繕う

「イルカ」
 声をかけられたのは受付前の廊下で。ちょうど書類渡したかった相手に会いそれを渡し、挨拶をして背を向けた時だった。
 はい、と返事をしてイルカは振り返る。建物内禁煙だと分かっているからか、火をつけていない煙草を口に挟んだままのアスマが、呼び止めたはずなのに、あー、と口ごもりながらポケットに入れていた方の手を出す。後頭部を掻いた。
「お前、頑固だもんなあ」
 言いたいことを口にせず、そんな言葉だけを口にしてアスマは立ち去る。その広い背中を見つめた後、イルカもまた書類を持ち黙って廊下を歩き出した。
 頑固。
 それは自分でもよく分かっていた。
 誰かに言われるまでもなく、自分は頑固だ。それは三代目がよく言っていた通り、きっと母親譲りで。よく言われるものの、短所だとは思っていない。
 ーーだけど。
 アスマの言いたい事はよく分かっていた。今回ばかりは頑固だから頑なにそうしたわけではないと。要は、頑固者を演じた。
 イルカは、廊下を歩きながら重苦しい気持ちに思わず息を吐き出す。アスマの何とも言えない表情と、頑固だと、敢えてそんな言葉で自分の気持ちを汲んでくれたアスマの台詞に、イルカは眉根を寄せた。
 カカシと別れると選択した事は、間違っていないんだと。
 それが伝わり否応なしにどうしようもないコントロール出来ない感情に襲われそうになり、イルカはぐっと口を結んだ。奥歯を強く噛みながら抱える書類の手に力を入れる。
(・・・・・・だってしょうがないじゃないか)
 誰もいない廊下の陰で、苦しそうに眉間に深い皺を寄せた。

 カカシとつき合うと決めた時、色々覚悟をしていたし、自分なりに考えた決断だった。
 でも。綱手の仕事を手伝う事が増え、毎月行われる重役の会議が終わり、その片づけを手伝っていた際。別れろとはっきりとは言わずとも、そうあるべきなんだと。愚痴をすれ違いざまに年寄り連中に言われてから。それが喉に刺さった小骨の様に自分の心の中でずっとひっかかり、取れる事がなく。嫌味を言われたと言うことよりも、この木の葉を築き上げた人間の、カカシの行く末を心配し気にかけたからこその言葉なんだと痛感をした。
 だから、頑固に、頑なに気にしないフリも出来たけど、それに従うしかないと自分に言い聞かせた。

 カカシと別れてから半年、ーーあれからろくに顔も合わせていない。
 元々カカシが上忍師をお役御免になってからは繋がりも減っていた。それに、自分も受付に入る代わりに綱手の頼まれる仕事をしているから、尚更で。
 どんな生活をしているのかも分からない。
 あんだけずっと一緒にいたのに。
 別れた途端これで、こんなもんなんだなあとイルカはぼんやり思った。
 でも、それが今の自分に必要なんだと分かっている。もし今カカシと顔を合わせたら、互いにもういい大人なのだから、何事もなかったように接しなければいけないが、そう出来るか自信がない。
(本当、・・・・・・情けないよなあ)
 イルカは少し肩を落とし自嘲気味に内心薄く笑いながら、執務室に戻った。
 

 カカシが大怪我を負ったと聞いたのはその一週間後のことだった。
 たまたま受付に用事があり顔を出した時、そういえば大変だったよな、と同僚に言われ、最初何のことを言っているのか分からなかった。きょとんとしている自分に、同僚がカカシが任務で怪我を負った事を聞かされ、途中から、その説明が耳に入らなくなっていた。
 血の気が引いた。
 どういう状況なのかは同僚が詳しく知っているわけがないし、今どうしているのかも、聞きたいけど怖くて聞きたくない。
 何事もなかったように仕事に戻っても、仕事が手につくわけがなかった。病院で入院しているのならどの程度の怪我なのか、見に行こうと思うが、どの面下げて行くんだと、自分で打ち消す。
 知っているだろう上忍は、自分たちの状況を知らないわけがなく。そんな人達に聞けっこない。
 その日仕事を何とか終わらせたイルカは決意して病院に向かった。
 顔を見なくとも、受付か担当している看護婦にどんな具合なのか聞くだけ。そう決めて病院に向かい、そこで返ってきた言葉に、イルカは拍子抜けした。
 入院するべき日数があるのにも関わらず、勝手に帰ってしまったのだという。
 昔から、カカシはそうだった。わき腹に深い傷を作ってきた時も、病院に行くべきだと言う自分の言葉を頑として受け付けず、自分で縫おうとするから、それに折れて自分が下手くそながらも処理を手伝った。
 幼い頃から戦忍だったカカシにはそれが慣れっこなのかもしれないが、怪我に無頓着なところがひどく胸が痛んだ。

 イルカは病院を出て、自分の家に帰るべく歩いていたが、足を止める。しばらくぼんやりと夕日が落ち暗くなった道をぼんやりと眺め、その視線をやがて元に戻す。そこから向きを変えるとイルカは再び歩き出した。

 どんな顔して会えばいいのか。
 別れてからあんなに悩んでいたのに。
 ドアを開けたカカシは、一瞬驚いた顔をした後、イルカを見て眉を下げ微笑んだ。
 緊張気味に見つめ、あの、と言い掛けたイルカに、カカシはイルカ先生、と名前を嬉しそうに呼ぶ。途端に胸が締め付けられ、イルカは眉を寄せた。
 入って、と言われ、自然な仕草に、丸で何もなかったかのように錯覚するが、実際部屋に入ったのは久しぶりで、カカシの見える手や腕は包帯で巻かれていて、何もかも終わっていて違うんだと一瞬で思い知らされる。息が詰まりそうな感覚を覚えながら、イルカは部屋に上がった。
 
