恋する二人

「先生、今日見たわよ」
 夕方、買い物をして帰ろうと商店街に向かい、立ち寄った八百屋のおばちゃんにそう言われイルカは顔を上げた。
「ほら、生徒をさ。追いかけてじゃない」
 聞き返す前にそう付け加えられ、イルカは大根を持ったまま苦笑いを浮かべる。見られちゃいましたか、と恥ずかしそうに言えば、いやそうじゃなくてね、とおばちゃんは手を横に振った。
「なんだかんだでさ、先生って商売も大変だなって思ったのよ。だって、先生は悪戯ばっかりする悪ガキ相手は毎日でしょう?私はさ、孫の面倒だけでいっぱいいっぱいだから」
 笑顔でそう口にする、その話題に、イルカは、ああ、と相づちを打った。確かここの八百屋の店主の娘が初孫を産んだと言っていたのは去年。早ければそろそろ歩き出す頃か。
 子供さえいない自分に孫はどんな感じなのか、それさえ想像すら出来ないが、大変だと口にするおばちゃんの顔は実に嬉しそうだ。
「だからさ、これでも食べて頑張って!」
 はい、とお釣りと一緒にリンゴをおまけで渡される。お礼を言ってイルカは八百屋を後にした。

 教員だから授業は毎日あるが、生徒を追いかける事自体は毎日ではない。ただ、八百屋のおばちゃんが言ったように、生徒全員が悪ガキでもないが、素直な生徒ばかりでもない。
 今日叱った子供たちの顔が思い浮かび、自分の説教を聞いているようで聞き流している表情。悪びれるわけでもなく、不貞腐れてそっぽを向いて。ただ、自分にも身に覚えがないわけでもなく。イルカは思わず小さく笑いを零した。そこから視線を漂わせる。
 ──アイツらもへそ曲がりだが、自分も十分へそ曲がりだ。
 この歳になって相手の言動で一喜一憂してしまうような恋愛するとは思ってもみなかったが。素直に気持ちを表すことが出来ない。
 会えて嬉しかったと、そう言いたかったのに。
 迂闊に自分が言い間違えたのを思い出しただけで、心が乱れるのが分かり、それを落ち着かせる為にイルカは息を吐き出した。
 カカシの声が好きだ。
 最初からではない。不意に、つきあい初めてから。聞いているうちに好きなんだと気が付いた。
 イルカ先生。
 カカシが自分の名前を呼ぶ。それが、それだけなのに、無性に嬉しくて。
 そう、カカシの落ち着いていて、それでいてゆったりとした口調に混じる色気のようなものが、心を掻き乱しもするし、落ち着かせもする。
 声だけが好きなんじゃない。もちろん会いたかったが、声を聞きたかったのも確かで。
 でも声が好きだとか、なんだか子供っぽくで。だからそれを口にするつもりはなかったのに。
 カカシは茶化す訳でもなく、嬉しそうな表情をしてくれてはいたが、きっと、自分はこのリンゴよりも真っ赤だったに違いない。いや、リンゴならまだいいが。二十代半ばの男が顔真っ赤とか。
 情けなくて、思い出しただけで頬がまた熱くなり、やり場のない羞恥心に、イルカは袋の中のリンゴを見つめながら嘆息した。


 カカシがイルカの家を訪れたのはちょうど夕飯が出来上がった頃だった。
 短期任務を終えたばかりだったから体を休めて欲しかったのに、疲れているだろうに、渋るイルカに、大丈夫だから、とカカシはそう口にした。
 家に帰り数時間睡眠をとっただろうカカシは、疲労が顔にはないものの、やはりまだ少しだけ眠そうで。
「やっぱり今日はそのまま家で寝ていたほうが良かったんじゃないですか?」
 作った料理をちゃぶ台に運びながら言えば、テレビを見ていたカカシがこっちを見た。
「ご飯食べたら先生の家でそのまま寝てこうかなって」
 それでもいいでしょ?
 そう聞かれ、はっきり言わなくても、泊まっていくんだと分かったら。そもそもカカシが泊まる事はよくある事なのに。今日あんな事があったせいなのか、胸がなぜかどきどきと忙しなく動き出す。
「もちろんです。狭いですが」
 それを隠すように、笑って答えた。

