天ぷら
「先生さよなら!」
外を歩くイルカの脇を元気よく駆け抜けて行く生徒達に、気をつけて帰れよ、と返した。今日はアカデミーではなかったが。どの時間より下校時間が一番元気があるとか。その分かりやすさに生徒の背中を見つめながら、目を細める。
さあ、俺もこれを提出したら帰るか。
書類を持った足を執務室へ向け再び歩き出した先に見えたのはアスマと紅だった。
いつものように、よお、と声をかけられイルカは頭を下げる。お疲れ様です、と口にしたイルカに、足を止めたのはアスマだった。
「どうだ、一緒に飲みに行くか」
言われて、嬉しくもあるが。今日は予定がある。
いや、今日はちょっと、とすまなそうな顔をすれば、アスマは煙草を咥えたまま、そーかよ、と特に気にするわけでもなく返す。
「カカシがいねえからいいかと思ったんだけどよ。まあ、また今度な」
片手を上げるアスマに、ありがとうございます、と頭を下げて見送り、歩き出しながら。イルカは僅かに眉を寄せた。
カカシがいねえから、とか。
さらっと流したものの、その部分が引っかからないわけがない。
確かにカカシと付き合ってはいるが。この関係を自分は誰かに公言なんてしていないし、かと言ってカカシに口止めをしているわけではないが。あの人の事だ。
もしかしたら言ってんのかもなあ。
だからああいう台詞になったんだろうが。恥ずかしくない訳がない。赤面しながらイルカは目を伏せる。
向こうから告白してきたとはいえ、頷いたのは自分だ。隠したい気持ちがないと言ったら嘘だが、隠し通そうと思っているわけでもない。それなりの覚悟がなきゃカカシにうんと言わない。
ただ、恥ずかしいものは恥ずかしいだけで。
ああ、それより書類書類。
イルカは足を早めた。
アスマに予定があると言ったが、誰かと約束をしていた訳じゃない。
イルカ家に帰ると早々に手を洗い、ベストを脱いで台所に立つ。玉ねぎの皮を剥き、切り始めた。
1時間後、イルカはちゃぶ台の前に座っていた。
ちゃぶ台には自分が作った天ぷらが並んでいる。
正直、揚げ物を家で作るのは久しぶりで不恰好なものもあるが、自分としては上出来だ。満足気にイルカは皿に盛られた天ぷらを眺める。
カカシさんが天ぷらが嫌いだと知ったのは付き合って直ぐだった。
カカシに告白されたのは知り合って間もない頃で、正直迷ったのは事実だった。ただ告白自体冗談めいたものは何もなく、カカシは真面目だった。
付き合ってみたら勝手に想像していたよりもカカシは紳士で優しくて。まあ、子供っぽいところもあるが素の部分なんだろうと受け止めている。
だから、付き合い出してからカカシの事を知る部分が大半で。天ぷらもそうだった。
何回か蕎麦屋で昼飯を食べた時に、自分が天ざるや天丼を食べているのにカカシがざる蕎麦しか食べない事を不思議に思い聞いたら、天ぷらが好きじゃないと言われ、そこで初めて知った。
自分と食の好みが同じだったから、てっきり好きなんだとばかり思っていたが、自分も嫌いな食べ物はある。だから、もちろん理解はしたが。
ふとした時に食べたくなっても我慢していたのは事実だ。カカシの嫌いな食べ物を知ってそれを献立にする事は出来ない。
昔はよく大家さんや近くの農家の方から頂いた野菜を天ぷらにして食べていたが、その回数は自然と減り、それが恋しくなり。
だから、カカシが里外の任務に行くと知り、今しかないと思った。
買ってきたのも美味いんだけど、やっぱり揚げたてが食いたいんだよな。
イルカは天ぷらを前に缶ビールを開けると箸を持つ。
玄関の扉が開いたのはその時だった。
やっちまった。
まず最初に浮かんだのがそれだ。
どんな時も先を想定して行動する。
それは生徒に常々言っている事なのに。
カカシから任務で三日間里を出ると聞いてから、作るならこの日だと思ったものの、今日帰ってくる事を全く想定していなかった。任務だったら、予定が大幅に変わることもよくある。それなのに。
