帰る場所

 廊下を歩き待機所に向かう。その扉が開き、待機所から出てきたカカシをイルカは呼び止めた。任務予定表を渡され、イルカの説明を素直に聞いていたカカシは、うん、と頷く。
「あ、あと、」
 そう言い掛けたイルカに、青みがかった目がこっちを向いた。
「今日俺早く上がれそうなんですけど、一緒に夕飯どうですか?」
 廊下には誰かがいるわけでもないが。小声で尋ねるイルカに、カカシが薄く微笑む。うんいいよ、と言われ、OKを貰えて思わずイルカは笑顔になった。
「じゃあ六時にいつもの居酒屋でよければそこで」
 時間と場所を告げ、カカシと別れ。その足でイルカは待機所の扉に手をかけた。部屋に入り待機していた上忍に、同じ様に任務依頼表を渡し説明をする。
「お前も変わってるよな」
 そう言われ、え?と聞き返すと、最後に予定表を渡したアスマが煙草を咥えながらこっちを見ていた。
 今し方アスマと話したのは任務の件についてで、おかしなところも別になかったはずだ。だから、えっと、何が、と素直に聞けば、アスマは任務予定表を手に持ちながら、あれ、と顎で何かを指した。
 指された方向へ顔を向けるが、特になにもない。何がだ?と思うイルカに、
「カカシ」
 名前を出され、そこでアスマが指したのはついさっきそこの扉から出ていったカカシの事を言っていたんだと分かる。
「アイツとつき合ってて楽しいか?」
 何かを返す前にそう続けるから、イルカは顔に出さない様努めながらも、返答に困れば、アスマは短く笑った。
「見てりゃ分かるから」
 図星の台詞にどう返していいのか分からない。カカシとつき合っていることをそこまで隠しているつもりはなかったが、公言していなかったのも確かで。つき合う前からナルト繋がりでちょこちょこ会って話したりもしていたから。誰かに気づかれた事はなかった。
 流石上忍と言うべきなのか。恥ずかしさに顔を赤らめながらも、イルカは後頭部を掻く。
「楽しいですよ」
 見抜かれている時点で嘘をつく必要もない。最初の質問に答えれば、アスマは、そーか、と煙草を吸いながら短く答える。どんな答えを期待していたのかは知らないが。嘘を言ったつもりもないし、これ以上アスマの質問の意図を詮索する気もない。
 イルカは頭を下げるとそのまま待機所を後にした。
 
 受付に戻り仕事を再開しながら。
 楽しいか?
 カカシと夕飯の約束をして、嬉しい気持ちしかないのに。ふと浮かんだアスマの言葉に邪魔された気分になって。嫌な事を言うな。そう思いながらも、イルカはそれを払拭したくて、ふう、と息を吐き出した。
 楽しいと聞かれたら。楽しいに決まっている。自分より口数も少ないし喜怒哀楽をはっきりと表に出す事はないが。一緒にいて苦にならないし、ふとした時に見せるニコッと笑った顔が何より好きで。
 ただ、そのアスマの言葉を否定的に受け取ってしまうのは、それに思い当たる事が多少なりともあるからで。浮気とかそんなんじゃないんだけど。イルカは、目の前にある書類の束を眺めながら、うーん、とため息混じりにペンの後ろで眉間を掻いた。
 一緒に住もうとイルカが言い出したのは先月の事。
 つき合ったのはいいが、中々時間が合わないし、それになんだかんだでカカシが自分の家に泊まっていく事も多い。だから、カカシに合い鍵を渡した。それが時間が合わない中、二人でつき合っていく上で一番妥当な選択だと思ったからで。それ以上他意はない。
 だけど、カカシはそれを受け取らなかった。
 ありがとね。でも大丈夫。
 そうカカシは微笑みながら自分に言った。それから何回かカカシに提案したが、首を縦に振る事はなかった。

