ゆれておちる
イルカは走っていた。
急いでいたからマフラーすらつけるの忘れていたが、走っているのに邪魔になったかもしれないから逆に良かったと思いながら、はあはあと息を吐き出していた。
脇には小さな紙袋を抱えている。走っているせいでシワが寄るのは仕方がないと、半ば諦めてはいたが。
角を曲がった先にある店の暖簾をイルカはくぐった。
「イルカさん、早かったね」
店の店主がいち早くイルカに気がついて、息を切らしているイルカに顔を上げた。息が上がったままイルカは小さく苦笑いを浮かべて、靴を脱ぐと奥の大広間へと繋がる廊下へ足を向けた。
大広間の座敷では新年会としてイルカ含む中忍上忍が貸し切って酒を飲んでいるのだが。
廊下には飲み終わった瓶ビールや皿が幾つか隅に置かれている。飲み終わり、食べ終わったものを誰かが出したのだ。
今日は風邪で1人給仕が休んでいると言っていたっけ。
イルカは店主が会話をしながら漏らした事をふと思い出した。1人いないだけでその分の仕事量は周りに配分されるから、皆忙しいのだろう。イルカは広間の襖を開け同僚を探した。自分に小包を持ってくるよう頼んだ張本人は赤い顔で隣の人と酒を酌み交わしている。それを見て眉を下げ息を吐き出して、イルカはその同僚に包みを渡した。
「お、悪いな」
「いいよ」
肩を叩かれ酒を勧められたが、断った。立ち上がるとまた襖から廊下へ出て、散らかり始めている皿を運びキッチンへ顔を出した。
「あ、イルカさん、いいよ!」
店主が気がつき、手を止め歩み寄ってきた。
「いいんですよ。どうせこっちが呑み食いしたものですし、いつもお世話になってますし、気にしないでください」
「でもね、」
「好きでやってるんですから、やらせてください」
白い歯を見せるイルカに、店主は心底嬉しそうな顔を見せた。忙しく手が回らないのは事実で、何よりイルカの心が温かく感じていた。
「悪いね」
そんな店主の気持ちを汲み取り、気遣いをさせないようイルカはニッコリ微笑みを見せた。
何回か運んで廊下のグラスも下げていると、顔を赤らめた上忍が顔を出した。
「どうされました?」
少し不機嫌さが含まれている表情に、イルカは声をかけた。
「日本酒、頼んだけどまだ来なくてな」
「あぁ、分かりました。直ぐに確認します」
グラスを持ちながら腰をあげると、上忍はメニューを持ちながら指をさした。
「だったら他の食いもんも頼む」
飲み物は飲み放題から選べるが、食べ物はコースの中の物だけの筈だが。多少その事態も考え多めの予算を組んではいたから、イルカは嫌な顔せず、その内容を聞いてまた、キッチンへと向かった。
日本酒を上忍に届けると、満足した上忍が持っていた猪口で献酒され、素直にそれに応じた。南の島の特殊な酒は白く濁り匂いも独特で、一口口に含んだだけで度数も高いと分かる。苦手な部類の酒に、イルカは胸のむかつきを覚えたが、何回かその酒を勧められるままに飲み、返杯した。
宴会が始まってから食べ物も殆ど口にする事なく動きまわっていたからか、きついアルコールが胃に染み込んで行くのが分かった。悪酔いしないように何かを口にしようと、自分の席に戻るべく腰をあげると、また別の上忍が瓶ビール片手にイルカを呼んだ。
内心苦笑いしながらも、イルカは笑顔を見せ呼ばれた自分へ足を向けた。
何杯か周りの上忍からビールをもらっていると、近くには同じ様にビールを上忍から貰っている中忍がいた。自分は酒の強さには多少自信があったが、その中忍は弱いのを知っていた。それを表す様に、顔は真っ赤だが、気分が悪そうに顔色が悪い。ビールを飲みながらそれを窺い見て、イルカはそっと近づいた。
「大丈夫か?」
中忍はイルカを見てホッとした表情を見せたが、顔を微かに歪めている。
それを知ってか、もう飲めないと必死で言うのに対して、無理に進める上忍へ片手で制した。