忍びとして、はたまた教員としてあるまじき状況に情けなさが一気に募る。
しかも今日の献立は天ぷら一択で、他は何もない。味噌汁もない。それをカカシに何て説明すればいいのか。
内心焦るイルカとは裏腹に、カカシは至って普通だった。
目的地に着く前に撤収って言われて、とカカシは手甲を外しながら話す。
「今日は天ぷらなんだ」
食卓を眺めて嫌な顔もせず、そう口にした。
「俺の分ある?」
動揺したままカカシの顔をただ眺めていたイルカは、聞かれて慌てて頷く。
ありますっ、見ての通りたくさん作ったので、と言えば、良かった、とカカシは微笑む。
ベストを脱いだカカシはそのまま手を洗いに洗面所へ向かった。
いただきます。
いつものように手を揃えたカカシはそこから箸を持ち食べ始める。
食べる前にちゃんといただきますとか、食べ終わったらご馳走様を言うとか。箸の持ち方や食べ方が綺麗だとか。それも、付き合い始めてから知った。
眺める先で、カカシの箸が伸びて玉ねぎのかき揚げを掴む。食べる姿をじっと見つめた。そして、自分も天ぷらを食べる。
カカシの口数が少ない。
いつもだったら、何かしら今日あった事を話すのに、カカシは黙々と天ぷらを食べている。
でも、口数が少ないのは当たり前だ。だって食卓にはカカシの嫌いな食べ物しか並んでいない。
味噌汁ぐらい作っておくべきだった。そう思っても揚げ物をしていたからそんな余裕なんてなかったし、今思ったところで後の祭りだ。
別に悪気があって作っていたわけではなくとも、カカシが帰ってこないからと浮かれて揚げ物を作っていた事には変わらないから。罪悪感でいっぱいになり、気持ちが重くなる。
「今日はやけに静かだね」
不意に口を開いたカカシに、イルカは顔を上げた。白飯を食べながら、カカシがイルカを見つめる。
「いつもならあれこれ話すのに」
カカシの言葉に、だって、と思わず口にしたが、そこでイルカは口を結んだ。俯く。理由を知ってるからこそ言えない。それはカカシだってわかっている筈だ。
黙っていれば、カカシはため息を吐き出す。その吐き出し方が重々しく感じて更に気まずさを感じた時、
「天ぷらだから?」
カカシがハッキリと言う。
「……俺が天ぷらだから黙ってると思った?」
ハッキリと言われたが、頷きづらい。ただ、自分が申し訳ないと思ってるのは確かだ。
「自分が悪いと思ってるんだ」
思考を読んでいるかのような台詞に顔を上げると、カカシが箸を置く。あのさあ先生、と言いながらこっちを見た。
「俺が黙ったのはあんたがそう思ってると分かったからだよ」
カカシは胡座をかいたまま、じっとイルカを見つめる。
「確かに天ぷらが苦手だって言ったけど、そんな事でがっかりするわけないでしょ」
そう言われても。
蕎麦屋では一切天ぷらを頼むことさえなかった。居酒屋でだって、定食屋でも。嫌いな事は明白だ。
だから、がっかりしてないなんてことは、
「俺はね、先生と二人で食卓を囲んでる、それだけで十分幸せなのよ」
カカシの言葉に伏せていた顔を上げる。
言いようのない気持ちに包まれ、イルカは眉根を寄せた。
俺は馬鹿だ。
カカシの言う通りだ。
下らない考えに囚われていて、そんな事さえ忘れていた。
自分もカカシと食べるとこが何より楽しいのに。
途端目の奥が熱くなり視界がぼやけそうになるから、イルカは堪えるように拳に力を入れる。
カカシが穏やかな笑い声に顔を上げると優しい眼差しでこっちを見ていて。胸が苦しくなった。
こんな時にそんな顔は、狡い。
イルカはぐっと一回口を結び、恨めしそうな目をカカシに向けた。
「これ以上株上げてどうすんですか」
うっかり泣きそうになった事を誤魔化したくて悔し紛れに言えば、カカシは少しだけ驚いた顔を見せた後、可笑しそうに声を立て笑う。
イルカの作った天ぷらを美味しそうに頬張った。
