指切り

りりん、りりりりん
どこか遠くで、たくさんの風鈴が重なるように鳴っている音が聞こえ、サクラは立ち止まった。
「どうしたの?サクラちゃん」
周りを見渡すサクラの少し後ろを歩いていたナルトが、声をかける。
ナルトへ振り返り後ろも見渡すが、当たり前だが何も聞こえなかった。聞こえるのは風が木々を時折揺らす音と、少し先にあるだろう、川で水が流れる音。
風の音と聞き間違えたのか。
サクラ達は林道を歩いていた。
「なに、どーしたの」
サスケと共にサクラの前を歩いていたカカシが足を止め、サクラへ顔を向けていた。
「トイレ?」
「ち、違いますっ」
カカシの言葉に、強めに否定するとカカシは眉を下げ笑った。
「ま、後もうちょっとだから、」
「知ってます」
カカシが言い終わらないうちにサクラは返事をして、歩き出した。
そう、この林道もあの緩やかなカーブを真っ直ぐ歩き、ずっと下って行けばそこで終わり。そこから木の葉の中心街へと向かう道が続いている。
山の中での訓練が終わろうとしていた。

聞こえる筈がない音。
そんな事は分かってる。
サクラは足を早めながら、目を伏せ馬鹿らしいと小さく笑いを零した。

「サクラちゃんカカシ先生に何か厳しくねえ?」
ナルトの声が後ろで聞こえる。
それに返ったのは、そーお?と言う呑気なカカシの声。
サクラは聞こえないフリをして先頭を歩き続けた。
厳しい?
心の中でサクラは聞き返す。
厳しいなんて、そんなもんじゃない。
わずかに眉を寄せ、背負っているリュックの肩ベルトをぎゅっと握った。

サクラの心は混沌としていた。
でも簡単に言い表すなら、怒り、がぴったりなのかもしれない。
単純にそれだけだったのなら、いいのだけれど。
そうなってしまったのは数日前。
サクラは夜道を歩いていた。日が落ちるのが遅くなってきたとは言え、19時となれば辺りはもう暗くなってきていた。
買い物を頼まれ、サクラは商店街へ足を運んでいた。まだ仕事帰りの客で賑わっている店で買い物を済ませると、サクラは家路へ急ぐ。下忍にもなり忍びとしてもその意識を強く持ち始めているのは確かで。優等生らしくない、裏道へとサクラは足を向けた。
どの道や屋根を通っていけばショートカットになるかくらい予想がついている。
春が近づいてきているとは言え、気温が下がってきている。寒いから早く返って暖かいココアを飲みたい。
サクラは走っていた足を早めて裏道の角を曲がろうとした。だが、その先で視界に映ったものに、思わず反射的に身を隠していた。
走っていた呼吸を整えながら息を潜める。
別に身を隠さなくてもよかったのか。
さっき一瞬自分の視界に映ったものが定かではない気がして、サクラは自分を落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸した。
残念だが、アカデミーで優秀だった自分が、僅かな間でさえ目に映したものを見間違えるはずがない。
あれは間違いなく、カカシとイルカだった。
そして、付け加えるなら。二人は唇を重ねていた。
よく少女漫画で目にするような甘い場面にはほど遠かった。だってあれは丸でカカシがイルカに噛みついているようにも見えて。
「・・・・・・んっ・・・・・・や、」
それを裏付けるかのように、荒々しい呼吸の合間に漏れるイルカの声。
イルカの声と分かるけど、それが自分の知っているイルカの声じゃない、聞いたこともない声だった。
心臓が高鳴り、血液がどくどくとサクラの体内で勢いよく流れ始める。
何をしているのか。
イルカの台詞はサクラを混乱させるのに十分だった。
「もう・・・・・・っ、家まで待てませんか」
少し咎めるようなイルカの声。
カカシが空気を漏らすように笑ったのが聞こえた。
「うん、そーね」
「・・・・・・カカシさん?」
「うん?」
さっきまで性急だったカカシの手が止まった事に、不審そうに名前を呼ぶイルカに、カカシは短く答えるだけ。
カカシは青い視線を商店街が続く方向の路地裏へ向ける。
その路地裏を曲がった先には、もう既にサクラの姿はなかった。ただ、野良猫が一匹、一声鳴きながらその細い道を歩いている。
「カカシさん」
再び名前を呼ばれ、イルカへ顔を向ける。
「何でもない。帰ろ?」
カカシはにこりと微笑んだ。



