年を越したら



西の森を抜ける。町は静かに闇に包まれ亥の刻半ばを過ぎようとしているが、まだ家灯りはいつもより多く、ポツポツと街をほのかに彩っていた。里に入る前に降り出した雪は止んだが、濡らしていた服をさらに冷たくさせた。
表通りも人通りはないが、敢えて裏通りに降り立つ。道脇には白く溶けきらない雪が草の上に広がる。そこからゆっくりと歩き始めた。
月を見ながらぼんやり今の時刻を改めて認識する。空に向かって上げた口布から白い息があがり、塵のように消える。
寒いから、きっとあの人はーー。
コタツ、ミカン、そして半纏。
カカシは頭に浮かぶものを心で呟く。
あと何だろ。
餅。雑煮を食べるかな。おせちは流石にないだろう。味はあっさりした鰹出汁かな。野菜は多めだろうな。
ふふ、と今度は笑いが勝手に溢れる。
最近自分の中でくせになってしまった。

気になる人が出来た。

たまたま会ったら少しだけ会話をするだけの人。それだけでも十分な関係だと思ってたのに。
少しずつ、少しずつ。自分の中に欲が出てくるのは時間の問題だった。
だから、最近会いたくなったらその人を思い浮かべる。そして、想像する。
一緒に話してるつもり。
話して、お互いに笑ってるつもり。
お昼をアカデミーで一緒に食べるつもり。
あの人は麺類が好き。だから、俺も麺類を食べる。美味しいですね、と微笑みあう、つもり。
だから、夕飯は大好きな一楽のラーメンに一緒に行って、また美味しそうに食べて。いつも定番のラーメンだけだから、俺はラーメンのトッピングと餃子を奢ってあげる。
子供みたいに、目の下に皺を作って嬉しそうに笑ってくれる、つもり。
帰り道、手を繋いでーー、それ以上は考えない。だってそしたら止まらなくなる。気がついたら裸に剥いて全てを堪能してしまうから。
流石に虚しさが勝り、あの人の顔を見れなくなったら困る。
ポケットからゴソゴソと報告書を取り出した。任務が終わってすぐ書いたからあとは出すだけ。自分の書いた日付けに目を落とした。
24時間報告は受け付けるが、年に一度。流石にこの日だけは人払いされ投函箱だけになる。
ーーあと少ししたら年が明ける。
自分にとっては一年のどの日とも変わらないただの一日だが。正月またぎのキツイ任務。誰も好んで受けないからか、自分に回ってきた。ただ、跨ぐはずが早めに片付いてしまった。再び報告書をポケットに仕舞う。
神社から離れたこの道は今は誰も通る事がない。報告書を投函した帰りに神社にでも立寄ろうか。
あの人は初詣はいつ、誰と行くのだろう。今自分、コタツに入ってテレビを見てるか、年越し蕎麦を食べてるかもしれない。だって、あの人はその年その年の行事を大切にしている。
今年の2月、受付であの人が話しているのを耳にする機会があった。報告所は忍びとして聞き耳立てるまでもない狭いスペース。部屋の隅にある椅子に座って上忍仲間と話をしていたが、片耳だけはチャンネルはイルカに合わせていた。
節分だから、歳の数だけ豆を食べるんだ。そう言ったイルカに、今時いい歳した大人はやらないと、隣の中忍は笑っていたが。教え子に説いた事を自分がやらないなんて間違ってるだろう。と、あの人のいかにも先生らしい主張と張りがある声に胸がむずむずとした。男に思うのはよこしまな考えかとも思うが。
可愛いと思った。

