2021「バレンタイン」
イルカは授業を終え、廊下を歩き職員室へ向かう。机の前で鞄を肩から下ろしながら、教室や廊下でも思ったがここ職員室でもいつもと違う、活気づいた空気を感じながら席に座った。
「イルカ先生もどうぞ」
それを紐付けるかのようにタイミングよく目の前に差し出されたチョコにイルカは目を向ける。顔を上げると、女性職員が箱を持って立っていた。
私たち女性教員からです、と付け加えられる。
「どうも、いただきます」
礼を言って受け取ると、その教員はにこりと笑ってまた他の男性教員へ配る為に歩きだす。それを眺めながら。小さくため息を吐き出せば、隣の同期がこっちを向いた。
「何、本命だと思ったとか?」
分かりやすい揶揄に、馬鹿言え、とイルカが短く返しながらももらった義理チョコを手に取ると、でもなあ、と呟く。
「昔はイベントと言えば正月や夏祭りとか、それくらいだったのにな」
イルカの台詞に、確かにな、と同期は笑いながらも頷いた。
「クリスマスやハロウィンもそうだけど、俺らの時代はそこまで盛り上がるようなもんはなかったもんなあ」
イベントが少ないからこそそのイベントが正月でも待ち遠しかった。今の子はクリスマスがメインイベントのようなもので、正月はそこまでじゃないだろうが。同期の言葉を聞きながらしみじみと思うイルカに、
「それにこれのお返し買わなきゃならねえんだもん、面倒くさい時代になったもんだよな」
ため息混じりに同期が言う。この義理チョコにお返しを買わなければいけないのは確かで、イルカは苦笑いを浮かべるしかなかった。
面倒くさい。少し前の自分だったらその一言に尽きていただろうが。同期とああは言ったものの、今はバレンタインというイベントでさえあって良かったと思えるのは。自分に恋人がいるからなんだが。
イルカは一人頬を赤くさせながら肩にかけた鞄をかけ直した。この鞄には今日職員室でもらった義理チョコや生徒からもらったチョコが入っているが。自分が恋人の為に買った商店街で買ったチョコが入っている。
ここのはそこまで甘くないね。
そう口にしたのは去年。カカシが火影に就任する前。サクラからもらったチョコを食べ、感心したように口にしたのを覚えている。恋人としてカカシとつきあい始めたのは彼が上忍師時代の頃になるが、一度もチョコなんてあげた事なんかなかった。元々甘いものが苦手だと言っていたし、事実好きではないのも知っていた。それでもやっぱり恥ずかしくて、好きだという感情を全面に出すカカシとは違う、付き合っているのに素直に気持ちを伝えるのが苦手だった。そして付き合ってはいたものの大戦が始まり、終結を迎えたその間はほとんど顔を合わせることすらなかった。ただ、カカシが無事でいてくれた事がなによりで、そしてもう関係は終わってしまったとばかり勝手に思っていたのに。
何事もないようにふらりと帰ってきたのは、終戦後間もない頃だった。
ある日玄関を開けたら、カカシがそこに立っていた。ただいま、と前と変わらない笑顔で言われた時、今度会ったら色々言いたい事がたくさんあったはずなのに。その顔を見たら。呆けながらも、おかえりなさい、としか言えなかった。
あなたに会ったら死にたくないって思うって分かっちゃったんだよね。
ご飯を食べながら、何気ない風にカカシは口にした。自分なんかより幼い頃から死と隣り合わせだったはずのカカシに。裏を返せばそのつもりだったのかと言葉を無くすイルカを前に、
ま、でも死ぬつもりもなかったんだけどね
あっけらかんと言うから。そんな口調で言う内容じゃねえだろうと思うも、責める言葉なんて見つからなかった。
ろくに会っていなかった時期も含めたら付き合った期間は長いが。チョコを買ったのは初めてだ。それだけで気恥ずかしい気持ちに緩みそうになる顔をイルカは引き締める。
カカシは忙しい。昔から任務に駆り出され忙しかったものの、火影になってから、それとはまた違う忙しさに日々追われている。
火影に就任すると聞いた時、どうするのかと思ったりもしたが、終戦後自分の元に帰ってきた時から、カカシはもう二度と離れることはないんだろうとなんとなく分かっていたから。自分からは口にしなかったが、その通り、火影になろうとも変わらずこの関係は続いている。
受付に立ち寄ったのは渡す書類があったから。
顔を出して挨拶をしながら担当者に書類を渡す。三代目はよく受付に座っていたが、綱手と同じく執務室に詰めているカカシがここにいることはほぼない。自分もアカデミーでは後輩が増え責任がある仕事を任せられるようになり、ここの受付や報告所に座ることも少なくなってきている。
爺はよく先生と一緒に仕事してたのにさ。
就任して直ぐ、思ってたんと違うと言わんばかりにカカシが不満たらたらな顔で呟いたのを思い出した。
そんなメリットがあるからカカシが火影になることに応じたわけではないと知ってはいるが。密かに期待をしていたのだろう。三代目が他の部下に比べたら使いやすかった自分によく仕事を頼んでいたのは確かだが。時が経ち、あの頃に比べたら情勢やら色々変わってしまっているから、仕方がない。
たまにしか顔を出さないからか。書類を渡して直ぐに帰るつもりだったのにちょうど休憩に入った同期にコーヒーを勧められ、それを飲む。
食べるか?とチョコを見せられ、イルカは苦笑いをした。女性職員とは違い、おやつなんてものを常備していない自分たちが一年で一番お菓子を持っている時期はバレンタインくらいだ。だったら自分のを食べるとイルカは鞄から小さな包みを一つ取り出す。
「手作りだな」
袋を開け手に取ったチョコを見て言われ、イルカは笑う。
「バーカ、こりゃ生徒からだ」
それは確かに一目見れば分かるくらいに不格好ではある形をしていた。そして、生徒からチョコをもらうのは毎年の事で、その中に手作りも入っている事もあるが、それは生徒が本命のチョコを作ったその残りだ。それでも手作りには変わりないから、生徒の成長を感じながらそのチョコを口に入れる。食べたチョコの中にとろっとしたものが出てくるのはそういうものなかのか失敗したからなのかすら分からないが。甘さが控えめで美味い。明日生徒の顔を見た時に素直に美味かったと言ってやらなきゃなあ。そう思いながらコーヒーを飲む。
その一時間後、イルカは木の葉病院にいた。
「こりゃ見事に小さくなったもんだね」
綱手の言葉に、イルカはぐっと口を閉じた。
何でこうなってしまったのか。自分も忍びで経験の積んだ教師であるから分かるものの、だからこそ情けない気持ちになるのは確かで。落ち込んだ表情のまま椅子に座っているイルカを綱手は腕を組んで見つめた。隣にはサクラが心配そうにこっちを見つめている。
症状が出たのはチョコを食べ終えて直ぐだった。胸が焼けるような感覚はきっとウィスキーがチョコに入っていたんだろうと暢気に考えていたが、それは治まることがなく。身体の異変に気が付いた時は既に遅かった。
生徒からもらったチョコだからと疑うことなく口にした事も、疑っていなかったからこそ、その後直ぐに対処しなかったも。そして心配そうに見つめるサクラの眼差しに、情けない気持ちで押しつぶされそうになる。項垂れるイルカに、綱手が組んでいた腕を解き手のひらで額に触れた。触れることで診てくれているのが分かるから、イルカは大人しくじっと動かずに受け入れる。やがて、綱手はその手を額から離すと、息を吐き出しながらこっちを見た。
「体温は正常に戻ってるね。他に異常は感じるかい?」
聞かれ、チョコを食べて異変が出てしばらくは身体も熱く、高温状態だと自分でも分かっていたが、身体の変異が治まってからは、今はそれもなく、この見た目以外は体調も悪くはない。ふるふると首を横に振ると、綱手はそれを理解するかのように軽く頷いた。
「その薬が問題なく効いたってことだね」
綱手の言う薬とは、チョコに入っていた若返る効能のある薬を指している。問題なく、とは用量の事なんだろうが、自分にとったら用法に問題があるのは間違いがなく、問題がない、と言われても自分には耳が痛い。
「・・・・・・申し訳ありません」
深々と頭を下げる自分の声も、弱々しい子供の声は自分の声ではないようで、イルカは泣きたくなった。
おずおずと顔を上げれば、病室に置かれた鏡に映っている自分が目に入った。その姿には見覚えがある。この背格好からしたら十歳くらいだろう。お酒の入ったチョコだと勘違いして一つならまだしも何個も食べてしまった。一回り以上に若くなってしまった原因がそこにある。生徒の父親が任務で使用する薬を勝手に使った生徒にも問題があるが、それを叱る権利は自分にはない。重い表情のイルカに綱手はため息を吐き出した。
