終わりと始まり

 「どうせ呼び出されたら正月だろうといかなきゃならないんだから」
 カカシが立て肘をつきながら笑って猪口を傾ける。自分の内勤業務なんかより遥かに過酷な任務を請け負っているはずなのになのに、愚痴るカカシの笑顔は穏やかで。そんな横顔をイルカは見つめた。
 毎年大晦日は、仕事を終えて寒い部屋に一人で帰って買い置きしておいたカップ麺の蕎麦を食う。そんな毎年変わる事がなかった日常が変わったのは、カカシの一言があったからだ。
 互いに年末まで仕事があると分かったカカシに飲みに行こうと誘われて。イルカはいつものように頷いた。
 いつものようにとは、その言葉通りカカシが自分を誘ってくれる事が多々あるからだ。
 飲みに行くなら上忍師仲間がいるはずなのにカカシはよく自分に声をかける。
 最初は自分がよくナルトの事を聞くから。それに気を遣ってくれたんだろうと思った。初めて声をかけられ、飯でもどう?と誘われた時、そりゃあ戸惑った。カカシは自分達の世代からしたら憧れだ。かと言って中忍選抜試験の時に楯突いたのは自分だが、それとこれとは別で、カカシからしたら面倒くさい生意気な中忍のはずだ。簡単に頷く事が出来ないまま戸惑うイルカに、ナルトたちの事も話したいから、とそう言われたら断る事なんて出来ない。
 じゃあ、お願いします。
 おずおずと頭を下げたら。
 良かった。
 カカシはにっこりと微笑んだ。
 あの笑顔にやられたんだよな。
 イルカは杯を傾け酒を飲み、カカシの横顔の眺めながら改めてそんな事を思う。
 初めて誘わたのが春。あれから季節は何度も変わり、気がつけばもう年末だ。
 誘われた当初、年末になった今もこうして一緒に隣で酒を飲んでるなんて想像さえしていなかった。
 そして、何回か誘われてからひとつの疑問が頭から離れない。
 なんで俺なんだろうか。
 という事。
 だったら本人に聞けばいいだろうと、そうなるが。もちろん前にカカシに聞いた。ただ、上忍師仲間のアスマや紅と話しているところもよく見かけるからと話を振ったら二人が恋人同士なんだと言う中忍なんかが耳に入れるべきではなかった情報を聞き出してしまった結果になり、猛省した。
 そこからはろくにその話題は口には出していない。
 それでも。
 なんであんたみたいな中忍が優先されるのよ。
 殺意を含んだ凄みと共に上忍のくノ一に研ぎ澄まされたクナイのような鋭い言葉を投げつけられるのは一度や二度でもない。
 要は、カカシからの誘いを待っている女性がいることは明らかで。
 だけど。
「先生は明日何時から?」
 カカシの言葉にイルカは思考を引き戻される。気がつけばカカシの優しく目がこっちを見ていた。
「明日は昼からですね」
「俺は待機だから、どこかで合えば飯行けそうだね」
 柔らかな笑みと共に返すから、そうなんだけども、と思いながらも、同じように微笑んで頷かずにはいられない。
 最近気がついたのは。
 カカシのその穏やかな表情に弱く。
 物腰柔らかな口調が心地よいという事。
 最初は良かった。ただただカカシと飲み食いして一緒に会話している事が楽しかったから。
 でも、一度浮かんだ疑問は簡単に頭から離れることはなくて。なのに誘われたら嬉しくて。むしろ都合の良い方向に考えてしまっている事実。
 ハッキリ言えば、これは危険だ。
 そう。良くない。
 カカシはただ単に自分を後輩として、部下として可愛がってくれているだけなのに。仮にこれがカカシに取って友人と言うラインだとしても。
 自分の思想は危険過ぎる。
 だって自分も仲良い友人は何人もいるが。違う目で見られているんだと言われたら。正直自分だったらショックだ。
 この考えに辿り着くたびに気分が胸糞悪くなりひどく落ち込むからなるべく考えないようにしてきたけど。
 良い加減ハッキリさせるべきなのかもしれない。
