ハグの日

 書庫室で、イルカの向ける視線の先は窓に映る景色だった。緑が茂る木々をぼんやりと眺めながらも、イルカは苛立ち気にため息を吐き出す。
「もうそろそろいいですかね」
 苛立ちを隠すことないイルカの言葉に、
「やです」
 そう即答したのはカカシで。どうしたもんかとイルカは眉を寄せながらまた嘆息した。
 そもそも自分はここで仕事をしていたわけではない。たまたま廊下で顔を合わせたカカシにここまで連れてこられ、気がついたらカカシの腕の内にいて。今現在、カカシに抱き締められている事は分かるが。
 一言で言えば、暑い。
 書庫室とはいえ空調が効いているのは幸いだが、大の大人が二人で夏に密着して暑くないわけがない。
 カカシとは、先週から恋人同士だ。だからこの行為は百歩譲っても理解できなくもないが。実際、自分のような男を誰が抱き締めたいと思うのか。目の前で自分を抱き締めているカカシこそが答えなんだろうが、それでも自分ではいまいちピンとこない。
 背だって自分はカカシと同じくらいあり、中肉中背ではあるが骨太で華奢でもない。感覚的にごつごつしてるだろうし良く言っても抱きごたえがある、くらいで。
 カカシの告白に頷いた手前、こんな事を思うのは駄目なのかもしれないが、はやり普通に考えて、自分みたいな男は、自分でも抱き締めたくない。なのにカカシは飽きずに腕をイルカの背中に回し続けている。
 この人は、もしかして人恋しいんだろうか。  そう考えても、カカシの頭の中なんて分かりっこないし、開放してくれそうにもないから。イルカは仕方なしに、あの、と口を開いた。
「暑くないですか」
 聞けば、別に、と短い答えが返ってくる。
「俺、汗かいてますよ」
「知ってる」
「臭いですよ」
「臭くないよ」
「俺は暑いんですが」
「我慢して」
 埒があかない。
 自分はと言えば。午前中から外で授業ばかりしていたのだ。カカシは臭くないと言うが、臭くないわけがない。そしてカカシだってそれなりに暑いはずなのに、匂いらしい匂いもしない。だから、きっと自分だけが臭い。
 そう思えば、更に恥ずかしさに自分の体温が上がった気がして。密着している箇所に汗をかくのが分かる。
 にしても。
 時間ねーんだけどなあ。
 カカシに抱き締められながら、困る。
 今日はアカデミー勤務ではないから誰かを待たせてるってことはないが。雑務は雑務なりにやる事がある。
 さっさとしろと振り解きたくもなるが、力でカカシに敵うはずはないし。
 カカシと恋人同士とか実感が無さすぎて、どうしたものかと再び視線を上げ、ふと窓ガラスに映る姿にはたとした。
 大体同じ背丈だが、自分よりも肩幅広いカカシが自分を抱き締めていて。
 イルカは窓ガラスに映る自分達を見つめた。
 何と言うか。こうやって見ると。これって確かに恋人同士らしいじゃねーか。
 いや、恋人か。
 改めて目の当たりにした姿に、イルカの身体がまた熱くなった。
 正直、今まで誰かとろくに付き合った事がなくて。仕事が恋人に近いものがあった。だから、誰かと触れ合うとしても生徒である幼い子供がほとんどで。
 こうしてカカシに抱き締められ、自分ではない温もりを感じているのは本当に久しぶりで。不思議な気持ちになる。
 誰かに見られているわけでもないのに、無性に恥ずかしくなった。このドキドキは何なのか。
 ただ、まだカカシは腕を離す様子もない。
 このドキドキがカカシに伝わって欲しくなくて。
「これは何か意味がありますか」
 誤魔化すように言うイルカに、カカシはまた直ぐに、あるよ、と返した。
「すっごい元気になる」
 元気になるって。
 その台詞に呆れそうになったが、カカシが任務帰りだと思い出す。
 そっか、とイルカは心で呟いた。
 子供っぽい理由だと思うのに、納得出来てしまったのだから仕方がない。
 だって、カカシが。こんな事で元気になるのなら。任務の疲れが少しでも癒されるのなら。
 やっと納得出来る理由に、慣れない手つきでカカシの背中にそっと自分の手を回す。
「お安い御用です」
 そう口にして、イルカはカカシの広い背中をぽんぽんと優しく撫でた。
 
 
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。