うどん

書類を抱えて歩くイルカを見かけたのは午後の事だった。
昼飯を食おうと誘ったキバにフられて、仕方なく一人ラーメン屋に向かっていた途中だった。
声をかけようと手を挙げたが、一瞬躊躇った。
イルカは忙しそうだ。
アカデミーの教員を勤めていた頃も、他の業務を兼任して忙しそうにはしていたが。今のイルカはそれ以上に忙しそうだ。
天職と自分で言っていた教員を離れて、執務室で火影の補佐を始めたと聞いたのは先月。自分の上忍師だったカカシが6代目火影に就任してすぐの事だ。詰め所で詰めて任務をこなす自分とは違う忙しさに、イルカは毎日忙殺されているようにも見える。
(うーん、どうすっかな)
少し離れた場所でイルカを眺めながら上げた手を引っ込めようとした時に、イルカが自分に気が付いた。上げたままの手を軽く振れば、イルカは白い歯を見せた。
「なんだ、昼飯か」
向かう先がラーメン屋だと見抜かれて、その方向へ顔を向けられナルトは金色の頭を掻いた。
「まあね。な、先生飯は?よかったらさ、一緒に食べようぜ」
その台詞に、あー、と思案顔を見せられ、やっぱ無理か、と悟れば、イルカは漂わせた黒い目をナルトに向けた。
「じゃあ、久しぶりに行くか」
まさかの頷きに、ナルトの心が一気に弾む。それが顔に出てしまったのか、イルカは目を細めて嬉しそうにナルトを見つめた。

久しぶりにイルカとの昼飯に、心浮かれていた。足取りも軽い。最近の任務の事を話そうか、アカデミーの生徒に色々教えてる事も話してもいい。何を話してもイルカはきっと喜んで聞いてくれる。
の、はずだったのに。
「でな、俺は思うんだよ」
イルカはラーメンを食べながら、思案するように眉を寄せる。
「綱手様のようにもう少し手を抜くところは抜いてもいいって」
店に入って席に座り直ぐに、最近のカカシ先生はどうなんだってばよ、と聞いたのが間違いだった。
そこからイルカはずっと、カカシの多忙さを話し始めた。
今までイルカが自分に愚痴を話すことがなかっただけに、内心驚くと同時に、話し相手として見てくれているという嬉しさがこみ上げる。ナルトはイルカの話に耳を傾ける事にした。
「あの椅子がなあ」
思わぬ話の展開に、ナルトはスープを飲んでいたどんぶりを置いて、呟いたイルカに顔を向けた。
「椅子?椅子がなんだよ」
「いやな、あの執務室にある椅子なんだがな。ナルト、お前はあれどう思う?」
首を右に傾げた。さっぱり意味が分からない。
「椅子って...カカシ先生が座ってる椅子の事言ってるのか?」
あの背もたれがでっけーの。と、手で表現すれば、イルカは頷く。
「そう、それだ。ずーっと長時間座ってるのに、身体が痛くなるんじゃないのかと思ってな。だって、あれは3代目から使ってる年季ものだろう。作りは良くても最近きいきい音が出るし、クッション性もないように見えるし」
腕組みして唸るイルカに、ナルトも一緒になって腕組みをし、その椅子を思い浮かべてみる。
3代目には、あの部屋ではよく叱られた事しか記憶しかないからか、おぼろげだが、綱手も座ってたのは覚えている。あの背もたれに身体を預ける度に、大きな胸が揺れていた。あの茶色い椅子。女性だったからか、一回り大きく感じ、使い心地は良さそうだった。
カカシがそれを受け継いで使っているのも知っていた。終戦処理を綱手が概ね終えたものの、それを1年で引き継ぎ、それに加えて里の復興を指揮をしている事も。あの怜悧な頭脳のカカシと言えど、苦労の色は見せずとも、大変なのだろう。側で見ているイルカが心配するのは、確かにもっともな話だ。
ーーでも。
ナルトは組んでいた腕を解いてイルカへ顔を向けた。イルカはまだ、考え込んでいる。何をそこまで考え込む必要があるのか、いまいち分からない。
正直イルカがカカシの補佐に選ばれた事も驚きだった。
前述の通り、イルカにはアカデミーの教員と言う天職から離れるとは思っていなかった。今でもそれは不思議に思っている。
前聞いた時は、俺でも役に立てるんだから、嬉しいよ。なんて、実感を込められた顔を見せられたら、それ以上何も言えなかった。
それに、イルカがいいと思って引き受けたのだ。イルカがそう思うのならそうなのだ、と、すっと胸に入ってきた。
それはそうと。椅子、椅子。
当初の悩みに戻る。
でも。たかが古くさい椅子に何をそんなに悩む事があるのか。正直理解出来ない。恩師であるイルカの悩む顔をじっと見つめて。
閃いた。
「簡単じゃん」
口にすると、ん?とイルカは目線をこちらに向けた。ナルトの答えを待つイルカに、にこと笑った。
「イルカ先生が座ってみたらいいんじゃねえの?」