 電気を消して布団に入ったところで、カカシがパジャマ越しにイルカの腕に触れ、思わず体がぎくりと揺れた。
 来客用の布団があるのに、それを敷くわけでもなく、同じ布団の中にいるのは、部屋が狭いからだけではない。恋人同士で寝るってことは、つまりはそういう事をするかだと分かっているからで。
 それでも、肌を重ねるのは初めてではないのに心音が早まる。カカシに聞こえて欲しくないと思うイルカの耳に、唇が近づく。
「先生、いい?」
 耳元で囁かれ、くすぐったくも甘い刺激に背中がぞくりとし、更に心臓が駆け足になった。
 もっとしっかり休んで欲しいとは思ってるものの、それ以前に、いいもなにも、一緒の布団で寝ると決めた時点で、いいに決まっている。
 恥ずかしくて目を伏せている自分の顔をカカシが間近でじっと見つめているのが分かり、おずおずと目を上げれば、色違いの目と視線が交わる。まだ肌寒い季節だが、布団の中は十分に暖かく、いや、熱いくらいで。
 黙っていれば、ゆっくりとカカシの顔が近づき、唇が触れる。イルカはそれを受け止めるように目を閉じた。
 昼間、気持ちを悟られて恥ずかしさに俯いた時、カカシの指が不意に近づき、頬に触れた。
 驚いた。だって外で触れられる事は今までなかった。驚いて反射的に体を僅かに反らせば、カカシは伸ばした指先を丸める。眉を下げニコリと微笑んだ。
 今日家に行ってもいい?
 そう聞かれて、気持ちがその会話で逸れそのままになってしまったけど。
 あの時、カカシは自分にキスをしようとしたんだろうか。
 分からない。
 ろくに恋愛をしてこなかった自分に、そのタイミングとか、空気とか。そういうのは特に疎くて。自分の勘違いだったら、とてもつもなく恥ずかしいし、今更聞けっこないが。
 ただ、カカシのキスは好きだ。
 何度も重ねた唇は暖かく、薄く開けば、そこからカカシの舌が差し込まれる。下手なりにカカシに合わせるように、自分の舌を絡ませると、更に深く唇が合わさった。
「・・・・・・っ、あ、」
 声が漏れたのはまだキスで上手く息が出来ないのもあるが、それよりも、カカシの手がパジャマ越しに胸の先端を撫でたから。今までそんな使い方をしていなかった場所が、その先端が、触れられただけで固くなる。それが分かってイルカは頬を熱くさせた。カカシの唇が気が付けばイルカの首もとに移り、汗ばんだ肌を舐めた。
 自分は暑がりなほうで、体温だってきっとカカシより高い。布団の中で肌を密着させているだけでこうなのだから、夏だったらきっと今頃汗だくだ。こんな男の汗ばんだ肌を舐めるカカシに、思わず、や、と身を捩るが、止まるわけがない。項を舐められ、暑いのに、鳥肌が立った。その合間にもカカシの手が下着の中に容易く入り込むから、イルカはまた力ない声を漏らすしかない。眉根を寄せる。
「嫌なの?」
 聞かれて、どう説明したらいいのか分からず、イルカは首を振った。この行為自体を拒んでいるわけではない。その証拠に下着の中でカカシがゆるゆると手を動かしているだけで、息が上がり、体は僅かな動きでも反応を示す。カカシだってそれは手に取るくらいに分かっているだろう。
 告白してきたのはカカシからだ。
 それでも、カカシとは釣り合わないんじゃないのかと、心のどこかで思ってしまっているからこそ、素直に反応してしまう体とは裏腹な言動になってしまう。
 自己肯定感はそこまで低くはないとは思うけど。カカシの動かす手の動きが早くなり、イルカの額に汗が滲んだ。それが煩わしい。
「んっ・・・・・・、あ、ぁっ、」
 思考が鈍くなるほどに体が熱くなり、首もとにかかるカカシの息もまた熱い。服を脱ぎたい。でも、カカシはそれをまださせてくれない。先走りで濡れた陰茎を扱く度に水の音が嫌でも聞こえ、それがまた思考を麻痺させる。イルカの吐く息も短くなり、内股が震えた時、カカシは手を離した。上り詰めようとしていた快感から解放されず、イルカは思わず、あ、と声を上げる。カカシへ目を向けると、ずるりとズボンを下着ごと引き下げられた。膝立ちになり上半身を起こしたカカシが、自分の上着を脱ぎ捨てる。明かりが消された暗い部屋にも関わらず、カカシの目が熱を帯びているのが分かり、イルカは唾を飲み込んだ。
 白く逞しい、鍛えられたカカシの上半身がイルカの目に映る。素直に綺麗だと思った。
 自分の服を脱がすとカカシはイルカに覆い被さる。再び愛撫が開始され、互いの肌が密着した。
 カカシもそれなりに暑いのだろうが、汗さえかいていないし、じっとりと汗が肌を滲ませていることもない。それがまたイルカを恥ずかしい気持ちにさせた。
 見た目からして、カカシの方が整っているのには間違いがないが、自分の方が遙かに男くさい。
 恥ずかしい話だが、つき合った当初、まだ体の関係がない頃、自分が上なのかと、勝手に思っていた。いや、どっちでも良かったし、分からなかったけど、何故か勝手にそう思いこんでいて。
 でも、体を繋ぐ前に、口づけされただけで、どっちが上かなんて嫌でも分かった。そもそもキスまでもって行く雰囲気さえ作れない自分が、リードなんか出来るわけもなく。キスだけでうっとり身を任せている自分に恥ずかしさも感じたが、カカシがこんな自分にその気があるんだと分かっただけで、嬉しかった。
 カカシの指が奥まった箇所に触れる。既に濡れている指がゆっくりと押し入った。痛みはない。ただ感じるのは、これからされる事に対する期待で、没頭したくてカカシの首に腕を回せば、カカシは促されるままにイルカに口づけた。
 二本から三本に増えた指が中を掻き回し押し広げるように動き、やがて、その指が引き抜かれる。
 のしかかってるカカシが、唇を浮かせ、顔を首もとに埋める。ゆっくりと深呼吸したのが分かった。そして少しだけ顔を上げこっちを見る。
「俺ね、先生の匂いがすごく好き」
 うっとりと呟く。
 不意すぎて、イルカは見つめ返す事しか出来なかった。瞬きをすれば、カカシは優しげに微笑む。
 望めばどんな相手でも振り向くだろうに。それなのに自分なんかを好きだとか、物好きな人だと思う。でも、口にしてくれた言葉が嬉しくて。同時に胸が締め付けられるような感覚に。まだ始まったばかりだけど、目の前にいるカカシが自分にとって大事な人なんだと実感する。
 自分も何か言い返そう、そう思った時、すごく熱い塊が体の奥に触れた。腿を横に広げられながら入ってくるそれに、思わず息を詰める。そこから動きに合わせるように、眉を寄せながらも呼吸を深くするイルカに、カカシは唇を重ねると腰を激しく動かし始めた。


 
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