五年後の彼ら

 忍びはいつだって忙しい。
 定期的な休みなんてものは存在しないのは里が常に稼働しているのだから当たり前と言えば当たり前だが。
 里を守るために。
 仲間を守るために。
 書類の山に囲まれた机に座りながら、最終的な決定や指示を出せば、かつて自分も立っていた場所で、自分の指示を受けた暗部が執務室から出て行く。
 そこから、カカシはため息を吐き出しながら椅子の背もたれに体重をゆっくりと預けた。
「休憩しない?」
「一時間前にしたばっかですよね」
 なんの躊躇いもなく返されたシカマルの無情の言葉をカカシは黙って受け止めると、渋々書類の山から一番上にある書類を手に取り、開く。
 そこにあるイルカの筆跡を見つけて、カカシはぼんやりとその字を眺めた。いつもながらイルカの性格を表しているかのようなはっきりとした字体は先週のアカデミーでの会議の内容を簡潔、且つ要所要所は具体的に纏めてある。いつもの字体ながらも、その筆圧から怒りを感じるのは勘違いでも何でもなく。

 あんたは一体何考えてるんだ!
 そう怒鳴ったイルカが自分へ向け浮かせた拳を押しとどめる。元々地声がでかい人だ。構えていなきゃ耳がきんとするくらいの声量をそのまま全て浴びせられ、カカシは不快そうに顔を顰めた。
 そんな怒ることじゃないじゃない、そう思ったけど、目の前にいる震えるイルカの拳はハッキリとカカシの意見を否定していた。それが分かったから、カカシは口に出すのは止めて不満げに口を結んだ。

「不備でもありますか」
 シカマルの声で我に返る。書類に落としていた顔を上げもせず、カカシは、いいや、ないよ、と返すと再びほんやりとイルカの筆跡を見つめる。
 イルカの記載した書類に不備があることはほぼない。あるのは来期にあてられたアカデミーの予算に不満があるくらいだ。そこは自分一人ではどうにも出来ることでもないから。カカシは一通り目を通した後とペンを持つ。イルカのサインの横に自分の名前を書き記しながら、あのさあ、と口を開けば、なんすか、と同じように書類に目を通しながらもシカマルが返す。
「怒ってる恋人の機嫌の直し方ってどうやるの?」
 シカマルが顔を上げる。
「何で俺に聞くんですか」
「だって経験者でしょ」
 むっとした顔をするが、否定はしない。面倒くさい、とそんな顔をしながらもシカマルはまた口を開いた。
「ていうか・・・・・・それってどんな恋人なんですか?」
 カカシもその言葉に縦肘を解いてシカマルへ視線を向ける。
「どんな恋人って、なにそれ」
「なにって、そのまんまです」
 ちゃんとした相手なのか、それだけの繋がりなのか。
 怪訝そうな顔をするカカシに、開いていた台帳を閉じてそう口にしながら歩み寄るから。ああ、あれか。とカカシは内心呟いた。
 クリスマスに女と二人で飲んで、その事が尾ひれを付けて噂になったが。ただの飲み仲間だと自分は一笑した。
 今まで昔の仲間にもシカマルにも誰にも恋人であるイルカの事は公言していないし、過去、若い頃、イルカと出会う前に。それなりに遊んでいた噂がシカマルの耳に入ったのかどうかは知らないが。でも、それらを加味してトータル的に考えても、
「それ、酷くない?」 
 あんまりだと言わんばかりの口調にも、シカマルはため息混じりに、そうっすかね、と悪びれるわけでもなく呟いた。
「って言うか六代目に恋人がいるなんて初耳なんで」
 誰にも言っていなかったから、そりゃそうだろう。側近だろうとイルカが望んでいないのだから言えっこない。