外を歩くイルカの脇を元気よく駆け抜けて行く生徒達に、気をつけて帰れよ、と返した。今日はアカデミーではなかったが。どの時間より下校時間が一番元気があるとか。その分かりやすさに生徒の背中を見つめながら、目を細める。
さあ、俺もこれを提出したら帰るか。
書類を持った足を執務室へ向け再び歩き出した先に見えたのはアスマと紅だった。
いつものように、よお、と声をかけられイルカは頭を下げる。お疲れ様です、と口にしたイルカに、足を止めたのはアスマだった。
「どうだ、一緒に飲みに行くか」
言われて、嬉しくもあるが。今日は予定がある。
いや、今日はちょっと、とすまなそうな顔をすれば、アスマは煙草を咥えたまま、そーかよ、と特に気にするわけでもなく返す。
「カカシがいねえからいいかと思ったんだけどよ。まあ、また今度な」
片手を上げるアスマに、ありがとうございます、と頭を下げて見送り、歩き出しながら。イルカは僅かに眉を寄せた。
カカシがいねえから、とか。
さらっと流したものの、その部分が引っかからないわけがない。
確かにカカシと付き合ってはいるが。この関係を自分は誰かに公言なんてしていないし、かと言ってカカシに口止めをしているわけではないが。あの人の事だ。
もしかしたら言ってんのかもなあ。
だからああいう台詞になったんだろうが。恥ずかしくない訳がない。赤面しながらイルカは目を伏せる。
向こうから告白してきたとはいえ、頷いたのは自分だ。隠したい気持ちがないと言ったら嘘だが、隠し通そうと思っているわけでもない。それなりの覚悟がなきゃカカシにうんと言わない。
ただ、恥ずかしいものは恥ずかしいだけで。
ああ、それより書類書類。
イルカは足を早めた。
アスマに予定があると言ったが、誰かと約束をしていた訳じゃない。
イルカ家に帰ると早々に手を洗い、ベストを脱いで台所に立つ。玉ねぎの皮を剥き、切り始めた。
1時間後、イルカはちゃぶ台の前に座っていた。
ちゃぶ台には自分が作った天ぷらが並んでいる。
正直、揚げ物を家で作るのは久しぶりで不恰好なものもあるが、自分としては上出来だ。満足気にイルカは皿に盛られた天ぷらを眺める。
カカシさんが天ぷらが嫌いだと知ったのは付き合って直ぐだった。
カカシに告白されたのは知り合って間もない頃で、正直迷ったのは事実だった。ただ告白自体冗談めいたものは何もなく、カカシは真面目だった。
付き合ってみたら勝手に想像していたよりもカカシは紳士で優しくて。まあ、子供っぽいところもあるが素の部分なんだろうと受け止めている。
だから、付き合い出してからカカシの事を知る部分が大半で。天ぷらもそうだった。
何回か蕎麦屋で昼飯を食べた時に、自分が天ざるや天丼を食べているのにカカシがざる蕎麦しか食べない事を不思議に思い聞いたら、天ぷらが好きじゃないと言われ、そこで初めて知った。
自分と食の好みが同じだったから、てっきり好きなんだとばかり思っていたが、自分も嫌いな食べ物はある。だから、もちろん理解はしたが。
ふとした時に食べたくなっても我慢していたのは事実だ。カカシの嫌いな食べ物を知ってそれを献立にする事は出来ない。
昔はよく大家さんや近くの農家の方から頂いた野菜を天ぷらにして食べていたが、その回数は自然と減り、それが恋しくなり。
だから、カカシが里外の任務に行くと知り、今しかないと思った。
買ってきたのも美味いんだけど、やっぱり揚げたてが食いたいんだよな。
イルカは天ぷらを前に缶ビールを開けると箸を持つ。
玄関の扉が開いたのはその時だった。
やっちまった。
まず最初に浮かんだのがそれだ。
どんな時も先を想定して行動する。
それは生徒に常々言っている事なのに。
カカシから任務で三日間里を出ると聞いてから、作るならこの日だと思ったものの、今日帰ってくる事を全く想定していなかった。任務だったら、予定が大幅に変わることもよくある。それなのに。