「合理的だと思ったんだけどな」
 イルカはビールを飲みながら、同期に口を開く。
 相手がカカシだとは口には出来ないが。飲む回数が減れば当然相手が出来たんだろうと感づくわけで。素直に恋人が出来た事を伝えた上でそう言えば、んー、と同じ様にジョッキを傾けながら、同期は返事の様な相づちのような言葉を返した。愚痴と言うわけでもないが。それに聞いてもらえるだけでいいんだけど、同席している他の友人も皆同じ様な感じだから。イルカはジョッキをテーブルに置く。なんだよ、と言えば、一人の同期が箸で唐揚げをつまみながら、いや、だってさ、とイルカに返した。
「そういうのって普通女から切り出してくるだろ?」
 言われて、ぴんとこなくて。そうか?と言えば、そうだろ。と直ぐに返される。
「ほら、結婚前提とか。そんなのを匂わせたくて」
「え、」
 少しだけ驚くイルカに、周りは同期の台詞に同調するように頷き。そこから、同期は笑って行儀悪く箸を動かしながら続ける。
「まあ、お前は違うんだろうけど。そーいうのってさ。なんつーのかな、急かされると向こうが焦ってんのかなーって、それがなんか面倒くさいって言うかさ、」
 イルカは聞きながら眉を寄せていた。
「・・・・・・面倒・・・・・・俺は、別にそんな、」
 つい、言い訳が口からでる。
「だから、お前とかじゃなくて、例えばの話。ただ、俺は嫌なわけよ」
 何にも考えてない時に言われたらさ。
 否定するイルカの言葉を遮るように、そこまで言うと、同期はビールを飲む。
 っていうか、お前そこまでモテねえだろ。他の友人の突っ込みは入り、同期が口を尖らせ、うるせーよ、とそれに返す。笑いが起こり、話題が別に逸れる中、そのやりとりを聞きながらも、イルカには、その会話が耳に入らなかった。
 過去つき合った女性がそれを言ってきたこともなかったし、自分も提案したことがなかった。そこまで関係が深まる前に別れを切り出されることがほとんどで。
 カカシもまた友人と同じようにそう捉えてしまったのだろうか。考えもしていなかった方向に進んでいたのかもしれないと知るが、今更どうにもならない。友人達も素直な意見を言ったのであって、決して嫌みを言っているわけでもなく。しかし昼夜関係ない仕事をしているカカシだから、一緒に住めば会える時間だって増えるだろうし、泊まる泊まらないなんて面倒な事だって省けるし。だから、自分だってそれなりに考えてカカシに言っただけで。
 今いるメンバーに言えもしない言い訳が頭の中にぐるぐると周る。イルカはビールを飲みながらもすっかり酒どころじゃなくなっていて。ただ、料理が置かれているテーブルを見つめた。

 残業を終え、イルカは一人家に向かう。
 当たり前だが、この前から気分が塞いで仕方ない。
 結婚だなんて。そんな事、微塵にも思っていなかったし、頭を掠めもしていなかった。匂わせぶりな事をしたつもりなんかない。ただ、自分はすれ違う時間が増えるんだったら。泊まる事も多かったから、それを解消すればいいと思っていただけで。そこまで思って。
 なんか同じ様な事ずっと考えてんなあ、俺。とイルカが知らずため息を漏らした。
 アイツとつき合っていて楽しいか?
 そう聞いてきたアスマの言葉が、嫌なタイミングで再び脳裏に浮かぶ。
 特に考えもしていなかったが、もしかしたら、カカシから何か相談されたのだろうか。