ひっそりとしたその静寂と澄んだ空気の中、足音なく歩き続け、目的の建物を目指す。アカデミーの建物内にある報告所。誰もいるはずがないと。何も考え無しに部屋に入った所で、薄暗い室内灯の中にある気配に足を止めた。
見覚えのある黒髪の尻尾が視界に入っただけで、見間違いではないかと、目を見張って思わず右目を眇めた。
自分の想像では、この人は今は自宅で半纏を着て、みかんを食べて、ーー。
だが、目の前には、いつも目にしている支給服をきちんと着込んでいる姿。額当ても髪型も、いつも通りで。ただ違うとすれば室内だがマフラーをしているくらいだ。無人になっている報告所は暖房を切られている為に、外と同じ位の体感温度で、キンと冷えきっているからだろう。
「あ、カカシさん」
ぼんやりその後ろ姿を眺めていて、だだ漏れさせていた気配に振り返ったイルカは、黒い目の中に自分を映した。
「任務、お疲れ様でした」
丁寧で、心がこもっていると分かるイルカの声。漸くカカシの心臓が軽やかにとくとくと走り始めた。
「なんでいるの?」
カカシから出たセリフにイルカは一瞬だけ目を丸くして、だがすぐ目元を緩ませ指で側頭部を掻いた。
「どうしてもやりたい事があって」
イルカが向けた視線の先にあるのは鏡餅と乗せられたみかん。その近くの壁には力強く綺麗なイルカの字。
明けましておめでとうございます
任務お疲れ様でした
と毛筆で書かれていた。
「やっぱり何もないって寂しいですし、カカシさんのように年末年始関係なく任務に行かれているのに、迎えるのが投函箱だけなんて、と思ったら居ても立っても居られなくなってしまって」
苦笑いしたイルカはその自分で書いただろう張り紙を見て、満足気に目を細めさせた。黒い目に輝きが暖かく増したのが分かった。
目が離せない。
「……そう、ですか」
そう言うのが精一杯だった。
イルカが迎えたい中に、自分が含めらていると思ったら、恥ずかしさに似た感情がカカシを包んだ。
「報告書、受け取ります」
未だ入り口近くで動かないカカシに近づいて片手を差し出された。
イルカの掌を見つめながらポケットに仕舞っていた報告書を取り出し、そっとその掌に置いた。
畳まれていたそれをイルカは直ぐに広げて目を通す。その目は真面目に、しっかりと、いつもの目で報告書を隅々まで確認して、やがてカカシへ視線を上げた。
「はい、確かに。受け取りました」
お疲れ様でした。
再び告げられた労いの言葉とイルカの黒い瞳は、ただただカカシを惚けさせた。
数秒遅れで、カカシはイルカの言葉を素直に受け止める為に頷いた。
イルカはくるりと背を向け受付のテーブルに向かう。ペン立てからペンを取り出すと、上半身を少し屈ませ、カカシが渡した報告書に書き込みを加えている。
イルカのそんな姿勢をぼんやりと眺めていた。
あと少し、あと少ししたら年が明ける。だが、報告書を手渡したのだからもう用はないと悟る。きっとイルカもこんな場所で年を越そうなどとは思ってはいないだろう。イルカの後ろ姿を、名残惜しそうに視線から外した。
両手をポケットに入れる。
「じゃあ、お願いします」
背中に声かけ足を一歩、扉へと向けた。
「カカシさん」
足を止めイルカを見た。イルカはまだ背を向けたままペンを走らせていたが、それを止め顔だけをカカシに向けた。
「今日はもう家に帰られるだけですか?」
「……はあ、まあ」
歯切れの悪い返答にイルカは一度報告書に顔を戻す。
一呼吸置いて、今度は身体ごとカカシへ振り返った。
「どうですか、良かったら一緒に初詣行きませんか?」
「………え?」
言葉の意味は勿論理解出来るが、この状況下ではカカシを混乱させた。
「あ、誰かと行く予定ありましたか?」
カカシは声を出す前に首を動かした。横に振る。
「ないです」
「でしたら、もう年も明けますし、1人で行こうと思っていたんですが、」
照れ笑いのような、歯を見せてカカシを窺った。
「でも、…いいの?俺なんかと年越して、しかも、初詣なんて」
自分の作り上げたイメージのイルカの中に、本当の自分が入り込む想像まではしていなかった。動揺ばかり前のめりに現れ、それは口に出る。
カカシの台詞に首を傾げた後、イルカは手を口に当てふふと笑った。
「何言ってるんですか。年なんてどこにいても越すんですよ?」
なんて可愛い顔を見せるのか。
口には出せない気持ちを抑えるように、口布の下で歯をくいしばる。
「カカシさん」
「はい」
「行きましょうか、初詣」
「……っ、はい」
促すようにして、入り口に向かったイルカに慌ててカカシは駆け寄り後に続く。
建物から出たらまた雪が降り出していた。
「どうりで寒い筈ですね」
口を開くイルカの息が白く変わる。
イルカは子どものようにあどけなく、雪のような無垢な目を空に向けていた。
年を越すまであと少し。
年を越したら、何か変わるだろうか。
淡い気持ちに期待を寄せて、カカシは並んで歩く隣のイルカを密かに見つめた。

白い頬を薄く染めているカカシを見て、イルカが同じく頬を赤らめ緩めるように微笑んだのを、カカシは知らない。