愛のかたち

 年度末は忙しい。
 アカデミーではこの時期にそれぞれの学年毎に試験が行われる。進級に伴いクラスを分ける為で、悪く言えばふるいにかけるようなものだ。成績によっては飛び級もあり得るし進級出来ない事もある。
 他の業務を請け負いながら徹夜でテストを作り、テストが終わったら採点をして生徒の成績を分析してクラス分けをして。正直生徒以上に学期末を敬遠する教師もいるが、面倒だろうが生徒の将来には変えられない。それなのに。
 たかが試験でしょ?
 カカシがそう口にした。

 久しぶりに帰りが一緒になり、帰りを待っていてくれたカカシと並んで帰る。週末はどうしようか、なんて話題を口にするカカシに、しばらくは会えそうにないんです。そう告げればカカシは不思議そうな顔をした。
 何で?と当たり前に聞くから、イルカは年度末の試験期間の事を説明する。カカシとはまだつき合って一年も経っていないのもあるし、アカデミーの業務の事なんて尚更知る由もない。なんだかんだで一年で一番大変な時期なんだとため息混じりに言うイルカに、カカシは、へえ、とも、ふーん、とも言わず、その説明を聞いた後、少しだけ怪訝そうな顔をした。
「だからって、何で会えないの?」
 不満そうに言われ、イルカは困った。だから、ともう一度口を開く。
「日常の業務に加えその試験期間が入るんで、家にいて会えたとして俺ずっと机に向かってますよ」
 それでもいいんですか?
 聞けば、えー、とあからさまにがっかりだと、そんな顔をするからそんな態度をするとは思っていなくて、イルカは内心呆れた。口布の下は見えないが、きっと口を尖らせているだろう。きちんと理由を説明しているのに、丸で子供だ。
 そういうことろにほとほと呆れるも、里を誇る忍びなのに、そんな子供みたいな一面があるカカシが好きなのも事実だった。そもそも好きじゃなきゃつき合っていない。カカシはどんな気持ちでつき合っているかは知らないが、自分はつき合うからには遊びではなく、きちんと相手に向き合っていたい。
 だから、自分の事だけで精一杯になり、会えると言って期待だけさせておいてろくに相手も出来ないのは申し訳ない。だって、会えばきっとカカシにそれなりの飯も用意しなければいけなくなるし、机に向かう自分にちょっかいを出してくる。そればかりではない、夜だって疲れている自分に構わず肌を重ねようとするに決まっている。
 甘えてくるのは可愛いとも思うが、こんな事で駄々をこねられては可愛いもんも可愛いと思えなくなる。
 折れる事は出来ない。それなのに。
「たかが試験でしょ?」
 呆れ口調で言われ、閉口した。
 カカシが昔暗部だったと噂で聞いた事もあり、中忍になった年齢を考えるとアカデミーは飛び級でほぼ在籍していなかったはずだ。そんな忍びは希と言うよりも、自分が過去教えてきた生徒には一人もいない。カカシがどれだけすごい忍びなのかは、自分は憧れる世代でもあり、十分知っているつもりだ。それをどう自覚しているかは分からないけど、カカシのように、苦労しないで天才の名を欲しいままにできるような忍びなんて、──いや、カカシだって苦労をしているだろうが。それでも。
 言い返したい言葉が喉からせり上げてくるのを、イルカはなんとか堪えた。怒りがこみ上げるのをイルカはぐっと耐えるように拳を握る。こんな事で怒ったら、それじゃあ丸で目の前にいるカカシと同じだ。
 それでも、頭に血が上ったは言うまでもなく、しかし口を開いたらろくな事にならない。
 イルカは背を向けると、そのまま一人で帰宅した。

 
 追ってこなかったのは、カカシもまた怒っていたからだ。
 イルカはアカデミーの廊下を歩きながらぼんやり視線を窓の外に漂わせる。
 そもそも自分はともかく、カカシは戦忍でしかも上忍師として部下を持ち、任務もこなしている身だ。忙しくないわけがない。それでもつきあい初めてから、時間が合うように努力していてくれた事は分かっている。
 昨日だって、わざわざ自分が終わるのを待っていてくれた。
 そういう気持ちを無碍にしているつもりはないけど、カカシがそう捉えてもおかしくはない。
 せっかく、しばらく会えなくなる前に二人で過ごせるはずだった時間も不意にして。間違った事はしていないのに、虚しい気持ちで一杯になるが、目の前はもう教室で。
 イルカは気持ちを切り替える為に息を吐き出すと、教室の扉に手をかけ、開ける。
「席に着け!テスト始めるぞ!」
 イルカの大きな声が教室に響き渡った。

