初花

 ランクが低い任務なのに里を離れて重労働とかありえないとナルトが不平不満を口にしたがその通りだと思った。
 だってもう十月だっていうのになんでこんなにも暑いんだろうか。真夏よりは日差しが弱くなっているものの暑いものは暑い。サクラは苛立ちながらも雑草を引っこ抜いた。汚れた手で額の汗を拭う。
 ここの依頼主はゆっくりした暮らしがしたいと里から出て農家を営みながら生活しているらしいが、可愛い雑貨も甘いお菓子が売ってるお店もなんにもないところなんて自分だったらごめんだ。
 近くではまだ歩き始めたばかりの赤ん坊と三つくらいの女の子が近くで遊んでいるがお姉ちゃんについて行きたい赤ん坊と一人で遊びたい女の子の攻防で終始泣いたり喚いたりしている。正直うるさい。それなのに近くで野良仕事の手伝いをしているナルトとサスケが今日で何回目かになる言い争いをしている。それに加わる気もなくてサクラは黙々と手を動かしていた。言い争いも終わってやっと静かになると思った矢先、
「何でこんなにあちーんだってばよ!」
 ナルトの一言にサクラはがばりと立ち上がった。
「あー!もう!うるさい!暑いのはあんただけじゃないのよ!ぶつぶつ文句ばっかり言ってないで黙ってさっさと手を動かしなさいよ!」
 怒り任せに怒鳴ったサクラにナルトは案の定唇を尖らせた。反射的に何か言おうとしたが、言い返さない。そこから、分かってるってばよ、と独り言のように呟いて下を向き草を取り始めた。
 近くで遊んでいた女の子があまりの剣幕にびっくりしたんだろう。ぽかんとした顔でこっちを見ていたが、サクラは無視した。またしゃがもうとして、一瞬視界が暗くなった。倒れはしなかったが血の気が引いた感覚に、勢いよく立った故の立ちくらみだろうと思い直して軽く頭に手を当てため息を吐き出す。
 休憩はさっき取ったばかりだ。草取りはこの家の前の畑だけだから後少し。
 そう意気込んでまた草取りを開始しようとした時、
「サクラ」
 名前を呼ばれてサクラは振り返った。上忍師のカカシが軒下から歩いてくる。確かこの任務以外に野暮用があるからと、この依頼主の農家までは一緒に来たが、着いた後しばらくしてどこかへ出かけた。野暮用と言っても下忍の自分たちとは違う、高いランクをたまたま兼任することになったんだと受付でイルカから説明されていた。その任務が済んだんだろう。だが嫌なタイミングだ。ナルトをどやしたことに対して小言を言われるんだろうと構えるサクラに、カカシは手招きをするから。それに従ってサクラもカカシへ歩み寄った。
「任務はもう終わったんですか?」
 聞くとカカシは、まあね、とニコッと微笑む。短時間でどんな任務をしたのか、自分では計り知れなくて、そんなカカシをサクラは見つめた。ナルトもサスケも別の任務を掛け持ちしているカカシに対して狡いと文句を言ってはいたものの一緒に行くとは言わなかったのは、今の自分では足手纏いにしかならないと知っているからだ。
「こっちに来てくれる?」
 カカシはそのまま歩き出すから、呼ばれたのもそうだが、何でなのか分からないままサクラは仕方なくカカシにテクテクとついていく。
 カカシは農家の裏庭辺りで足を止めた。こっちに振り返る。
「お腹痛くない?」
 不意の質問にサクラはキョトンとした。
 お腹?
 お腹が空いたんじゃなくて?
 いや、でも昼食は済ませたからそんなにお腹は減ってはいない。
 でも、そう聞かれたら何となく腹に重い痛みを感じて、思わず自分のお腹に手を当てた。激痛ではないから気にもしていなかったが。確かに痛い。
 じっとこっちを見つめるカカシに、少しだけ痛いかも、と素直に答えたら、そう、と言葉が返った。
「初めてだよね?」
 またカカシから質問されるがやっぱり意味が分からない。何がですか?と怪訝な顔を見せると、カカシは自分のポーチを探り始める。
「体重は……三十五くらい?」
 こっちの立ち姿を見て口にするのは体重だと分かるのは、つい先日お風呂上がりに測ったばかりだからだ。何で体重なんて聞いてくるのか、というか、なんで分かるの?
 太り過ぎだとは自分では思っていないが最近涼しくなって食欲が増えたことには自覚があった。食後のデザートが美味しくてたまらない。
 それを言っているのだろうか。
 急に恥ずかしくなりサクラはムッとした。
「だから何ですか」
 不機嫌に聞いたサクラにカカシが、はい、とポーチを探っていた手を差し出す。
 見ると、カカシの手のひらには見たことのない小さくて黒い丸い何かが数個。
「……何ですかこれ」
 ますます意味が分からなくて眉を顰める。
「薬だよ。痛み止め。止血剤も兼ねてるから」
 カカシの言葉に目を丸くして顔を上げた。
「え?薬?別に薬飲むほど痛くないしそれに止血剤って、」
 痛いとは言ったがまさか薬を渡されるなんて思わなかった。
 この間だってナルトが任務で多少怪我をしたが、カカシは薬を渡すことさえなかった。なのに何で?
「下見て。あー、そこじゃなくてズボン。後ろ。太もも辺り」
 下と言われて地面を見れば違うと言われ促されるままに後ろの太ももへ目をやり。汚れているのが何なのか一瞬分からなかった。でもそれが血なんだと気がついた時、心臓がドキドキと変な鳴り方をした。
 これが何かなんて知らないわけがない。先に初潮を迎えたいのがお腹が痛いとか、最悪とか言っていて。大変そうだとは思っていたが。自分はいつなるんだろうと、そんな不安も心のどこかにはあった。
 でも、それが今日なんて。
 里外とはいっても里からそう遠くもないから着替えなんて持ってきてない。服に滲んだ血は茶色くなり泥で汚れて草取りをしていたから自分も周りも気がつくことはなかった。
 このままだったら。何よりサスケくんに見られていたかもしれない。
 早くきたらいいと思っていたのに、途端に絶望的な気持ちになる。泣きたくなった。
 顔を青くしたまま黙ってしまったサクラに、カカシは、はい、と再び手を差し出す。
「飲んだら痛みは軽くなるよ」
 気分は最悪で飲みたくないと思うけど、生理なんだと気がついてしまったからかお腹はじんじんと痛い。
 カカシの手のひらにある丸薬を忌々しく見つめていたが、サクラは諦めたようにそれを手に取った。口に入れるとカカシから携帯していた水筒が手渡される。サクラは素直に受け取って薬を水と共に飲んだ。
 カカシはそれを見届けると再びポーチを探る。
「あとこれ、止血用の脱脂綿。ないよりはマシだから」
 何を言いたいかは分かった。分かるから尚のこと気持ちが落ち込むが、落ち込んだところでどうにもならない。
 サクラはそれをカカシから受け取った。

