胸三寸

 上忍仲間と歩いていたら、アカデミーの子供たちが楽しそうな笑い声と共に反対側から歩いてくる。通り過ぎた辺りでその中心にいたイルカから名前を呼ばれた。
「俺今週末給料日なんですが、」
 その言葉で何を言いたいのか悟るものの、カカシは申し訳なさそうに眉を下げる。
「あー、俺は無理かもしれない」
 カカシの言葉を受けたイルカは気にすることなく、分かりました、と元気に返事をすると、ぺこりと頭を下げ子供たちと共に歩き出した。
「お前週末は待機だろ」
 その後ろ姿を見つめた後、再び歩き出したところで一緒にいた上忍にそう言われるが、自分自身のスケジュールだから自分が一番把握している。だがカカシは気にすることなく、そーね、と返事をするだけに留めた。
 中忍のうみのイルカとは謂わば上官と部下の間柄だが、飲み友達だ。ナルトの上忍師になってから知り合い居酒屋で何回か顔を合わせ、一緒に飲んでみたら思いの外楽しくて食や酒の嗜好も似ているからか話も合い、堅苦しさも感じない。自分にとったら心地いい時間で、彼に好意を抱くまでにそう時間はかからなかった。
 人間なんて単純なもので、好きだと意識してしまうとどんどんその感情は加速する。顔には出さないよう努めていたがバレるのも時間の問題かもしれない。そう思ったら、だったらバレる前に自分から伝えてしまった方がいいんじゃないかと思った。
 基本受け身で恋愛なんてしたことなくて。告白もしたことがない。イルカのことだから同性だからといって偏見を持つことはないだろうが、単純明快な性格だから答えはイエスかノー。どちらかだと思っていた。というかそれしかないと思っていたのに。
 俺先生の事好きなんだよね。
 一緒に夕飯を食べた帰り道、勇気を奮い立たせイルカに告げた。
 酒の勢いにはしたくないから、互いにビール一杯くらいで終わった日にして、イルカもまた素面に近かったのに。
 何言ってるんですか。
 可笑しそうに笑った。
 言い方が軽かったかなとは思ったがそれが自分の精一杯だった。
 まさか笑ってはぐらかされるなんて思ってなかった。
 本気だよ?と付け加えてみたけどそれもまたイルカは笑って。そこから別の話題を話し始めたから、戻すことは出来なかった。
 告白が上手くいかなかったからといって、別に避けてる訳じゃない。
 ただ、自分はタチの悪い冗談を言うタイプじゃないのはイルカだって知っているはずで。そのはずなのに、冗談だと捉えられた事がショックだった。
 丸でなにもなかったかのような顔しちゃって
 あの爽やかで屈託のないイルカの笑顔を思い出せば胸の奥が重く感じる。
 カカシは歩きながら、知らずため息を吐き出した。