 様子を見に来ただけなので、いいですから。と頑なに言ってもカカシは聞かず、煎れたお茶をイルカの座っている前に置く。
 イルカは困ったと顔を顰めながらも、そのテーブルの前に正座をして座った。カカシはとなりのソファに腰掛ける。
 自分で判断して、ここにきたくせに。何を言ったらいいのか分からず黙って座っているイルカをカカシはじっとソファから見つめていた。
 その耐え難い沈黙に、イルカは、あのっ、と声を出した。思ったより大きい声に、自分でも内心驚き、えっと、と声のトーンと落として言い直す。カカシへ視線を向けた。
 カカシは怪我のせいか、ゆったりと身体を沈めるように座り、こっちを見ていた。カカシと視線が交わったのは数秒なのに、それに耐えきれず、イルカは斜め下に視線を落とした。もう一度、口を開く。
「あの、怪我は・・・・・・大丈夫ですか」
 聞きたかった事をようやく口にしたイルカに、カカシはそこで初めて自分が怪我をしているんだと気がついたかのように、包帯に巻かれた腕や腹に目を落とした。そしてにこりと笑う。
「うん、思ったより派手にやられちゃったけど、平気ですよ」
 丸でかすり傷かのようなあっけらかんとした口調に、イルカの胸が痛んだ。入院が何日も必要だって言っているのに、何で勝手に帰ってきたんだと、口からついて出そうになる。イルカはそこで口を結んだ。
 だって、もう、自分が怒る筋合いはない。
 別れてから初めて会ってする会話がこれだと言うのもなんだか可笑しくも感じる。
 じゃあ、何て言えばいいのか。次の言葉を探すイルカに、今度はカカシが口を開いた。
「ありがとね」
 そう言われ、イルカは顔を上げた。カカシがイルカを見つめ、そして目元を和らげる。
「怪我が心配で来てくれたんでしょ」
 カカシはいつも、昔からそうだ。はっきりと言われたらどう答えたらいいのか分からなくなる。イルカは困った顔を浮かべたまま、はい、と素直に頷けば、カカシは続ける。
「治りますよ」
「・・・・・・え?」
 聞き返すと、カカシはまた優しげに微笑み、眉を下げた。
「この程度の傷だったら、流石に直ぐとはいかないけど、放っておけば、治るから」
 らしい言葉に、イルカは返す言葉に困る。でもね、とカカシはまた口にした。
「この怪我と同じように、心の傷も放っておけば治ればいいのになあって」
 心の傷
 イルカは言葉を失っていた。ただ、じくじくと心が痛い。今まで抑えてきたものがあふれ出しそうで、それを不意にカカシに開けられてしまった感覚に、どうすればいいのか、ただ、じっとカカシを見つめるしかなかった。こんなに胸が痛いのに。カカシはまた笑顔を浮かべる。
「治ったらいいのにね」
「カカシ先生・・・・・・」
 そう言われて、思わず口を開くイルカに、カカシは小さく笑う。
 「いつかは治るんだよね?」
 聞かれ、またイルカは、え?と聞き返していた。これ、とカカシは包帯を巻いた腕でもなく、腹でもなく、自分の胸を押さえるように触れる。
 丸で子供が経験した事がない事を母親に聞くかのように、カカシはイルカに問う。そして薄い微笑みを浮かべた。
 限界だった。
 カカシと会えないだけで息が詰まって窒息しそうなくらい苦しいのに、これが、いつか苦しくなくるなんて、到底思えなかった。そしてカカシもまた同じように苦しんでいて。なのに自分は。
(・・・・・・何やってんだ、俺は)
 歯を食いしばっていたものがあっけなく、ぷつりと切れる。
 イルカは立ち上がり、カカシが座っているソファまで歩み寄った。潤んだ黒い目で、見下ろし苦しそうに顔を歪めるイルカに、カカシが不思議そうな顔をした。
 理不尽な理由だったのに、全て受け入れて。
 何も責めないで。
 何も言わないから、そこまでじゃないと思いこんでいたのに。
 自分と同じように心が痛いと、そう口にしたのを聞いたら。我慢出来なくなっていた。
「俺は・・・・・・」
 涙を浮かべたまま、カカシを見下ろしイルカは口を開いた。
「やっぱり、カカシさんを手放したくない」
 吐き出した本音にカカシの目が僅かに見開いた。ぽかんとした顔をする。
「あの、」
「勝手なのは分かってます」
 状況を把握しているのに、していないのか、カカシが戸惑っているのがイルカにも伝わった。そして、じっと見つめるカカシの顔も泣きそうで、

「・・・・・・いいの?」

 責めればいいのに。
 カカシがもう全てを許しているかのような言葉に、泣きたくなった。
 泣きたくなったが、見せたくなくて、イルカはぐっと奥歯に力を入れ、眉根を寄せる。ソファに座っているカカシに跨がった。え、と驚くカカシの太股の上に乗れば、カカシが驚きに身体をずらし、追うようにイルカは顔を近づけた。気がつけば押し倒すような形になっていた。イルカはまだ驚いた顔でイルカを見上げている。
 そんなカカシをイルカはじっと見つめ返した。
「・・・・・・好きです」
イルカの言葉にカカシは一瞬目を見開いた。そして直ぐにその目元が緩む。
嬉しそうにふわりと笑うカカシを見たら、目の奥が熱くなった。涙を堪えるようにぐっと口を結ぶと、カカシが包帯を巻いた手を伸ばしイルカを引き寄せる。泣きそうなイルカを覗き込むカカシが優しく覗き込む。
 イルカは顔を近づけると、そのまま愛おしくて堪らなかったカカシの唇に、自分の唇を重ねた。

<終>
 
 
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