頬に

 昼休憩に木の上でいつものように枝に寝そべり読書をしていて、大きな笑い声が耳に入りカカシは顔を上げる。視線の先にはイルカがいた。同僚と笑いながら並んで歩いている。カカシはその屈託ない笑顔を木の上からじっと見つめた。
「お疲れ様でした」
 昨日の報告所で。提出された報告書に判子を押してカカシに労いの言葉をかけながらも、その語尾を言い終わる前にイルカの視線は後ろに並んでいる者へ向けられた。
 忙しいんだと言わんばかりにイルカはいつも恋人である自分にそっけない態度を取る。俺はこの人と何にも関係ありません、と言わんばかりに。実際には、昨夜も部屋に自分を招いて飯を一緒に食べて、肌を重ねた。その気配をイルカは外では微塵も出さないようにしている。
 戦忍の自分とは違って教師であるゆえに生徒や保護者の目があるから。そしてイルカが望んでいることだから。いつもはイルカに合わせるけど。
 カカシはイルカの後ろ姿を見送ると、本を閉じる。木の上からひらりと飛び降りた。
「せーんせ」
 一人なったところで声をかけるとイルカがその声に振り返った。ニッコリ微笑むカカシにイルカは少しだけ驚いた顔をするが。いつも通り、どうされましたか、と上官相手に丁寧な言葉を向ける。
「どうしたってわけじゃないんだけどさ、」
 言いながら手を取れば、イルカは勿論戸惑うが。カカシは建物の裏へ連れて行く。
「俺さ、今から任務なのよ」
 一体どうしたのかと聞かれる前にカカシは口を開いた。それを聞いて、そうですか、と納得した様子でイルカは答える。
「だからさ、キスして」
 想像通り、イルカの目がまん丸になった。そして顔を険しくさせる。
「何言ってるんですか」
 周りに誰もいないのに声を顰めて言うイルカに、やっぱりなあ、と思いながらカカシは銀色の髪を掻いた。
「いいじゃない」
「でも、」
「誰もいないのは先生だって分かってるでしょ」
 中忍と言えど気配を探るのはわけないはずで。
 困らせるつもりはないけど、たまには外でイチャイチャしたってバチは当たらないはずだ。
 そんな事は口には出さないけど。ここで引くわけにはいかないから、いいでしょ、とイルカが好きそうな、甘えた口調で言えば素直に躊躇う表情を浮かべた。家でだって自分からはキスしてこないイルカの、困惑に揺れる黒い目は何とも言えない。
「頬でいいから」
 譲歩する言葉を選べば、イルカは考えるようにその目を斜め横に漂わせた。
 即答しないあたりイルカなりに葛藤しているのが分かる。
「……じゃあ、頬なら」
 そう口にするイルカは少しだけ怒っているようにもみえるが。気難しい顔をするのは気恥ずかしいからだ。しかし言ってみるもんだ。
「一回だけですよ」
 念を押すように言われて、分かってるって、と言えばイルカはカカシにずいと近づく。
 失礼します。
 イルカらしい律儀な台詞を口にしながら。むにゅ、とイルカは柔らかい唇をカカシの頬に押し付けた。唇は直ぐには離れなかった。そこから、イルカは唇を押しつけたまま、少しだけ浮かせるとゆっくりと拙い動きで再び唇を押し付け、そして顔が離れる。
 それだけのことなのに、カカシは動けなかった。
 だって、頬にキスって自分が想像していたのは、チュッと音を立てるまではいかないが、イルカのことだから触れるか触れないかくらいとか、もしくは一瞬だけ触れる。そんな感じだと思っていたのに。イルカは違った。押し付けられただけだが、丸で唇にするかのように、ゆっくりと頬に付けるから口布越しでもしっかりとイルカの吐息も感じ、そしてその度に自分よりも分厚くて柔らかい唇の感触が頬に感じて。
 何秒かの出来事なのに、その感触がまだ頬に残っている。
 じんわりと頬が熱くなった。身体も、熱い。
「……カカシさん?」
 どうしたんですか?
 そう聞かれたが。どう説明していいのか分からなくて、じわじわとカカシのカカシの白い頬が赤く染まる。
「いや、ちょっと……」
 いつもと違うカカシの表情に、イルカは不思議そうな顔をするが。
 たかがホッペにチューで勃ったなんて、言えない。
 そして今から任務だと言うのに。
(……勘弁して)
 自分で催促したくせに、カカシは情けない言葉を心の中で吐きながら、口布越しに、自分の口元を手で覆った。
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