「まあイルカらしいと言えばイルカらしい事だけどね。そこまで落ち込むことないだろう。毒を飲んじまったわけでもないんだから」
そんな事でメソメソするんじゃないよ。
尤もな言葉に、どんな顔をしてしまっているのか、自分でも分からないが、ぐっと堪えるように奥歯に力を入れる。
「サクラ、取りあえずカカシに連絡しな」
「え、なんで」
反射的に言葉が出ていた。
「俺、別に大丈夫ですから」
見た目以外にはどこも問題ないので。
続けた台詞に、そんな事は分かってる、と綱手に直ぐに返された。
ただでさえ忙しい身なのにこんな事でカカシの手を煩わせたくないし、事情が事情なだけに情けない。困るイルカに怪訝な目で見ながら。何を言ってるんだと綱手はため息混じりにこっちを見る。
「火影であるカカシに報告するのが筋だろう」
その一言に、何も言い返す事は出来なかった。
カカシは思った以上に早く病院に現れた。火影であるカカシに報告は仕方がないと分かっていても、報告を受けたカカシが病院に来るとまでは思っていなくて。見た目はこんな状態だが中身は変わっていない。検査を終え問題もなかったから早々に家に帰ろうとした矢先、顔を出したカカシに驚いた。
「イルカ先生、大丈夫?」
扉を開けたカカシがつかつかと病室に入ってくる。
普段肩に掛けている鞄は今の自分には大きくて。両手で持ったままの格好で、苦々しい表情を浮かべるしか出来ない。はあ、まあ、と小さく呟いた。そしておずおずとカカシに顔を上げる。血相を抱えた、とまではいかないが、慌てたカカシの表情を見た途端、安堵の気持ちがわき上がるものの、それは直ぐに消え、気持ちが逆に重くなる。イルカは思わずカカシから視線を逸らし俯いた。
「あの、聞いてるとは思いますが中はそのままだし検査も問題なかったので、」
だから、大丈夫ですから。
サクラからどう聞いたのかは知らないが。忙しい身のカカシがわざわざここに足を運ぶ事じゃないはずだ。そう、恋人とはいえ火影だ。自分が気が付かずにチョコを食べてしまったばかりに、こんな事でカカシが動くことに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
口を結んで黙ってしまったイルカに、カカシはじっと見つめていたが。やがてイルカの目の前まで歩み寄る。
「ホントにちっちゃくなったんだね」
手を伸ばしたカカシが頭をぽんと軽く触れる。
「送ってこうか?」
その言葉にイルカは顔を上げた。
「だからっ、中身は問題なく元のままなんで、大丈夫ですから」
子供扱いは止めてくれ。
頭に置かれたカカシの手を振り払い、睨むイルカに、カカシは少しだけ驚いた顔をしたが、やがて、そう、と呟くから。イルカはそれを聞いて鞄を抱えたまま、扉に向かって早足で歩き出す。
「・・・・・・カカシさんはきちんと仕事してください」
小さく口を開くと、イルカはそのまま扉を開け病室を後にした。
「ねえ、先生これっていつまでだっけ?」
暢気なカカシの声がイルカにかかり、書類を纏めていた手を止め顔を上げる。
「今週末までです。あ、その一番下の書類は早めに決済してほしいそうですので、早めにお願いします」
言えば、はーい、とまたしても暢気な声がイルカに返ってくる。黙々と仕事をしているカカシの机には山のような書類が置かれ、下を向くカカシの顔はほとんど見えないが。また大人しく仕事に戻ったのを確認して、イルカもまた書類を纏める事を再開する。
イルカが携わっていた仕事には今の容姿では難しいと判断したカカシが自分の側で補佐、とまではいかないが、ここ執務室で仕事をする事を決めた。流石に十歳の容姿でアカデミーの教壇に立つわけにもいかないから、カカシの判断は間違ってはいないと思うし、幸いな事に三代目や五代目の仕事も手伝っていた経験があるから問題なく出来ている。
最初は特別扱いをされているようで、ここで仕事をする事は遠慮したかったが、結果カカシが上機嫌で仕事の処理も早くなっているとシカマルに嬉しそうに言われたら断る事も出来ず、ずるずると今もこうしてここで仕事をしている。
そう、この状態は直ぐに治るとばかり思っていたのに、気が付けば既に二ヶ月近く経っていた。
もともと長期で任務をする為の薬だからね。
直ぐに戻ると高を括っていたから綱手の言葉はイルカを落胆させた。
それだけ調合がしっかりされてるって事だよ。
そこは忍びとして考えれば嬉しい限りだが。今回に関してはそれは全く嬉しわけがない。
もう二ヶ月。
当たり前だけど自分の手持ちには子供の服なんてなくて。カカシやサクラが用意してくれた子供用の服を着ているが。この体では何をするにしても普段の生活が今まで以上に不便なのには変わらない。
小さい手では書類の束を纏めるだけでも一苦労だ。
席を立ち、棚から新しいファイルを取ろうとする。それだけなのに、当たり前だが一番上は届かない。
「これ?」
用意された踏み台を使う前にカカシがそのファイルを取り、こっちに差し出す。
「カカシさんはこんな事で手を休めないでください」
ファイルを受け取りながらも言えば、カカシは眉を下げた。
「素直じゃないなあ。ありがとうって言えばいいじゃない」
この容姿になってから、普段以上に素直ではなくなっているのをとっくに気が付いているカカシの言葉に、イルカはむっとして口を結ぶ。
「・・・・・・ありがとうございます」
小さく呟けば、にこりと微笑み、そしてイルカの頭を大きな手のひらで撫でる。
素直じゃないのは認めるが、子供扱いされるのは嫌だ。頭を撫でられ不満そうな顔をすれば、払いのけられる前にカカシは手を離した。
「ごめんね」
申し訳なさそうに言うが、優しく微笑むその顔は明らかに自分を子供扱いしているようで。丸で拗ねた子供の機嫌を取ってるようで気に入らない。何か言い返そうと思った時、扉が叩かれ、シカマルが入ってくる。
「会議の時間です」
「もうそんな時間?」
カカシがやれやれとため息を吐き出すと、屈んでいた身体を起こしシカマルへ顔を向けた。
「カカシさん、資料はそこです」
シカマルに言われて用意した資料の場所を指すと、カカシはそれを手に取る。改めてそこで資料をぺらぺらと捲り、長くなりそうだよねえ、と一人呟き、そしてこっちを見た。
「先生、定時になったら帰ってていいからね」
この時間から始めたら夕方までには終わらないだろう。分かりました、と素直に言うイルカに、カカシはシカマルに続いて執務室を出て行こうとして、その背中を見送っていれば、ふとこっちへ振り返る。
「早めに終わったら先生んち寄るね」
いいも悪いもカカシが来たいと思ったらは来るのは、前からそうだ。
「・・・・・・分かりました」
答えに迷うが頷くと、カカシはまた微笑む。執務室の扉が閉められ、一人になったイルカは、静かになった部屋で椅子に座ると、小さくため息を吐き出す。そこから再び仕事に取りかかった。
カカシが来たのは夕飯を用意した後すぐだった。
もともとそこまで料理が出来る方でもなかったが、この容姿になってからは手の込んだものは作らない。
「あ、ビール」
鍋を二人で囲みながら、ちゃぶ台に出していない事に気が付き箸を置き席を立とうとすると、いーよいらない、とカカシから声がかかる。
そんなカカシへイルカは視線を向けた。この容姿になってから思っていたが。
「俺に気を使ってるとかだったら、大丈夫ですから」
遠慮なんてしないでください。
カカシにそう告げると、困ったような笑顔を浮かべ、うん、と答えるから。黙ってイルカは冷蔵庫へ向かう。缶ビールを取り出した。
ちゃぶ台の前に座っているカカシはベストを脱いでいるものの、床に置いてあるのは火影のベストで。こんな格好の自分と火影であるカカシが一緒にいるのは考えるだけでなんかおかしい。このもやもやした気持ちは一体何なのか。小さくため息を吐き出した時、
「先生ってさ、結構大きい方だった?」
不意にそんな事を聞かれ、イルカは冷蔵庫を閉めながらもどうだろうなあ、と思考を巡らせた。
「そうですね。このくらいの歳になったら急に背が伸びてどちらかと言ったら周りより少し大きい方だったかもしれないです」
というか、あまり昔の事はよく覚えていない。あまり楽しい記憶がないから覚えていたくなかった、が正直なところだが。うろ覚えながらにそう答えれば、そっか、とカカシが返した。
