重なる重ならない

 外が白み始めた頃、カカシは阿吽の門をくぐった。
 薄明かりを迎えていたが、カカシの視界は暗い。ふらふらと歩きながら里に着いた事に安堵感を覚える。
 報告は任せてあるからこのまま家に帰って寝てしまいたいが、その前に汚れた身体を何とかしたい。せめて熱いシャワーを浴びて、
 そう思っている間に足の力が抜け、カカシは膝から崩れ落ちそうなところで壁によりかかる。壁に体重をかけながらずるずると地面に尻餅をついた。地面を視界にぼんやり映しながら、参ったなとため息をついた。余力くらい残しておいたはずなのに。身体が動かないのはただ単にチャクラ切れでそれは自分の落ち度だ。
 家に帰れなくともせめて人がいない場所で座って身体を休ませて───。
 左の腹に出来ている傷を手で押さえた瞬間、誰かにすごい力で身体を掴まれた。落としかけていた目を上げると、誰かが映る。視界がボヤけ口元しか見えないが、何かを言ってる。だが、途切れ途切れにしか聞こえない。
 追手は既に自分が一掃したし、大した怪我は負ってない。なによりここは里内だ。そこまで緊急を要する事はない。何をそんなに慌てているのか分からないが。そんなことより、とカカシは残った力で口を開く。
「お、れはいいから・・・・・・後方からくるヤツをおねが、・・・・・・」
 そこから意識が徐々に遠のいていく。カカシは完全に意識をそこで失った。


 ぼんやりとした意識の中、カカシは目を開けた。瞬きをしながら視界に入るものを認識する。
 何のことはない、ここはいつもの見慣れた病室の天井で。
 そして身体はいつものように重くて怠く、腕を見ればこれもいつものように点滴の管に繋がれている。
 今回は出血が多かったのもあるだろうが。でも、あと少しは保つと思ったのに。結局こうか。
 カカシはもう片方の手で眩しそうに手で顔を軽く覆いながら。
「あーあ・・・・・・」
 カカシは一人、怠そうにため息を漏らした。
 

 翌週、カカシは外を歩いていた。
 すっかり回復したのはいいが。鈍った身体をどうにかしなくてはいけない。今日は待機を言い渡されているがどうせ何処にいても呼び出されるのだから、詰めるつもりもない。鍛錬をしたいが、その前に向かったのはアアかでミーがある建物だった。
 正直どこを探していいものか迷ったが、声が聞こえてきた方へ顔を向けると、そこにイルカを見つけた。
 太陽の下、子供たちに囲まれながら歩いている。足を止め、声を立てて笑うイルカを見つめていれば、やがてこっちに気がつく。
 受付内ならまだしもこの建物内で見かけることがない人影にイルカは僅かに目を丸くした後、戸惑いを見せながらもぺこりと頭を下げた。歩み寄ると自分に向かって歩いてきているんだと気がついたイルカは子供たちに先に行くように促し、そこからカカシへ向き直る。
 こんにちは、と挨拶をするイルカは少し緊張しているようにも見える。そんなイルカをカカシは見つめた。
 倒れる直前に自分を見つけたのは、夜勤明けで家に帰る途中だったイルカだった。イルカはナルトの元担任で面識はあったが。苦手意識がないと言ったらそれは嘘だった。あの中忍選抜試験の件があったからこそ、それはイルカもまた同じだろう。
「この間はどうも」
 カカシの言葉にイルカは少し驚いた顔をした。そこから少しの間の後、いやっ、否定するように首を横に振る。
「それより、体調はどうですか」
 自分が来た目的を知ったからだろう、緊張が少し解かれた顔で聞かれ、ああ、とカカシは相づちを打った。
「ま、鍛錬出来る程度には」
 短く答えると安堵したのか、そうですか、とイルカから言葉が返る。
 誰かの手を借りる事なく家に帰れると思っていたから、そこは自分の判断ミスだ。自分なりに可能だと思っていた事が出来もせず、あんな場所で倒れてしまった事自体が不覚だったと自分自身認識している。だから、
「ありがとね」
 礼を口にすると、イルカの目が丸くなった。直後に顔が僅かに強張る。
「俺は、何も」
 そこまで言って言葉を切ると、気まずそうに視線を地面に落とした。
 なんでこの人がそんな気まずそうな顔をするんだろう。
 見つめながら思うのはそこだった。気まずそう、というか悲しそうと言うべきか。まあ、もともとそんな人なんだとなんとなく知ってはいたが。
(怪我をしたのは俺で、倒れたのも俺なのに)
 そんな顔をさせているのは自分なんだと思わされる感覚に、カカシはため息混じりに銀色の髪を掻きながら、イルカ先生さあ、と口を開く。
「そんな風になにもかも受け身でいたら、いつか自分が潰れちゃうよ?」
 間違った事を言ったつもりは微塵もなかった。
 顔を上げたイルカは目を見張るようにこっちを見る。不快そうに眉根を寄せた。明らかに、傷ついている。そんな顔で。
 今までこんなやりとりはいくらでもあった。幼い頃から戦場に駆り出されていれば嫌でも分かる。自分が歩んできた道は特に非情な世界で。無駄に甘かったり、心に隙があるヤツから殺られる。それは忍びであればイルカだって知っているはずだ。
 そう思うのに、苛立ちすら感じるのに、イルカの表情に困惑する自分がいた。ざわざわとした感覚に胸の奥が掻き立てられるような。気まずいというべきか。他人に気まずいなんて思った事がないのに。それに内心戸惑う。と、イルカが黒い目をカカシへ向け、結んでいた口を開く。
「あなたの方こそ、もっと自分を大切にすべきだ」
 強い口調だった。はっきりと言い切るとイルカはくるりと背中を向ける。子供たちの後を追うように歩き出すイルカのその黒い尻尾を、後ろ姿をカカシはただ、見つめていた。
 言い方もそうだが、誰かにそんな言葉を投げつけられた記憶はない。たぶん初めてで。カカシは内心面食らいながらも、
「あ」
 声を出す。
 紅から、あんたのことだからろくにお礼も言えないだろうと言われ。まあ、その通りだから、持っていけと言われるままに買った甘美堂の和菓子を、今更ながらに渡し忘れたと気がつくが。既に遅い。
 言った通りだったと呆れる紅が嫌でも想像出来るし、複雑な気持ちはまだ続いていて。
「・・・・・・なんなのかねえ」
 カカシは一人、渡しそびれた菓子の袋を持ったまま、頭を掻いた。
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