年下の男②

翌日もまた、イルカは寝不足だった。
怠い身体はまだ眠りを欲しゆっくり風呂に浸かりたい気持ちを我慢しながらアカデミーへ向かう。
昨日、仕事が終わって家路へと向かうイルカの前に現れたカカシに、当たり前の様に腕を掴まれ、イルカは慌てた。
どうにか今日は勘弁してもらえないかと、譲歩を求めてイルカはカカシに交渉したが。
交渉は決裂した結果がこれだ。
重い身体を引きずりながらアカデミーへと急ぐ。
さんざん喘がされた為、声は涸れ泣いた目は腫れぼったい。
冷水で顔を何度も洗ったが、すぐに改善されるわけでもない。
ちょっと断っただけで、あんな夜明けまで。
(...子供か...)
思い出しただけで怒れるが、疲労でそれにさえ力が入らない。
が、門をくぐったところで予鈴が鳴り始め、イルカは、ぎゃ、と叫んで職員室へ急いだ。

不調は突然表れた。
昼までは問題なかった。
昼食を終え、同僚と食堂から職員室へ戻る途中。
目の前で生徒が転んだ。
ふざけているからだぞ、と生徒に手を差し伸べて。
そこから目の前が真っ暗になった。
生徒が叫び、同僚の自分の名前を呼ぶ声が聞こえたが。
意識はそこで途切れ。
再び意識が戻った時は、アカデミーの保健室だった。
白く眩しい光に、イルカは開けた目を細める。
どのくらい寝てしまったのだろうか。
でも身体は睡眠を欲していたらしい。身体がすっきりした気分に、イルカは起き上がると、仕切られていたカーテンが開いた。
同僚が立っている。
「.....どうだ」
「ああ、...大分いい」
頭に手を当ててみるも、頭痛はない。
「俺、...」
「廊下でぶっ倒れた時は驚いた」
同僚の言葉に顔を上げる。腕を組んでイルカを見ていた。
「授業は、」
午後は、どの時間も授業を受け持っていたはずだ。思い出すように考えると、
「もう全部終わった」
あっさりと告げられる。
「そうか...」
申し訳ないと、視線を下に落として。そこからふと同僚の顔を見る。
腕を組んだままの同僚は、酷く怪訝そうに感じてイルカは首を傾げた。
どうかしたのかと、口を開く前に、保健室の扉が開かれる。
「...教頭っ、」
上司の顔に驚くイルカの前まで来たその教頭の表情は、同僚と同じく酷く冴えていない。
「立てるか」
聞かれ、イルカは素直に一回頷けば、そうか、と教頭は答えイルカを見つめる。
「火影様がお待ちだ」
「....え?」
ベットに座ったまま、イルカが聞き返すが。教頭はため息を吐きながら口を一回閉じる。
「どういう...意味でしょうか」
それにも、教頭は答えない。同僚へ目を向けると、気まずそうに目をそらされた。
「兎に角だ。ゆっくりでいいから、執務室へ向かえ」
それだけをイルカに告げた。
嫌な予感がした。
保健室を出て、廊下を歩きながら思う。
嫌な予感ーー?思った事に自分で首を傾げた。
いや、この呼び出しが自分の予想通りなら、嫌であるはずがない。
待っているは、解放だ。
それなのに。
足は鎖で繋がれているように、ひどく重い。
同時に胸がじくじくと痛み。
イルカは小さく笑うように、息を吐き出した。