「カカシさんはどうだったんですか?」
缶ビールを手渡してイルカは座る。
何年も一緒にいるのに、カカシもそうだが自分も過去の事を聞いた事がなかった。
カカシはビールを開けながら、うーん、そうね、と呟く。
「周りは大人ばっかだったからいつも自分が一番小さかったんだよね」
だから反発心ばっかり育っちゃったかな。
冗談混じりに笑うカカシに、イルカは思わず口を結んだ。
自分の世代の忍びだったら、カカシは憧れの存在で、誰もがカカシが何歳で上忍になったのかも知っている。話の流れで聞いてしまったものの、カカシの言葉を聞いて胸が痛まないはずがない。黙ってしまったイルカに、カカシは缶ビールを置くとイルカに近寄る。
「せんせ」
優しい言葉と共にカカシは俯いているイルカをのぞき込む。すみません、と言おうと思えば、でもさあ、とカカシが先に口を開いた。
「この頃の先生に会ってみたかったな。あ、いやでもどこかで会ってたかもしれないよね」
顔を上げると、じっとカカシがこっちを見つめている。自分を見つめるいつもの眼差しに変わらないはずなのに、なにか違う。きっとこのくらいの年齢の子供を見つめる時はこんなに優しい目を向けるんだろう。カカシが自分ではない誰かを見つめている錯覚に陥り、イルカはふいと顔を背けた。
「・・・・・・カカシさんは何でそんなに優しいんですか」
こんな状態になってしまってから。ずっと思っていた事をぽつりと喋ると、何が?と暢気な声がカカシから返るから。だって、とイルカは続けた。
「だって俺はミスしたんですよ。生徒からもらったチョコとは言え、何も気が付かずに何個も食べて・・・・・・いくら恋人だからって、へました部下にはもっと叱っていいと思います」
「先生は叱って欲しいの?」
言われて顔を戻せば、カカシと視線がぶつかる。いつもの眠そうな目に映るのは自分のはずなのに、アカデミーの生徒と同じ子供で。複雑な心境に再びイルカは視線を外した。
「叱って欲しいとか、そう言う訳じゃなくて、」
ふてくされたように言うと、カカシは表情を和らげ小さく笑う。伸ばした手がイルカの頭を優しく撫でた。
カカシは、自分が子供になってしまってから、クセのように頭を撫でる。満足したような顔をするのはどういう意味なのかは分からないが。
「叱るもなにも、顔を見たらどれだけあなたが後悔や反省をしてるかって分かったから。それ以上に俺が何か言うことはないよ」
静かにカカシに言われ、内心驚く。
「・・・・・・そうなんですか?」
「うん、だって、今にも泣きそうな顔してたじゃない」
不安だったのは確かだが。なんだか明け透けな言い方にも聞こえて。イルカはそれを聞いて、かあと顔を赤らめた。
「泣いてません!」
否定するが、高温状態になり自分の身体が縮んでいくのを感じた時、怖くて仕方がなかったのを思い出した。同時に、情けなくて消えていなくなってしまいたかったのに。何故かカカシの顔を見た途端安堵に包まれた事も。
頑なに否定するイルカを見て、ごめんごめん、と言いながらカカシは笑った。その普段二人でいる時にしか見せない、くったくない笑顔を見ていたら、きゅうと胸が苦しくなる。再び食事を再開させようと箸を持つカカシをイルカはじっと見つめた。
箸を持っているその無骨で大きな手やカカシの普段さらされていない口元を見つめていると、青みがかった目がふとこっちへ向いた。
「どうかした?」
不思議そうに問われるが。イルカは答える事が出来ない。座って膝に置かれた小さな自分の手をぎゅう、と握り唇を結んだ。そして不思議そうな顔をしたままのカカシへ顔を上げる。
「・・・・・・しませんか?」
か細い声で口にしたイルカの言葉に、カカシは箸を持ったまま瞬きをする。そこから、えっと、と口を開いた。
「するって、何を?」
問われてイルカは、困ったように俯いた。自分から言い出したもののはっきりと口にすることが恥ずかしくて。言葉にする事が出来ない。
「だから、・・・・・・するって言うのは、」
もごもごと口を動かすイルカに当たり前に察したのか、カカシは、少しだけ驚いた顔をする。
「え・・・・・・いいの?」
驚くのは当たり前だ。
こんな姿で、するとか、あり得ない。自分でもそう思う。
でもいつまで経っても元にもどらなくて。見た目は幼いままであっても中身は変わっていなくて。カカシに頭を撫でられたり、優しい眼差しを向けられたり。それだけなのに。この状態が続いてしまっているからなのか。どうしようもない気持ちがわき上がっていたのは事実だった。
カカシだって溜まっているはずなのに、触れようともしないから。なのにこんな状態がいつまで続くか分からない、そう思ったらおかしくなってしまいそうで。
「こんな俺じゃ、嫌ですか?」
恥ずかしさを堪えて聞けば、カカシの目が少しだけ見開いた後、首を横に振る。
「どんな先生でも俺は構わない」
カカシの真面目な返答にイルカは思わず笑った。どういう答えを求めているわけでもなかったが、その言葉はイルカをこそばゆい気持ちにさせる。でもきっと、カカシは嘘をついていない。
そもそもカカシは容姿も端麗で実力もあって女性が放っておくはずはない。きっとカカシが求めたらどんな女性でもつき合える。なのに、カカシは自分を選んだ。笑い話にされてもおかしくない。実際、カカシに告白された時、冗談だろうとイルカは笑った。なのにカカシは、冗談であなたに告白なんてするはずないでしょ、と真面目な顔で返すから。その真剣な顔に、ドキンとして、それ以上に茶化す事が出来なかった。
いつもにこやかな顔をして冗談を言ったりするくせに。こういう時に真面目な顔をするのは狡い。ただ、今回も自分は冗談でもなんでもなかった。
自分が実際に十歳くらいだった頃、ナルトのように強くなる事ばかり考えて。毎日を過ごす事だけで精一杯で、両親を亡くし、気持ちにも余裕なんてなくて。こんな浅ましくもんもんんとした記憶はない。
自分なりに我慢したが。もう限界だ。
だって、今は姿は十歳でも、中身はそのまんまだ。前もそれなりに性欲はあったが、こんなんじゃなかったはずなのに。幼い自分にカカシが優しくも甘い笑顔を向ける度に。カカシはそんなつもりじゃないと分かってるのに。どうしようもなく疼くのは、自分が厭らしい人間のようで。
いや、違う。
イルカは否定するように、眉根を寄せた。こんな風になったのはカカシと身体を重ねるようになってから、そう。カカシを知ってしまってから。こうなってしまったんだと、自分でも分かっている。
幼い姿でこんな事をするなんて背徳的な気持ちになるが口にしたことを引っ込める気もない。
イルカはちゃぶ台の前であぐらを掻いたままのカカシに近づき、その上に乗った。心臓がどきどきと恥ずかしいくらいに鳴っているが、顔を近づければカカシも顔を上げ口を薄く開ける。ゆっくりとカカシの唇に触れた。薄い唇が暖かいのは部屋にいるからだ。外だともっとカカシは冷たい。唇も、指先も。
くっつけては離すを何回も繰り返すうちにカカシがやがて舌を割り込ませてきた。小さな口にカカシの舌がぬるりと入り込む。
ずっと触れたくて、こうしたかった。
カカシがキスをしやすいように、イルカは口を開いて自分の舌を絡らませる。普段とは違いやりにくいのは、何もかも小さいから当たり前だ。それを分かってリードするように、カカシは自分の手をイルカの上着の裾から入れた。ビクリを跳ねると、カカシの手が止まる。
「・・・・・・大丈夫?」
伺うように聞かれ、イルカは黙って頷いた。
だって、カカシの大きな手が、自分に触れるのが気持ちいい。平気です、と言えばゆっくりとカカシの手が動き、イルカの胸の先端に指先が触れた。
「あっ」
思わず声が出る。
「やめる?」
聞かれて今度は頭を横に振った。
「・・・・・・もっと、してください」
普段言わない事を口にしてるんだと、分かっている。恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだが、それよりも、カカシに触れてほしい。
イルカの言葉に、カカシが唾を飲み込んだ音が聞こえる。そこからカカシは再び手を動かし、その先端を指先で摘んだ。
上着を捲り上げカカシの口が小さな乳首を口に含む。吸って、舌で潰され、それだけでビリビリと痺れたような快感がイルカを襲った。絶え間なく声がイルカの口から漏れる。カカシの頭を抱えるイルカに構わずその小さな乳首を何度も舐る。カカシの手が脇腹をゆっくりとたどった。