 カカシに告白したのは自分だ。
 一緒に飲んでいて、色恋の話題になった時に、俺ちょうど今フリーなんだよね。カカシが何気なく口にしたその言葉を聞いた時、思わず食いついていた。見ている限りでは女が途切れた事なんてないとばかり思っていたし、そもそも自分が、カカシの隣に並んで歩いているような綺麗なくの一達と同じ土俵になんて立てるわけがないと思っていたけど。チャンスだと思った。
「じゃあ、俺はどうでしょう」
 グラスを持っている手にぐっと力を入れながら、カカシの方へ身を乗り出し、提案したイルカに、カカシは当たり前だが少しだけ驚いた顔をした。無駄な提案だと思っていたが、後悔なんて微塵もない。鼻で笑われても構わない。じっと答えを待つイルカに、カカシはふわりと微笑みを浮かべる。うん、いいよ、と口にした。
 自分の職場でもカカシに密かに思いを寄せている女性がたくさんいるのを知っている。しかし、それは自分の職場だけで留まるはずがない。ましてやカカシは里を誇る忍びだ。好意を抱いていても、そう簡単にカカシに気持ちを打ち明けられる事なんてそう出来っこない。同性となれば尚更だ。だから、言ったもん勝ちと言ったらそれは間違った表現なのかもしれないけど。言って良かったと今でも思っている。
 今までカカシがどんな風に女性とつき合っていたかは知らないが、上忍仲間であるアスマの言葉は、多少なりとも過去どんなつき合い方をしていたのかを物語っていた。
 でも、カカシは優しい。そしてなにより順調だ。
 想像していたよりも優しくて思ったよりよく喋し、一緒にいて楽しい。
 そう思っていたのは、自分だけだったのか。
 ありもしなかった不安が今更のように胸に広がり、次第に歩いている足が重くなる。
 イルカは歩きながら、真っ暗な空を見上げた。
 

 残業して帰ったものの、夕飯もそこそこに持ち帰った答案を広げ、赤ペン片手にちゃぶ台に向かう。
 気がついたらちゃぶ台に向かってから一時間近く経つのに、そこまで採点も進んでいない。イルカは結んでいない風呂上がりの髪をがしがしと掻いた。飲みかけの缶ビールを飲めばすっかりぬるくなっていて美味くもない。それでも勿体ないからと飲み進めた時、かたん、と小さな音がして同時に感じる気配に、顔を向ける。窓の外にカカシがいた。任務帰りにしてはそこまで疲弊していないカカシの表情に安心するも、イルカはため息混じりに立ち上がると、窓を開けた。
「玄関から入ってくれればいいでしょう」
 言えばカカシは、まあね、と眉を下げながら銀色の髪を掻く。
「でも先生が寝てるかなって」
 まあ確かに、持ち帰った仕事をしながらちゃぶ台でうたた寝していた事は何回もあるから。そこは言い訳は出来なくて、イルカは反論を止めて口を結ぶ。入ってください、とイルカは促した。
 受け取ったカカシの靴を玄関に置きながら、何か食べますか?と聞けば、さっき適当に済ませてきたから、とカカシから声が返る。
「じゃあ飲みもんでも。ビール飲みますよね?」
 もう一度聞くと、うん、と素直に返ってくるから、イルカは台所に足を向けた。冷蔵庫から冷えたビールを取り出しながらふとカカシへ目を向ければ、いつもの様に、手荒いを済ませたカカシがちゃぶ台の前に座っている。のんびりと胡座を掻く、いつもと同じ様子のカカシに、気まずいのは自分だけかと、内心苦笑いを浮かべた。
 自分だけかもしれないが、いつまでもぐじぐじと悩んでいるのは、正直苦手だ。缶ビールを渡し、それを受け取ったカカシがプルトップを開けビールを飲む。その姿を見つめながら、あの、と言えば、カカシがこっちを向いた。
 正座をしていたイルカは膝に乗せていた手をぎゅっと握り拳を作る。何?と不思議そうな顔をしているカカシに、口を開いた。
「俺、重いですかね」
 じっと見つめ返しながら言えば、カカシはますます不思議そうな顔をした。缶ビールから口を離し、何が?と聞くから。だから、とイルカは言葉を繋げる。
「一緒に住みたいとか、合い鍵渡そうとした事です」
 何が言いたいのか分かったのか、カカシは、ああ、と小さく呟く。缶ビールをちゃぶ台に置いた。話し途中なのに、自分で言い出したくせに、その一言だけで気持ちが重くなった。そもそも、カカシからしたら、疲れて帰ってきて早々にこんな事言われたら、面倒くさいに決まっている。イルカは無理に笑顔を作った。
「すみません、なんか一人で考えちゃって。でも、重いなら重いって言ってくれた方がいいなって、」
「別に重くないよ」
 さらりと言われ。え?と聞き返すと、カカシはイルカから視線を外すから。じゃあなんでだ、と口を出さずともそう思えば、それが顔に出たのか。そうじゃなくて、とカカシが言い、そこから一回口を閉じた。そして、何かを考えるように漂わせていた視線をイルカに戻す。
「だって、俺、いない日多いよ?」
「・・・・・・分かってます」
「先生と違って生活不規則だし、」
「それも知ってます」
 今更だとそんな口調で返せば、カカシはまた口を結んだ。
「それに、休日に急に任務入ったりするし」
「それは俺も似たようなものです」
「急に帰ってきたりするし、」
 言い訳がましい。
 徐々にイルカの眉間に皺が寄る。急に帰って来るのは、それは今日だってそうだろう。そもそもこういう事が迷惑だと思った事もないし言った事もない。
 それに。こんな会話は、前に自分が同棲を提案した時も同じ様な事をカカシが口にしていて。これじゃあ、堂々巡りじゃないか。
 どんな聞こうとしても空回りな気持ちに、思わず拳を握る手に力が入るが、これ以上不機嫌な顔を見せたくはない。イルカは黙って下を向いた。
 つき合うは別として、同性同士で住むのには抵抗があるとか、そんな事言われたらそりゃあショックだが、理由なく断るのではなく、せめて分かりやすく、納得できるような、何か説明をしてくれればそれでいいのに。
 下を向いたままのイルカに、じゃあ、とカカシがまた口を開く。

