2023バレンタイン

 待機所でぼんやり小冊子を読んでいれば、煙草を咥えた上忍が入ってくる。
 さみいな、とその大きな身体を縮ませるような仕草をしながら呟くと、目の前にあるソファに座った。その通り暖房がついていても朝早いからか待機所はまだ寒い。そんな独り言を聞き流して本を読んでいれば、これ食うか?と続けて口を開いたアスマが自分のポケットを探る。
 目を向けたカカシにアスマが差し出したのは、小さな包みだった。飴かガムか、それなりに検討はつくもののアスマがそんなものを渡してくるのは珍しい。
 手のひらにあるものを見て、なにこれ、と短く聞けば、チョコだと返されカカシは僅かに顔を顰めた。甘いものは好きじゃないと分かってるはずなのに、何で俺に。
 それが顔に出たんだろう。俺もさっき受付に顔出したらもらったんだよ、と怪訝な顔のままのカカシに一つ手渡したアスマはソファに座り直す。
「バレンタインだからなんだとよ」
 そう付け加えた言葉に、うんざりとした気持ちになった。
 その行事を知ったのは正規部隊に配属されてからだ。正確には上忍師に就くようになってから。今まで関わりのなかった部署に顔を出す機会が増えた途端、顔も名前も知らない相手からこの二月十四日という日に好きでもないチョコを別に頼んでもいないのに渡されるようになり、いらないよ、と断っても途絶えることはなく、正直迷惑でしかない。それが今日だと知り、舌打ちさえしたくなり、カカシは思わず溜息を漏らす。
 こんなんだったらこの時期を避ける為に短期任務を請け負えば良かったとさえ思うが七班の上忍師である故に、それは出来ない。
 女性が好きな男性にチョコを渡す。そのよく分からない行事に勝手に巻き込まれるこっちの身になてくれ、とさえ思うが。そこまで思ったところで、浮かんだのはうみのイルカの顔だった。
 つきあい始めたのは半年前で、イルカに興味を持ったのは自分からだった。つき合ってみようよ、と向こうの性格からして好ましくない冗談混じりの誘い方をしたのにも関わらず、イルカは頷いて。そこからなんだかんだで半年も続いている。
 恋人だからこそイルカの顔が浮かんだものの、バレンタインに結びつかないのは本人もそこまでその行事に興味をしてしていなかったからだ。
 ああいうのは笑顔でありがとうってもらっておけばいいんですよ。
 ある時、その話題を口にした時に確かイルカにそんな風に返されて、意外な面を見た気がして内心驚いたのを思い出す。
 イヤだよ、甘いの嫌いだもん。
 ムッとして返せば、俺だってそこまで得意じゃないですよ、とイルカは笑った。
 そのやり取りで自分が子供っぽく感じたが、そんなイルカの意外な一面を知るのは嫌いじゃなかった。ただ自分は見ず知らずの相手から強制的にチョコを渡されることが嫌だと思っているからで。
 でもまあ、仕方ないか。
 諦め半分にカカシはアスマから手渡されたチョコをポケットに入れた。

 報告所に顔を出したのは夕方だった。単独任務を終え報告書を手に列に並ぶ。自分の順番が来た時、顔を上げたイルカはそこで改めてカカシがいる事に気がついたのか、笑顔を浮かべた。ただ、それはどの相手にも向ける笑顔で、それ以上でもそれ以下でもない。イルカ自身関係を公にする事を好んでいないから当然と言えば当然だ。
 丁寧に、そして手早く報告書の確認を終えるとイルカは判子を押す。お疲れさまでした、と労いの言葉と共にイルカは机の隅に置かれたチョコを取り手渡した。それは朝アスマが渡してきたチョコと同じ包みで。受付と同じくここでも行事に合わせてチョコを配る事に内心大変だと思うから、カカシはそれを素直に受け取りそのまま報告書を後にする。
「カカシさん」
 名前を呼ばれたのは建物を出て直ぐだった。
 振り返ればイルカがいて、カカシは少しだけ目を丸くする。
「どっか記入漏れでも、」
 こんな込み合っている時間にわざわざイルカが席を外して来た理由は、自分の報告書にあるとしか考えられなくて、そう口にしたカカシの前で、イルカはポケットから小さな包みを取り出した。
「チョコです」
 その言葉にカカシは更に目を丸くした。こっちを見つめるイルカは、さっき報告所で見せていたようなすました顔はどこにもない。気むずかしそうな表情をしながらも、少しだけ恥ずかしそうで、カカシは困惑する。
「さっきもらったけど、」
「俺のチョコです」
 戸惑うカカシにイルカは、俺の、と強調するように言うから。
「でもアンタ、」
 と、ついそんな言葉が出ていた。だけど出かけた言葉を無視するように、イルカは半ば強引に手渡すと、背を向け走って戻っていく。
 その後ろ姿を見つめながら、一体なんなのよ、とそんな風に思いながらも、カカシはやがて手渡された小さな包みを見つめた。
 バレンタインには興味ないって言っていたのに。
 この関係がバレるのを嫌ってるくせに。
 誰かに見られるかもしれないのに。
 それに、あの仕事人間のイルカがわざわざチョコを渡すだけの為に席を外すとか。
 忌々しいイベントでしかなかったのに。
 チョコは好きじゃない。
 好きじゃないけど。
 どうしよう。

 すごく嬉しい。

 湧き上がる感情はそれだった。単純過ぎる、それは自分が一番分かっている。その甘い感情に内心戸惑うが、どうにも抑えられなくて。
 白い頬を赤らめたまま、カカシは大切そうに手で包む。イルカがくれたチョコへそっと目を落とした。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。