いつもと同じ事をされているのはずなのに、優しく感じる触り方に、ああ、そうか、と改めて納得する。カカシは今は小さい子供を相手にしているのだ。普段もそこまで乱暴はしないが、多少強く押し倒されたり押さえつけられてもそれは当たり前だと思っていたから気にもしなかった。
でも今は自分は小さな子供で。
自分の望みにカカシが一生懸命応えてくれようとしているんだと思ったら、胸が熱くなる。
「脱がすから腰浮かせて」
カカシの低い声が耳の中で響く。胸を吸われる度にカカシにしがみついていればそう言われ、言うとおりにすれば、カカシはイルカのズボンを下着ごと脱がせた。外気に触れ肌寒く感じるが、身体の中は熱いままで。急にこみ上げる恥ずかしさに、困るイルカにカカシは優しく微笑む。
「恥ずかしい?」
今自分がどんな顔をしているのか。十歳の自分がこんなに恥ずかしい事をした記憶はない。顔が熱いのも分かっている。それでも、強く首を横に振ると、カカシがイルカを軽々と抱き上げる。そのまま寝室へ向かった。
イルカが自分に覆い被さった時、いつにもない緊張で心臓が高鳴っていたが、嬉しかった。時間をかけて慣らしてくれた場所はカカシの指を飲み込むのすら苦痛を伴ったけど、イルカは我慢した。
カカシはイルカの細い足を広げ、自分の高ぶったものを解かされた場所に押しつける。指よりも遙かに大きなそれに押される度に無理に広げられた箇所の薄い肌が引き攣った。いつもだったら、慣らしたそこにカカシの陰茎は既に入り込んでいる。下半身の内部が熱く圧迫感があるものの、じらされるような表現のしようのない感覚。
だが、それは訪れなかった。カカシが押し入れようとしても、その場所が多少広がっていようとも、カカシの大きさを飲み込むほどではない。イルカの眉根が寄った。
「・・・・・・先生、」
申し訳なさそうなカカシの声が上から振ってくる。分かっていたはずなのに。そう、頭の奥ではこうなる事だって予想できた。
でも。
カカシの顔を見ていたら。
鼻の奥がつんとするのが分かった。それをきっかけに、イルカの視界がみるみるぼやけていく。小さな手で自分の顔を覆い、隠したが、それでカカシを誤魔化せるわけがない。
「イルカ先生・・・・・・」
手の下でくしゃりと顔がゆがむ顔に、カカシが再び心配そうに名前を呼んだ。
普段からあまり泣くことがない。
両親が亡くなってから、泣いても、泣いたところで何も変わらないと分かったから。だから、もし泣きたい事があっても泣かないように、泣くほどのことじゃないと、自分の中で言い聞かせ、我慢した。
それなのに。
いくら泣くまいとしても一度緩んだ涙腺は丸でぷつんと切れてしまった糸のように、涙が目から溢れ出す。
泣きたくないと我慢すればするほどに、喉が鳴り、漏れる声は引き攣り、こめかみを生ぬるい涙が滑っていく。
見た目そのままに、子供が泣くその状況はあまりにも惨めに感じた。
カカシが困ると分かっているのに。
泣くのを止められない。
「ごめっ、なさっ」
カカシが何か言う前にイルカは謝った。だってこれはカカシは悪くない。自分が誘って、自分がこうさせたのだ。
カカシをがっかりした気持ちにさせたのは間違いなく、自分のわがままで、こんな事になってしまった事が申し訳なくて。
でも、それ以上に。
カカシと繋がりたかった。
カカシとつき合うまではセックスにそこまで拘りはなかった。性欲を互いに処理する感覚に近く、セックスしたらスッキリするのはその為だし、それ以上でもそれ以下でもないと。
でも、ただカカシを受け入れて出す事が、セックスじゃないと気がついてしまった。
愛し愛される行為だと。
こんな身体になってから、カカシが遠く感じて。恋しくて。
愛したいし愛されたい。
なのに、出来なくて。
今まで我慢していた感情が絡み合い、どうしようもない形で、涙となってあふれ出す。
まだこんな身体だから。子供のように泣きじゃくっている自分が嫌になる。
なのに、
「先生、泣かないで」
優しい声がしたかと思うと、カカシの手のひらがイルカの頭を撫で、顔を頑なに隠したままの小さな手を撫でる。
そんな優しい声をださないでくれ。
そう思うも、それは声にならない。
ただ、うく、うく、と途切れ途切れに声を出し、イルカは泣いた。
涙ぐんだことはあっても、こんなに人前で泣いたのはいつぶりだろうか。それすら分からない。
こんなつもりじゃなかった。
ごめんなさい。
容姿だけではなく、中の人間まで子供に戻ってしまったかのように。
イルカは泣きながら謝る。
震えるように泣きじゃくるイルカを、カカシは抱きしめた。布団の中でカカシの腕の内に抱き込まれながら、久しぶりに感じるカカシの温もりと匂いを感じながら、止まらない涙を小さな手で拭うイルカの背中を、カカシの大きな手が優しく撫でる。
「大丈夫だから」
何度もカカシが囁く。
一体何が大丈夫なのか、それもイルカにも、きっとカカシにも分からない。でも、カカシのその声はイルカを安心させた。
鼻をぐずぐずさせながら、その声を聞きながら、イルカは意識が薄くなる。やがてカカシの腕の中で、ゆっくりと眠りに落ちて行った。
目が覚めた時、違和感を感じた。
もぞりと身体を動かし、眠そうに目を開ければ、目の前にカカシが映る。
「・・・・・・おはようございます」
布団の中で目が覚めて。カカシの顔を見て寝ぼけながらも挨拶を口にしたイルカに、カカシは優しく目を細める。
「おはよう」
言われて、寝ぼけ眼に目を擦りながら。ついさっき感じた違和感を再び感じて、動かしている手を止めた。自分の手のひらを見る。
目に映ったのは、見慣れ始めていたあの小さな手ではなく、成人した男の大きな手だった。
驚き目を丸くして、思わずがばりと布団から起きあがり、自分の身体を手で触り、目で確認して。元の姿に戻っている事を知る。
「・・・・・・戻った」
ぽつりと呟けば、それを眺めていたカカシが、うん、そーだね、と答えた。カカシへ目を向ければ、布団の中で縦肘を付きながらこっちを見ている。
「目、腫れちゃったね」
忘れたわけじゃないのに。元の姿に戻れた事が嬉しすぎて頭の奥に追いやられていた昨日の出来事が、カカシの一言で一瞬にして脳裏に蘇る。顔が一気に熱くなった。
今更、裸の身体を隠すように布団にイルカは潜り込んだ。
覚えがある。
覚えがあるが、あの感情はどうにも出来なかった。
カカシを誘っておきながら、出来ないと分かったら泣き出して。そして慰められているうちに寝てしまった。
泣きながら寝たのに、すごく深い眠りについていた気がする。それくらい頭の中はすっきりしていて。
でも。
でも。
穴があったら入りたい。
カカシに今更なんて言えばいいのか。
「まあいいじゃない」
必死に何を言おうか布団の中で丸まって考えるイルカに、カカシから暢気な声がかかる。
いや、よくない。
なんにも良くない。
カカシさんが良くても俺がよくない。
黙り込んでしまったイルカに、ねえ、先生、とカカシは布団の上から、手を置く。
「俺ね、先生が元の姿に戻ったからって、さっきそれを式で伝えたのよ。念のために病院に連れて行くって。シカマルに伝えたから、午前中は時間もらったの。特別に」
じっと布団の中で聞き耳を立てているイルカに、カカシは静かに続けながら、顔を近づけた気配がする。そして布団越しに唇を耳に押し当てて囁いた。
「だからさ、昨日の続き、しよ?」
イルカの耳に、しっかりと届く。低い声で甘く囁かれた台詞を布団の中で、目を開いたまま聞いていた。
昨日の失態の今日だ。
はい、やります、なんて。言えるわけが、
「お願い」
布団の上からぎゅう、とカカシに抱きしめられる。体重を乗せられて苦しくもなるが、その重みは心地いい。
狡いなあ。
イルカは布団の中で苦笑した。
自分がうんと言いやすいように、甘えたようにお願いしている。それが分かっているから。
イルカはもぞもぞと動いて布団の中から顔を出すと、カカシが微笑んだ。
もう二度とあんな風に誘ったりしない。そう心に決めようとしたのに。カカシの優しい表情を見ていたら、心の中と表情が緩んだ。
この人が好きだ。こんなに自分を大切にしてくれる人はいない。
好き、なんて言葉にするとなんとも陳腐にしか感じないのに。
言いたくて仕方がなくて。
感情がこみ上げる。
でも、その代わりに言うことはただ一つ。
イルカは勢いよく抱きつくとカカシを自分に引き寄せた。
「わ、」
驚くカカシに構わずイルカは苦しいくらいに抱きしめる。
「いっぱいいっぱいしてください」