「ナルト」
「お、サクラちゃん」
サクラが白衣を纏い手を振りながら歩いてきた。手には医学書を抱えている。
「サクラちゃんは今日は病院?」
「まあね。ちなみに、今日はじゃなく、今日も。だから」
今日も、に、アクセントを置かれナルトは、だよな、と、笑う。
「何、ナルト今日は任務じゃないのね」
「うん、今日は待機。だからさ、つまんねえの」
ナルトの返事に、サクラは呆れたような表情を見せた。
それでいいんじゃない。と、ため息をつかれる。そのサクラの眼差しにナルトは微笑んでやり過ごした。
分かっている。自分含め、里の、いや全ての忍びと勝ち取った平和だ。ここにたどり着くまでにどれだけの犠牲を払ってきたのかも、ナルトの胸に深く刻み込まれている。だから、この復興は輝く作業に見えてならない。全てはこの里を担う子供たちの為に、と、そこまで自分で思って、ナルトは小さく一人笑った。結構自分はイルカに似てきてるのかもしれない。
てか、じじくさい?
また笑いを零すと、サクラがナルトをのぞき込んだ。
「なに、気持ち悪いじゃない」
「いやー、別に」
頭の中で思った事を改めて口にする気にはなれず、ナルトは誤魔化すように軽く笑って後頭部に手を当てた。
何なの?と、意味分からないサクラは眉を顰めるが、長いつきあいだ。それ以上何も言わなかった。
「でもさ」
歩きながら呟くと、浅緑色の目がじっとナルトを見た。
「イルカ先生ってば、何やってても誰かを心配してんだよね。心配性って言うの?教師やめてじじむさくなったのかなー」
昼間のイルカを思い出しながらぼんやりと言うと、そーお?と、呑気な声がサクラから返ってきた。
「まあ、あんたみたいなヤツはずっと心配なんじゃない?」
「...まあそーだけどよ。じゃなくてさ。カカシ先生の事をずっと心配しててさ。あのカカシ先生だぜ?前のばあちゃんなら兎も角さ、まだ若いんだからそんな心配しなくたって、なあ」
サクラへ顔を向けたら、静かな眼差しをこっちに向けていた。しばらく無言で視線を向けられ、そーね、と、同意するも。違和感を感じる。ナルトは首を傾げるしかなかった。
「なに、サクラちゃん」
「...まあ、あんたはそっち方面は昔っから愚鈍だったもんね」
「え?うどん?」
そうそう、うどんよ、うどん。と、ため息混じりに言うと、サクラは片手を上げた。
「じゃあね」
そこから足を早められ。後を追えば、肩越しにこっちに視線を向けた。
「なに?ナルトもカカシ先生のところに用があるの?」
言われ、鼻頭を指で掻く。
「まあ、一応。だってイルカ先生が心配なんてしてっから、ってサクラちゃん待ってってばよ」
何故か余計に足を早められ、ナルトは走って後を追った。


執務室前でサクラが足を止めた。その背中を追ったナルトも足を止める。
扉の前に、見知った男が立っていた。
「ヤマトさん」
カカシの直属の護衛に付いているヤマトは、2人の顔を見て、やあ。と、情けない笑顔を浮かべた。いつもなら、見えない場所か、カカシの側にいる事が常だが。
「入っていいんですよね?」
サクラが持ってきた書類を軽く上げれば、渋面を作った。
「うん、まあ。良いんだけど、」
「込み入った事情とかでしたら、出直しますけど」
困った顔しかしないヤマトに、サクラは気を遣った言葉を言っているのだろうが、よく分からないやりとりにナルトは口を尖らせた。
「いいならいいじゃん」
2人の横を通り抜けて、扉を開ける。
視界に入った光景に、ん?とナルトは一瞬眉を寄せる。
目の前にある重厚な机の上に突っ伏しているのは、見間違いようがない。イルカだった。
(...寝てる?)
そう思った通り、イルカは火影の椅子に座って気持ちよさそうに寝ていた。肩には火影のマントが掛けられている。
部屋の隅を見れば、補佐用の小さな机でカカシが書類を縦肘付いて見ていた。開いた扉の先にいる3人に目だけを向け、にこと微笑んだ。
「イルカ先生寝てるから、起こさないでね」
小声で言った。嬉しそうに。
首を傾げたくなる。確かに俺が椅子に座ったら、なんて言ったんだけど。要は、座ってみたら思いのほか心地よかったとか、そんな感じなんだろけど。
ーーだけども。
こそばゆい違和感に、ナルトは只々首が傾く。
そう、こそばゆい。良く考えたら昔からそうだった。何か、こう、目の前で繰り広げられる会話だったり、遠くから見かけた2人だったり、その度に違和感を感じていた。ただ、それを上手く言えないから口にすることもなかったけど。
今回ばかりは、ナルトは口を開いた。

「なあ、この2人って...何か、変じゃねえ?」

漸く思い当たった問いを口にした。
だが、自分の後ろで同じ光景を見ているはずの2人は、押し黙ったまま答えない。
なあ。と、うどんと言われたナルトがひたすらに聞く声だけが、部屋に響いていた。


<終>