「遅かったのね」
サクラに声をかける母親に、何でもない、と笑顔を作って答えると、そのまま自分の部屋へ向かった。
扉を閉めた姿勢のまま、サクラは動かない。
うつろな目がぼんやりと自分の部屋を映している。

何でなの。
何なの。
どうして。
昔からいのには、鈍くさいとか、疎いとか言われてきたけど。
あの光景を見て、何も気が付かないほど馬鹿じゃない。
イルカと、カカシの光景を運悪く、と言えばいいのか。あの光景を目にして感じたのは、気持ち悪さだった。
(・・・・・・だって男同士じゃない)
真っ直ぐで、生真面目で、問題のある生徒にはすぐ怒ってすぐ殴るけど、最後は優しく頭を撫でてくれ、そしていつもイルカ先生の周りには生徒がいて。彼は朗らかに優しく笑っている。
他の生徒と同じく、サクラもまたイルカと言う先生が好きだった。
きっとイルカは、絶対、どんな事があっても生徒の味方。
どの教師よりも特別な存在だ。
それが。
サクラの表情が曇る。
扉につけたままの背中をずりずりと動かしてお尻を床にぺたんをつける。
両腕を折り曲げた膝に乗せたまま、はあ、と息を吐き出した。
ナルトの裸の女体変化した姿を見て鼻血を吹いちゃうような先生が、新しく入った可愛らしい女性教師にお茶を煎れてもらい、照れながらお礼を言う先生が。
あのカカシを選ぶだろうか。
あり得ない。
当たり前だが、さっきカカシの覆面を下ろした素顔を見た、と言うことは、もはやサクラにはどうでもいい事だった。
やだやだやだやだ。
サクラは頭を抱える。
なかった事にしたいのに、記憶してしまった頭はそうはさせてくれない。
イルカに対して抱いていた、絶対の安心感と信頼感が、何があっても揺らぐ事がないと思っていたのに、あの場面を見てしまった事で、簡単に揺らいでいた。

やめてよカカシ先生。
イルカ先生だけはやめて。

カカシ先生を恋人にしたい相手なんて、いくらだっているでしょう。
バレンタインの日に、山のようにチョコをもらっているのを、知らない訳がなかった。
あのカカシ先生のどこがいいの、なんて思っていたけど。
飄々として表情がほとんど隠されているけど、あの覆面の下はきっとそれを裏付けるくらいのものなんだと、否応なしに認識する。
茶化すナルトに、いや俺って意外にモテるのよ。なんてカカシは返してたけど。意外と言うには多すぎるほどのチョコの数。

なのに、なんでイルカ先生なの。

アカデミーに入学した幼い頃から、イルカにはアカデミーでずっと見守ってもらってきた。
優秀だった自分にはあまり他の教師は目を留める事がなかった。でも、イルカは違った。ちょっとでもいつもと違うと、必ず声をかけてくれた。優しい声で、どうした?と聞いてくれ、毎回成績も良かったが、その度にサクラの努力を知っていたイルカは、褒めてくれた。

間違ってる。
そう、あんなの、間違ってる。
サクラは抱えていた頭をゆっくりと上げる。その顔には少女らしからぬ、眉間に皺が寄っていた。

当たり前だが、カカシとイルカは人前では至って普通だった。それは、公然とそんな関係だと見せる事が出来ないからだ。
そりゃそうだろう。
あの写輪眼のカカシと教師であるイルカが恋人同士であるなんて。しかも男同士だ。
自分は下忍で、まだ忍びの世界を知りもしない状況だが、この事実が広まったら。このそこまで大きくもない里に広がるのは一日とかからないだろう。
耳にしたところによると、カカシは他国に恐れられるほどの凄腕忍者。木の葉を代表する忍び。
許されないはずだ。

