だ。これ以上無様な自分を晒したくないし、なによりも、あのイルカの表情が全てを物語っている。
カカシはそっと建物から離れた。


カカシはまたスーパーに入って溜息を吐いた。
この曜日のこの時間は混んでるって忘れてた。
この際コンビニでもいい。手早く買い物を済ませたく、人混みを上手く縫ってスーパーの建物から出る。
雑踏に見えない黒い尻尾を無意識に探していると気がつき、息を漏らす様に笑っていた。
「こんばんは!」
大きな声に驚いた。
振り返ればイルカがいつか見た光景のように、両手に買い物袋をさげていた。
また色々買い込んでいる。視線を落として、イルカの顔に戻した。
「また沢山買いましたね」
久しぶりに話す会話がこれか。内心カカシは苦笑いした。自分とイルカの距離。それはもう変わらないのだと分かってしまったのだから、変に気後れする必要も、焦る必要もない。
イルカはカカシの右側について、自分と自然に歩き出していた。
イルカは隣で今日のスーパーの戦利品について話をし始めた。
彼らしい買い物の仕方は心が綻ぶ。中忍になれば給与に余裕がないくらいは分かる。いかに倹約するべきかと、彼の持つ考えと金銭感覚は嫌いじゃない。むしろ好意を持てる。
女性にはあまり理解を示してもらえないんですけどね。
笑顔で言うイルカに、それはその女とイルカか単に合わないだけだと思った。
「もう、珈琲は買いに来られないんですか?」
強めのアクセントにイルカが意気込んで聞いてきたのが分かる。
アカデミーのあの休憩所に行かなくなって一ヶ月は経っていた。
自分で見切りをつけたから、なんて言わないが。イルカの女性と話をしているのを見かけたのが最後だったと、否応無しに思い出される。
助かるのがまだ此処は商店街だという事。色々な雑音はカカシの気持ちを雑念から救ってくれる。
「俺ねぇ、…負けるのに慣れていないんですよ」
「え?」
「あー、いや、何でも」
眉を下げて聞き返したイルカに首を振った。
勝つも負けるも、最初から決まってた話だったのかもね。
心で呟いて、顔を覗くイルカににこりと笑いかけた。
意味を掴めず、イルカは困った顔をしたが、自分に合わせようと笑顔を作る。
「じゃ、俺はここで」
コンビニの前で足を止め、ポケットに入れていた手を出しながらイルカを見た。
「あ、…コンビニに?」
「はい。独身の強い味方ですから」
冗談めかした台詞を言えば、イルカは戸惑うような目をした。変に気を遣わせる訳にもいかないと、その目が気になるが、構わず背を向けた。
「俺、ずっと考えていた事があって」
また音量を上げて喋ったイルカに振り返る。
「考えていた事ですか?」
両手にパンパンに詰め込んだままの袋を持ったイルカは本当に重そうだ。
手早く済ませてあげたくて、建物の隅に移動してイルカの顔を伺った。
「どうしたの?」
女性とは違い整えられていない眉は黒い毛がびっしりと生えている。その眉が寄せられ、動く。触ってみたいと思っていた。
「俺の予想なんですが。聞いてくれますか」
「…はあ」
唐突な言葉にどう返事をしたらいいか分からなかった。
だが、そこからは矢継ぎ早だった。
「急にカカシ先生がこなくなった理由を考えたんです。で、思ったのが、少し前に俺珍しく女性に食事に誘われたんですよ。あの休憩所で。確かに、その女性が隣にいて、楽しいし嫌じゃないけどなんか違うんですよ。…だから、何て言ったらいいのかな。兎に角、それで俺は、考えたんです」
「えぇと、何を?」
「もしかして、カカシ先生が来なくなったのはあの女性が、隣にいたからじゃないかなって」
イルカらしくない的を射た言葉に、肯定するべきか判断がつかなくなっていた。
唇を舐めて、イルカは続けた。
「だから、カカシ先生は俺が女性といるのを見る為に来てた訳じゃなかったんだって」
黙ってしまったカカシを前に、イルカは恐る恐ると顔を伺うようにカカシを見た。
あれ、こんな時、何て言えばいいんだ。
上手く回らなくなった頭に、おもむろに頭を掻きだしたカカシにイルカは眉を顰めた。
「違ってます…か?」
違わない。
だけど急にそんな事を言われても。こんな言い方ありな訳?
顔を赤らめて、必要以上に頭を掻き続ける。
「言い直してあげますよ」
イルカ以上に赤い顔をしたまま言う。
「鍋はこれから俺と一緒に食べてください。他の誰でもない、ずっとこの俺だけにして。いい?」
「も、勿論です」
イルカは慌ててコクコクと頷いた。恥ずかしさにどんな顔をしたらいいのか。気まずさに顔を顰めてイルカの手に持つ袋を持った。
「今日は鍋、イルカ先生ん家で」
「はい!」
歩き出すカカシに遅れてイルカは横に着いた。
格好悪いったらありゃしない。
彼の記憶に残るような素敵な台詞一つも言えてないのに、ハッピーエンドだなんて。
せめて好きだと、伝えよう。
ガサガサと袋の音を2人でたてながら、今日のいつ言おうか、カカシは顔を赤らめたまま考えた。

<終>



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