「申し訳ありません。少し休ませます」
「何で」
意地悪いな、と内心思った。相手は酔ってはいるが、この中忍の顔色に気がついていない程ではない。
「私が見るに、彼がもう限界だとあなたはご存知のはずです。それとも、ここでこいつが嘔吐しましたら責任を持って介抱してくださいますか?」
そこまで言い切ったイルカに対しムッと眉根を寄せた上忍に、すかさず頭を下げ、イルカは中忍を支えて立ち上がる。当の中忍は思ったより限界が近かったのかもしれない。苦しそうに息をしながら、小さく呻いた。
直ぐに廊下へ出てトイレに向かう。
「助かったよ…」
漸く弱々しい笑顔を見せられ、イルカは優しく背中を撫でた。トイレで吐けるだけ吐かせると、店主から貰ってきた水をもらい飲ませる。胃の中のアルコールを薄めれば、多少楽にはなるはずだ。
程なく体調を取り戻してきた為、イルカは大広間の隅に連れて行き、壁にもたれさせ座らせた。
疲れた。
座らせた中忍の横で一息ついた。それだけで今までフルで動いていた身体の機能が停止したみたいで。
ぼーっと飲んで騒いでいる喧騒を聞いていた。が、それもつかの間。
「イルカー、この注文纏めてくれるか」
目の前に現れた同僚が注文の一覧を書いた紙を差し出した。
反射的に取ろうとした、その紙は、イルカの横から伸びてきた手によって奪われた。
目を向ければ、そこには見知った顔があった。いや、この大広間全員が同じ見知った顔にはなるが。ナルトが縁で多少会話をするようになった上忍ーーはたけカカシは手に取った注文票を眺めて、イルカの同僚へ目を向けた。
「これを注文すればいいの?」
え?とイルカは驚きにカカシを見た。
多分それは同僚も同じで、戸惑いを隠せない顔をした。
「あ、カカシさんそれは俺が、」
「いいよ、あんたは座ってなさい」
注文票を返してもらおうとしたイルカを、片手で制しながら立ち上がる仕草に同僚も流石に慌てた。
「いや!でしたら私が!」
「じゃあお願い」
その同僚の申し出にすんなりと、注文票を手渡す。
「あ、あと暫くイルカ先生を借りるね」
だから、後はよろしくね。
「え?あ、…はい」
優しいが強制的にも感じとれる言い方に、頷くしかなく。同僚もイルカとと同じ幹事だからしのごの言う理由なんかあるはずがない。カカシに手を引かれ、上忍がいるスペースへと連れて行かれる。大人しく従い、カカシがいただろう席へ座らされた。
「さてと」
カカシは隣に座ると、イルカを見た。
「あの、…俺も幹事なんですが、」
「知ってますよ、そんなの」
改まって会話する間柄でもないカカシに、内心不思議に思いながらも、言葉にすれば直ぐに返答された。
ますます不思議に思うイルカの目の前に皿が置かれる。それは取り皿2枚分。綺麗に料理が盛られていた。
「何も食べてないでしょ」
「そうですが、」
それに反応するように空腹を感じながらも戸惑いは隠せない。
「取っておいたから、食べて」
「え!?」
どうしたと言うのだろうか。驚きを隠さずカカシの顔を見れば、
はい、と割り箸を渡された。
「食べて」
「では、…いただきます」
箸を受け取りパキンと割ると、カカシに促されるままに一口食べた。ここの店は魚メインの和食。美味さは定評があるだけに、美味い。
食べる事を諦めていたし、食べれたとしても残りを掻き込むくらいかと想定していたから、座って味を噛み締めるのは正直嬉しかった。
食べながら顔を向ければ、カカシは静かにイルカを見つめている。
「ありがとうございます…」
「空腹にアルコールばっかじゃきついでしょ」
少しだけ困ったように眉を下げ、微笑んだ。
自分が空腹だからと、知っていた事にも驚いた。酒が入っているだろうか。いつもは見せない顔を見せられて、それだけなのに。些細な事に変に感傷的になりそうな自分がいた。
