呼び出し

受付に入ってすぐお目当ての顔がいない事に、少し落胆する。
今日は受付だったはずなのに。たまたま席を外しているのか。まあ、いないのは仕方ない。
そう思ったのは自分だけじゃなかったらしい。ちぇ、と、後ろで子供らしい不満を口にした部下の頭を、宥めるように軽く一回撫でた。
三人の部下を背後に控えさせながら報告書を提出する。今日はランクの低い任務はそこまでないと知っているから、午後はこのままそれぞれに必要な補習訓練をしようと考えていた。
報告書が確認されるまで待ちながら、視線を感じ、その部屋の奥に視線を向ければ、感じた通り、こっちを見ている火影と目が合った。
認めざるを得なくなった自分とイルカの関係。公認とまではいかないのかもしれないが、火影は赤子の頃から見守ってきたイルカとのつき合いを、今は渋々認めているのだろうが。それが上手くまだ自分の中で解消されていないのかどうかは知った事じゃないけれど。
心配なのは分かるけど、少し眼孔鋭いんじゃなの、と内心思いながら眠そうな眼差しで火影へ視線を返す。
自分の延びきった神経じゃ、相手が火影と言えどもあの老婆心のような眼差しは痛くも痒くもない。
心配なんかされたって。
だって、自分は。
イルカを手放すつもりなど毛頭ない。
一生。そう、一生を共に。
そんな事を思う自分に可笑しくもなるが。
「はい、受領しました。お疲れさまでした」
受付の声に視線を目の前へ戻して、よろしくね、と答える。
「カカシ」
背を向け、部下に、ほら行くよ、と声をかけたところで呼び止められた。
振り返り、名前を呼んだ方向へ顔を再び向ける。
「一通り仕事が終わったら顔を出せ」
そんな事を火影に言われたのは初めてだった。
いや、初めてじゃなかったか。昔若い頃は任務じゃなければ呼び出されようと無視を決め込んでいた事もあったような。
ふと過去に頭を巡らせてみながら、カカシは口を開く
「りょーかいです」
そう、答えた。

夕方に部下を解散させ、
(さて、どうしようかね)
歩きだしながら、ぼんやり考える。
あんな時に声をかけられたもんだから、
「先生、なんかやらかしたんだろ」
なんてナルトに言われる始末。嬉しそうに。正直嬉しいわけがない。あんな場所で声をかけるなんて、仕事の事でないのは確かで。それが分かっているから鬱陶しい。
昔のように無視出来ればどんなにいいか。
「んなわけないでしょ」
と、カカシは笑顔のまま受け流しながらも、ウッサイよ、と腹の中でナルトに答えた。
歩きながらも、分かれ道が目の前まで迫る。
何もなければイルカのアパートに帰るのだけれど。
(一体何の用だって言うのよ...)
あの自分を呼んだ時の火影の顔を思い出してみたものの。どうもハッキリしない。読めない、と言えばいいのか。
それが自分の中では気に入らないし、余計に面倒くさくも感じる。
親代わりとして。家族として。
アスマがそう口にしていたのを思い出す。
(...どこの馬の骨、とかじゃないけど...やっぱねえ)
カカシはため息を漏らしながら、執務室へと足を向けた。

「はたけカカシ、入ります」
ノックをして名乗りながら入れば、椅子に座ったままの火影がこっちを見ていた。
「ようやく来たか」
うだうだ悩んでいたのがバレていたのだろうか。遅い、とまでは言わないが、そんな意味を含むような言葉を言うと、火影は立ち上がった。
「行くぞ」
言われて、カカシはきょとんとする。
「行くって、...何処へです?」
「いいからついてこい」
そう言うと、背後に立っていた暗部に声をかけ、火影は歩き出す。カカシの横を通り過ぎそのまま執務室を後にした。
それを目で追い、そこから火影と会話を交わした暗部へ目を向けるも、特に欲しかった返答はなく、そこでまた火影に呼ばれ、カカシは仕方なく火影の背中を追った。