自分の予想は当たっていた。
執務室にいたのは、火影と側近である暗部。それに、ーーカカシ。
「...遅くなりました」
イルカは頭を下げ、カカシをちらりと見たが。部屋に入ってきたイルカをカカシは見ることなく、真っ直ぐ前を向いたまま。
普段会わない場所で見るカカシに不思議な感覚を覚える。
それでも、カカシはいつもと変わらない。読めない表情。
「イルカ」
名前を呼ばれ、イルカは背筋を正し返事をする。
火影は。机に両肘を付いたまま。イルカの顔をじっと見据えた。
「...呼ばれた理由は分かっているな」
パイプを灰皿に置いた火影は静かに口を開く。
「........」
イルカはその問いに視線を下に落とし。ゆっくりと火影へ戻した。
「....はい」
静かに答えるイルカに、火影は一回頷く。両親を亡くした幼い頃から。目をかけてくれていた火影に混じる複雑な感情に、イルカは視線を床に落とした。
そこから火影は厳しい視線をカカシに向ける。
「カカシ、お前が立場を利用して中忍であるうみのイルカに夜伽を強要したのは、認めるか」
夜伽。そんな言葉があるのか。イルカは聞きながらぼんやりと思った。
自分とカカシの事を言っているのに、他人事の様に感じるのは何故だろう。
そう立ったまま考えているイルカの横で、
「間違いありません」
はっきりとカカシは答えた。
その直後に火影の重いため息が執務室に響く。
最初から、自分を無理矢理力でねじ伏せて。夜伽を強要した事実。
それを認めたカカシに、まあそうだろうな、とまた他人事のようにイルカは思った。
ざまあみろ。心でカカシを罵る。
なのに。
間違いありません。
カカシの声が。
本人が認めた事実が。
ひどくイルカを憂鬱にさせた。
持っている書類に、怒りを逃すかのように。また、その憤りを表すように。火影は指でその書類を数回叩く。
そこから火影はイルカを見た。
「イルカ...これに間違いないな」
火影の立場からだろうか。自分が聞いているからだろうか。怒りと悔しさと悲しさがにじみ出ているような口調だった。
静かに問われる。
深い皺の奥に光る火影の眼差しをじっとイルカは見つめた。
何回か瞬きをしたイルカは、微かに眉を寄せ視線を床に落としていた。
間違いありませんと、言ったカカシの言葉がイルカの頭の中でぐるぐると回る。
イルカはゆっくりと目を再び火影に向けた。
「事実ではありません」
そう口にしたイルカの言葉に、火影の眉間に皺が寄った。
「....イルカ、今何と言った」
「事実ではないと、そう言いました」
火影が訝しむ表情でイルカをじっと見つめ、小さく首を振る。
「いや、これはカカシが認めた事に対する確認だ。この事実を認めたからと言ってお前が懲罰に値するわけでは、」
「そんな事は知っています」
「では何故そんな事を言う」
火影が立ち上がった。
そんな事あってはならないと、そう思っているだろう火影の声に思わず気おされそうになる。イルカはぐっと立っている足に力を入れた。
「カカシに脅されているのではあるまいな」
言われ、イルカはカカシへ視線を向ける。
カカシは、手を後ろに組んだまま。何を言い出したのかと、眉を顰めこっちを見ていた。
「いえ」
イルカは視線を火影に戻す。
「別に、庇っているわけではありません」
火影は困ったように眉を寄せた。
「お前が認めないと話が進まんのだ」
「でしたら、それでいいのかと」
イルカは黒い目でしっかりと火影を見つめる。
「では、この報告書はどう説明する」
火影が手に持っていた書類をイルカへ向け机に置いた。
「その報告によれば、今回お前が倒れた際に身体を確認しただけでも、様々な痕跡が、」
ーー痕跡。調べたのか。
イルカは眉根を寄せた。
心配していた同僚の顔が思い浮かぶ。
あの同僚は。俺があの建物に出入りしているのを見かけていたのだ。ーーきっとカカシの姿も。
誤魔化しようがない事実に違いないはずなのに。イルカは首を横に振った。
「....そりゃすれば痕くらい残ります」
驚き目を見開く火影にイルカは続ける。
「これ以上何も報告する事はありませんので」
失礼します。
イルカは深々と頭を火影に下げ、そのまま執務室を出た。




俺はきっと馬鹿だ。


あの最悪なきっかけから、悪夢のような日が続いていたのに。
建物から出たイルカは歩いていた足を止めた。
虚ろな目で地面をぼんやりと見つめる。
頭がおかしくなってしまったんだろうか。
ああ、みんなそんな顔で俺を見てたな。
火影様も、側近の暗部もそうだったろうし。ーーそしてカカシも。
あの今まで感じたことがない空気を思い出し。
イルカはクスリと笑いを零した。
ーーあのカカシの顔。
痕くらい残ると火影に言い切った時の、カカシの顔が。