忍びとして、はたまた教員としてあるまじき状況に情けなさが一気に募る。
しかも今日の献立は天ぷら一択で、他は何もない。味噌汁もない。それをカカシに何て説明すればいいのか。
内心焦るイルカとは裏腹に、カカシは至って普通だった。
目的地に着く前に撤収って言われて、とカカシは手甲を外しながら話す。
「今日は天ぷらなんだ」
食卓を眺めて嫌な顔もせず、そう口にした。
「俺の分ある?」
動揺したままカカシの顔をただ眺めていたイルカは、聞かれて慌てて頷く。
ありますっ、見ての通りたくさん作ったので、と言えば、良かった、とカカシは微笑む。
ベストを脱いだカカシはそのまま手を洗いに洗面所へ向かった。
いただきます。
いつものように手を揃えたカカシはそこから箸を持ち食べ始める。
食べる前にちゃんといただきますとか、食べ終わったらご馳走様を言うとか。箸の持ち方や食べ方が綺麗だとか。それも、付き合い始めてから知った。
眺める先で、カカシの箸が伸びて玉ねぎのかき揚げを掴む。食べる姿をじっと見つめた。そして、自分も天ぷらを食べる。
カカシの口数が少ない。
いつもだったら、何かしら今日あった事を話すのに、カカシは黙々と天ぷらを食べている。
でも、口数が少ないのは当たり前だ。だって食卓にはカカシの嫌いな食べ物しか並んでいない。
味噌汁ぐらい作っておくべきだった。そう思っても揚げ物をしていたからそんな余裕なんてなかったし、今思ったところで後の祭りだ。
別に悪気があって作っていたわけではなくとも、カカシが帰ってこないからと浮かれて揚げ物を作っていた事には変わらないから。罪悪感でいっぱいになり、気持ちが重くなる。
「今日はやけに静かだね」
不意に口を開いたカカシに、イルカは顔を上げた。白飯を食べながら、カカシがイルカを見つめる。
「いつもならあれこれ話すのに」
カカシの言葉に、だって、と思わず口にしたが、そこでイルカは口を結んだ。俯く。理由を知ってるからこそ言えない。それはカカシだってわかっている筈だ。
黙っていれば、カカシはため息を吐き出す。その吐き出し方が重々しく感じて更に気まずさを感じた時、
「天ぷらだから?」
カカシがハッキリと言う。
「……俺が天ぷらだから黙ってると思った?」
ハッキリと言われたが、頷きづらい。ただ、自分が申し訳ないと思ってるのは確かだ。
「自分が悪いと思ってるんだ」
思考を読んでいるかのような台詞に顔を上げると、カカシが箸を置く。あのさあ先生、と言いながらこっちを見た。
「俺が黙ったのはあんたがそう思ってると分かったからだよ」
カカシは胡座をかいたまま、じっとイルカを見つめる。
「確かに天ぷらが苦手だって言ったけど、そんな事でがっかりするわけないでしょ」
そう言われても。
蕎麦屋では一切天ぷらを頼むことさえなかった。居酒屋でだって、定食屋でも。嫌いな事は明白だ。
だから、がっかりしてないなんてことは、
「俺はね、先生と二人で食卓を囲んでる、それだけで十分幸せなのよ」
カカシの言葉に伏せていた顔を上げる。
言いようのない気持ちに包まれ、イルカは眉根を寄せた。
俺は馬鹿だ。
カカシの言う通りだ。
下らない考えに囚われていて、そんな事さえ忘れていた。
自分もカカシと食べるとこが何より楽しいのに。
途端目の奥が熱くなり視界がぼやけそうになるから、イルカは堪えるように拳に力を入れる。
カカシが穏やかな笑い声に顔を上げると優しい眼差しでこっちを見ていて。胸が苦しくなった。
こんな時にそんな顔は、狡い。
イルカはぐっと一回口を結び、恨めしそうな目をカカシに向けた。
「これ以上株上げてどうすんですか」
うっかり泣きそうになった事を誤魔化したくて悔し紛れに言えば、カカシは少しだけ驚いた顔を見せた後、可笑しそうに声を立て笑う。
イルカの作った天ぷらを美味しそうに頬張った。
スポンサードリンク