 カカシは目線を外すと、まあね、と銀色の髪を掻いた。
「・・・・・・兎に角さ、どうしたらいいのか困ってんのよ」
 自分から言ったにせよ、明確な事を口にする事も出来なくて。そう続けた言葉は自分でも分かるくらいに落ち込んでいて。シカマルはこっちをじっと見つめていたが。やがて、そうっすね、と口を開く。
「どんな原因でも、こっちが謝るしかないっすね」
 端的で分かりやすいアドバイスにカカシは嘆息するしかなかった。

 だって、謝って済めばこんな風に悩んだりしない。
 イルカは頑固だ。
 たぶん里で一番と言ってもいいくらいで。間違っていないと思ったら自分の意見を曲げない。ただ、頭が固いとは別で、柔軟性があるから対応力もあり、思いやりもあり、だからこそ上にも下にも慕われている。そもそも柔軟性がなかったらイルカは自分なんかを恋人にしない。
 自分の中ではイルカに出会う前までは恋人なんていらなかったし必要がないとさえ思っていた。それでも、どうしても気が付いたらイルカの側からは離れる事が出来なかった。イルカの事が知りたくて、離れたくなくて。そんな気持ちを上手く伝える事が出来なかった自分を、イルカは選んでくれた。
 あーあ。
 カカシは一人夜の執務室で椅子に体重を預けて天井を眺める。
 謝ってもイルカはそっぽを向いたままだ。
 そもそも悪いのはイルカだ。
 中々休みが取れない中、なんとか調整してクリスマスに仕事が早く上がれるようにしたのに。イルカは体調不良の同期の夜勤に自分が代わる事を承諾した。
 クリスマスだからとかそこに拘っているわけじゃない、ただ、一緒に過ごせる時間が作れたのが嬉しくて、それはイルカもそうだと思っていたのに。そのぽっかり空いた時間をどうしたらいいのか分からなくて、一人時間を持て余している時に声をかけてきたのはかつての上忍仲間のくの一だった。紅とも仲が良いくの一は最近一緒に飲んでくれる相手がいないと言うから、その誘いに乗った。
 もちろん一緒に酒を飲んだだけだ。二件目に行ったところでそんな雰囲気を含ませるような口調や眼差しを見せたりもしたが、興味もないのだから今更そんな誘いに自分がなびくわけがない。外を歩いている時に腕を組んできたが二件目の帰りで向こうはそうとう酔っていたからで、冷たい地面に座らせる訳にもいかなかったからだ。自分からは指一本触れてない。というか触る気もなかった。
 こっちは良い時間潰しが出来ただけでもありがたいから、酒を驕りそのまま別れ、自分は家に帰った。それだけなのに。
 翌日、クリスマスに女性と二人で飲んでいた事がイルカの耳に入ったのは言うまでもなかった。
 自分の立場を分かってないと怒るイルカの剣幕は凄くて全く可愛くなかった。だって悪いのは自分じゃない。イルカと過ごしたくて空いた時間を適当な相手で埋めただけだ。イルカが夜勤で朝まで帰ってこないのを分かっていて一人寂しく部屋で過ごすのが嫌だったから。そう言いたいけどそれを口にする虚しさと、イルカの怒った顔を見ていたら、苛立ちが自分にも移る。
「先生が約束破ったのが悪いんじゃない」
 黙って済ませようと思っていたのに、ついそんな言葉が自分から自分から出ていた。一回口にした言葉を撤回出来るわけもなく、言ってしまえば後の祭りで。
 そこから、イルカは仕事以外では口も利いてくれない。

 元々お互い仕事に忙しい身だから。時間を合わせようとしなきゃ合うはずもなく、だから、一緒に住んでいようと顔を合わせる事もない。