 イルカは歩きながら静まりかえっている教室を見渡す。聞こえるのは鉛筆の音だけだ。年間通して行うテストよりも、皆真剣に取り組んでいる。
(まあ、そりゃ落第はしたくないもんなあ)
 自分のアカデミー時代を振り返り、皆と進級したいが為にこのテストだけは必死にやった事は覚えていて、イルカは生徒たちを眺めながら、密かに苦笑いを浮かべた。
 こういうテストでさえ、カカシはきっと難なく出来たのだろう。少し前に、術を教えるに当たって、理屈ではないその教え方が難しいんだとイルカが嘆いた時、その説明を聞いてもぴんときていない感じだったのを思い出す。
 きっと、全て当たり前に出来ていたカカシにとっては、何が分からないか分からないのだ。躓く理由が分からない。そんな感じだった。
 そこまで思ったところで、その時のカカシに悪意がなかったのと同じで、昨日の事も悪意がなかったんだと気がつくが、いや、違う、とイルカはそこで否定する。
 悪意がないと気がついていた。気がついていたから、余計にカカシに腹が立ったんだ。
 努力して必死に頑張っている子供たちの気持ちを、そしてそれを見守る自分の気持ちも踏みにじるとまではいかないが、軽んじられた気がして。悔しくて。
 でも、まあ、冷静になってよくよく考えれば。
 カカシはただ、自分と一緒にいたかっただけなのに。
 自分だって、教師になりそれなりに場数を踏んできたはずなのに。ただ、恋愛の経験値と言われれば、それはないに等しく。売り言葉に買い言葉じゃあるまいし、あんな風に帰ってしまった事に申し訳なく思う。
 きっと、自分の事をあんなに大切に思ってくれる人はそういない。そう思ったら、会えないと自分で言ったくせに、カカシに会いたくなった。
 きっと、自分は、カカシ以上に勝手だ。
(・・・・・・カカシさん、怒ってるだろうな)
 そんな事を思って嘆息しかけた時、こん、と音がしてイルカは顔を上げた。生徒が誰か鉛筆でも落としたのか。そう思って見渡すが、どの生徒も各々に答案用紙と睨めっこしていて、誰もそんな素振りは見せていない。じゃあ何だろう、と思った時、また、こんと音がして。その音が窓を叩いている小石の音だと知る。授業中でもテスト中でもそんな事をするのは許されない。
 イルカは怪訝そうに窓の外をそっとのぞき込み。
 目に入ったカカシの姿に、イルカは驚き息を飲んだ。驚くイルカに、カカシはにこにこと下からこっちを見上げている。
 昨日の不機嫌そうな顔なんて微塵もなくて。カカシの顔を見れた事に不意に頬が緩みかけるが、今はテスト中だ。それはカカシも勿論知っているのに。
 昨日の今日で、こんな事したら怒られるのかもしれないと、分かっているだろうに。
 カカシは、二階の教室から見下ろすイルカに笑顔を浮かべると、手に持っていた枝で地面に何かを描き始める。アカデミーの裏庭に広がる地面に、子供が地面にお絵かきするかのように、枝を地面で削り。
 出来たのは大きなハートだった。大きくて、思ったより線がでこぼこだから、分かりにくいけど。それがハートだと分かった途端、言葉には直ぐに出来そうもない、どうしようもなくくすぐったい気持ちにイルカは顔を熱くした。
 変わってる。なんてへんてこな謝り方なんだ。こんな仲直りの仕方、今時子供だってしない。──本当に変な人。
 顔を赤くするイルカに、自分の意図が伝わったんだと気がついたんだろう、カカシが枝を持ったまま、嬉しそうに手を振るから。喉にたまっていた、幸せと呼ぶに相応しいそれを押し留めることが出来ず、口に手を当て、思わず、ふふ、と密かに息を漏らした。
 ああ、この窓から飛び出してカカシに抱きつきたい。
 そんな気持ちになるけど。
 出来るわけがなく。
 その衝動を堪えながら、イルカは地面に描かれた歪な、しかしカカシの愛の形であろうそれを、愛おしそうに見つめた。
 
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