 農家のトイレを借り、戻るとカカシの姿はなかった。代わりに今回の依頼主の奥さんがいて優しく手招きされる。
「後少しだから、ここで休んでなさいって」
 サクラは戸惑ったが、渋々その人の隣に腰を下ろした。
 田舎に憧れ結婚して直ぐにここに移り住んだと言うその奥さんはまだ若い。見たところ二十代半ばか後半といったところか。背中にはさっきまで外で遊んでいた赤ん坊を背負っている。三才の女の子は少し離れたところで寝ていた。タオルケットがかけられている。あんだけ外で騒がしく遊んでいたのだから、そりゃあ眠たくもなるだろう。でも、泣いたり喚いたいしていたから鬱陶しい気持ちもあったのに。何故か今はそんな気持ちもなく、赤ん坊も女の子も寝顔がとても可愛く見えて、サクラはすやすやと寝ている子供たちをただ見つめた。
 そういえば、この人はカカシから自分が初潮を迎えたのだと聞かされたのだろうか。じゃなきゃ自分だけ任務もやらずに座っていていいわけがない。
 そう思えば嫌な気持ちになった。早く家に帰りたい。
 帰ってシャワー浴びて。着替えて美味しい夕飯食べて。
 あ、でも食べれるのかな。
 薬のおかげで腹部の痛みは治っているが、重い感覚は変わらない。
 酷く憂鬱な気分にサクラは再び俯く。
「良い先生ね」
 言われてサクラは顔を上げた。その女性の視線の先には広い田畑が広がっていて、夕焼けが辺りを包んでいる。畑も田んぼも雑草はなくなり、その土は耕されるのを待っているかのように見える。
 その畑でナルトとサスケが取り終えた雑草を片付けていた。
 カカシは2人の側に立っている。
「最初はほら、顔もろくに見えないしなんか怖い人なのかと思ったんだけど。あなたたちはすごく一生懸命に働いてくれるし。話すと物腰柔らかくて言葉は少ないけど、あなたを気遣ってるのが分かって。もう少し若かったら惚れてたかも」
 冗談めかして笑う。最後の台詞でサクラが少しだけ驚いた顔をしたら、その女性はまた可笑しそうに笑った。
 

「サクラちゃんもう大丈夫なのかよ」
 里に帰りカカシと解散した直後、ナルトに聞かれてサクラは顔を向けた。
 任務は途中までしかできなかったが、薬のおかげで無事帰ってくる事ができた。自分に合わせるようにゆっくり歩いてくれたのはカカシだ。気にしていないようで体調に気を付けてくれていた。
「うん、大丈夫」
 サクラは笑顔で答えて一人歩き出す。
 自分だってあれが生理なんだって気がついていなかった。いつも以上にイライラしていたのも腑に落ちる。
 カカシが気がついてくれなかったら。
 ナルトやサスケくんに気づかれないよう気遣ってくれなかったら。
 最初、上忍師がうさんくさい男の忍だと知ってがっかりした。どうせだったらヒナタたちの上忍師の紅が良かったとさえ思った。
 でも、あの女性が言ったように、口数少なくてぶっきらぼうだけど。
「サクラじゃないか」
 視線を上げるとイルカが立っていた。いつもの人懐こい笑顔を浮かべている。
「なんか散々だって顔してるな」
 今朝、受付で見送ってくれたのはイルカだ。内容を知っているからだろう。大変だったと顔に書いてあると言わんばかりの言い方に、サクラは頷く。
「もうクタクタ」
 そこで言葉を一回切り、でも、と続ける。
「イルカ先生って見る目があるんですね」
 黒い目が少しだけ丸くなった。
 仲睦まじく二人で歩いているのを見かけたのは一度や二度ではない。名声や実力があるのは認めるが。上記で言った通り、何故カカシなのか。それだけが疑問だった。
 真っ直ぐな性格で子供が好きでいつも笑顔で。生徒にはもちろん、父兄にさえ人気があるから。子供の自分から見てもモテないはずはないのに。
 でも、分かってしまった。
 やっぱり先生が選んだだけあるんだと。
 一人納得したサクラは微笑むと、クルリと背を向ける。
 意味が分かっていないイルカを置いて歩き出した。
 

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