包み隠すことない自分の本音を、イルカはカカシの耳元で囁いた。
「イルカ先生もどうぞ」
それを紐付けるかのようにタイミングよく目の前に差し出されたチョコにイルカは目を向ける。顔を上げると、女性職員が箱を持って立っていた。
私たち女性教員からです、と付け加えられる。
「どうも、いただきます」
礼を言って受け取ると、その教員はにこりと笑ってまた他の男性教員へ配る為に歩きだす。それを眺めながら。小さくため息を吐き出せば、隣の同期がこっちを向いた。
「何、本命だと思ったとか?」
分かりやすい揶揄に、馬鹿言え、とイルカが短く返しながらももらった義理チョコを手に取ると、でもなあ、と呟く。
「昔はイベントと言えば正月や夏祭りとか、それくらいだったのにな」
イルカの台詞に、確かにな、と同期は笑いながらも頷いた。
「クリスマスやハロウィンもそうだけど、俺らの時代はそこまで盛り上がるようなもんはなかったもんなあ」
イベントが少ないからこそそのイベントが正月でも待ち遠しかった。今の子はクリスマスがメインイベントのようなもので、正月はそこまでじゃないだろうが。同期の言葉を聞きながらしみじみと思うイルカに、
「それにこれのお返し買わなきゃならねえんだもん、面倒くさい時代になったもんだよな」
ため息混じりに同期が言う。この義理チョコにお返しを買わなければいけないのは確かで、イルカは苦笑いを浮かべるしかなかった。
面倒くさい。少し前の自分だったらその一言に尽きていただろうが。同期とああは言ったものの、今はバレンタインというイベントでさえあって良かったと思えるのは。自分に恋人がいるからなんだが。
イルカは一人頬を赤くさせながら肩にかけた鞄をかけ直した。この鞄には今日職員室でもらった義理チョコや生徒からもらったチョコが入っているが。自分が恋人の為に買った商店街で買ったチョコが入っている。
ここのはそこまで甘くないね。
そう口にしたのは去年。カカシが火影に就任する前。サクラからもらったチョコを食べ、感心したように口にしたのを覚えている。恋人としてカカシとつきあい始めたのは彼が上忍師時代の頃になるが、一度もチョコなんてあげた事なんかなかった。元々甘いものが苦手だと言っていたし、事実好きではないのも知っていた。それでもやっぱり恥ずかしくて、好きだという感情を全面に出すカカシとは違う、付き合っているのに素直に気持ちを伝えるのが苦手だった。そして付き合ってはいたものの大戦が始まり、終結を迎えたその間はほとんど顔を合わせることすらなかった。ただ、カカシが無事でいてくれた事がなによりで、そしてもう関係は終わってしまったとばかり勝手に思っていたのに。
何事もないようにふらりと帰ってきたのは、終戦後間もない頃だった。
ある日玄関を開けたら、カカシがそこに立っていた。ただいま、と前と変わらない笑顔で言われた時、今度会ったら色々言いたい事がたくさんあったはずなのに。その顔を見たら。呆けながらも、おかえりなさい、としか言えなかった。
あなたに会ったら死にたくないって思うって分かっちゃったんだよね。
ご飯を食べながら、何気ない風にカカシは口にした。自分なんかより幼い頃から死と隣り合わせだったはずのカカシに。裏を返せばそのつもりだったのかと言葉を無くすイルカを前に、
ま、でも死ぬつもりもなかったんだけどね
あっけらかんと言うから。そんな口調で言う内容じゃねえだろうと思うも、責める言葉なんて見つからなかった。
ろくに会っていなかった時期も含めたら付き合った期間は長いが。チョコを買ったのは初めてだ。それだけで気恥ずかしい気持ちに緩みそうになる顔をイルカは引き締める。
カカシは忙しい。昔から任務に駆り出され忙しかったものの、火影になってから、それとはまた違う忙しさに日々追われている。
火影に就任すると聞いた時、どうするのかと思ったりもしたが、終戦後自分の元に帰ってきた時から、カカシはもう二度と離れることはないんだろうとなんとなく分かっていたから。自分からは口にしなかったが、その通り、火影になろうとも変わらずこの関係は続いている。
受付に立ち寄ったのは渡す書類があったから。
顔を出して挨拶をしながら担当者に書類を渡す。三代目はよく受付に座っていたが、綱手と同じく執務室に詰めているカカシがここにいることはほぼない。自分もアカデミーでは後輩が増え責任がある仕事を任せられるようになり、ここの受付や報告所に座ることも少なくなってきている。
爺はよく先生と一緒に仕事してたのにさ。
就任して直ぐ、思ってたんと違うと言わんばかりにカカシが不満たらたらな顔で呟いたのを思い出した。
そんなメリットがあるからカカシが火影になることに応じたわけではないと知ってはいるが。密かに期待をしていたのだろう。三代目が他の部下に比べたら使いやすかった自分によく仕事を頼んでいたのは確かだが。時が経ち、あの頃に比べたら情勢やら色々変わってしまっているから、仕方がない。
たまにしか顔を出さないからか。書類を渡して直ぐに帰るつもりだったのにちょうど休憩に入った同期にコーヒーを勧められ、それを飲む。
食べるか?とチョコを見せられ、イルカは苦笑いをした。女性職員とは違い、おやつなんてものを常備していない自分たちが一年で一番お菓子を持っている時期はバレンタインくらいだ。だったら自分のを食べるとイルカは鞄から小さな包みを一つ取り出す。
「手作りだな」
袋を開け手に取ったチョコを見て言われ、イルカは笑う。
「バーカ、こりゃ生徒からだ」
それは確かに一目見れば分かるくらいに不格好ではある形をしていた。そして、生徒からチョコをもらうのは毎年の事で、その中に手作りも入っている事もあるが、それは生徒が本命のチョコを作ったその残りだ。それでも手作りには変わりないから、生徒の成長を感じながらそのチョコを口に入れる。食べたチョコの中にとろっとしたものが出てくるのはそういうものなかのか失敗したからなのかすら分からないが。甘さが控えめで美味い。明日生徒の顔を見た時に素直に美味かったと言ってやらなきゃなあ。そう思いながらコーヒーを飲む。
その一時間後、イルカは木の葉病院にいた。
「こりゃ見事に小さくなったもんだね」
綱手の言葉に、イルカはぐっと口を閉じた。
何でこうなってしまったのか。自分も忍びで経験の積んだ教師であるから分かるものの、だからこそ情けない気持ちになるのは確かで。落ち込んだ表情のまま椅子に座っているイルカを綱手は腕を組んで見つめた。隣にはサクラが心配そうにこっちを見つめている。
症状が出たのはチョコを食べ終えて直ぐだった。胸が焼けるような感覚はきっとウィスキーがチョコに入っていたんだろうと暢気に考えていたが、それは治まることがなく。身体の異変に気が付いた時は既に遅かった。
生徒からもらったチョコだからと疑うことなく口にした事も、疑っていなかったからこそ、その後直ぐに対処しなかったも。そして心配そうに見つめるサクラの眼差しに、情けない気持ちで押しつぶされそうになる。項垂れるイルカに、綱手が組んでいた腕を解き手のひらで額に触れた。触れることで診てくれているのが分かるから、イルカは大人しくじっと動かずに受け入れる。やがて、綱手はその手を額から離すと、息を吐き出しながらこっちを見た。
「体温は正常に戻ってるね。他に異常は感じるかい?」
聞かれ、チョコを食べて異変が出てしばらくは身体も熱く、高温状態だと自分でも分かっていたが、身体の変異が治まってからは、今はそれもなく、この見た目以外は体調も悪くはない。ふるふると首を横に振ると、綱手はそれを理解するかのように軽く頷いた。
「その薬が問題なく効いたってことだね」
綱手の言う薬とは、チョコに入っていた若返る効能のある薬を指している。問題なく、とは用量の事なんだろうが、自分にとったら用法に問題があるのは間違いがなく、問題がない、と言われても自分には耳が痛い。
「・・・・・・申し訳ありません」
深々と頭を下げる自分の声も、弱々しい子供の声は自分の声ではないようで、イルカは泣きたくなった。
おずおずと顔を上げれば、病室に置かれた鏡に映っている自分が目に入った。その姿には見覚えがある。この背格好からしたら十歳くらいだろう。お酒の入ったチョコだと勘違いして一つならまだしも何個も食べてしまった。一回り以上に若くなってしまった原因がそこにある。生徒の父親が任務で使用する薬を勝手に使った生徒にも問題があるが、それを叱る権利は自分にはない。重い表情のイルカに綱手はため息を吐き出した。
