ある冬の日

「え、帰るんですか?」
 風呂上がり、支給服を着込んでいるとイルカから驚いた声と共に聞かれ、カカシは、うん、と答えた。
「予定では早朝出発だったんだけど夜半頃に変更になってね」
 ハッキリと任務とは言わなくともその言葉だけで理解したイルカはただ頷く。そうですか、と返す口調は決してガッカリしているわけでも落ち込んでいるわけでもないが、神妙な顔つきは隠せないでいるのはいつものことだ。自分に回ってくる任務が高ランクだからだと言うのも分かっている。
 心配だから、なんて言葉は忍びの世界にいればそれはタブーに近いものがあるしナンセンスだと重々分かっているから、イルカは口にはしないが。
「心配してくれるの?」
 それともまだイチャイチャしたかった?
 わざと茶化すようにその言葉を口にすれば、その神妙な表情はガラリと変わる。
「大変だなって思っただけです」
 不貞腐れた顔をしてこっちにタオルを投げた。
「濡れた髪、さっさと乾かしてください」
 風邪ひいちまいますよ。
 投げやりな口調でも、どの言動にもイルカが自分を気にかけているのが感じられ満足感が胸に広がるから。カカシは、はーい、と返事をする。受け取ったタオルで濡れた髪を素直に拭きながら密かに微笑んだ。
 イルカは実直で裏表のない性格だが恋愛に関しては別だ。素直になれない天邪鬼なところがあるがそれがまたカカシの悪戯心をくすぐる。素直でなければないほど、俺はあなたの事が好きなんですよと言っているようなものなのに。
 ついさっきまで、そう風呂に入る前までは恋人同士がすることをしていた。こんな寒い日でも汗をかくほどに。
 抱き合って吐息が混ざり合うほどに口づけを交わした、その時間が名残惜しいがイルカには情事を漂わせる空気は微塵もない。
 ポーチに続いてベストを手渡され、それに合わせてカカシは身支度を整える。
 もっと早く言ってくれりゃ良かったのに。
 なんて当たり前にぶつぶつ言うイルカの言い分ももちろん分かる。分かるが、自分はどうしてもそうしたかった。一昔前の自分が見たら呆れるに違いない。甘えと言われたらそれまでだが。
「まあ、いいじゃない」
 そんな言葉に留めてカカシは苦笑いを浮かべながら手甲をつけると玄関に向かった。
 ストーブで温まった部屋とは違い、この扉を開けたら凍えるような冷たい空気が待っている。そんな事をふと考える自分に不思議な気持ちになった。
 今までこんなセンチメンタルな気分になったことなんてないのに。
 任務が嫌なんじゃない、今の今まで二人で過ごしたこの部屋から出るのが単純に嫌なだけで。
「このまま行くんですか」
 靴を履く背中にイルカの声がかかるから、んー、そうね、と考えながら口を開いた。
「一回自分の家に外套を持ちに帰ってからかな」
 流石にこの寒さじゃね。
 答えて立ち上がる。その時、背中から暖かいものに包まれた。
 羽織わされたのは半纏で、しかも今さっきまでイルカが着ていたものだった。カカシは瞬きをする。
「風呂上がりなんですから、これ着てってください」
「いや、でも、」
「一回家に帰るんですよね。だったら着てくべきです。大事な任務なんですから、風邪ひいたらどうすんですか」
 大真面目な台詞に加え大真面目なイルカの顔に、そして与えられた半纏に。とうとう耐えられなくなってカカシは吹き出した。笑いだすカカシに、イルカは当然不快な顔をするが、直ぐに笑うのをやめなかった。
 背中に温もりを感じた時、抱きしめてくれたのかと一瞬思った。そこから熱を感じるような口づけを、とそんな甘い期待とは裏腹だったが、良い意味で裏切られた、そんな感じで。
 袖を通せば、ついさっきまでイルカが着ていた半纏は温もりを感じ、そしてイルカの匂いに包まれる。
 センチメンタルな気分にさせるのもイルカでそのセンチメンタルな気分を吹き飛ばすのもイルカなんだと分かったら。なんだか嬉しくなって、カカシは微笑んでいた。
「あげませんよ」
 貸すだけです。
 ニヤニヤしているカカシを怪訝な表情で見ながら、もらっていい?なんて言ってもないのに先手を打つように言われたその台詞も、カカシの心を確実に満たす。
 そして、早く帰りたいとそんな気持ちにさせる。
 だから。
「ちゃんと返しにきますよ」
 そうイルカに伝えると、カカシは半纏を着てアパートを後にした。
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