雪の精

ナルトの大きなくしゃみが辺りに響くと、言わんこっちゃないとサクラは呆れたようにため息を吐き出した。
「服を脱ぐからじゃない」
「だって、暑かったんだから仕方ないじゃん」
言われてナルトは少し出た鼻水を指で擦りながらすすり、口を尖らせる。
「だからって雪の中脱ぐ馬鹿がどこにいるのよ」
直ぐに厳しい声が返った後、ここにいるだろ、とサスケに言われ、ナルトがムッとして振り返った。食ってかかりそうになるところで、カカシは金色の頭に手を置く。
「はいはい、そこまで。一生懸命やったのは認めるけど、雪掻きなんかで風邪ひくのも問題だからね」
適当にいなされたナルトは、ふれくされぷいと顔をそむけた。
相変わらずの仲の良さにどうしたもんかと、ため息を吐き出して、顔を上げ。見えた顔に気がつくと同時にナルトが口を開いた。
「イルカせんせー!」
さっきの機嫌の悪さはどこえやら。嬉しそうな声を上げると、ナルトはイルカに向かって駆け出す。
ナルトの声にイルカは手を止めて振り返った。手にはスコップ。走ったままの勢いで抱きつくナルトを身体で受け止めた。
相変わらずの懐き方には呆れもするが、二人がじゃれ合う姿を見るのは嫌いじゃなかった。実際今のナルトが在るのはイルカの貢献が大きい。
イルカは腰にぶら下がるナルトに危ないだろ、と言いながらカカシに顔を上げ頭を下げる。カカシも片手をポケットに入れながらも会釈を返した。
「任務お疲れ様でした」
イルカは、足止めをしてしまい申し訳ないと苦笑いを浮かべ、カカシもまあまあ、と笑顔を作った。
「先生こそ大変そうですね。雪掻き?」
「ええ、まあ。今回の雪で除雪が追いついてないみたいで」
まだ雪で覆われている道を眺めるイルカに確かにね、とカカシは頷く。
「東の森近くの辺りも被害がありましたからね。まあ、あいつらにも頑張ってもらってなんとかなったんですが」
「そうですか」
嬉しそうな声がイルカから返り、視線をナルト達へ向けた。ナルトは、少し離れた場所でイルカから奪ったスコップで、あれだけ文句を言っていた雪掻きを始めている。そこからイルカは心配そうな眼差しを空へ向けた。薄い雲に覆われているも、西の空は夕焼けが見える。
「明日から晴れそうだから、大丈夫でしょ」
そうですね、とまたイルカが返した。昨夜からイルカを含め里の忍びが除雪に駆り出されているのを知っている。慰めにもならないと思っていたが、イルカは律儀に嬉しそうな笑みをカカシに浮かべた。
真面目で真っ直ぐな性格は、ナルトの元担任として会った時に感じた。それ以前に面識はなく、イルカが自分に挨拶に来た時の緊張した面持ちは、今でも覚えている。
でも。その挨拶がカカシにとっては初めてではなかった。
うみのイルカがナルトを救った英雄だと名前を噂では聞いてはいたが、それよりもっと前。
自分が中忍になったばかりの頃。