予想外だった事も加え、カカシは警戒する他なかった。
(なんなのよ)
どこへ行くんです?と聞いても返事を返してこない火影に、仕方なく口を閉じながらその後ろを歩く。
もう日も落ち、辺りは暗く闇が徐々に里を包み始めていた。火影と二人で歩くのなんてそうない。
ナルトが自分の部下になる前、火影からナルトの家に呼び出された時も、側に暗部がいた。それなのに、今日は誰も付き添わせていない。
自分がいる時点で十分警備の面では問題はないが、今は畑が違う訳で。
結局よく分からないから、火影の後ろ姿を見ながらも、色んな事を悶々と考えれば、不意にナルトに言われた一言が頭に浮かんで、内心苦笑いをした。
何かやらかしてないが、やらかしたと言えばやらかした、になるのだろう。
(...って、あれ、この道って)
ふと気がついたカカシは火影の後を歩きながらぼんやり周りを眺める。
予想した通り、入ったのは火影の屋敷だった。
敷地へと入り、手入れの行き届いた庭を横目に火影の後を歩けば、古いが広い玄関へ入っていく。
「こっちだ」
言われ、カカシは戸惑った。
話があるとは思っていたが、まさか火影の家だとは考えてもいなかった。
「いや、しかしですね、」
言い淀むカカシお構いなしに、火影はいいからこい、とそれだけ言うと、また歩き出す。
カカシは、困惑しながら仕方なしに靴を脱ぎながら、
(...命はない、かもねえ)
心で呟いた。


(...で、何でこうなった)
カカシはまだ戸惑っていた。
火影の書斎と言えばいいのだろうか。執務室のような重圧な机なないものの、家に持ち帰って仕事をするのだろう。
座椅子の前に、木製の座卓があり、その座卓の横には書類が乱雑に積まれたままになっていた。その風景は、何故かイルカを思い出させた。イルカもまた、仕事を家に持って帰っては、座卓に答案や書類を広げてせっせと仕事に励んでいる。イルカのその姿を思い出して、暖かい気持ちになった。
その座卓の反対側の空間に、座布団の上に二人、カカシは火影と面と向かって座らされていた。
目の前のテーブルには冷やされた酒と、淡い青色のグラスのお猪口。思い切り警戒した目の色をしているカカシに冷酒を注ぎながら、
「まあ、飲め」
と火影は低く呟くように言った。
促されるままにその酒を口に運び。一等物の酒だとすぐに分かる。
甘いがスッキリしていて喉越しもいい。
十分良い酒だと分かるが。
訝しげなオーラを纏ったままのカカシに、火影はお猪口を傾けながら、ようやく微笑んだ。
「いい加減その顔はやめんか」
酒がまずくなるわい。
(そう言われてもねえ)
内心戸惑いをまだ持ったままで、はあ、と返事をする。火影は自分の杯を仰ぐように飲み干し、カカシへ顔を向ける。
「毒でも入っているとでも思ったか」
「いや、まさか」
再び小さく笑うと、火影もまた合わせるように笑う。
「踏ん切りがつかんのは確かだ」
杯を傾けながら火影は口を開いた。
「仕方なかろう。アスマと同じと思えば然程でもないが、そう簡単にはいかんのだ」
それがワシのようなこの単純な頭でもな。
言われ、それがイルカの事だと分かるが。どう反応したらいいものか、正直困った。
そのままにカカシは黙っている事を選ぶと、
「嫁に取られたような...と、そんな気分だと言えばいいのか」
言われ、カカシはただ、はあ、とまた相づちを打つ。
確かにベットの上では女役はイルカだけども。
でもそんな事言ってる訳じゃないのはカカシにも分かるから、なんて思ってみて。口には出さずに火影の表情を静かに伺うしかない。
そんな事を考えているとは思ってはいない火影は、猪口を飲み干すとゆっくりと立ち上がった。
座卓へと向かいしゃがみ込むと、脇にある袖机の引き出しを開ける。
何かを取り出すと、それを持ちカカシの前まで来て、
「ほれ」
差し出された。
カカシは猪口を置き、その右手で火影の持つものを受け取る。
受け取ったカカシはそれに素直に目を落とし、目を少し見開いた。
古い写真だった。
そこにはまだ幼かったイルカが、自分の両親だろう。三人で写っている。場所は。ーーきっとイルカの生家だろうか。その門代わりに小さい松が生えているその脇に三人で並んでいる。三人とも嬉しそうにこっちを見て微笑んでいた。
(やば、これ)
黒い目は今と変わらない。海のような輝きを放っているのが、この写真からも伺えた。零れるようなイルカのあどけない笑顔に、カカシの心は簡単に鷲掴みにされる。
カカシさん。
嬉しそうに名前を呼ぶイルカの笑顔と重なった。つい今朝もこんな笑顔で自分を送り出してくれて。
カカシは写真を見つめながら少しだけ眉を寄せる。
こんな写真を見せられたら。
今すぐにでもイルカに会いたくなるじゃないの。
緩くなる頬に、もどかしくなる気持ちに、ぎゅっとカカシは奥歯を噛んだ。
鍛えられた精神も、イルカの事に関すれば、すぐにもろくなる。きっと、自分が犬なら尻尾をちぎれんばかりに振ってしまっているのだろう。
「ーーワシはな」
写真を両手で持ち見入っているカカシの前に、火影がどかりと腰を下ろした。カカシは顔を上げる。
「いつかこうして。イルカの選んだ相手と酒を酌み交わしたかった。それだけだ」
そう言うと手酌で注いでぐいと飲み干す。少しふてくされているような口調に、カカシはただ、視線を火影に送りながら。
そんな事だったのかと、安堵にカカシは構えていた緊張を少しだけ解いていた。火影は続ける。
「イルカの選んだ相手がお前だからと言って、老いぼれのワシがどうこう言たって始まるわけがないのは、もう十分知っとるわ」
しっかりとした眼差しをカカシに向ける。
「これがワシの踏ん切りだ」
だから、今日だけはワシにつき合え。
自分を老いぼれだと言う、里の長を見つめながら、カカシは眉を下げた。