というか、許せない。
間違ってる。

サスケへの淡い恋心しか抱いた事がなく、まだ恋愛のイロハも知らないサクラには、受け付けられない事実だった。
そんなの、恋愛と呼べるわけがない。

ーーもし、誰かに話したら、楽になるだろうか。
ここの中にある黒く息を潜めていた闇のようなものが、サクラの中でざわめくように蠢く。

「サークラ」
赤い夕空をぼんやり眺めながら歩いている時に名前を呼ばれ、サクラは振り返る。
カカシが立っていた。
よ、と片手を上げられ、サクラは軽く会釈を返した。
「何してるの?」
「・・・・・・買い物です」
小さな声で応えるサクラに、カカシは歩み寄りサクラの手に持つ袋の中をのぞき込む。
「カレー?」
あ、違うか。肉じゃが?
どちらも近くも遠くもない答え。サクラは首を横に振った。
「まあ、そんなものです」
適当に答えると、
「外れた?残念」
そこまで残念そうな顔も見せずに、カカシは笑った。
「で、今日もお遣いなんだ」
今日も。その言葉にサクラはぴくりと反応を示す。
微笑んだ目でカカシはサクラを見ていた。
茜色に染まる銀色の髪。自分より白いんじゃないかと思うくらいの、その僅かに露出している肌もまた、透明感を感じさせながら、赤く染まっている。
桜色の自分の髪は、カカシの目にはどんな色に映っているのだろうか。
そんな事を考えながら、じっと、カカシの姿をサクラは見つめた。




「で、何のメニューだったの?」
「・・・・・・ポトフです」
サクラの答えに、カカシは、わ、お洒落。と返す。そんなカカシを横目で見つめた。
二人の前にはラーメン。伸びないうちに、とお互いに啜りながら。盛り上がりもしない会話を繰り返す。会話、と言うか、カカシからの一方通行がほとんどだ。
なんでカカシの誘いに頷いてしまったのか。
当たり前だが、今夜の家での夕飯はパスだ。ポトフ、好きだったのに。楽しみにしてたのに。
今更ながらに、後悔し自問するも、後の祭りだ。
カカシはまた口を開いた。
「ねえ、サクラ」
黙っているサクラにカカシは続ける。
「悪いこと言わないからさ、責めるのはイルカ先生にじゃなく、俺にしてね」
決定的な言葉をさらりと、ラーメンを食べながら言われて。
サクラは割り箸を持ったまま固まった。
カカシの方を見れない。
口の中にあった麺を、ごくりと飲み込んだ。
肯定も否定も、驚きもしない、ただ固まり黙ったままなのに、カカシに思考の全てを見透かされている感覚に襲われる。
ーー顔に出しているつもりはなかった。
あの時、気配を感じ取られていたかもしれない、という認識はもちろんあったが。
前を向いたままだが、カカシは視線をじっとこっちに向けているのが分かった。
「だって、先に好きになったのは俺だし、告白したのも俺なんだから」
呆気なくと言う言葉がぴったりくる位に、カカシはあっけらかんとその話題を口にし続ける。
反応を示さないサクラに、カカシは小さくため息を吐き出した。
時間的に込み合った店内で、ここだけ空気が止まっているように感じた。
異様でいて静かな空間。
カカシが空いている片手で、銀色の頭を掻いたのが視界に入った。
「写輪眼のカカシと生真面目な教師、そんな二人が出来てるなんて知ったら、この狭い世間からは格好の的になるだろうね」
「そんな・・・・・・っ」
かあ、と顔に血が上るのを感じ、サクラは思わず勢いよくカカシに顔を向けていた。
冷静で、青い視線とサクラの視線が、交わる。
何が言いたいの?
そんな事、私は、ーー。
そう口にしたいのに、言葉が、口から出てこない。
そう、だって。
私は。
カカシ先生が今口にした事と同じ事をーー。
サクラの緑色の瞳が揺れる。
何もかも見透かしているかのようなカカシの目。
カカシはふっとその視線をサクラから外した。
「でもね、サクラ。イルカ先生はね、俺とつき合うって承諾した時に色々覚悟をしたんだと思う。もし仮にそうなったとしても、イルカ先生はきっと後悔しないし変わらない。と、思う。・・・・・・たぶんね。で、そうイルカ先生に決心させてるのも俺」
ゆっくりと、視線をサクラに再び向けた。
「だから、責めるなら俺にしな」