 週末、カカシは床に横になりながらぼんやりと天井を見上げていた。
 どんな結果になろうとイルカを嫌いになることはない。好きなのだから、相変わらず声をかけてくれたり変わらない笑顔を向けられて嬉しくないわけがない。
 避けられるよりはいい。いや、いっそのこと避けられた方が楽なのか。
 天井から視線を外し部屋を見渡せば玄関の脇に置かれたままのゴミ袋が目に入った。前回の回収前に出そうと思いそのままになっていたやつだ。
 明日は朝から任務が入っているからそのタイミングで出してもいいが。
 でもなあ。
 思考は堂々巡りで今日はまだ寝れそうにもない。
 だったらこのまま寝転がっているくらいならとカカシはむくりと起き上がり、ゴミ袋を持つ。外へ出た。
 すっかり夜も更けているのに凍える寒さはそこまで感じることはなく、ベストを脱いだだけの格好で夜道を歩く。道の角を曲がって直ぐがゴミ捨て場で、先客がいたのか既に何袋か置かれているその横に自分のゴミを袋を置いた時、人の気配を感じてカカシは目を向けた。
 深夜近くであっても里が稼働していれば誰かしらが歩いていてもおかしくはない。
 気にする事なく、ただなんとなく目を向けた先に見えた人影は見間違えようがなくイルカで、カカシは顔を向けた。
 少し先の道をイルカが一人歩いている。声をかけようかどうしようか一瞬迷ったものの、足を向けたのはイルカの足取りがふらついていたからだ。
「先生」
 呼べばイルカがこっちを向く。
「カカシさん」
 嬉しそうににっこりと微笑むその顔は赤く、近づけば案の定酒臭い。
 大丈夫?と聞けば大丈夫ですよ、とふにゃっとした笑顔を返されカカシは顔を覗き込んだ。
「でも先生あんた酒臭いよ?家まで送ろうか?」
 その台詞にイルカは少しだけ驚いた顔をした後、また笑った。
「優しいですね、カカシさんは」
 黒い瞳を真っ直ぐこっちに向け面と向かって言われ、カカシは面食らった。思わず視線を逸らす。そりゃそうでしょ、と独り言のように呟く。あなただからだよ、と言いたい。言いたいけれど我慢したのに。
「カカシさんに優しくされたら振り向かない女性なんかいないですよね」
 そんな言葉を返されカカシは顔を上げた。あんまりじゃないかと思うが、イルカは全く気にもしていない風で。そしてあまりにも呑気な言い方に、あのね、と言いかけるがカカシはそこで口を一回結ぶ。こんな風に誰かに好意を持ったのは初めてだった。諦めるべきかもしれないと思っていても気持ちは膨らむ一方で、でもどう伝えたらいいのか分からない。ジレンマを感じてカカシは頭をがしがしと掻いた。もう一度イルカを見る。
「いい?俺はあなたに骨抜きなの」
 つい強い口調になっていた。
 他の女とかあり得ないんだと訴えるように言えば、イルカは目を丸くした。じっとカカシを見つめたが、その黒い目をふにゃりと緩める。あはは、と笑った。
「骨なしってタコじゃないんですから」
 無邪気な笑顔に、そうだったこの人は酔っ払っているんだ、とカカシはため息混じりにイルカを見つめる。可笑しそうに笑っていたイルカがふと笑うのを止め、でも、と呟いた。カカシを見つめる。
「今度は一緒に飲んでくださいね?」
 今週断った事を言っているんだろう、確かにこんな酔い方になるんなら誘いに頷いていれば良かったと後悔する自分もいた。そして、少しだけ真剣にも見えるイルカの眼差しにドキリとする。うん、と思わず頷くとイルカは満足そうにその目を緩ませた。きらきらと輝く黒い瞳とその表情に惚けそうになった時イルカが、じゃあ帰ります、とぺこりと頭を下げた。
 送っていくよ、と口にするカカシの声は聞こえてないのか。でも背中を向けて歩き出したイルカの足取りはさっきよりもしっかりしているから。カカシはその後ろ姿を見送り、一人になってしばらくした後、ふう、と息を吐き出した。ポケットに手を入れ視線を地面に落とす。
 あんな事を言われたら上手く距離を取ろうにも取れそうにない。
 惚れた弱みなんだろうが。
 カカシはイルカが歩いていた方向へ目を向けた後体の向きを変える。家に向かって歩き出した。



 イルカはカカシと別れ、夜道を歩きながら角を曲がったところでその速度を緩めた。
 心臓がさっきからばくばくと鳴っている。
 やばかった。 
 あなたに骨抜きなの、なんて。しかもあんな真剣な表情。
 動揺が未だ止まらない。
 最初、気持ちを告げられた時本当に冗談だと思っていた。カカシもこんな冗談を言うんだと。酒も入っていたし、そんなことあるわけがない。
 だから上手くやり過ごすことにしたのに。
 カカシの表情を思い出しただけでまた心音が駆け足になりそうで、イルカは肩にかけた鞄の紐をぎゅうっと握った。
 目を伏せる。
 俺は、上手く誤魔化す事が出来ただろうか。
 なんでもないって、思ってくれたならいいけど。
 でも胸が苦しくて仕方なくて、イルカはゆっくりと息を吐き出しながら、真っ暗な夜空を見上げた。

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