驚きに目を点にして。

いつもいつも。つまらなさそうな顔しかしないあのカカシが。

あんな顔、初めて見た。
思い出しただけで笑いが漏れるが。ひどく乾いた笑いだと自分でも思った。

鳩が豆鉄砲食らったようなカカシの顔。

笑えるが。

そんな顔見たさに、あんな事を言ったわけではないのに。

あの場で、そうですと。たった一言言えば良かったはずなのに。

「…何やってんだよ俺は…」
うつむいたまま呟き、イルカは顔を上げ雲一つない真っ青な青空へ目を向けた。


カカシは。
あれから姿を見せなくなった。
あのカカシの事だから、懲りずにまた顔を出してくるのかとばかり思ったが。
今回ばかりは火影が絡んだからだろうか。
それとも保身の為か。
しょせんカカシも血の通った普通の人間だったって事か。
(馬鹿らしい)
イルカは頭を振り。そこから仕事を淡々とこなした。
今回の件の話はにも職場には知れ渡っており、イルカが否定した事も当然噂にもなっていた。
イルカを気遣ってか。それは腫物には触りたくないのかなのかは知らないが。明らか様な冷ややかな噂話は、聞こえてこなかった。
沈黙を守り、そして忘れようとするイルカの心はどんより沈んでいた。
別にカカシの為に否定したわけではない。
もちろん自分の為であるわがない。
だから皆不思議がるが。それは、自分でも説明がつかないのが事実だった。
カカシの事は多少気になったが。
その後あの男がどうなったかどうかなんて、知ったことではないと、イルカは考えないようにした。


「あれ、カカシ...じゃねえ?」
その声が聞こえてきたのはアカデミーの飲み仲間と店に入ってしばらくした時だった。
いつもの居酒屋は貸切だった為、少し遠いけど美味いと聞いた店へ足を運んで。
フロアが見渡せる奥の和室で飲んでいた。
学期末が終わると定期的に開いている飲み会。本当はそんな気分じゃなかった。でも周りにそう思わせて気を使われるのも嫌で。
イルカは参加して、隅でちびちび酒を飲んでいた。
カカシと名前が出た時、聞き間違えかと思った。
思わず口に出してしまった飲み仲間の一人は、誤魔化したいのか笑ってビールを飲み始めたが。
イルカはフロアへ目を向けた。
フロアの隅で立て肘ついて一人飲んでいる男。
銀色の髪。
忘れる訳がない。
ああ、本当にいる。
イルカはグラスを傾けながら、感心したように思った。
酒を飲んでいる所なんて初めて見た。
(...まあ、いつも会ってもベットで組み敷かれるだけだったから当たり前か)
一人そう思いながらカカシを見つめた。
冷静にしながらも。
イルカの心音はトントンと小刻みに鳴り始め。
堪らず眉を寄せながら瞼を伏せていた。
胡坐をかいて、その上に置いていた手でぐっと拳を作り、その高鳴る心音に耐えた。
そこから、またイルカはゆっくり視線をカカシに向ける。
そして。すぐに分かる。
あのいつものようなカカシの表情ではななかった。酒を飲んでいるからなのは間違いないだろうが。
顔色が悪く。美味そうに酒を飲む客しかいないフロアで、カカシは一人浮いているみたいだった。
酒が弱いのか。悪酔いしているようにも、見える。
それに。
(ーー痩せた?)
今まで毎日のように顔を合わせていたからか。傍目からでもわかるカカシの変化に、目が離せなくなっている自分がいた。
周りは当たり前のようにちらちらイルカの様子を気にしているのが分かるが。
それどころではなかった。
「....イルカ?」
同僚から声がかかる。
その声は聞こえてはいるが。イルカは視線をカカシから外さなかった。
グラスをテーブルに置くと、立ち上がる。
「おい、ちょっと、待てって」
突然動いたイルカに驚き、仲間の一人が止めようとするが。それもイルカは聞こえていないかのように無視をし、和室から出ると靴を履き、フロアへ足を向ける。
一体イルカが何をするのか。
向かう先は分かっていた。だからこそもう仲間から止めるような声は聞こえなかった。


