石鹸じゃなくなった日
「えっと、後は……」
呟きながらイルカは夕暮れの商店街を歩く。南瓜が丸々一個入った買い物袋を持つ左手はずっしり重いが、安かったんだから仕方がない。南瓜は煮物だけではない、使い勝手がいいしなんならお菓子にだって、と誰に言うわけでもない言い訳を頭に浮かべた時、ふと目に入ったのは日用品が売られている店で。買い忘れはないとは思うが、ついでに、とイルカは足を向けた。
たまたま安くなっていたシャンプーの詰め替えと歯磨き粉をカゴに入れる。トイレットペーパーとティッシュペーパーは毎週日曜が特売だから今は買う必要はない。レジに向かいながら、イルカは石鹸が陳列された棚で足を止めた。昔はもっとたくさん石鹸の種類があったはずだが。今や主流なってしまったハンドソープやボディソープに押され、片手にも満たない種類の石鹸が棚の一番隅に置かれている。それが時代の流れなんだろうし、いつもはどうも感じていなかったが。改めて見たら、なんだが並んでいる石鹸が肩身狭そうにも見え、それらをイルカは眺めた。
その中から、木の葉マークが描かれたパッケージの石鹸を手に取る。
今は自分もこれを愛用しているが。
他の石鹸と比べたら大した価格の差額はないけど、自分にしたら高くて。そもそもいただいた石鹸があったから、有難いことに買うこともそうなかったが。この石鹸を使いたいと憧れていた時期があったのは確かだ。
不意に思い出した幼い頃の記憶に、手に取った石鹸に、イルカは目を落とす。パッケージに印刷されている木の葉のマークを指で触りながら。
まあ、あれだな。あの頃は火影になりたいって憧れていた時期もあったし。若気の至りと言うか。
センチメンタルな気持ちに恥ずかしさも混ざり、若かりし頃の思い出を噛み締めながら、買い置き分がそろそろなくなりそうだった事も思い出す。手に持っていた石鹸をカゴに入れた。
台所でイルカは落とし蓋の代わりにしていたアルミホイルを鍋から外す。
黄金色の南瓜を目にして、煮汁はほとんどなくなっているが、焦がす事なく上手く煮えた事にほっとしながら鍋の火を止めた。完成した南瓜の煮物を皿に開ければ、ほこほこと美味しそうに湯気が立つ。それを小皿と一緒にちゃぶ台へ運ぶ。
さて、後はぶっかけ素麺の具を切るだけだ。
イルカは洗ったトマトをまな板の上でサクサクと賽の目切りにしていく。研いだばかりだから切りやすい。本当は秋刀魚の塩焼きも良かったが、夏の特売で買い過ぎた素麺を少しでも減らしたいし、いただいた夏野菜もある。
それにまだ秋刀魚は高いんだよな。
そこまで思った時、奥の洗面所の扉が開いた音がした。
「気持ちよかったー」
いつにもないくらいに気の抜けたカカシの口調に、イルカの表情がつい和らいだ。
タオルを首にかけたカカシに、ありがとね、と言われ、気持ち良かったなら何よりです、と笑顔で答える。
大葉を千切りにしているイルカに、カカシが、そう言えばさ、と口を開いた。
「石鹸、なかったんだけど」
カカシの言葉に、ああ、とイルカは包丁を動かしながら相槌を打った。
「ボディソープ、なかったですか?」
聞けば、あったよ、とカカシは直ぐに答えながらも、でも、と続ける。
「石鹸から変えることにしたの?」
聞かれてイルカは視線を上げた。
ハンドソープの方が楽なんだよな。
それは、昼間、トイレから職員室に戻ってきた同期が何気なく口にした言葉だった。
アカデミーを含め、受付や報告所がある建物は、手洗い場やトイレ、給湯室にも石鹸が備え付けられている。
ピンとこないから、そうか?と答えれば、そうだって、と強めの口調で同期は言う。
「昔はさあ、そりゃ石鹸でも気にしなかったけど、やっぱり液体の方が泡立ちやすいし楽なんだって」
それは楽を知ってしまったからこその理屈なんじゃないだろうか。
そう思ってるイルカに、同期は自分の席で答案用紙をまとめながら、だってさあ、と続ける。
「任務帰りでくたくたに帰ってきた後ってさ、指一本動かすのも億劫だから。そう言う時はボディソープだと手早く綺麗に洗えるから、助かるんだよ」
時折任務で駆り出される同期が、しみじみと口にした。
本当は、今日いつもの石鹸を買おうとした。
でも、同期のその台詞が何故か頭に浮かんで。
気がついたらカゴに入れていた石鹸を棚に戻してボディソープを買っていた。
ずっとこの先も、自分はあの石鹸を使い続けるんだろうと思っていたけど。
何の事はない。
恋人の為に買う事になるなんて。
イルカは切った大葉を素麺に添えながら僅かに頬を赤く染める。
自分もつくづくカカシに甘いとは思うが、それより何より。
これでいいんだと簡単に思えた。
幼い頃から、父も母も石鹸を使っていて。一人になった後もずっと石鹸で。そしてこれからも。そう思っていたのに。
そうなんですよ、とイルカはカカシへ答えた。
「綺麗に洗えました?」
素麺に夏野菜が盛られたに皿を持ち台所から居間へ顔を出せば。タオルで髪をがしがしと拭きながらカカシがイルカへ顔を向ける。
「うん」
眉を下げて答えるカカシからはふわりとボディソープが香り、それはイルカの鼻にも届く。真新しい香りに包まれたカカシはさっぱりして気持ちよさそうで。
いつものあの石鹸の香りではないけれど。
とても幸せだと感じたイルカは、また嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「じゃ、食べましょうか」
イルカの元気な声が居間に響いた。