 だって、この考えは狡い。
 優しく微笑まれる度に、カカシを騙している気分にさえなる。
 そう、ハッキリさせなくては。
 イルカは意気込むと手酌で注いだ酒をグイと勢いよく呷った。

 居酒屋を出ると外気の温度差にイルカは身体を震わせた。
 しんしんと冷え込む寒さは酒で暖かくなった身体の熱をいとも簡単に奪っていくから。イルカは丸めた指をポケットに突っ込む。
 並んで歩いているカカシも背中を丸め両手をポケットに入れて歩いている。ちらつき始める雪に一回夜空を仰いだ。
「明日には積もりそうだね」
「そうですね」
「流石に元旦は一楽はきっと休みだからその近くの蕎麦屋がいいかも」
 こうやってカカシはいつもなんでもない風にまた次の約束をカカシは口にする。
 丸で一緒にいるのが当たり前かのように。口布からはカカシが話す度白い息が上がる。
「ああ、でも今日蕎麦食べ忘れたから新年なのに年越し蕎麦食ってるみたいなっちゃうね」
 可笑しそうに笑うカカシに、イルカもつられて笑った。他愛のない話題で笑い合いながら歩いていれば、気がつけば分かれ道まできていた。
 当初の目的を思い出す。 
 イルカは足を止めた。カカシも同じように足を止める。
 おやすみなさい、といつものようにそう挨拶して別れる事もできるけど。
 今日は大晦日で。
 所詮自分だけの問題だが、出来れば年内にケリをつけたい。
 先生とは話しやすいから、とか。
 女避けなんだよね、とか。
 自分の抱えていた疑問に、そんな言葉が返ってくる。
 そしたらそれで理解して。割り切って来年からもカカシと一緒に飲んだり話したり出来るから。
 ただ、それを聞きたくて。
 そう、聞かなくては。
 高まる緊張感にイルカは一人拳を作り、力を入れる。あのっ、と開く口の中はかさかさで、一回唇を結び。そこから勢いよく顔を上げた。
「あのっ、一つだけ聞きたかったんですがカカシさんは俺を誘うのはどんなりゆ、んむ」
 顔を上げた時にはカカシの顔が目の前にあった。分かっていたが勢いをつていたばかりに止められなくて。喋ってる途中で開いていた口が何かによって塞がれた。
 柔らかく暖かい感触はカカシの唇だった。近過ぎてぼやける視界にあるのはカカシの顔だ。忍びとして反射神経が良くても、それは瞬時には分からなかった。
「こういう理由」
 口を塞がれて中途半端になった質問に、唇を離したカカシが答えた。
 言葉は耳に入っているし、理解できているのに。
 だけど頭が追いつかない。
 さっきまでの勢いは何処へやら。固まってしまったままのイルカに、口布を戻したカカシはじっとこっちを見つめる。
 心のどこかで求めていた答えなのに。
 これだけは絶対にないと思い込んでいたから。
 こういう理由
 こういう……理由
 こういう、理由
 カカシの言葉が頭の中で何度も繰り返されながら、やがて身体の力が抜ける。
 短くて何の変哲もないような言葉だったが、自分には腰が抜けそうになるくらいの破壊力で。
「……そうなん、ですか……」
 そう口にするのが精一杯だった。呟きながらもふらつくイルカの腕をカカシが掴む。
「大丈夫?」
 心配そうに顔を覗き見るカカシをイルカは力無い目で睨んだ。
 大丈夫じゃないに決まってるだろう。
 それに、
「いきなりキスしちゃ、駄目です……」
 心臓が止まるかと思った。そうだ、色んな意味で心臓に悪いってカカシは分かってない。
 頬を赤く染めながらも真顔で返せば、それが抗議とは言え色良い返事だと分かったんだろう。カカシは眉を下げながらも嬉しそうに、そして可笑しそうに笑う。
 その直後、まるで二人の関係の変化を告げるかのように、除夜の鐘の音が鳴り始めた。
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