「まあイルカらしいと言えばイルカらしい事だけどね。そこまで落ち込むことないだろう。毒を飲んじまったわけでもないんだから」
そんな事でメソメソするんじゃないよ。
尤もな言葉に、どんな顔をしてしまっているのか、自分でも分からないが、ぐっと堪えるように奥歯に力を入れる。
「サクラ、取りあえずカカシに連絡しな」
「え、なんで」
反射的に言葉が出ていた。
「俺、別に大丈夫ですから」
見た目以外にはどこも問題ないので。
続けた台詞に、そんな事は分かってる、と綱手に直ぐに返された。
ただでさえ忙しい身なのにこんな事でカカシの手を煩わせたくないし、事情が事情なだけに情けない。困るイルカに怪訝な目で見ながら。何を言ってるんだと綱手はため息混じりにこっちを見る。
「火影であるカカシに報告するのが筋だろう」
その一言に、何も言い返す事は出来なかった。
カカシは思った以上に早く病院に現れた。火影であるカカシに報告は仕方がないと分かっていても、報告を受けたカカシが病院に来るとまでは思っていなくて。見た目はこんな状態だが中身は変わっていない。検査を終え問題もなかったから早々に家に帰ろうとした矢先、顔を出したカカシに驚いた。
「イルカ先生、大丈夫?」
扉を開けたカカシがつかつかと病室に入ってくる。
普段肩に掛けている鞄は今の自分には大きくて。両手で持ったままの格好で、苦々しい表情を浮かべるしか出来ない。はあ、まあ、と小さく呟いた。そしておずおずとカカシに顔を上げる。血相を抱えた、とまではいかないが、慌てたカカシの表情を見た途端、安堵の気持ちがわき上がるものの、それは直ぐに消え、気持ちが逆に重くなる。イルカは思わずカカシから視線を逸らし俯いた。
「あの、聞いてるとは思いますが中はそのままだし検査も問題なかったので、」
だから、大丈夫ですから。
サクラからどう聞いたのかは知らないが。忙しい身のカカシがわざわざここに足を運ぶ事じゃないはずだ。そう、恋人とはいえ火影だ。自分が気が付かずにチョコを食べてしまったばかりに、こんな事でカカシが動くことに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
口を結んで黙ってしまったイルカに、カカシはじっと見つめていたが。やがてイルカの目の前まで歩み寄る。
「ホントにちっちゃくなったんだね」
手を伸ばしたカカシが頭をぽんと軽く触れる。
「送ってこうか?」
その言葉にイルカは顔を上げた。
「だからっ、中身は問題なく元のままなんで、大丈夫ですから」
子供扱いは止めてくれ。
頭に置かれたカカシの手を振り払い、睨むイルカに、カカシは少しだけ驚いた顔をしたが、やがて、そう、と呟くから。イルカはそれを聞いて鞄を抱えたまま、扉に向かって早足で歩き出す。
「・・・・・・カカシさんはきちんと仕事してください」
小さく口を開くと、イルカはそのまま扉を開け病室を後にした。
「ねえ、先生これっていつまでだっけ?」
暢気なカカシの声がイルカにかかり、書類を纏めていた手を止め顔を上げる。
「今週末までです。あ、その一番下の書類は早めに決済してほしいそうですので、早めにお願いします」
言えば、はーい、とまたしても暢気な声がイルカに返ってくる。黙々と仕事をしているカカシの机には山のような書類が置かれ、下を向くカカシの顔はほとんど見えないが。また大人しく仕事に戻ったのを確認して、イルカもまた書類を纏める事を再開する。
イルカが携わっていた仕事には今の容姿では難しいと判断したカカシが自分の側で補佐、とまではいかないが、ここ執務室で仕事をする事を決めた。流石に十歳の容姿でアカデミーの教壇に立つわけにもいかないから、カカシの判断は間違ってはいないと思うし、幸いな事に三代目や五代目の仕事も手伝っていた経験があるから問題なく出来ている。
最初は特別扱いをされているようで、ここで仕事をする事は遠慮したかったが、結果カカシが上機嫌で仕事の処理も早くなっているとシカマルに嬉しそうに言われたら断る事も出来ず、ずるずると今もこうしてここで仕事をしている。
そう、この状態は直ぐに治るとばかり思っていたのに、気が付けば既に二ヶ月近く経っていた。
もともと長期で任務をする為の薬だからね。
直ぐに戻ると高を括っていたから綱手の言葉はイルカを落胆させた。
それだけ調合がしっかりされてるって事だよ。
そこは忍びとして考えれば嬉しい限りだが。今回に関してはそれは全く嬉しわけがない。
もう二ヶ月。
当たり前だけど自分の手持ちには子供の服なんてなくて。カカシやサクラが用意してくれた子供用の服を着ているが。この体では何をするにしても普段の生活が今まで以上に不便なのには変わらない。
小さい手では書類の束を纏めるだけでも一苦労だ。
席を立ち、棚から新しいファイルを取ろうとする。それだけなのに、当たり前だが一番上は届かない。
「これ?」
用意された踏み台を使う前にカカシがそのファイルを取り、こっちに差し出す。
「カカシさんはこんな事で手を休めないでください」
ファイルを受け取りながらも言えば、カカシは眉を下げた。
「素直じゃないなあ。ありがとうって言えばいいじゃない」
この容姿になってから、普段以上に素直ではなくなっているのをとっくに気が付いているカカシの言葉に、イルカはむっとして口を結ぶ。
「・・・・・・ありがとうございます」
小さく呟けば、にこりと微笑み、そしてイルカの頭を大きな手のひらで撫でる。
素直じゃないのは認めるが、子供扱いされるのは嫌だ。頭を撫でられ不満そうな顔をすれば、払いのけられる前にカカシは手を離した。
「ごめんね」
申し訳なさそうに言うが、優しく微笑むその顔は明らかに自分を子供扱いしているようで。丸で拗ねた子供の機嫌を取ってるようで気に入らない。何か言い返そうと思った時、扉が叩かれ、シカマルが入ってくる。
「会議の時間です」
「もうそんな時間?」
カカシがやれやれとため息を吐き出すと、屈んでいた身体を起こしシカマルへ顔を向けた。
「カカシさん、資料はそこです」
シカマルに言われて用意した資料の場所を指すと、カカシはそれを手に取る。改めてそこで資料をぺらぺらと捲り、長くなりそうだよねえ、と一人呟き、そしてこっちを見た。
「先生、定時になったら帰ってていいからね」
この時間から始めたら夕方までには終わらないだろう。分かりました、と素直に言うイルカに、カカシはシカマルに続いて執務室を出て行こうとして、その背中を見送っていれば、ふとこっちへ振り返る。
「早めに終わったら先生んち寄るね」
いいも悪いもカカシが来たいと思ったらは来るのは、前からそうだ。
「・・・・・・分かりました」
答えに迷うが頷くと、カカシはまた微笑む。執務室の扉が閉められ、一人になったイルカは、静かになった部屋で椅子に座ると、小さくため息を吐き出す。そこから再び仕事に取りかかった。
カカシが来たのは夕飯を用意した後すぐだった。
もともとそこまで料理が出来る方でもなかったが、この容姿になってからは手の込んだものは作らない。
「あ、ビール」
鍋を二人で囲みながら、ちゃぶ台に出していない事に気が付き箸を置き席を立とうとすると、いーよいらない、とカカシから声がかかる。
そんなカカシへイルカは視線を向けた。この容姿になってから思っていたが。
「俺に気を使ってるとかだったら、大丈夫ですから」
遠慮なんてしないでください。
カカシにそう告げると、困ったような笑顔を浮かべ、うん、と答えるから。黙ってイルカは冷蔵庫へ向かう。缶ビールを取り出した。
ちゃぶ台の前に座っているカカシはベストを脱いでいるものの、床に置いてあるのは火影のベストで。こんな格好の自分と火影であるカカシが一緒にいるのは考えるだけでなんかおかしい。このもやもやした気持ちは一体何なのか。小さくため息を吐き出した時、
「先生ってさ、結構大きい方だった?」
不意にそんな事を聞かれ、イルカは冷蔵庫を閉めながらもどうだろうなあ、と思考を巡らせた。
「そうですね。このくらいの歳になったら急に背が伸びてどちらかと言ったら周りより少し大きい方だったかもしれないです」
というか、あまり昔の事はよく覚えていない。あまり楽しい記憶がないから覚えていたくなかった、が正直なところだが。うろ覚えながらにそう答えれば、そっか、とカカシが返した。
「カカシさんはどうだったんですか?」
缶ビールを手渡してイルカは座る。
何年も一緒にいるのに、カカシもそうだが自分も過去の事を聞いた事がなかった。
