深み

 同期と歩いていて目を留めたのは、少し先に顔見知りの中忍がいたからだった。
 自分とは違い、戦忍としてよく里外への任務に向かうその中忍と一緒に立っているのは同じ階級のくの一で。遠目からでも親しげに話しているのが分かる。
「お見送りとか、熱いね〜」
 妬ましさを含む口調のその言葉に、歩きながらも視線を二人へ向けつつ、イルカもまた、まあなあ、と呟いた。
 カカシに告白されたのは先月だった。
 唐突に好きですと言われ、目を丸くしたのを覚えている。
 だって、カカシとはナルトとの繋がりはあったものの、それだけで。他に関わることもなかったから、驚くのは当たり前だった。はたけカカシの名は顔を合わせる前から知ってはいたのもの、正直他は何も知らない。
 ただ、中忍選抜試験でぶつかりはしたものの、カカシは他の上忍に比べたら自分にも敬語で礼儀正しく、この時もまた、もし良かったら俺とつき合ってもらえませんか、と続けて言われた言葉もまた丁寧で、だからこそ冗談ではないことが分かり、困った。だって当たり前だが、今までカカシを恋愛の対象で見たことなんてあるわけがない。
 返事も出来ずに固まっていれば、やっぱり駄目ですか、とカカシに言われ、ますます困り回っていない頭で考える。カカシを好きか嫌いかと聞かれたら、どんな人間かは知らないが他の上忍に比べたら常識的で、そして憧れの忍びには間違いはなく、どちからと問われたら、好きだ。でもそれはそう聞かれたら、というだけで、恋愛感情は入っていない。だって同性相手に好きだとか、とそこまで思ったそころで、それじゃあ自分が丸で同性同士の恋愛に対する偏見を持っているみたいじゃないか、とそこは頭の中で否定する。偏見ではなくただカカシを知らないから困っているだけで、じゃあ恋愛対象として見たとしたら───?
 視線を上げれば、少しだけ不安そうな表情をして立っているカカシが目に入る。
 長身痩躯に銀色の髪。鼻筋が通っていてそして右目しか見えないがその目元は涼しげで自分よりも肌が白い。ナルト達がカカシの素顔を見ようと躍起になっているのを知った時、きっと顔立ちはいいんだろうなあ、と思ったのを思い出す。そう、改めて見れば目の前のカカシは所謂一般的な言い方で言えばいい男なんだと気がついた途端、カカシを前にして、初めてイルカの心臓がどきんと鳴った。
 ───そう、自分は単純だ。
 そもそも嫌いになる要素もなく、見た目も申し分ないのだから、そこに断る理由はない。なんで俺なのかと聞いても良かったが、自分を好きなのだから告白したんだろうし、好き以外の理由なんてきっとカカシにはないだろう。
 持ち帰って考えても良かったが、そこで既に答えが出てしまっていたのは言うまでもない。
 ただ、男性とはつき合うのは初めてだがそれでもいいだろうか、と恐る恐る問えば、まさか肯定を含む言葉がイルカから出るとは思っていなかったのか、カカシは驚きながらもほっとしたような顔を見せる。
 実は俺も初めてなんです
 と、恥ずかしそうに、そして嬉しそうに答えた。

 元々カカシがどんな人なのか知らなかったが、変わった人だなあ、と改めて思った。
 変な人だと思うと同時に、そう思われて当たり前だろう事を実行したカカシはきっと緊張しただろうし、勇気が要らなかったわけがない。あの時の、優しそうでいて不安そうな表情をしていたカカシを思い出し、イルカは歩きながら視線を地面に落とす。同期と一緒に受付のある建物へ戻った。
 