イルカは一人ぼんやりとカカシの帰りを待っていた。
(遅いなあ...)
カカシが帰ってくると言ったのに時間になっても帰ってこない。
家でご飯を作って。作り終わるくらいには帰ってくると思っていたのに。カカシは一向に帰ってこなかった。
急の任務なり、カカシは必ず式なり飛ばしてでも教えてくれるはずなのに。らしくないと言えばらしくない。
ちゃぶ台の前であぐらを掻いたイルカは縦肘をついたまま、イルカは首を傾げた。
おかしい。
イルカは既に冷めてきてしまっている夕飯をながらため息を吐き出した。諦めて一人で夕飯を済ませてもいいけど。テレビを見ながらもう少し待とうか。
リモコンに手を伸ばしたところで、ふと思い出した事に手を止めた。
今日ナルトに会った。
商店街で買い物をすべく向かって歩いていると、ナルトは少し汚れた顔でイルカの前に現れた。
任務は午前中で終わったのはイルカも知っていた。だから、今まで七班で訓練をしていたかと思えば、違うと言う。
少し前に解散したけど、一人で自主練してたんだってば。自慢気に言うナルトを見て微笑みながら、イルカは金色の頭を撫でた。
そこから、いつものようにラーメンを食べようとせびるかと思ったら、ナルトはそんな気分じゃなかたのか。先生じゃあな、と背を向け。そして手を振ろうと腕を上げたイルカに、振り返った。
「そう言えばさ、今日カカシ先生ってばじいちゃん、あ、火影様に呼び出し食らってたってばよ」
にしし、と子供らしい表情で笑うナルトを見て、え、と聞き返すと、
「だから今頃怒られてるんだってば」
嬉しそうに言うナルトに眉を下げた。
「んな訳ないだろう」
言えば、
「あるってばよ!だってカカシ先生すっごいイヤそうな顔してたんだからよ」
間違いないと、勝手に結論を出したナルトは手を振ると背を向け駆けだした。
ああ、と答えながら手を振りながら。
困ったやつだとイルカはその駆けて行くナルトの後ろ姿を見送った。
上忍であるカカシも、誰かに怒られる事があると、共感したいのか。もしくは昔自分もそうだったと気持ちを共有したいのかもしれない。
子供らしい考えに微笑んだ。
そう。だから。
それはナルトの勘違いで、てっきり任務か何かで火影に呼び出されたとばかり思っていた。
だから気にも止めていなかった。
それに。
それより少し前、書類を届けに定時ぎりぎりに執務室へ足を運んだ。
今日は終日いるはずの火影の姿がいないので、不思議に思った。
でも、ただ席を外しているとばかり思ったけど。
執務室にいた暗部は今日は火影は戻らないと、そう自分に言った。
リモコンに伸ばした手を引っ込めて、その手を口元に当てる。
もしかしてーー。
イルカは立ち上がり、テーブルに並べた食事をラップする。ベストを羽織ると、部屋を後に外へ出た。
(いや、まさかな)
そう思いながらも足を火影宅へと向かう。もしかしたら居酒屋かそれなりの店で、二人で飲んでいるのかもしれないと思った。
それでも、直感は違った。
思い浮かんだのは火影の家。
幼い頃から。昔からよく世話になったあの屋敷。
イルカは少し早足で夜道を歩いた。
イルカは屋敷に入る。この家に仕えている人間は少ない。ただ、イルカには面識があり、すぐに玄関へ案内される。そこで見つけたのは。見間違えようがない。カカシの下足。
やはりここにカカシはいる。