買い物袋を持ったまま、サクラは薄暗くなった道を歩く。
「・・・・・・大人ってずるい」
頭の中が真っ白で。何も考えられなくて。
でも、ようやく口から出た言葉がそれだった。
サクラは一人、ふっと笑いを零した。

でも、何がずるいってーー。

サクラは左手を上げ自分の小指を見つめた。

「約束」
店を出て別れ間際、カカシはそう言って自分の小指を差し出した。
「イルカ先生を幸せにするって、約束」
「・・・・・・っ、何ですかそれ、馬鹿馬鹿しいっ」
サクラは顔を赤くしてカカシを睨んだ。宙ぶらりんになったサクラに伸ばした小指をカカシは仕方なく引っ込める。そこからサクラをじっと見つめた。
「冗談だと思った?俺が先生をからかってるとでも?」
「・・・・・・、そんな・・・・・・こと、」
強い反発心があるのに、カカシの顔を見ていたらそれらが言葉に出ない。思わず声が後込みしていた。
「あの人を冗談で口説くわけないでしょ」
カカシは微笑んでそう言った。

りりん、りりりりん
風鈴が何処からか、遠くで音色を奏でる。
その音と一緒に聞こえるのは、祭り囃の太鼓や笛の音。
楽しそうにはしゃぐ子供の声。
そこから少し離れた神社で一人。
迷子になった小さくて幼い私は泣いていた。
お母さんに着せてもらった向日葵の柄の浴衣を来て。赤い帯に赤いリボンを髪につけ。
怖くて、悲しくて涙を流して泣いていた。
「なんで泣いてるの?」
その声に顔を上げる。お面を被った少年が一人。サクラの前に立っていた。
迷子だって言いたいのに、目の前にいる人が。お面が怖くて、サクラは再び泣き出す。
「ねえ、泣いてたら分かんないよ」
それでも泣きじゃくるサクラに、仕方ないね、とため息混じりに言った少年は、小さいサクラの目線に合わせるようにしゃがみ込む。
自分のお面を取った。
ちゃんとした顔があった事に驚き安堵したサクラは、ぱちぱちと濡れた目で瞬きをする。ゆっくり小さな口を開いた。
「・・・・・・お母さんに、会いたいの」
目に涙を浮かべたままのサクラに、少年は微笑む。
「ダイジョーブ、俺が探してあげるから」
「本当?」
「うん」
そこで初めて笑顔を見せたサクラに、目を細める。頭を撫でた。



記憶の中でぼやけていた顔が、靄が消えていくように鮮明になる。
屈んで小指を差し出した。左目には縦の傷。サクラが怖がると思ったのか、それを隠すように、微笑んだ。
おずおずと差し出したサクラの小指に、小指を絡ませる。

「約束」

少年は目を細めて、微笑んだ。



サクラの目に涙が浮かぶ。
零れ落ちないように、じっと闇に包まれ始めた空を見上げる。
「本当、大人ってずるい」
そう口にするのか精一杯だった。
カカシは、知っていただろうか。
あの、赤いリボンの子供が私だったんだと。
ーー分からない。
サクラは顔を歪めながら小さく笑う。

『約束』

少年の顔とカカシの顔が重なる。
幼い頃の朧げな記憶。その記憶のピースが一つに繋がった時、サクラの目から涙が一粒、こぼれ落ちた。

<終>