攫う

 イルカはカカシのお気に入りだものね。
 なんて上忍師の紅に言われたのはいつだったか。冗談混じりの台詞に、何言ってるんですかと笑って答えたのは記憶にあるが、顔を合わせたら挨拶をする程度だったからいまいちピンとくることもなかった。
 おはようございます、とか今日はいい天気ですね、とか。話しても、ナルト達はどうですか?と元生徒の話題を振るくらいで他の上忍と大して変わらない、いや、そこまで親しくもない方だった。
 そこからしばらくして、カカシから声をかけられた。書類の束を抱えていたからだろう。大変だね、と言われたから、いつもの事ですよ、と元気よく答えた。似たようなやり取りがあった何度目かに、持とうか?と言われびっくりして首を振った。ただでさえ忙しいはずなのにそんな雑用で煩わせるわけにはいかない。俺力だけはありあまってますから、と笑顔で断ってその場を後にした。流石モテるだけあってこんな自分にも真摯な言葉をかけてくれるんだと感心した。
 その次は報告所で夕飯に誘われた。ラーメン好きなんだって?と聞かれ、ラーメンが何よりも大好きなだけにその話題に頷き、食いつき気味に答えた。その会話の延長で、時間あるなら飯でもどう?と誘われて、めちゃくちゃ恐縮したが、あのはたけカカシとご飯を食べるなんて機会は滅多にあることじゃないから。行かせていただきます、と頭を下げて誘いにのった。
 そこからちょくちょく声がかかることが増え、そのタイミングも絶妙で、断ることもそうなかった。
 最初はすごく畏っていたが、気がつけば何度も一緒に飲み食いする関係になっていた。
 自分としては実に不思議だった。元々カカシは自分世代からしたら憧れで、歳が近くとも雲の上の存在だった。いや、今もそれは変わらないのに。
 いいのか?と自問したりもするが、隣で酒を呑みながら、他愛のない話にも楽しそうに相槌をうち聞いてくれるカカシを眺めていたら、まあいいのか、とさえ思ったが。
 紅が口にした台詞が、何故か頭にふと浮かんだ。
 お気に入り。
 言われた時は、あり得ない事で冗談でしかないから聞き流したが。今の状況で考えると、それは可能性としてはないこともない、なんて思うのは傲りでしかないとは分かっていた。
 分かっていたけど、初めの頃は冷たい印象しかなかったし、間延びした口調からは本心なんて分からないし見せない、そんな人だと思っていたから。親切にされたり優しい眼差しを自分なんかに向けられると、もしかしたらそうなんじゃないのかと勘違いしてしまいそうになるのは、きっと自分だけではないだろう。
 馬鹿らしいと思いながら外を歩いていたら、声をかけられる。振り返ればそこにいたのは教員であるくノ一の後輩だった。今年入った教員は皆元気に溢れ、教え甲斐もあり、その通りで。
「先輩、聞いてきくださいよ!」
 新人教員からは手に余る子供たちの報告が絶えない。
 いい事なのだが。
 困った笑顔を浮かべたイルカに、くノ一は話しながらも詰め寄る。
「私絶対ナメられてますよね」
 言いたい事は理解出来る。こっちがどんな生徒なのか見定めているように、子供達もまたどんな先生なのか見定めているのだ。見ていないようで子供たちは見ている。それを知っているから冷静な判断が必要になってくるが、それはまた自分で気がつく必要もあるから。
「そうだなあ」
 と苦笑いを浮かべて話を聞いていた時、カカシが向こうから歩いてきたのが分かった。いつものようにゆったりとポケットに手を入れて歩いてくる。
 お気に入り。
 少なくともたまに夕飯を食べる飲み仲間のような関係ではあるが。
 自分はカカシのお気に入りなんだろうか、なんて今までそんな事を考えたことなかったけど。だったらいいなと思いながら。コツとかあったら教えてください、とイルカに向かって言う後輩の横をカカシが通り過ぎ、イルカはなんとなくそれを目で追っていた。
 そのまま待機所に向かうんだろうと思っていたのに。通り過ぎてしばらくして、足を止めたのが見えた。
 何か忘れ物でもしたんだろうか。
 後輩の話を聞きながらも視線を向けた先でカカシがポケットに入れていた手を出すと、がりがりと銀色の髪を掻くのが見えた。そこからその手を頭から離すと身体の向きを変える。こっちを向いたかと思うと歩き出した。
 やっぱり何か忘れ物をしたか、別に行くところがあったのかと見ていれば、カカシはイルカの前でその足を止めた。イルカを真っ直ぐ見つめる。
「別にどうって事ないって思ったんだけど、やっぱりちょっと気に入らなくて」
 何のことを言ってるんだろうか。
 不思議に思うイルカの前で、言葉を一回切ったカカシは視線を外すことなくまた口を開く。

「今からあなたを攫っていい?」

 お気に入りだものね。
 紅が口にした言葉が不意に浮かぶ。
 冗談だと思っていた言葉は嘘でもなんでもなく、もっと言えば事実を湾曲して表現したんだと気がつく。
 だが、お気に入りなんてものじゃなくて。
 いやいや、ちがくて。
 急に真剣な顔でそんなこと言うんじゃねえよ、と困惑と動揺が顔に浮かぶが分かってしまった事実に頬がどうしようもなく熱くなった時、カカシの手が伸びる。
 イルカの手をしっかりと握りしめた。



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