イルカは素直に首を傾げた。
火影様はカカシをここに呼ぶ理由はなんだ。
ずかずかと廊下を歩き、部屋の扉を開けてーー。
目の前の光景に、イルカは眺めながら身体の力を抜いた。
何のことはない。二人そろってテーブルに伏している。脇には空になった冷酒の瓶と、杯が二つ。
それを見て、イルカはふっと微笑んだ。
「あら、風邪ひきそうな事になってるわねえ」
世話をしている女性が後ろでため息混じりに呟いた。
ええ、とイルカも返す。
酔いつぶれているだけの光景なのに。
何でだろう。酷く微笑ましいのは。
イルカはまた小さく笑うと部屋に足を踏み入れる。
「こっちは俺が運びますから」
火影様をお願いします。
そう女性に告げると、テーブルに伏しているカカシを背負い、イルカは部屋を出た。
そのまま屋敷を出てカカシを背負いながら夜道を歩く。
しばらく歩いて、
「...ねえカカシさん」
イルカは呼びかけた。
「本当は起きてるんでしょ?狸寝入り続けるならこのまま地面に落としますけど」
冗談混じりに言うと、カカシがふっと笑った声が背中で聞こえた。
「なんだ、バレてたの」
カカシはイルカの背中から降りると、振り返ったイルカの顔を見て、嬉しそうに目を細めた。
「せっかくだから家までおんぶしてもうらおうかなって思ったのに」
「冗談じゃないです」
そう言って微笑んで、
「...どんだけ一緒にいると思ってるんですか。火影様は兎に角、カカシさんがあの量で潰れるわけないでしょう」
そう言われて、カカシは一瞬目を開いた後、にこと嬉しそうに微笑んだ。
「うん」
「で?」
じっとイルカはカカシを見つめる。
「一体何を話してたんですか?」
その目は、強気な眼差しなのに。中の黒い瞳は心配そうに揺れている。
カカシは優しく微笑んだ。
すっと腕を伸ばし、イルカの頬に手を添える。
「そうだねえ...」
黒く澄んだ瞳。その目を見つめながらカカシは目を細めた。白く長い指で頬を撫でながらニッコリ笑う。
「あなたが愛おしい、って話」
それだけ。
カカシはそう言って歩き出した。
行こ?俺お腹空いちゃった。
すたすた歩き出すカカシを、イルカは目を丸くして見つめるしかなかった。きょとんとしながらも、カカシの言葉がじわじわと頭に染みる。
「....前言撤回。やっぱ...カカシさん酔ってんじゃないか...」
火影と、そんな話なんてするはずない。
そう呟くイルカの胸は苦しく。顔は熱い。
「イルカ先生?」
少し先で振り返るカカシに、赤い顔がバレないよう、ふうと息を吐き出し、
「何でもないです」
イルカはそうカカシに言いながら、ゆっくりと歩き出した。
苦しくなる胸に身体に力を入れながら、再び背を向けた、その広いカカシの背中をじっと見つめた。


少し後ろで歩くイルカを感じながら、カカシはふっと笑いを零す。
火影に見せられた写真はあれだけじゃなかった。
幼い頃のイルカの思い出を、火影は丸で父親のように語った。たぶん後にも先にもないだろう。
カカシはそう感じた。
 愛おしい。
そんな言葉でイルカに誤魔化しちゃったけど。
嘘でもない。
だってーーイルカ先生。あなたは目一杯愛されている。
昔も、今も。
そりゃ最初こそ。イルカに出会った時。ナルト達の上忍師になった時。
真っ直ぐすぎて哀れだとすら思った。
でも。
あんな暖かい場所で、環境で育ったらーー。
そりゃ突き抜けて真っ直ぐに育つわけだ。
カカシは地面に視線を落としながら歩き、今日の事を思い出す。
それだけで、心が感じるのは。

後ろから追いついたイルカが、横に並んだ。手を繋がれ、イルカからなんて滅多にないのに、と戸惑い顔を向けるカカシに、イルカは嬉しそうに目を細めた。恥ずかしそうに前を向き、カカシも倣って前を向いた。
一緒に歩きながら。
手を繋ぎながら。

そう、感じるのは。

暖かい。ーーあったかいなあ。

カカシは嬉しそうに。その暖かさを逃さないように。イルカと繋がる指に力を入れた。



<終>
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。