カカ誕2021

 日が落ちかけ里がゆっくり夕闇に包まれる頃、イルカは走っていた。
 こんな日に限って、と言いかけてイルカはそれを否定する。喧嘩なんて好き好んでするもんじゃないし、子供がわざわざ日を選んで喧嘩をする訳じゃない。
 今回はたまたま殴り合いにまで発展し、喧嘩をしていた場所が偶然階段の近くで、習ったはずの受け身を上手くできなくて。
 自分が保健室に呼ばれた時は既に夕方だった。 
 一人が軽い捻挫をしたくらいで済んだが、担任として保護者に伝えなければならない義務がある。落ち込む二人の足は重く、まあそれは俺なんかより親に雷を落とされる事を懸念しているからで。まあ、気持ちは分からんでもないし、それより怒ってくれる親がいるって事は羨ましい気持ちも混じる。イルカはそんな二人を眺めながら苦笑すると頭をぽんぽんと軽く叩く。ほらいくぞ、と励ますように背中を優しく押した。
 保護者への報告も済み、生徒の家を後にして急いで走るも、足が痺れているのは生徒の家で長居してしまったからだ。
 良い人なんだけど話が長いんだよなあ
 なんて泣き言がまた口から出そうになるが、言ったところで時間を巻き戻せるわけもない。イルカは軽く首を横に振ると走る足を早めた。
 
「あれ、どうした?」
 息弾ませて報告所に顔を出したイルカに同期が顔を上げる。聞かれるも直ぐに言葉を出す事が出来なかった。えっと、と言い淀みながら、視線をずらして、また同期に戻す。
「カカシさんは、」
 名前を出せば、はたけ上忍?と同期が聞き返しながら手元の書類を何枚か捲った。
「ああ、そうそう、三十分くらい前に報告書もらったけど、」
 その言葉に、やっぱりなあ、と思うのと同時に、身体の力が抜ける。
「別に今回は七班の任務じゃないけど、どうかしたのか」
 言われて、イルカは笑顔を浮かべた。
「そういやそうだったな、悪りぃ」
 笑って報告所の扉を閉めたイルカはため息を吐き出すと、そこからゆっくりと廊下を歩き出した。

 静まり返った職員室でイルカは一人報告書にペンを走らせる。
 体術の授業でまず最初に教えるのは自分の身を守る術だ。そして体術を教える前に子供達に教えているのが、体術は里や大切な人や仲間、そして自分の身を守る為にあると伝えている。ただ、授業が進むにつれ相手を攻撃する術を教えるとそれが頭の中から離れてしまう子どもは少なくはない。要は力をつけた、強いんだという過信からくるものだが。
 イルカはそこでペンを止め、視線を報告書から上げる。
 自信は子供が成長する上で大切なものだ。自己肯定感の低いのも問題だが、ただ、その子供の気持ちをいかにコントロールするかが問題で。
 うーん、と唸りながらイルカは椅子の背もたれに体重を乗せる。
 もう一回、授業の前に子供たちに話す必要があるなあ。
 椅子の背もたれを何回かきいきいと軋ませながら、視線を空中に漂わせていたイルカは息を吐き出した。そこから姿勢を正すと、再び紙面にペンを走らせた。

