手甲に髪紐

「カカシ先生遅刻だってばよ!」
 こっちの顔を見て開口一番に言われたのがそれで、カカシはその不満そうな顔をしたナルト達に苦笑いを浮かべた。
 集合時間は決めてあったが任務に遅れる時間でもないからいいだろうと思うものの、のんびり歩くカカシに、さっさと行こうとナルトが背中を押す。やる気があるのは良いことだが、今日もどこまで踏ん張れるのかと、内心心配にもなるが、待たせたのは確かだと、はいはい、とカカシは黙ってそれに従う事を選んだ。
 今朝、寝坊したのはカカシではなくイルカだった。
 午前中に任務とはいえ、そこまで早くないからとゆっくり寝ていたカカシの横で、イルカがもぞりと動き、起きたのかと思ったのもつかの間、瞬間、がばりと勢いよく起き上がった。
 同じ布団で寝ていたのだから、当たり前にカカシの寝ていたところまで一緒に布団が捲られる。上半身を起こしながら、どうしたの?と聞いてもイルカは答えもせず洗面所に消えていくから、仕方なしにカカシも起き上がった。
 欠伸をしながら洗面所に向かい、遅刻しそう?と聞けば、誰のせいだと思ってるんだ、と洗顔した顔をタオルで拭きながら、鏡越しに恨めしそうな顔で返され、カカシは情けない笑みを浮かべながら眉を下げた。
 昨日遅くに帰ってきたのは自分だった。俺も残業だったんですと言うイルカと一緒にカップラーメンを食べ、なんだかんだでビールも飲み寝支度を終え布団に入ったのは深夜過ぎ。互いに裸なのは、疲れてると言いながらも情交に及んだから。
 一回だけなら、と許したイルカにそれ以上求めたのは自分だ。
 でもその行為には愛があるからこそで、一回だけで止まらなかった事をどう詫びたらいいのか分からず、カカシはただ宥める事を選択したのだが。
 いや、愛って。
 カカシはそこまで思ってふと気恥ずかしさを感じ、視線を青い空に向けた。
 イルカとはナルトの元担任として知り合い、自分とは合わないと何となく感じていたのに。たまたま何回か居酒屋で顔を合わせてから、飲みに誘い誘われるような仲になった。
 自分でも内心驚いていた。友人と呼べる人間は少ない。仲がいい上忍仲間も片手で数えれるくらいで。元々イルカが合わせてくれているからなんだろうと思っていたけど。
 今考えると、無意識にイルカを好いていたからこそ、イルカの誘いにも乗ったんだろうし、自分から声をかけたんだと思う。性欲に似た思いを抱き始めたのはイルカが警戒心のない笑みを浮かべてくれるようになってから直ぐだった。
 飲み仲間と言う関係を越えたのも自分からだった。
 もし断られたらとは頭の隅で思ったが、そういう関係になりたいと思う気持ちが勝り、言い方は悪いが酒の勢いを借りて、肌を重ねた。
 イルカは戸惑ってはいたものの、体を許してくれた事はそういう事なんだろうし、遊びでこういうことしないんで。とはっきり言われた時は、嬉しくて思わず笑った。

 イルカは朝食も食べずに直ぐ家を出たが、間に合ったのかは分からない。だいたい週のほとんどを残業させながらも早番とか、どんだけ内勤の中忍をこき使ってんの、と別の方向に矛先を向けてみるが、イルカが怒っているのはもちろんそこではない。それは納得して働いているだろうし、教師として誰よりも真っ直ぐに生徒と向き合っている。
 遅刻した事で同僚や子供たちにも責められたのかもしれない。そう思えば、申し訳ない気持ちが今更ながらに沸き上がるが、言ってしまえば後の祭りだ。
 ──今はそんな事より。
 岩の上で野犬を追うナルト達の動きを目で追っているが。互いにワンマンで動きもバラバラだ。サクラに至っては途中から目的が明らかに逸れている。そのチームワークのなさに、注意を促すのは簡単だが。どう助言をすべきか、腕を組みながらカカシは嘆息した。
 
 任務が終わったのは夕方。同じように疲れ切った子供たちを連れたアスマと顔を合わせ、解散させてから揃って報告所へ向かう。
 報告所に入って直ぐイルカを見つけ、少しカカシは驚いた。終日アカデミーで仕事とばかり思っていたが。人手不足で午後はこっちにまわされたのか。
 椅子に座っているイルカは、見た目からしてまだ怒っているのには間違いがなかった。自分が悪かったと思い改めたのだから、ごめんなさいとここで謝ってもいいのだが。それはイルカにしたら都合が悪く、考えるまでもない。火に油だ。
 戦忍の自分とは違い里の中で仕事をするイルカにとっては二人の関係を誰かに口外出来ないのだから都合が悪い。同期は兎も角、アカデミーの子供たちやその父兄に至っては神経が伸びているカカシでも仲が知られては都合が悪いのだと理解は出来た。
 今日家に帰ったら、謝ろう。
 そう割り切り、カカシはイルカに報告書を差し出した。迎えてくれる笑顔はいつもより薄い。お預かりします、と低い声で返しながら差し出した報告書を受け取るイルカの手が、一瞬止まった。
 同時に、あ、と呟くように声にしたのはイルカで。何処かに不備があったのだろうか。なに?と聞いたカカシに、反応するようにイルカが顔を上げる。
 カカシが僅かに目を見開いたのは、イルカの顔が赤かったから。どうしたの、と聞きたくて、どうし、とそこまで言い掛けたカカシに、
「問題ありませんっ」
 少し大きくなったイルカの声に遮られた。
 問題がないのにその態度はおかしいだろう、と困惑するも、次の方どうぞ、とイルカが言葉を繋いだから、カカシの後ろにいるアスマへと順番が回される。
 仕方なく報告所を後にして。一人でしばらく歩いたところで、カカシは何気なく、あの時イルカの視線の先にあったはずの自分の手を軽く上げ、目に入ったものに、あ、とカカシも声を出していた。
 自分の手首の、手甲から上に僅かに見えたのはイルカの髪紐だった。
 朝、慌ただしく支度するイルカを手伝ってあげたくて。いいですから、と怪訝そうに言われたが、服を着ているイルカの髪を自分が結った。何個かある内の二つを手首に巻いて、イルカの髪を結い、一つ残った髪紐はそのままになっていて。


 自分の手首にあるイルカの髪紐を見つめていたら、感じたのは満たされていく何かで、それは独占欲だった。

 イルカを自分のものだって、つき合っているんだと、誰かに言えないけど。これは確かな証のようなもので。
 こんな事で独占欲とか。というか、そもそも自分にそんな欲があったのさえ知らなくて。擽られるような感覚になりながらも、何故かイルカもそんな気持ちになったのかもしれないと思った。確信なんてあるわけないけど。
 顔を上げた時のイルカの頬を赤らめた表情を思い出しながら、そうだったらいいなあ、と自分の手首にある髪紐を見つめ、カカシは幸せそうに口元を緩めた。
 

 
 
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