あの頃は里のを含め状勢が不安定であり、戦力は半分に分けられていた。無論自分の父親も遠征に里を出て、一人で家に住むことを余儀なくされた。一人暮らしは苦痛ではなかった。既に任務に出ていたので、その任務の合間に一人になったその時間に、黙々と勉強に励んだ。父のようになりたかったから。だが、たった一人であの家にいるのが嫌ではないが、何故か物寂しさを覚え、気晴らしにと外へ出た。
家から近い場所にある大きな木で、常緑樹であり、この雪が降る寒い時期でも僅かな雪なら凌げる。
カカシはその大木の幹の上で背を預け、父の書斎から失敬した本を読む。
気配を消していれば、通る人は誰も自分に気がつかない。風や鳥の声や、雑踏を聞きなら読むだけで、何故か集中できた。
中にはアカデミーに通う子供達も当然通る。
その中にイルカはいた。
毎日通る子供達の中で一際声も大きく、彼がいるとそこに明るい輪が出来ている。いつも一人でいる事を好んでいたカカシからしたら、慣れないタイプだった。
名前を友達に呼ばれているのを聞いて、その子供がイルカだと知った。
(女みたいな名前)
カカシは巻物を読みながらそう思った。
彼の存在を知ってからもカカシは毎日ここに通い、そして気がついたのだが、いつも花火のように賑やかなイルカが、一人の時は嘘のように静かだった。
当然悪戯っ子に違いないイルカの事だから、アカデミーで先生にこっぴどく叱られたのだと思ったが。
その寂しそうな表情はどこか自分と重なり、気がつけば目で追うようになっていた。
当然カカシの存在に気がついてもいないイルカは、その大木の前の道を毎日通っていた。
だが、ある日。また一人で歩くイルカを見つけ、木の上から眺めていた時、イルカが落としていた視線をふっと上げた。
幹にいたカカシと目が合う。
(バレた)
誰かに見られるとはしても、子供には、ましてやあのイルカには見られないとばかり思っていた。
カカシは慌てる。指で印を切って姿を消した。
何で隠れてしまったのか。まさかからくる驚きだけだったのだが、逃げるように姿を消した自分の行動に恥ずかしくなった。
でも、話しかけられたらきっと面倒くさい事になりそうなのは想像できた。
それに、たぶん一瞬の出来事だったから、イルカにはきっとそこまで気にしていない。そう思う事にした。
数日空けて、カカシは再びあの木へ向かった。やはり家の中よりあそこが落ち着く。お気に入り場所になっていた大木の幹にカカシは座った。
たが、イルカは通らなかった。その次の日も、そのまた次の日も。
他の子供達は通るのに、イルカは通らない。
あれだけ気に入っていた場所なのに。
イルカを見かけなくなっただけで酷く味気ない場所に感じた。
そうしてる間にもカカシにも短期の任務が入り、それ以降あの場所にも足を運ばなくなった。
自分があの時イルカの前から姿を消さなければ、また会えたのだろうか。
ほんの少しの間だけ見かけた元気いっぱいで太陽のようなイルカは、何故かカカシの心から消えることはなかった。

だから。
イルカに再び出会った時、薄れていたあの頃の記憶が一気に蘇った。
初めまして。
緊張しながら笑顔を作り頭を下げる。あのガキ大将のような面影は全くないけど、笑顔を浮かべる目の前のイルカには確かに面影があって。
ただ、もう二度と会うことはないと思い込んでいた。
無論、イルカにとってはあの一瞬しか。目が合ったあの瞬間しかなかったのだから、勿論何も覚えてはいない。
懐かしい気持ちに包まれながら、
「初めまして」
カカシもまた笑顔を浮かべた。


ナルト達の声が聞こえる。いつの間にか近所の子供達と遊びながら雪掻きをしていた。
イルカは目を細めナルト達を見つめながら、その眼差しを近くの木々へ向けた。
「俺、昔雪の精に会った事あるって言ったら笑いますか?」
突飛な内容なのに、口調は穏やかで。カカシはイルカを見つめた。イルカは恥ずかしそうにはにかむ。鼻頭を掻いた。
「アカデミーに通い始めたばかりの頃だったんですけどね。見たんですよ、木の上に。雪の様な髪の色で、肌の色も白くて」
すっごく綺麗だったんです。
カカシは一瞬虚をつかれたように、目が点になった。どう答えたらいいか、分からなかった。
イルカに伝える事でもないし、なによりイルカにはカケラも記憶にないとばかり思い込んでいたから。
ぽかんとしていると、またイルカは恥ずかしそうに小さく笑った。
「おかしな話ですよね。ただ、雪が降るたびに思い出すんですよ」
懐かしそうな目を近くの木々へ向ける。
「あの後合宿所から自宅に戻って通る道も変わって、あれきり見なかったんですけど」
また会えたらいいなあ、なんて思うんです。
笑われても構わない。そんな風にカカシに話す。
途端、言葉にならない気持ちが溢れた。
反応の薄く黙ってしまったカカシにイルカは片眉を上げて覗き込んだ。
「あれ、笑わないんですか?」
聞かれてカカシは慌てて笑顔を作った。草臥れた銀色の髪を掻く。
「ああ、いや……どうだろ。俺は信じますよ」
イルカが目を丸くした。そして直ぐに目元を緩める。
「そんな事言う人、初めてです」
くすくすと笑い、逆におかしな人だと、そんな目でイルカは見るので、カカシはそう?、と誤魔化す様に肩を竦めた。
驚いた。そしてただ、ちょっと、いや、かなり嬉しくて。
運命だと思っていいんだと、イルカに言われた気がして。カカシは密かによし、と決意する。
「ね、イルカ先生。もし良かったら、この後一緒に夕飯でもどうですか?」
燻らせていた思いをぶつけるように、今まで言えなかった言葉をイルカにかけた。
カカシの白い肌が微かに赤く染まる。
自分が馬鹿みたいに緊張してるなんて知らないイルカは、少しだけ驚いた後、
「はい、勿論」
と、嬉しそうに微笑んだ。


<終>





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