 イルカが出て行かないだけいいのかもしれないが。
 頑固なのは認めるが、なんでイルカは謝らないのか。イルカがした事に比べたら、自分はどこも悪くない。立場を考えろと言われたらそこはシカマルやサクラにも言われた通り、多少配慮がなかったとは思うけど。いくら火影だって息抜きは必要だし空いた時間に誰かと飲みに行くのが何故悪いのか。
 外で会うイルカは極力自分への怒りを出さないようにしているようだったが、自分から見たら一目瞭然だった。イルカを含む何人かで会話をしても、一見和やかな談笑にも見えるが、イルカだけ目が笑っていない。
 必要最低限の時にしか執務室には顔を出さなくなったし、アカデミーへ顔を出しても直ぐに席を外してしまう。こんにちは、の「は」でそっぽを向いている始末。

「まだ仲直りしてないんすか」
 仕事の捗り方なのか、顔に出しているつもりはなかったが表情に出ていたのか。シカマルに聞かれたが、その話題を続けるつもりにもなれなくて。まあね、と書類から顔を上げずに答える事を選ぶ。
 自分で話したくせに、詮索されてるようで気分が悪くなるのはなんだなんだろうか。重しが心臓に乗ったような気持ちは、時間が経とうと良くなる事はなく、返ってどんどんと悪化している。ただ、自分の気分が悪かろうと、仕事が減るわけではない。山になった書類を少しでも片づけるべく新しい書類の束を手に取った時、執務室のドアが叩かれた。
 その叩き方で分かる。入ります、と声が聞こえ、そして扉が開かれる。イルカが顔を見せた。
 二日ぶりのイルカは挨拶を済ませて直ぐに今月のアカデミーの授業に関する報告書をカカシに手渡す。
 受け取ってそれに目を通していれば、シカマルがイルカに声をかけた。階級や立場が変わり、それに伴って会話をする内容も変わってきているだろうが、シカマルも同じくイルカの元生徒で。イルカが恩師なのには変わらない。和やかに弾む会話を聞きながら。その楽しそうな表情や声を自分に向けてくれないのは、もちろん自分に原因があるからだが。
 ちゃんとした恋愛をしてこなかったからなんだろうか。
 正直どうしたらいいのか分からない。
 てっきり、約束を破ったイルカが謝ってきてくれるとばかり思っていたから。
 こっちが謝るしかないんだと言った、きっと自分より恋愛上級者のシカマルの言った言葉が浮かぶけど。たぶん、自分は謝るタイミングを逃している。でもだからと言ってどのタイミングで言うべきだったのか。
 せっかく新しい男が出来たのに、任務で忙しかったからもあるんだけど、気が付いたら終わってたのよね。
 この前クリスマスに酒を飲んだくの一が、酒を煽るように飲みながら愚痴っていた言葉を思い出す。その時は気分も最悪で適当に聞き流していたが。
 もしかしたら、恋と言うのはこうやって終わっていくんだろうか。悲しみや怒りが入り混じる、言葉に出来そうもない感情やカカシを簡単に落ち込ませる。
 そう思ったらどうでもよくないのに投げやりな気持ちも浮上した。
「俺ね、シカマル。さっきの話なんだけど。別れるってなってもしょうがないかなって思うのよ」
 イルカが扉を閉めるか閉めないかのタイミングで言ったのは、わざとだ。だってそうだろう。こんだけ落ち込んでるんだと、それを分かって欲しかっただけで、いわば出来心だ。
 この言葉を聞いて、今夜話しかけてくるだろうと、そう思ったのに。直後に勢いよく再び扉が開いた。
 は?今?