カカシはビールを開けながら、うーん、そうね、と呟く。
「周りは大人ばっかだったからいつも自分が一番小さかったんだよね」
だから反発心ばっかり育っちゃったかな。
冗談混じりに笑うカカシに、イルカは思わず口を結んだ。
自分の世代の忍びだったら、カカシは憧れの存在で、誰もがカカシが何歳で上忍になったのかも知っている。話の流れで聞いてしまったものの、カカシの言葉を聞いて胸が痛まないはずがない。黙ってしまったイルカに、カカシは缶ビールを置くとイルカに近寄る。
「せんせ」
優しい言葉と共にカカシは俯いているイルカをのぞき込む。すみません、と言おうと思えば、でもさあ、とカカシが先に口を開いた。
「この頃の先生に会ってみたかったな。あ、いやでもどこかで会ってたかもしれないよね」
顔を上げると、じっとカカシがこっちを見つめている。自分を見つめるいつもの眼差しに変わらないはずなのに、なにか違う。きっとこのくらいの年齢の子供を見つめる時はこんなに優しい目を向けるんだろう。カカシが自分ではない誰かを見つめている錯覚に陥り、イルカはふいと顔を背けた。
「・・・・・・カカシさんは何でそんなに優しいんですか」
こんな状態になってしまってから。ずっと思っていた事をぽつりと喋ると、何が?と暢気な声がカカシから返るから。だって、とイルカは続けた。
「だって俺はミスしたんですよ。生徒からもらったチョコとは言え、何も気が付かずに何個も食べて・・・・・・いくら恋人だからって、へました部下にはもっと叱っていいと思います」
「先生は叱って欲しいの?」
言われて顔を戻せば、カカシと視線がぶつかる。いつもの眠そうな目に映るのは自分のはずなのに、アカデミーの生徒と同じ子供で。複雑な心境に再びイルカは視線を外した。
「叱って欲しいとか、そう言う訳じゃなくて、」
ふてくされたように言うと、カカシは表情を和らげ小さく笑う。伸ばした手がイルカの頭を優しく撫でた。
カカシは、自分が子供になってしまってから、クセのように頭を撫でる。満足したような顔をするのはどういう意味なのかは分からないが。
「叱るもなにも、顔を見たらどれだけあなたが後悔や反省をしてるかって分かったから。それ以上に俺が何か言うことはないよ」
静かにカカシに言われ、内心驚く。
「・・・・・・そうなんですか?」
「うん、だって、今にも泣きそうな顔してたじゃない」
不安だったのは確かだが。なんだか明け透けな言い方にも聞こえて。イルカはそれを聞いて、かあと顔を赤らめた。
「泣いてません!」
否定するが、高温状態になり自分の身体が縮んでいくのを感じた時、怖くて仕方がなかったのを思い出した。同時に、情けなくて消えていなくなってしまいたかったのに。何故かカカシの顔を見た途端安堵に包まれた事も。
頑なに否定するイルカを見て、ごめんごめん、と言いながらカカシは笑った。その普段二人でいる時にしか見せない、くったくない笑顔を見ていたら、きゅうと胸が苦しくなる。再び食事を再開させようと箸を持つカカシをイルカはじっと見つめた。
箸を持っているその無骨で大きな手やカカシの普段さらされていない口元を見つめていると、青みがかった目がふとこっちへ向いた。
「どうかした?」
不思議そうに問われるが。イルカは答える事が出来ない。座って膝に置かれた小さな自分の手をぎゅう、と握り唇を結んだ。そして不思議そうな顔をしたままのカカシへ顔を上げる。
「・・・・・・しませんか?」
か細い声で口にしたイルカの言葉に、カカシは箸を持ったまま瞬きをする。そこから、えっと、と口を開いた。
「するって、何を?」
問われてイルカは、困ったように俯いた。自分から言い出したもののはっきりと口にすることが恥ずかしくて。言葉にする事が出来ない。
「だから、・・・・・・するって言うのは、」
もごもごと口を動かすイルカに当たり前に察したのか、カカシは、少しだけ驚いた顔をする。
「え・・・・・・いいの?」
驚くのは当たり前だ。
こんな姿で、するとか、あり得ない。自分でもそう思う。
でもいつまで経っても元にもどらなくて。見た目は幼いままであっても中身は変わっていなくて。カカシに頭を撫でられたり、優しい眼差しを向けられたり。それだけなのに。この状態が続いてしまっているからなのか。どうしようもない気持ちがわき上がっていたのは事実だった。
カカシだって溜まっているはずなのに、触れようともしないから。なのにこんな状態がいつまで続くか分からない、そう思ったらおかしくなってしまいそうで。
「こんな俺じゃ、嫌ですか?」
恥ずかしさを堪えて聞けば、カカシの目が少しだけ見開いた後、首を横に振る。
「どんな先生でも俺は構わない」
カカシの真面目な返答にイルカは思わず笑った。どういう答えを求めているわけでもなかったが、その言葉はイルカをこそばゆい気持ちにさせる。でもきっと、カカシは嘘をついていない。
そもそもカカシは容姿も端麗で実力もあって女性が放っておくはずはない。きっとカカシが求めたらどんな女性でもつき合える。なのに、カカシは自分を選んだ。笑い話にされてもおかしくない。実際、カカシに告白された時、冗談だろうとイルカは笑った。なのにカカシは、冗談であなたに告白なんてするはずないでしょ、と真面目な顔で返すから。その真剣な顔に、ドキンとして、それ以上に茶化す事が出来なかった。
いつもにこやかな顔をして冗談を言ったりするくせに。こういう時に真面目な顔をするのは狡い。ただ、今回も自分は冗談でもなんでもなかった。
自分が実際に十歳くらいだった頃、ナルトのように強くなる事ばかり考えて。毎日を過ごす事だけで精一杯で、両親を亡くし、気持ちにも余裕なんてなくて。こんな浅ましくもんもんんとした記憶はない。
自分なりに我慢したが。もう限界だ。
だって、今は姿は十歳でも、中身はそのまんまだ。前もそれなりに性欲はあったが、こんなんじゃなかったはずなのに。幼い自分にカカシが優しくも甘い笑顔を向ける度に。カカシはそんなつもりじゃないと分かってるのに。どうしようもなく疼くのは、自分が厭らしい人間のようで。
いや、違う。
イルカは否定するように、眉根を寄せた。こんな風になったのはカカシと身体を重ねるようになってから、そう。カカシを知ってしまってから。こうなってしまったんだと、自分でも分かっている。
幼い姿でこんな事をするなんて背徳的な気持ちになるが口にしたことを引っ込める気もない。
イルカはちゃぶ台の前であぐらを掻いたままのカカシに近づき、その上に乗った。心臓がどきどきと恥ずかしいくらいに鳴っているが、顔を近づければカカシも顔を上げ口を薄く開ける。ゆっくりとカカシの唇に触れた。薄い唇が暖かいのは部屋にいるからだ。外だともっとカカシは冷たい。唇も、指先も。
くっつけては離すを何回も繰り返すうちにカカシがやがて舌を割り込ませてきた。小さな口にカカシの舌がぬるりと入り込む。
ずっと触れたくて、こうしたかった。
カカシがキスをしやすいように、イルカは口を開いて自分の舌を絡らませる。普段とは違いやりにくいのは、何もかも小さいから当たり前だ。それを分かってリードするように、カカシは自分の手をイルカの上着の裾から入れた。ビクリを跳ねると、カカシの手が止まる。
「・・・・・・大丈夫?」
伺うように聞かれ、イルカは黙って頷いた。
だって、カカシの大きな手が、自分に触れるのが気持ちいい。平気です、と言えばゆっくりとカカシの手が動き、イルカの胸の先端に指先が触れた。
「あっ」
思わず声が出る。
「やめる?」
聞かれて今度は頭を横に振った。
「・・・・・・もっと、してください」
普段言わない事を口にしてるんだと、分かっている。恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだが、それよりも、カカシに触れてほしい。
イルカの言葉に、カカシが唾を飲み込んだ音が聞こえる。そこからカカシは再び手を動かし、その先端を指先で摘んだ。
上着を捲り上げカカシの口が小さな乳首を口に含む。吸って、舌で潰され、それだけでビリビリと痺れたような快感がイルカを襲った。絶え間なく声がイルカの口から漏れる。カカシの頭を抱えるイルカに構わずその小さな乳首を何度も舐る。カカシの手が脇腹をゆっくりとたどった。
いつもと同じ事をされているのはずなのに、優しく感じる触り方に、ああ、そうか、と改めて納得する。カカシは今は小さい子供を相手にしているのだ。普段もそこまで乱暴はしないが、多少強く押し倒されたり押さえつけられてもそれは当たり前だと思っていたから気にもしなかった。