 結局こんな時間か。
 アカデミーの建物を出て、壁にかけられた時計の針を見てイルカはため息を吐き出した。
 別に今日は特別約束や予定があったわけではない。
 残業はいつもの事で、ただ、今日は。
 カカシに一言、声をかけたかった。
 イルカはぼんやりと目をすっかり日の落ちた校庭へ向ける。
 カカシが今日誕生日だと教えてくれたのはサクラだった。
 たまたま商店街で会ったサクラに声をかけたら会話の延長でそんな話題になって。
「せっかくプレゼントあげるっていったのに、カカシ先生ったら、いい、いらない、の一点張りで」
 そうサクラが呆れたように口にした。
 まあ、自分も生徒に言われたらそう言うだろうから、まあ、流石に祝ってもらうような歳でもないからなあ、と返せば、がっかりだと言わんばかりに、サクラは緑色の目をイルカに向ける。
「何歳だっていいじゃないですか」
 その時は、苦笑いを浮かべるだくだったが。
 よく考えたら、確かにそうだよなあ、と納得した。
 プレゼントをあげるまではしなくとも。
 せめて、祝いの言葉くらいカカシに言いたい。
 そう意気込んで今日を迎えたのに。
 声をかけるどころか、顔さえ合わす事もなかった。探さなくとも一日に何回も顔を合わす日だってあるのに。
 いや、合わさない日だってあるか。
 勝手に独りごちながらイルカは歩く。
 ───好きですと。言えたらどんなに楽だろうか。
 吐き出したくなった言葉に、イルカの眉根が自然と寄った。
 楽とか、そんな言葉を使う事自体、自分勝手に過ぎないし、だからと言って楽になりたいから言いたいわけでもない。
 そもそもそんな事をカカシに言えるわけがない。
 綺麗なくノ一ならまだしも、こんな内勤の中忍の男が好きだとか。
 気持ち悪いに決まっている。
 じゃあなんでそんな相手を好きになってしまったのかと言っても、別に男が好きだからとかそんな理由でもなく、たまたま何回か顔を合わせ、会話をするうちに気がついたらこんな気持ちになってしまっていたと言うか。
 恋なんてろくにしてこなかったから、これが恋とは分からないけど。でも、これが恋じゃなかったら、一体なんなのか。 
 見えない迷路に入り込んだ気分に、自然と気持ちが塞ぎ始める。
 こりゃさっさと家帰って飯食って、寝るしかない。
 公園を横切りコンビニへ足を向けた時、店から出てきたその人影にイルカは足を止めていた。
 ビニール袋を手に下げたカカシは、目の前に立っているイルカにいつもの眠そうな目を向ける。
「こんばんはっ」
 まさか、こんなタイミングでカカシと会うなんて。
 驚きを隠しながらも、イルカは勢いで挨拶をすれば、カカシは一瞬驚いた顔をしたが、それは直ぐに柔かな表情に変わる。どーも、と目元を緩めた。
「カカシさんは今日は任務でしたよね?お疲れ様ですっ」
 気張っているのが分かるくらいにいつもより声が大きくなる自分に恥ずかしくなるが、だって仕方がない。こんな場所で会うなんて思ってなくて。
 緊張気味に口を開いたイルカに、カカシはいつもと変わる事ない口調と表情で、うん、まあ、と答える。
「一回家帰った後に冷蔵庫に何もない事に気がついて」
 言いながらカカシは銀色の髪を掻く。
 目を落とせば、カカシが手に持ったビニール袋には、自分も買うつもりだった弁当や缶ビールが入っていて。
 それを見た途端、何故か胸の奥が痛んだ。
 分かっている。
 カカシにとったら、今日は、誕生日なんて関係ない、任務を遂行した、いつもの一日でしかなくて。
 日々淡々と過ごしている日常の一部で。
 そう、ただ、誕生日だってだけで、昨日や明日と変わらない一日で。
 でも。
 今日は誕生日なんだ。
 たとえ気持ち悪いと思われたとしても、構わない。
 イルカはグッと丸めた指先に力を入れ、拳を作る。あのっ、と言いながらイルカは下げていた視線をカカシに向ける。
「誕生日、おめでとうございますっ」
 さっきよりも一際大きな声が自分から出た。
 食事を奢るとか、カカシに何か気の利いたプレゼントを渡すわけでもない。でも、どうしてもカカシにおめでとうと、言いたかった。
 今日言えないと思って諦めていたから、何にも心の準備も出来ない、カッコ悪い言い方なのかもしれないけど。
 言えた事が嬉しくて。
 でも、カカシは。
 ポカンとした顔をしてこっちを見ていた。
 きっと今日何回も言われただろう言葉のはずなのに。
 何を言ってるんだと、そんな顔に見え、今更ながら顔色を失う。
「あの、すみません、もしかして今日、誕生日じゃないとか、」
 誕生日じゃないとしたら、飛んだ失態だ。
 慌てて言葉を繋ぐイルカに、カカシはそこでまた銀色の髪を掻いた。さっきよりも強くがしがしと混ぜっ返すように掻いて、そこからイルカへ視線を向ける。
「ありがとう」
 真っ直ぐ、イルカを見て答えた。
 とんでもない間違いをしてしまったんじゃないかと、涙目になりそうなイルカを前に、
「びっくりしたけど、嬉しい」
 素直に言ってくれたカカシの言葉が、イルカの緊張を解かしていく。
 良かった。
 安堵しながら、えっと、とイルカは口を開いた。
「コンビニしかないですが、もう買われたかと思いますが酒とかケーキとか、良かったら俺奢りますけど、」
 言えばがカカシは眉を下げて、大丈夫、と首を横に振る。
「もうこれ以上のものはないって感じだから」
 カカシは優しく微笑む。
 言われた言葉の意味を理解しようとするが、きっとそのまんまで。祝いの言葉を素直に受け取ってくれたんだろう。
 嬉しさに熱くなる頬に、それを顔に出さないように堪えながら、イルカは一回口を結び、そしてまた開く。
「じゃあ、失礼しますっ」
 会釈をしてイルカはカカシの横を通り過ぎると、カカシが、じゃあね、と返したのが聞こえる。嬉しさに顔を綻ばせながらイルカはコンビニの入り口へ足を進めた。



 虫が鳴く夜道をコンビニの袋を下げながらカカシは歩く。
 ついさっき、コンビニで顔を合わせたイルカの顔を思い出し、こっちを見て驚いた顔や、その緊張した面持ちから、その後の安堵した顔が次々と脳裏に浮かび、そして最後に、
 誕生日、おめでとうございますっ
 強い口調ではっきりと口にしたイルカを思い出し、胸の奥がじわじわと暖かくなるような、ざわめくような感覚にカカシは僅かに眉を寄せた。
 ふう、と息を吐き出し、夜空へ視線を向ける。

 欲張り過ぎるのも良くないけどカカシはもっと欲張っていいんだよ

 かつて父親が、幼い自分にそう言った。
 欲なんて人を惑わすばかりで持ってるだけ無駄なんだと、そう思っていたし今もそう思うのに。
 この歳になって欲が出るとか。
 しかも到底叶いっこないと諦めかけていたのに。
 ───ちょっとくらい欲を出してもいいよね?
 誰に問うわけでもなく、夜空に向かってカカシは心の中から問いかける。
 瞬く星を見つめながら、やがてカカシはその輝きを隠すように青みがかった目をゆっくりと伏せせる。答えをみつけたかのように、口布の下でひっそりと微笑んだ。
 
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