 驚くカカシに、イルカはつかつかとカカシに歩み寄る。
 え、何で。
 今ここにはシカマルだっているし、廊下にも誰かしらいるだろうし。挑発的な言葉を選んだのかもしれないが、でも何で今。そう思っている間にカカシの前にきたイルカがバン、とその年季の入った机を両手のひらで叩き、両サイドに山積みしてある書類が揺れる。
「これだけの理由で別れるような、そんな生半端な覚悟であんたと付き合うだけないだろう!」
 怒鳴り声を受けながら。カカシはぽかんとしていた。
 カカシを睨んでいる、黒い目の奥に見えるのは怒りだけじゃない気がして、その感情を探る間もなく、その目は逸らされる。
「以上です!」
「え、でも、イル、」
 呆気にとられていて、背中を向けたイルカに慌てて口を開くも、名前を呼び終わる前に扉は閉められる。
 静まりかえった執務室で、全てを把握したからこそのシカマルの重い嘆息が部屋に響いた。


 また怒らせてしまった。
 アカデミー裏の近くでカカシは一人ため息を吐き出す。
 あれだけ二人の関係は口外したくないとイルカが言っていたのに。
 イルカから口にしたが、あれは自分から言わせたようなものだ。
 ああ、いや、自分が先にシカマルに言っていたのは確かだ。そこもきっとイルカの怒りに触れる要因になっているに違いない。イルカが口にした言葉はカカシの胸を熱くさせたが、ただ、イルカが敢えて周りにバレる事を選んだ理由が分からなくて。不安だけが募る。
 もしかしたら、今度は口を利かないどころか、帰ってこないかもしれない。
 そう思ったら。居ても立ってもいられなくて、仕事が手に付かなくて。カカシは今日の仕事を無理に終わらせて夕方からここに立っていた。来週からのテスト期間の為に、教師が授業後日常の業務を終わらせた後に各クラスのテストを作成している。アカデミー教師の仕事は授業だけではなく、一年を通して行われるイベントや試験、何かをやろうとすればそれは全て定時後、残業で作業をしているんだと、上忍師の頃イルカから聞いて初めて知った。
 寒いな。
 そう思うも、火影のマントは流石に目立つから着てくる気にはなれなかったから、いつものベストを羽織った姿でイルカを待つ。
 アカデミーの建物の裏側は暗い。月明かりはあるものの、当たりは静かで、普段昼間ならここにいたらきっと生徒たちの声が聞こえるんだろうが。今は近くにある自販機のモーター音だけが聞こえている。
 アカデミーの建物に入っても良かったが。
 イルカが言ったように、自分は火影だ。立場を弁えればこそ、里長と言えどイルカの職場であるアカデミーに私情を絡めて入るのはどうかと思ったし、イルカが困ると思ったら尚更だった。
 もしかしたら、イルカはもう既に表の門から出て帰ったのかもしれない。
 寒さに肩を震わせながら、ポケットの中で小銭をぎゅっと握りしめた時、裏口の扉ががちゃりと開いた。
「カ、・・・・・・火影様」
 カカシの姿を目にして、一瞬驚いた顔をしたイルカが改めて名前を言い直す。今日に限った事ではないのに、名前を呼んで欲しいと心底感じたが。ここでいつものように、様は止めてよ、とも言えずカカシはただイルカに歩み寄った。
「どうされたんですか」
 どうされたって。イルカに会いに来たに決まっているのに。
 一歩下がったような言い方はやはり怒っているのか。
 謝ろうと思ったのに、イルカのまだ怒っているような顔を見たら言葉が出てこなくて。軽く頭を掻きながら、カカシはイルカを見る。
「コーヒー、一緒にどうかなって思って」
 コーヒーと言われ、イルカは一瞬不思議そうにするも、自販機へ目を向けながら、コーヒーですか、と呟いた。視線がカカシに戻される。
「いつから待ってたんですか?」
 聞かれてカカシは、いや、と再び困ったように頭を掻いた。
「ついさっき」