フロアの隅でぼんやり酒を飲みながら座っていたカカシがイルカに気が付いたのは、テーブルの前まで来た時だった。
人影に怪訝そうに視線を上げ、イルカの顔を見て一瞬驚いたように目を開く。
目の前くるまで気が付かなかった不覚さからか。
眉根をぐっと寄せると、そこから立て肘をつき額を片手で支えたまま、見たくないと言うかのように顔を伏せた。
イルカは平然とその銀色の髪を見下ろしながら口を開く。
「...そこまで酒を飲めないんでしょう。なのにそんな飲み方してると、明日に影響出ますよ」
そう口にしたイルカに、カカシの身体がピクリと動く。ゆっくりと怪訝そうなままの顔を上げ、カカシがぼそりと口を開いた。
「なんなの...」
嫌そうな口調。イルカはその姿も平然と見下ろし、答えないでいると、不愉快と言わんばかりにカカシの眉間に皺がよる。
「アンタはさあ...俺の事嫌いなんでしょ」
ため息交じりに呟き、カカシはそこまで飲んでいない冷酒の瓶に目を落とし、そこから恨めしそうな目をイルカに向けた。
「...あんな事爺の前で言ってさあ。やりいくんだよ。も~、すっげやりにくい。あんたのせいで誰ともそんな気になんないしさ。...何?黙ってないで何か言ったら?...ホントにさ。一人でイイコちゃんになっちゃって。会った時からずっとそうだよね、」
ぼそぼそと、怠そうに。嫌そうに。
そこから少しだけカカシの声が大きくなった。
「お前のせいだとかさ。馬鹿野郎とか。なーんの恨み言の一つも出ないわけ?」
「分かりました」
イルカが答えた言葉に、カカシが、え、と拍子抜けした声と共に聞き返したのと同時だった。
座ったままのカカシめがけて、イルカの振りかぶった拳がカカシに向けられ。
ぶつかる音とともに、カカシが壁に吹っ飛んだ。
周囲の客から、驚きと悲鳴のような声が聞こえる。
ざわめく店内の中、殴られ床に座り込む形になったカカシが驚いた顔でイルカを見上げるが。
右手をお腹に抱えるように顔を伏せたイルカの顔は、カカシから見えない。
「....ってえ~....」
そう言ったのはイルカだった。
殴ったその右手を左手で摩りながら顔を上げ。
(...ああ、またこの顔)
カカシが。あの写輪眼のカカシが。自分に殴られ。
驚きに放心状態のような、そんなカカシの顔が可笑しくて。
「......っ、ははっ」
イルカは吹き出した。
一頻り笑い、イルカは笑顔を消すとカカシへ視線を向ける。まだ眉を顰めたままのカカシをじっと見つめた。
「あんたなんか大嫌いだ」
そう言い放つイルカに、カカシの目が見開く。
イルカはそのまま背を向けて和室に戻ろうとして、その手をカカシに掴まれた。
振り返れば少し困った表情を浮かべている。
「何ですか」
冷たい口調のイルカに、カカシはぐっと眉を寄せた。
「だったら...だったら何であんな事言ったの」
当然の事をカカシは口にした。
「あの爺の前で、何であんなでたらめなんか」
「でたらめ?」
「そう。嘘でしょ。俺から解放されるには、絶好のチャンスだった。なのに、何であんたはあんな嘘をつく必要があったわけ?」
「...絶好のチャンス」
改めてカカシから言われ。イルカは可笑しくなった。
笑いながら、掴まれていた腕を振り払った。
「チャンス....そうですね。確かにその通りですよね」
黒い真っ直ぐな瞳がカカシをしっかりと捉える。
「あなたは最低な人間で、俺は最初からずっと、大嫌いでした。絶対許してやるつもりはなかった。絶対に」
言い切るイルカを前に、カカシの眉がぴくりと動いた。何かイルカに言い返そうと思ったのか、口を開いたのが分かったが。何も返ってこない。
思った以上に、イルカの言葉に動揺をしている。それがよく伝わってきたが。
でも、そんな事はどうでもよかった。
「でも、一番許せないのはそこじゃない」
「....え?」
何も分かっていないと、イルカの言葉に怪訝そうな顔をするカカシをイルカはじっと見つめる。
「あんた、ちゃんと話せるじゃねえか」
「....え?」
「え?じゃないんですよ。最初に会ってからずっと。あなたは外国人みたいに片言の言葉しか俺に話さなかった。俺が何を言っても。何を聞いても、馬鹿みたいに短い言葉だけ投げてきやがって...」
ぎり、とイルカは唇を噛んでカカシを睨む。
「ちゃんと俺と向き合え!話せ!セックスだけじゃなにもわかんねえんだよ!わかんないまま終わらせるな!」
カカシはぽかんとしたまま、イルカを見つめていた。
呆けたまま、イルカの顔を見つめ。
「....俺の事許せるの?」
「まさか」
イルカは一笑に付した。
許せるわけがない。あんな事。
でも。
カカシと過ごした時間の中で、その時々に見せる表情がどうしてもイルカの心に残っていた。
恨むべき相手なのに。
情が湧いていたのも事実。
それに加えあの自分に対する言葉使い。
ただ素っ気ない、ぶっきらぼうだと。それだけでいいのに。
同じ時間を過ごすうちに、ーー迂闊にもこの男を知りたいと。それに加え、久しぶりに見たカカシの顔がやつれてるのを見たら。放っておけないと。そう思ってしまったのだ。
そんなイルカの気持ちを知るわけでもなく、眉を寄せるカカシに、イルカが一歩近づく。
触れるくらいに顔を寄せ、イルカはじっとカカシの目を見る。
「また同じ事繰り返したら、今度こそ。間違いなく火影様に突き出すからな」
「....はい」
イルカの迫力に押され思わず出たカカシの言葉に、イルカは満足そうに微笑んだ。