「一緒に住んだら、・・・・・・どこにも行かない?」

 カカシの言葉に、イルカは顔を上げていた。
 何を言い出すのかと、怪訝な顔を見せたイルカに。目の前には、真面目な顔で、じっとこっちを見るカカシがいて。
 ただ、甘えているんじゃない。イルカを見つめる目は不安そうで。
 カカシの生い立ちを聞いたわけでもないのに、何故か理由が分かった気がして。思わず目の奥が熱くなった。両親を亡くしてから、帰る場所を作る怖かったのは自分もそうだったのに。どうしようもなく、心細かった、薄れていた感情が甦る。
 そこから、カカシが今まで誰とも深い関係を築こうとしなかった故の、そう見えても仕方がないアスマの言葉の意味を知り、イルカは眉を寄せた。閉じた口を開く。
「行くわけないでしょう」
 真っ直ぐ見つめ返し、はっきりと答えれば、カカシは一瞬驚いた顔をした。そして一回視線を下に落とし、もう一度こっちを向く。
「良かった」
 嬉しそうに眉を下げるから。
 何だよそれ。
 イルカはぐっと口を結んだ。
 子供みたいな笑顔を見せられ、迂闊に泣きそうになっている自分がいて、それにうじうじ悩んでいた事が馬鹿らしくて。それに、湿っぽいのは自分も嫌いだ。ここで自分が泣くのは間違っている。こみ上げてくる涙を喉の奥に呑み込むと、イルカは、よし、と一声上げ、すっくと立ち上がる。
「じゃあ、風呂入りましょう。今沸かしてきます」
 そう言って風呂場に向かうイルカに、カカシが、え、待って、と呼び止める。
「先生も入るの?」
「一緒に入っちゃ悪いですか?」
 普段からイチャイチャする事は苦手で、カカシに誘われても入った事は一度もないが。少なからずもここが今日からカカシの帰る場所になった事には間違いがない。だからと言うわけじゃないが。カカシと同じく、自分が頑なに拒む必要はないはずだ。だぶん。
 それでも、恥ずかしさを誤魔化したくて。耳を赤くしながらも怪訝そうに聞けば、気持ちが変わってしまうのかと思ったのか、
「駄目じゃないです」
 カカシも白い肌を赤く染めながらも勢いよく返事をするから。イルカは白い歯を見せる。
 嬉しそうに笑顔を浮かべた。
 
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