 誤魔化すわけではないが、何時間もここで待っていたなんて言えない。咄嗟に出た言葉にイルカは、そうですか、と素直に答えた。そこから会話が続かないのは当たり前だけど、ぎこちない空気をどうにかしたい。
「先生は何飲む?」
 促せば、考え込むような顔をしながらも一緒に歩き出す。それに安堵しながら、カカシはポケットから小銭を出した。手渡そうとすれば困った顔を見せるが手を引っ込めないカカシに、イルカは渋々手のひらを広げる。 小銭を受け取ってくれたけで嬉しいとか、どうかしてると思うが。ここ最近ろくにイルカと話さえしていなかったのだから、仕方がない。イルカに小銭を渡し、じゃあ自分は何を飲もうかと思いながら目に映ったイルカにぎょっとした。
 イルカは、渡された小銭をぎゅっと握りしめたまま何かを堪えるかのように眉をひそめている。そりゃ今も喧嘩している最中で、でも今はそこまで重苦しい空気でもなかったはずなのに。急にどうしてしまったのか。こんな顔をさせるような事をした覚えはない、いや、したのか。
「あの・・・・・・せんせ?どうした、」
 語尾を言い終わる前にイルカの黒い目から、涙がこぼれ落ちるのを見た瞬間、動揺が一気に広がる。イルカが泣いている。それだけで今までにないくらいに冷静さを失う。
「もしかして、コーヒーじゃダメだった?」
 取りあえず聞いた質問には、イルカは答えない。
「お腹空いてる?」
 何が理由かなんて分からないから、思いつくままに聞けば、イルカは泣きながらも小さく吹き出した。
「そんなんじゃないです」
 否定するも泣いているのか笑っているのか分からない。ただ分かるのは、怒っているイルカより、泣いているイルカを見る方が嫌だし怖い、そう思った。普段も、大切が人が亡くなった時も滅多に涙を見せないイルカが、目の前で泣いている。カカシを狼狽させるのに十分だった。
「えっと、じゃあ、」
 どうにかして涙を止めたくて。ただあたふたするカカシの手をイルカが不意に取る。それにも驚き目を丸くするカカシに、イルカが顔を上げた。
「家に帰りましょう?」
 唐突に涙ぐんだ目で言われ戸惑うも、カカシはそれ以上何も言えずに、うん、とだけ返す。イルカは手を引いて歩き出すから。カカシはそれに従った。


 部屋に入り、先生と名前を呼ぶ前にイルカに口布を下げられ唇を塞がれた。強く抱きしめられ、目を丸くしながらも、どうしたの、と聞く間も与えられず戸惑い小さく開いたままの口にイルカの舌が入り込む。久しぶりに触れたイルカの唇はまだ冷たかったものの柔らかくてしっとりとしていた。最初はされるがままになっていたが、次第にカカシも顔の角度を変え自分から口づけを繰り返す。さっきまで冷たくなっていた体も手もすっかり暖かくて気持ちよくて、絡まる舌と唾液に頭の奥がじんとした時、イルカが不意に顔を離した。名残惜しくその唇を目で追いながらも顔を見れば、近くで見るイルカの黒い目は潤み、頬はすっかり上気している。
「俺がなんで怒っていたのか知っていますか?」
 言われて、カカシは思考を巡らせる。
「・・・・・・俺が立場も考えずクリスマスに女と飲んだからでしょ」
 怒鳴りつけられた、あの顔を思い出しながら言えば、イルカは、軽く頷いた。
「あんなのは表向きです」
 カカシは頭を傾げる。
「表って、」
「俺以外の、しかも女と一緒に腕組むとか。許せるわけないでしょう」
 そんなの初耳だ。自分が以前上忍師だった頃には浮気とまではいかないが、それなにり飲み会だって行ってたはずなのに。イルカは何も言わなかった。耳を疑うカカシの前でイルカはカカシの手を引き歩きながら続ける。
「俺がどんだけ嫉妬深いか、カカシさんに分からせてあげますよ」
 黒い目がカカシを映す。その目に、表情にドキリとした時、連れてこられた寝室でイルカに軽く胸を押される。押されるがままどさりとベッドに腰を下ろせば、イルカがカカシの腹の上に跨がった。
「・・・・・・イルカ先生」
