太陽に落ちる

「あー、本当嫌になる」
 待機所で、対面のソファに腰を下ろした紅の独り言には大きい呟きに、カカシは小冊子から視線を上げた。
 その表情はあからさまに不機嫌、とまではいかないが、でも、まあ、不機嫌には違いないんだろうなあ、と再び小冊子に目を落としたカカシの横で、
「どーかしたのか」
 そう口を開いたのはアスマだった。
 既に雑誌は読み終わり手持ち無沙汰だからなのか、雑誌を丸めて肩を叩きながら聞いてきたアスマに、紅はため息混じりに、だって今日も雨なのよ、と返す。
 何の事はない天候の話題に、まあなあ、と窓へ顔を向けながらアスマが相槌を打った。
 確かにこの時期には珍しく長雨が続いているのは確かだが。
「静かでいいじゃない」
 雨が降り出すと、昼間であろうと外は静かだ。
 正論であろうはずなのに、カカシの言葉に紅は不快な表情を変えない。ソファに深く背をもたれながら、そんなのは分かってるわよ、と気怠そうにため息をつく。
「こう何日も雨が続くとイライラしない?」
 同意を求められても。
 カカシは黙って紅へ目を向ける。天候に関しては常に受け入れるだけで、そこに苛立つ事はないし、悪天候も任務を遂行する上で計算にいれている。別に、と短く返せば、聞いた相手が間違っていたと言わんばかりの目をこっちに向けた。
「まあ、カカシははそうだろうけど」
 その通りの台詞を紅は口にする。
 髪だってなんかうねるのよ。
 言いながら、自分の指に黒い髪を巻きつける紅にカカシは再び顔を上げる。
「いつもと同じだけど」
 素直にそう返せば、紅から鋭い視線がカカシに向けられた。


 とは言ったものの、雨だから仕方なく、と言うのは確かにある。
 洗濯物もその一つで。任務を終えた深夜、カカシはコインランドリーにいた。深夜とは言え雨が続いているのだから、誰かしら人の気配があるかと思ったが。ちょうど使い終わった後なのか、コインランドリーには誰もいない。そして、混み合っているよりも空いているのに越した事はない。
 カカシは一人、持ってきた洗濯物を全て大きい洗濯機に放り込み、硬貨を入れる。動き出したのを確認して備え付けられた椅子へ腰を下ろした。
 いつもの小冊子を開いて読み始めて直ぐ、扉が開けられるのと同時に、あ、と声がする。
 顔を上げれば、そこには中忍のうみのイルカが入り口に立っていた。一瞬誰かと思ったのは普段目にしている支給服姿ではないからで。Tシャツにグレーのスウェット姿で、イルカはコインランドリーに入って来る。抱えている大きい袋の中は当たり前だが洗濯物だろう。こんばんは、とイルカは受付で見る時と同じ笑顔をカカシに浮かべた。丁寧に頭を下げられ、カカシも会釈を返す。
 カカシが使っているもの以外、どれも使われてはいない。イルカは自分から一番近い洗濯機の扉を開けると、持ってきた洗濯物を入れ始めた。見たところカカシが持ってきた量よりもかなり多い。よほど洗濯物を溜め込んでいたんだろうが、都合は人それぞれだ。何となく眺めていたカカシはイルカから静かに視線を外すと、小冊子に戻した。洗濯物を放り込んだ後に洗濯機の扉を閉める音や硬貨が数枚入れられた音。そこからゆっくり洗濯機が稼働する音が、小冊子を読んでいるカカシの耳に入る。
 やがでタイミングがずれながらも同じリズムで洗濯機が回り始め、その音がコインランドリーに響き始める。読み終えたページを捲った時、
「やっぱり雨だからですか」
 そんな言葉にカカシが顔を上げれば、同じ列の端の椅子に腰を下ろしたイルカがこっちを見ていた。他に客がいないのだからその言葉は自分に向けられている。それが分かって、カカシは、ああ、うん、と頷く。
「泥とかは家で洗うにはちょっと手間だから」
 戦闘で血や泥にまみれたから、とは言わないが。家で洗うには躊躇われた理由を口にすれば、イルカの表情が僅かに硬くなる。お疲れ様です、と頭を下げされ、聞かれたから答えた、ただそれだけでそんなつもりはなかったから。困るとまではいかないが、カカシは、いや、と、労いの言葉を受け止めながらも、首を横に振った。
「俺はつい洗濯物を溜めちまって」
 イルカは恥ずかしそうに苦笑いを浮かべながらも続ける。
 ここで誰かと顔を合わせようと、よっぽど親しい上忍仲間以外は自分に話しかけてくる事はまずない。あるのは沈黙か、洗濯が終わる時間を持て余してここを離れるか。
 イルカとは顔を合わせば挨拶をする程度だが、持ち前の社交性からか、ともかく、イルカは自分に声をかけると決めたようだ。
「ここんとこ何日も残業続きで」
 そう続けられ、カカシは、小冊子を開いたまま。そうなの、とイルカへ相槌を打った。
「明日にしよう、次の日でいいや、って睡眠優先にしていたら気がついたら山になっていて、」
「へえ」
「また、これを一気に洗ったところで全部干す場所なんかない事に気がついて」
 笑うイルカに、うん、とカカシは答える。
「だから、諦めて此処に来たって訳なんですけど」
 そっか、と言えば、そこでイルカはため息をついた。
「でも、何でも忙しいからって、それを理由にしちゃ駄目ですよね」
 自分も任務が連投続きの時は取り敢えず睡眠を優先して何もかも後回しにするから、間違っているとは思えないが。
 ただ、イルカの事を良く知っているわけでもないから。そこに何て答えたらいいのか分からず曖昧な相槌を選べば、会話にもなっていない事に気がついたのかはしらないが、イルカは不意に真っ黒な窓の外へ目を向けた。
「……雨、いつまで続くんですかねえ」
 独り言のようにイルカはぽつりと呟く。
 それは、今日どこかで聞いた台詞だった。ただ、それは思い出すまでもない。
「こう何日も続くと、太陽が恋しくて仕方がないですね」
 憂鬱な表情のイルカの横顔をカカシは見つめた。
 そこまで親しくもないし、前述の通りイルカの事はよく知らない。
 でも。
 紅が言った事が自分に響く事はなかったのに。今、何故か腑に落ちるものがあって。
 じっとイルカの横顔を眺めながら、太陽の下で笑うイルカはを思い出す。
 「うん……そうだね」
 気がついたら、肯定する言葉がカカシの口から零れ落ちていた。
 潜在的なものなのかなんなのか分からないが。そんなイメージをイルカに持っていたんだと、自分でも驚くが。
 気のせいでもなんでもない。
 思い出すイルカは、青空と太陽の下で、眩しいくらいの笑顔を、浮かべている。
 近いうちに晴れるといいですよね
 太陽が恋しいと、そんな顔をして呟くイルカを見つめながら。
 その笑顔を思い出しながら。
 ああ、この人は太陽の人なんだ。
 そう思ったら、今まで何も感じたことのない、自分の胸の中のどこかが、確かに暖かさを感じた。
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