カカシとの最初が、強姦なんて言う最悪な出会いだったけれど。
それでも向かい合おうとした俺は、出来た人間だと自分でも思う。
身体だけの関係だったとは言え。1年近く顔を合わせていたのに。カカシが人間らしい感情を初めて見せたのは、火影に尋問されたあの日だった。

これを機に、自分が今まで受けてきた屈辱を、これでもかと言うくらいに説教してやろうと思っていたのに。
無口男に。ごめんなさいと、謝らせようと。
そう思っていたのに。

仕事を終え帰路に着き。玄関の鍵を開けようとして。
既に開いている。
イルカは深いため息を吐き出した。
玄関を開ける。
イルカの部屋は狭い。安アパートは玄関から部屋を見渡せるのだが。
その居間と言うべきそのスペースに、カカシがごろりと身体を横たえ、くつろいでいた。
愛読書をぺらりとめくったカカシは、イルカへ顔を上げた。
「待ちくたびれましたよ」
その第一声にイルカの顔が引き攣る。
「....あの。俺...あなたに合い鍵なんて渡してないはずですけど」
「ああ...ま、でも鍵は壊れてないでしょ」
しらっと言われた言葉に、そうだけども、とその言葉を辛うじて飲み込んだ。
「......何度も言ってますが。勝手に忍び込むのはやめてください」
「忍び込むなんてぶっそうな言い方しないでくださいよ。俺ちゃんと玄関から入ってきてますよ」
「そうじゃなくって....もういいです」
このやりとりを何度したことか。
イルカは一日仕事をして疲れた身体がさらに疲労感に襲われた気がして、またため息が漏れる。
「ねえ、そんな事より今日の夕飯なんですか?俺お腹すいちゃって。味噌汁には茄子を入れてください」
誰だっけこの男を無口何て言ったのは。
(...俺だよ、俺)
むなしいのりつっこみを心の中で呟いた。
向き合って欲しいとは言ったが。
何かが違う。
相手の変貌ぶりにほぼほぼついていけていないのが、現状だ。
自分は勝手に、この男は無口で、表現下手で、愛想ない男だと。
少し生徒と重ねて見つめようと思っていた。
が。
何を勘違いしてるのか。
この男、カカシは暇さえあれば自分のところに顔を出し。コミュニケーションをとろうとしてくる。
そして、こっちが引くくらいのアプローチを、してきた。
順番が違うと非難したら、それは最初からでしょと平然と言われたら。何も言い返せなかった。
それに。このカカシのアプローチに屈しない人間がいたら見てみたいくらいだ。
まあ、ようは。半分屈してしまっているのだけれど。
傍から見れば、立派な恋人のようになってしまっている。まだ俺は認めていないが。
この周知の事実のようになりつつある事を耳にした、火影の苦虫を噛み潰したような顔は今でも忘れられない。
イルカは諦めた気持ちで鞄をどさりと置く。
その中をちらと覗いたカカシは少しムっとした顔をした。
「あ、また仕事家に持ち帰ってきたんですか」
「もうすぐテストが近いですから」
ベストを脱ぎ、そう答えながらキッチンに向かったイルカの後をカカシがついてくる。
「何ですか。俺今からご飯作りますから」
「その前にかまってください」
でた。
イルカは怪訝に眉を顰めた。
「飯を作れと言ったのはどこの誰ですかね」
「俺です。でも気が変わりました。そっちの空腹もありますが、俺が空腹なのはイルカ先生の愛情です」
「.....はは」
「冗談なんて言ってませんけど?」
思わず笑ったイルカを真顔で訂正するカカシは、冷蔵庫を開けようとしているイルカの腕を掴んだ。
「俺にちゃんと向き合うって言ったのは、イルカ先生、あんただよ?」
愛おしそうにイルカの手の甲にキスを落とし、そのまま上目遣いでイルカへ視線を向ける。
顔が整っているのも、卑怯だと。最近知った。
甘えるような。色のこもったカカシの目に、イルカの身体が素直に反応し、背中がぶるりと震えた。
「だから俺を愛で満たして?」
だめだと思うのに。
カカシの愛撫を覚えた身体はもう抵抗をする事が出来ない。
これから始まる長い夜に。
嫌だと、最後の抵抗をすべく開いた口は直ぐに塞がれた。
年下の恋人の唇によって。

<終>
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