「幹事はあなた1人だけじゃないのに、走り回って世話を焼いて、良い人過ぎるよ」
カカシは胡座をかいてテーブルに立て肘をついてイルカを見ている。
「はあ…」
いつもの事だと、自分は気にもしていなかった事をカカシは指摘してきた。でもそんな事を見られていたのは、恥ずかしい。それを正直に口にした。
「それは…、お恥ずかしいです」
他の人に見られているなら気にも留めなかったかもしれない。だが、カカシに言われて、自分があたふたしている姿を見ていたんだと思っただけで、何故だろう。そんな自分を見てほしくなかったと思った。
「そーね…」
立て肘のままイルカを眺め続けて、
「正直ね、腹立ってる」
「え…?」
さらりと言われた言葉に箸を止め、目を丸くしてカカシを見た。そんなイルカにカカシは立て肘を解くと、胡座をかいたままイルカへ身体を向き直し手のひらを広げた。
「荷物忘れたのはあなたじゃないのに、取りに行く必要は無かった筈だし、店の為に手伝いまでしちゃって。献酒に真面目に付き合って、仲間庇うために上忍に楯突いて、挙句泥酔した仲間を介抱してあげて」
カカシは指折り数えた。
「仕舞いには自分はろくにご飯も食べてないのに、注文を纏めるのを頼まれそうになってた」
数え終わった指から視線をイルカに戻した。
「放っておいたら、両手じゃ足らない位やり続けたんじゃない」
真面目に、不満だと言わんばかりの表情を見せられて、戸惑いを感じるのにカカシの心に胸打たれた。純粋に心配をしてくれている。その真面目な顔つきは端正な顔を引き立たせるには十分で。男の自分から見ても、ときめいてしまう。ずるいなあ、と素直に思った。
「違う?」
間が空いた空気にカカシは口を開いた。
「そうですね。そうかもしれないです。でも…カカシさんは、優しいですね」
「そうかな」
「そうですよ」
イルカの力強い口調に、カカシは分からないと、少しだけ眉を顰めた。表情からして、それはカカシの本音だと窺い知れた。格好良い男は、無意識に誰にでも優しさを与えるのだ。いや、カカシだから伴っているのか。
兎も角、カカシの言っている事はその通りで、幹事だから、と誰も気に留めてもらえないのは当たり前だと思っていたから。だからこそ、カカシの言動で、イルカの脆い部分を容易く掴まれてしまっていた。もし自分が女で口説かれたら、簡単に恋に落ちてしまうだろう。
そんな事を考えたらおかしくなってきた。はやり動き回り過ぎて脳まで疲労がまわってしまっているのか。
その思考はイルカの口元を緩めさせ、カカシが不思議そうにイルカを見た。
「なあに?」
「いや、もし俺が女だったらカカシさんに惚れてるなあって、思ったんです」
素直に白状してイルカは照れ笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「カカシさんはモテるんじゃないですか?」
「まあね。でも大丈夫、俺が好きなのはイルカ先生だから」
ニコニコしながらカカシは言った。
「え?」
カカシから視線を外して言われた言葉を頭でもう一度再生してみる。
あれ、好きとか言った?
いやいや、ないない。ここは目の前に広がる通り大宴会の最中で。あまりにも場違いすぎて聞き間違えたかと思い直し、カカシへ顔を戻した。
「えっと…」
「だからさ、付き合っちゃおうよ。俺たち」
どんちゃん騒ぎが繰り広げられる中、カカシはそう告げると嬉しそうに微笑んだ。
だって惚れたんでしょ?
色っぽく目を向け弓なりにして、赤い唇の端を上げる。
幻術じゃねえのか、と思えるくらい妖艶で。
いや、俺男だし、と思い直す事はなかった。
既に頷くには十分な程、イルカの心が奪われていたからだ。
<終>
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