 顔を近づけるイルカに名前を呼びながら腰へ手を伸ばせば、その手をイルカが払いのける。
「触っちゃ駄目です」
「え、なんで、」
「言ったでしょう。分からせるって。だから、あんたは俺に触れずに見ててください」
 せっかく仲直り出来たのだから、ようやくイルカに触れられると思っていたのに。非情な言葉に、そんな酷い、と口にする前に、いいですね、と先に念を押され、カカシはそれを突っぱねることも出来ず、嫌々言いかけた言葉を飲み込んだ。大人しく黙るカカシにイルカは自分の髪に手を伸ばす。しゅるりと髪紐を解くその姿を見上げながら、その仕草に、まだ何も始まっていないのに、ごくりと喉を鳴らした。
 カカシの見ている前で、イルカがそっと手を伸ばし、ズボンの上から股間に触れた。布越しで、大して触られてもいないのに意識がそこに集中しているからなのか、イルカの指に擦られるだけで、背中にぞくりとしたものが走る。
「・・・・・・大きくなった」
 ぽつりと呟かれ、カカシは恥ずかしさに眉を寄せた。
「だってここ最近シてなかったじゃない、」
 言い訳がましいとは思っても、こんなに早く反応を示している事実を誤魔化したくて口にしてみるも、それを聞いているのかいないのか。イルカの視線は下に向けられたまま、ゆっくりと膨らんできた箇所を上下に撫でた。ズボンを寛げて下着の中からカカシの陰茎を取り出すと、銀色の茂みに手を置き、大きさが変わってきているがまだ柔らかさが残るそれを、イルカは口に含む。
(うわ)
 それを見ただけで目眩がした。
 日頃何事にも動じないのには自覚があるが、イルカの事になるとそれが簡単になくなる。何度でも思い知らされてきたことなのに。
 初めて見た光景でもないのに、イルカが自分の陰茎を口に含んで舐める姿は艶めかしくて、心臓がどくどくと激しく鼓動を打ち始める。かあ、と体が熱くなった。目が離せない。凝視しているのを分かっているはずなのに、イルカはこっちに視線もくれずすっかり固く屹立した陰茎を口に含んで上下に扱く。
「先生・・・・・・」
 言いながら、手を伸ばそうとしたカカシに、そこでイルカの視線がこっちに向いた。
「らめれす」
 含んだまま言われ、歯が当たる感触に思わず声が出そうになる。渋々手を引っ込めるも、でも、どうしようもなく腰が疼いて仕方がない。もっと激しくして欲しくて、腰を激しく動かしてしまいたくなるけど、イルカの喉に突き立てることになるから出来るわけがない。こんな事をされるのって最高だと思っていたのに、思い通りに触る事が出来ない辛さが呼吸を速くさせる。カカシはシーツをぎゅっと握りしめた。
 触ったら駄目だろうか。聞き分けよくしようとしても欲望だけが頭をぐるぐると回る。眉根を寄せて見ているカカシの前で、イルカが口を離した。ぬるん、と陰茎が飛び出す。満足そうな目にも見える表情で、唾液で濡れそぼったそれをイルカは見つめた。
 もういいでしょ。
 そう言おうと思ったのに。
 イルカが服を脱ぎ、自分の後ろを触り始めたのを見て目を剥いた。
「ちょ、先生。俺が、」
「だから、駄目だって何回言えば分かるんですか」
「でも、」
「しつこい」
 ぴしゃりと言われて、カカシは反射的に口を結ぶ。
 イルカは自分の脱いだ服をごそごそと漁り、ポケットの中から軟膏が入った容器を取り出す。忍びであれば誰でも常備しているもので、イルカもまた普段から持ち歩いている。アカデミーにいると毎日のように出血騒ぎがあるからこれがないと困るんですよね。そう以前イルカが言っていたのを思い出す。子供たちの為に使うその軟膏を、このために、イルカが使っている。それだけで心の奥ががざわついた。
 おぼつかない手つきで指に軟膏を塗った後、腰を浮かせたイルカは、ゆっくりとその指をすぼまった箇所に入れていく。
 信じられない。
 としか言えなかった。