呟きながらイルカは夕暮れの商店街を歩く。南瓜が丸々一個入った買い物袋を持つ左手はずっしり重いが、安かったんだから仕方がない。南瓜は煮物だけではない、使い勝手がいいしなんならお菓子にだって、と誰に言うわけでもない言い訳を頭に浮かべた時、ふと目に入ったのは日用品が売られている店で。買い忘れはないとは思うが、ついでに、とイルカは足を向けた。
たまたま安くなっていたシャンプーの詰め替えと歯磨き粉をカゴに入れる。トイレットペーパーとティッシュペーパーは毎週日曜が特売だから今は買う必要はない。レジに向かいながら、イルカは石鹸が陳列された棚で足を止めた。昔はもっとたくさん石鹸の種類があったはずだが。今や主流なってしまったハンドソープやボディソープに押され、片手にも満たない種類の石鹸が棚の一番隅に置かれている。それが時代の流れなんだろうし、いつもはどうも感じていなかったが。改めて見たら、なんだが並んでいる石鹸が肩身狭そうにも見え、それらをイルカは眺めた。
その中から、木の葉マークが描かれたパッケージの石鹸を手に取る。
今は自分もこれを愛用しているが。
他の石鹸と比べたら大した価格の差額はないけど、自分にしたら高くて。そもそもいただいた石鹸があったから、有難いことに買うこともそうなかったが。この石鹸を使いたいと憧れていた時期があったのは確かだ。
不意に思い出した幼い頃の記憶に、手に取った石鹸に、イルカは目を落とす。パッケージに印刷されている木の葉のマークを指で触りながら。
まあ、あれだな。あの頃は火影になりたいって憧れていた時期もあったし。若気の至りと言うか。
センチメンタルな気持ちに恥ずかしさも混ざり、若かりし頃の思い出を噛み締めながら、買い置き分がそろそろなくなりそうだった事も思い出す。手に持っていた石鹸をカゴに入れた。
台所でイルカは落とし蓋の代わりにしていたアルミホイルを鍋から外す。
黄金色の南瓜を目にして、煮汁はほとんどなくなっているが、焦がす事なく上手く煮えた事にほっとしながら鍋の火を止めた。完成した南瓜の煮物を皿に開ければ、ほこほこと美味しそうに湯気が立つ。それを小皿と一緒にちゃぶ台へ運ぶ。
さて、後はぶっかけ素麺の具を切るだけだ。
イルカは洗ったトマトをまな板の上でサクサクと賽の目切りにしていく。研いだばかりだから切りやすい。本当は秋刀魚の塩焼きも良かったが、夏の特売で買い過ぎた素麺を少しでも減らしたいし、いただいた夏野菜もある。
それにまだ秋刀魚は高いんだよな。
そこまで思った時、奥の洗面所の扉が開いた音がした。
「気持ちよかったー」
いつにもないくらいに気の抜けたカカシの口調に、イルカの表情がつい和らいだ。
タオルを首にかけたカカシに、ありがとね、と言われ、気持ち良かったなら何よりです、と笑顔で答える。
大葉を千切りにしているイルカに、カカシが、そう言えばさ、と口を開いた。
「石鹸、なかったんだけど」
カカシの言葉に、ああ、とイルカは包丁を動かしながら相槌を打った。
「ボディソープ、なかったですか?」
聞けば、あったよ、とカカシは直ぐに答えながらも、でも、と続ける。
「石鹸から変えることにしたの?」
聞かれてイルカは視線を上げた。
ハンドソープの方が楽なんだよな。
それは、昼間、トイレから職員室に戻ってきた同期が何気なく口にした言葉だった。
アカデミーを含め、受付や報告所がある建物は、手洗い場やトイレ、給湯室にも石鹸が備え付けられている。
ピンとこないから、そうか?と答えれば、そうだって、と強めの口調で同期は言う。
「昔はさあ、そりゃ石鹸でも気にしなかったけど、やっぱり液体の方が泡立ちやすいし楽なんだって」
それは楽を知ってしまったからこその理屈なんじゃないだろうか。
そう思ってるイルカに、同期は自分の席で答案用紙をまとめながら、だってさあ、と続ける。
「任務帰りでくたくたに帰ってきた後ってさ、指一本動かすのも億劫だから。そう言う時はボディソープだと手早く綺麗に洗えるから、助かるんだよ」
時折任務で駆り出される同期が、しみじみと口にした。
本当は、今日いつもの石鹸を買おうとした。
でも、同期のその台詞が何故か頭に浮かんで。
気がついたらカゴに入れていた石鹸を棚に戻してボディソープを買っていた。
ずっとこの先も、自分はあの石鹸を使い続けるんだろうと思っていたけど。
何の事はない。
恋人の為に買う事になるなんて。
イルカは切った大葉を素麺に添えながら僅かに頬を赤く染める。
自分もつくづくカカシに甘いとは思うが、それより何より。
これでいいんだと簡単に思えた。
幼い頃から、父も母も石鹸を使っていて。一人になった後もずっと石鹸で。そしてこれからも。そう思っていたのに。
そうなんですよ、とイルカはカカシへ答えた。
「綺麗に洗えました?」
素麺に夏野菜が盛られたに皿を持ち台所から居間へ顔を出せば。タオルで髪をがしがしと拭きながらカカシがイルカへ顔を向ける。
「うん」
眉を下げて答えるカカシからはふわりとボディソープが香り、それはイルカの鼻にも届く。真新しい香りに包まれたカカシはさっぱりして気持ちよさそうで。
いつものあの石鹸の香りではないけれど。
とても幸せだと感じたイルカは、また嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「じゃ、食べましょうか」
イルカの元気な声が居間に響いた。
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