 つき合って一ヶ月経つが、恋人だという実感がない。というか、あれから何回か夕飯を一緒に外で食べたりもしたが、そもそもカカシは忙しく、会う時間も少ない。互いに同性の恋人を持つのが初めてというのもあるんだろうが。カカシが恋人なんだという意識はあるものの、つき合う前と後で何かが大きく変わったとも言えない。そんな中、今日見かけた中忍とくノ一を思い出し、イルカは仕事をする手を止めた。
 カカシが任務へ出る時、見送る時はいつもここだ。自分の仕事上、当たり前だがいつも受付で見送り、そうでなかったとしても仕事中で、人目もあるから、つい普通に見送ってしまう。
 同期と同じように、とは言わないが、でもなんかこう、恋人らしい気の利いた一言ぐらい言うべきなのかもしれない。
 そう思っても、そもそも見送っていたのはくの一で。自分は女ではない、いや、女でなくとも恋人としてカカシを見送る言葉がなにかあってもいいはずで、
「イルカ先生?」
 不意に近くで名前を呼ばれ、イルカは身体をびくりとさせた。顔を上げれば、目の前にカカシが立っていて、驚く。
「びっくりするんで気配を消すのやめてください」
 過去何回か言った言葉を口にすれば、カカシは眉を下げる。ごめんね、と素直に謝った。
「で、どうかしましたか」
 聞けばカカシは、うん、と言いながらイルカを見る。
「今から任務に出ることになって、だから今日の夕飯の約束なんだけど、」
 申し訳なさそうに口を開いたカカシに、イルカは頷いた。
「朝火影様から聞いていたんで知ってます。大丈夫ですよ」
 ランクの高い任務を任せる事が出来る忍びは木の葉と言えど限られている。それは同じ忍びであり、この仕事に就いていれば尚の事で。残念だが、仕方ない。
 言えば、カカシはホッとした顔をする。
「じゃあ約束はまた帰ったら改めて」
「はい、お気をつけて」
 イルカが頷くとカカシは背を向ける。それを見送りながら、いや、そうじゃねえだろ、と自分にツッコんだ。どうしようか迷うも、イルカはペンを置くと立ち上がる。たまたま運良くと言えばいいのか、今この受付には時間的に自分しかいない。
「あのっ」
 受付から出て行こうとするカカシに声をかけ、歩み寄る。カカシは立ち止まると振り返ってイルカを見た。
「どうかした?」
 カカシに不思議そうに問われ、声をかけ歩み寄ったまでは良かったが、何て声をかけようかまだ頭の中でまとまっていなかったから。えっと、と口ごもりながら必死に色々な言葉を頭に浮かべる。
 恋人らしい言葉とはなんだろうか。ご武運を、じゃ堅苦しいし、頑張ってください、じゃなんかおかしい。じゃあ自分が言われて嬉しい言葉とか?
 足を止めておきながら腕を組んで考え込むイルカをカカシはじっと見つめていたが。
「もう時間だから、行くね」
 言われてイルカは慌てた。
「待ってください」
 勢いで腕を掴み、それに驚くカカシにイルカは顔を上げる。
「待ってますっ」
 口から出た言葉はそれだった。
 焦って出た言葉に過ぎないが、焦って出た言葉だかこそ、自分の気持ちなのだと、イルカは続ける。
「俺、カカシさんの帰り、待ってますから」
 言い方も内容も陳腐だが、ちゃんと言えた。
 イルカがほっとして胸を撫で下ろした瞬間、カカシの腕がにゅっと伸びる。何だろうと思ったのも束の間、顔を近づけたカカシに唇を塞がれぎょっとした。
 カカシとつきあい始めて一ヶ月。キスをしたのも初めてで、いや、いつかはするんだろうとは思っていたが、まさかこんな場所でするとか思っていなくて。たまたま人がいないだけの仕事場でこの行為は良識のある大人としてはどうなんだろうか、と動揺して驚いている間に、強く押しつけられた唇に驚き緩んだ口元から舌が入り込み、イルカは目を見開いた。気が動転しながらもカカシを腕で突っぱねようとするが、抱え込まれていてびくともしない。入り込んだ舌がぬるぬると口内を蠢き、やがて直ぐに縮こまったイルカの舌を掴まえる。唾液と共に絡まればその音が耳に入るだけで身体が熱くなり、舌を吸われ背中がぞくりと震えた。待ってとも言えない、ただ、されるがままにキスをされ、頭の中が真っ白になり抵抗を忘れどうしようもなく足が震え出す。
 やがてカカシの唇が離れたが、イルカはカカシのベストを掴んだままだった。
「先生?」
 その声に我に返り、イルカが手を離しゆっくりと視線を上げカカシを見ると、下げられていたはずの口布は既に元に戻っていた。
 顔を熱くさせたまま放心状態の自分とは違い、いつも通りに見えるカカシを見つめ返せば、その青みがかった目を緩める。
「帰ったら先生に会いにいくから、待っててね」
 いつも通りに見えたカカシのその目の奥には、今まで見たことがなかった熱を感じ、イルカは思わず口を結ぶ。
 それは、自分が待ってますと言ったその言葉に返したに過ぎないのかもしれないが。どんな意味なのか。分かった気がして。
 カカシに落ちていくのを感じながらイルカはその背中を見送った。
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