 幾度となく、擦り切れるくらい呼んでいるイチャパラも比にならない。幾度となくイルカと交わっているが、いつも初めて抱かれるような表情を浮かべ、時には大胆にもなったりするが、こんな事をするイルカを見るのは初めてで。その光景に、目の奥がひりひりした。ついさっきまでイルカに舐められていた箇所が、既に固いのに、痛いくらいに充血していくのが分かった。
 やがて凝視していたカカシの前で、イルカが動いた。指を引き抜いて、カカシに跨がる。ゆっくりと腰を下ろす、先から順に熱い内壁に飲み込まれていく感覚に、カカシは思わず声を漏らした。甘い痺れがカカシを襲い背中がぞくぞくとする。
「あ、・・・・・・っ、ぁっ、」
 やがて根本まで入ると、イルカは熱っぽい息を吐き出し、やがて、ゆらゆらと腰を動かし始める。
 いつも以上にきつくて。うねるような熱い感覚はカカシの頭を熱くさせる。ここから見える眺めをずっと見ていたい気持ちがあるものの、限界だった。
 腰を掴むとイルカの体が驚きにびくりと跳ねた。
「え、」
「ごめん、もう無理」
 起きあがるとイルカを布団の上に押し倒し、脚を抱える。触れるイルカの肌は少しだけ汗ばんでしっとりとしていた。ずっと触りたかった感覚だと、実感する。
 まだ驚きに目を丸くさせたままのイルカに、優しくキスをすると、カカシはリズムに合わせて奥へ何度も突き入れる。
「え、あっ、やっ・・・・・・っ」
 さっきよりも遙かに激しい動きに、イルカから堪らず大きな声が出た。
「気持ちいい?」
 揺さぶりながら優しく聞けば、イルカは喘ぎながらも僅かに頭を振る。
「気持ちいいよね」
 意地悪く言えば、イルカの頬がさらに赤く染まった。カカシはそれを見て薄く微笑む。
「してもらうのもいいけど、やっぱり先生を気持ちよくさせてあげるほうが好きみたい」
「なっ、」
「いーじゃない、一緒に気持ちよくなろ?」
 悔しそうな顔を見せるイルカに眉を下げ微笑むと、カカシはゆっくりと律動を始めた。
 


 心地良い眠りから意識が戻る。
 あー、あったけーけど、体がだりい。
 微睡んだ意識のまま久しぶりの感覚にゆっくりと目を覚ませば、間近でこっちを見ていた。
 ああ、そうだ、とそこで改めて思い出す。
 昨夜カカシと久しぶりに体を交えた事を。
 クリスマスのあの日、好きで仕事を同期と代わったわけじゃない。他に代わる相手もいなくて仕方なしにああなったんだ。自分だって楽しみにしてたんだ。なのに、クリスマスに他の女と二人で食事をし、酒を飲み、あろうことか腕まで組んだ事にお灸を据える意味であんな事をしたまでは良かったが、カカシに交わってから、やっぱり今まで通り、泣かされた。色んな意味で。
 まあ、気分的に燃えたのは燃えたが。
 幸せそうな顔でこっちを見ているが、分かってんのか。
 寝ぼけ眼ながらも、不満そうにカカシを見る。
「先生ごめんね」
 言われ、イルカは少しだけ面食らった。
 そんなの言われなくてもカカシが悪いと思ってるのくらい、分かっていた。
 そう、そんなの痛いくらい分かっている。
 昨日、小銭を手渡された時、カカシの指先が驚くくらいに冷たかったのに、小銭はすごく暖かくて。
 ついさっき、なんて言ったくせに。小銭を握りしめてずっと何時間も待っていたのなんて容易に想像できた。
 謝って欲しいとかそんな事も思ってなくて、ただただどうしようもなく腹が立っていたけど。
 あの暖かい小銭をもらったら、あんなに腹が立っていたのに。どうでもよくなった。
 イルカは黙ってカカシに身を寄せる。
 カカシの匂いも温もりも心地よくて。
 意地なんて張らずに早くこうすれば良かった。
 今日も仕事で。カカシも自分もまた忙しい一日が始まる。
 でも、あともう少し。
 そう思いながら、イルカは目を閉じる。

 喧嘩の終わりなんて、そんなものなのだ。



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