でも今は自分は小さな子供で。
自分の望みにカカシが一生懸命応えてくれようとしているんだと思ったら、胸が熱くなる。
「脱がすから腰浮かせて」
カカシの低い声が耳の中で響く。胸を吸われる度にカカシにしがみついていればそう言われ、言うとおりにすれば、カカシはイルカのズボンを下着ごと脱がせた。外気に触れ肌寒く感じるが、身体の中は熱いままで。急にこみ上げる恥ずかしさに、困るイルカにカカシは優しく微笑む。
「恥ずかしい?」
今自分がどんな顔をしているのか。十歳の自分がこんなに恥ずかしい事をした記憶はない。顔が熱いのも分かっている。それでも、強く首を横に振ると、カカシがイルカを軽々と抱き上げる。そのまま寝室へ向かった。
イルカが自分に覆い被さった時、いつにもない緊張で心臓が高鳴っていたが、嬉しかった。時間をかけて慣らしてくれた場所はカカシの指を飲み込むのすら苦痛を伴ったけど、イルカは我慢した。
カカシはイルカの細い足を広げ、自分の高ぶったものを解かされた場所に押しつける。指よりも遙かに大きなそれに押される度に無理に広げられた箇所の薄い肌が引き攣った。いつもだったら、慣らしたそこにカカシの陰茎は既に入り込んでいる。下半身の内部が熱く圧迫感があるものの、じらされるような表現のしようのない感覚。
だが、それは訪れなかった。カカシが押し入れようとしても、その場所が多少広がっていようとも、カカシの大きさを飲み込むほどではない。イルカの眉根が寄った。
「・・・・・・先生、」
申し訳なさそうなカカシの声が上から振ってくる。分かっていたはずなのに。そう、頭の奥ではこうなる事だって予想できた。
でも。
カカシの顔を見ていたら。
鼻の奥がつんとするのが分かった。それをきっかけに、イルカの視界がみるみるぼやけていく。小さな手で自分の顔を覆い、隠したが、それでカカシを誤魔化せるわけがない。
「イルカ先生・・・・・・」
手の下でくしゃりと顔がゆがむ顔に、カカシが再び心配そうに名前を呼んだ。
普段からあまり泣くことがない。
両親が亡くなってから、泣いても、泣いたところで何も変わらないと分かったから。だから、もし泣きたい事があっても泣かないように、泣くほどのことじゃないと、自分の中で言い聞かせ、我慢した。
それなのに。
いくら泣くまいとしても一度緩んだ涙腺は丸でぷつんと切れてしまった糸のように、涙が目から溢れ出す。
泣きたくないと我慢すればするほどに、喉が鳴り、漏れる声は引き攣り、こめかみを生ぬるい涙が滑っていく。
見た目そのままに、子供が泣くその状況はあまりにも惨めに感じた。
カカシが困ると分かっているのに。
泣くのを止められない。
「ごめっ、なさっ」
カカシが何か言う前にイルカは謝った。だってこれはカカシは悪くない。自分が誘って、自分がこうさせたのだ。
カカシをがっかりした気持ちにさせたのは間違いなく、自分のわがままで、こんな事になってしまった事が申し訳なくて。
でも、それ以上に。
カカシと繋がりたかった。
カカシとつき合うまではセックスにそこまで拘りはなかった。性欲を互いに処理する感覚に近く、セックスしたらスッキリするのはその為だし、それ以上でもそれ以下でもないと。
でも、ただカカシを受け入れて出す事が、セックスじゃないと気がついてしまった。
愛し愛される行為だと。
こんな身体になってから、カカシが遠く感じて。恋しくて。
愛したいし愛されたい。
なのに、出来なくて。
今まで我慢していた感情が絡み合い、どうしようもない形で、涙となってあふれ出す。
まだこんな身体だから。子供のように泣きじゃくっている自分が嫌になる。
なのに、
「先生、泣かないで」
優しい声がしたかと思うと、カカシの手のひらがイルカの頭を撫で、顔を頑なに隠したままの小さな手を撫でる。
そんな優しい声をださないでくれ。
そう思うも、それは声にならない。
ただ、うく、うく、と途切れ途切れに声を出し、イルカは泣いた。
涙ぐんだことはあっても、こんなに人前で泣いたのはいつぶりだろうか。それすら分からない。
こんなつもりじゃなかった。
ごめんなさい。
容姿だけではなく、中の人間まで子供に戻ってしまったかのように。
イルカは泣きながら謝る。
震えるように泣きじゃくるイルカを、カカシは抱きしめた。布団の中でカカシの腕の内に抱き込まれながら、久しぶりに感じるカカシの温もりと匂いを感じながら、止まらない涙を小さな手で拭うイルカの背中を、カカシの大きな手が優しく撫でる。
「大丈夫だから」
何度もカカシが囁く。
一体何が大丈夫なのか、それもイルカにも、きっとカカシにも分からない。でも、カカシのその声はイルカを安心させた。
鼻をぐずぐずさせながら、その声を聞きながら、イルカは意識が薄くなる。やがてカカシの腕の中で、ゆっくりと眠りに落ちて行った。
目が覚めた時、違和感を感じた。
もぞりと身体を動かし、眠そうに目を開ければ、目の前にカカシが映る。
「・・・・・・おはようございます」
布団の中で目が覚めて。カカシの顔を見て寝ぼけながらも挨拶を口にしたイルカに、カカシは優しく目を細める。
「おはよう」
言われて、寝ぼけ眼に目を擦りながら。ついさっき感じた違和感を再び感じて、動かしている手を止めた。自分の手のひらを見る。
目に映ったのは、見慣れ始めていたあの小さな手ではなく、成人した男の大きな手だった。
驚き目を丸くして、思わずがばりと布団から起きあがり、自分の身体を手で触り、目で確認して。元の姿に戻っている事を知る。
「・・・・・・戻った」
ぽつりと呟けば、それを眺めていたカカシが、うん、そーだね、と答えた。カカシへ目を向ければ、布団の中で縦肘を付きながらこっちを見ている。
「目、腫れちゃったね」
忘れたわけじゃないのに。元の姿に戻れた事が嬉しすぎて頭の奥に追いやられていた昨日の出来事が、カカシの一言で一瞬にして脳裏に蘇る。顔が一気に熱くなった。
今更、裸の身体を隠すように布団にイルカは潜り込んだ。
覚えがある。
覚えがあるが、あの感情はどうにも出来なかった。
カカシを誘っておきながら、出来ないと分かったら泣き出して。そして慰められているうちに寝てしまった。
泣きながら寝たのに、すごく深い眠りについていた気がする。それくらい頭の中はすっきりしていて。
でも。
でも。
穴があったら入りたい。
カカシに今更なんて言えばいいのか。
「まあいいじゃない」
必死に何を言おうか布団の中で丸まって考えるイルカに、カカシから暢気な声がかかる。
いや、よくない。
なんにも良くない。
カカシさんが良くても俺がよくない。
黙り込んでしまったイルカに、ねえ、先生、とカカシは布団の上から、手を置く。
「俺ね、先生が元の姿に戻ったからって、さっきそれを式で伝えたのよ。念のために病院に連れて行くって。シカマルに伝えたから、午前中は時間もらったの。特別に」
じっと布団の中で聞き耳を立てているイルカに、カカシは静かに続けながら、顔を近づけた気配がする。そして布団越しに唇を耳に押し当てて囁いた。
「だからさ、昨日の続き、しよ?」
イルカの耳に、しっかりと届く。低い声で甘く囁かれた台詞を布団の中で、目を開いたまま聞いていた。
昨日の失態の今日だ。
はい、やります、なんて。言えるわけが、
「お願い」
布団の上からぎゅう、とカカシに抱きしめられる。体重を乗せられて苦しくもなるが、その重みは心地いい。
狡いなあ。
イルカは布団の中で苦笑した。
自分がうんと言いやすいように、甘えたようにお願いしている。それが分かっているから。
イルカはもぞもぞと動いて布団の中から顔を出すと、カカシが微笑んだ。
もう二度とあんな風に誘ったりしない。そう心に決めようとしたのに。カカシの優しい表情を見ていたら、心の中と表情が緩んだ。
この人が好きだ。こんなに自分を大切にしてくれる人はいない。
好き、なんて言葉にするとなんとも陳腐にしか感じないのに。
言いたくて仕方がなくて。
感情がこみ上げる。
でも、その代わりに言うことはただ一つ。
イルカは勢いよく抱きつくとカカシを自分に引き寄せた。
「わ、」
驚くカカシに構わずイルカは苦しいくらいに抱きしめる。
「いっぱいいっぱいしてください」
包み隠すことない自分の本音を、イルカはカカシの耳元で囁いた。
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