手ぬぐい

 眠りから覚めたカカシが目を開けると、窓の外は暗く日がすっかり沈み始めていた。
 そこまで寝るつもりはなかったが。
 カカシはむくりと起き上がり、ボサホザになった頭を掻きながら窓の外に目を再びやれば、そこには任務前にかけた洗濯物が干しっぱなしになっている。そのすっかり乾いて風に揺れる洗濯物をカカシはぼんやりと見つめた。

 日が暮れた里をカカシはゆっくりと歩く。夕日を背に何人かの子供が横を笑いながら通り過ぎるが、カカシは目もくれない。
 休みでも顔を出せよ
 報告が済み早々に執務室を退出しようとしたカカシにそう言ったのは綱手だった。
 その発言自体はパワハラでも何でもない、過去何回も倒れそうな時でも入院が嫌で平気だと言い切る自分に、無理をしていないか見極める為だと分かっている。
 綱手なりの優しさだと分かっているが、だったら人使いの荒さをどうにかして欲しいもんだと思うが。そして、深い睡眠が取れたからか、体調はすこぶる良好だ。たぶん。
 ただ、今は無理をしなきゃ里が機能しない事は誰もが分かっている。
 そう、誰もが。
 そんな事を思ってる矢先にバタバタと足音が聞こえ、開けようとした扉が勢いよく開く。目の前に人影が突然現れようと、それが誰なのか悟っていた自分は驚きはしないが。イルカは扉を開けた瞬間、カカシを見て目をまん丸にした。
 何か言いたげに黒い瞳が揺れるが。何か言葉を発する事はない。
 そんなイルカをじっと見つめれば、動揺を隠すように、その黒い目はカカシを視線から外す。ペコリと頭を下げた。その場を離れたいと、そんな気持ちが手に取る様に分かるから。カカシはイルカが通れる様に半身を避ければ、その間をイルカが通り過ぎる。
 心の中に潜む重苦しい気持ちはイルカがその場からいなくなってもなくならない、分かってるのに。イルカがさっさとその場を去りたいと望むなら仕方ないと思う自分がいる。
 葛藤虚しく通り過ぎたイルカが立ち去るだろうと思った時々、
「うわっ!?」
 と、声を上げたイルカは忍びらしからぬ勢いでその場に転んだ。建物の出入り口にある段差と、この夏で地面は草がそれなりに繁ってはいるが。
 不思議に思いながらも振り返ったカカシはイルカの足元を見て直ぐに合点する。一瞬悩むが。カカシは転んだイルカに歩み寄った。
「見せて」
 カカシの台詞にイルカは、反射的に、いや、と否定した言葉を口にした。
 大丈夫です、とイルカが続ける前に、いいから、と言葉を被せる様に言えば。イルカは困った様に眉根をあからさまに寄せた。
 カカシはそれを無視してイルカの了承を得る事もせずに、脱げて地面に転がったイルカの靴を手に取る。足の甲を覆っている縫い合わされた布が破れている。過去ほつれる度に何度も縫い合わせたんだろう、その箇所に目を落とした。
 当たり前だが、なんだって寿命がある。
 靴なんか特に、消耗品だ。
 長く履く為に手入れや修繕はももちろん必要だが、不器用で尚のこと。気持ちがあっても長くは保て無い。
 カカシはため息を零すと、自分のポーチに手を伸ばした。紺色の手ぬぐいを取り出す。そこまで新しくもない、色褪せた手ぬぐいの布の端を口で噛み、裂くと、イルカがぎょっとして、あのっ、と声を上げた。
「別に、オレ、裸足で帰るんで、」
「裸足で仕事するの?」
 執務室がある建物から出てきたのは、綱手に呼びつけられて仕事を頼まれたからで、なにより帰宅する時のいつもの鞄を肩にかけてもない。
 簡単に嘘を見抜いて切り返したカカシに、イルカは言い返す言葉が見つからないのか、ぐう、と口を結んだ。悔しそうに、口をへの字にするイルカはどうやら観念したのか。その顔を確認すると、カカシは黙って手を動かした。裂いた布をイルカの足につけて丁寧に巻き付け、最後に足首で布を固定して固く結ぶ。忍びであればだれだって習う縛り方だ。
「はい」
 結び終わって手を離すと、イルカはしっかりと自分の足に固定された靴をじっと見つめていた。
「物はなんだっていつか壊れるんだから」
 カカシがぽつりと呟くと、イルカは弾かれたように顔を上げる。

 この台詞を口にするのは二度目だった。
 ちゃぶ台の脚が壊れて処分するのを悩んでいるイルカに同じ台詞を口にしたのは二日前。イルカは不快な顔を露わにした。
 簡単に言わんでください。
 何がイルカをそこまで怒らせてしまったのか。もちろん悪気はない。でも、そう言ったままイルカは貝のように黙り込んでしまうから。こうなってしまっては、お手上げだった。
 自分とは違い、沸点が低いとかもそうだが、何より、誰かとこんな風に拗れた事がないから。
 そして、失うことの方が怖いから、自分もまた沈黙を選んだ。

 また不機嫌になってしまうのか。
 イルカの様子をじっと伺うカカシを前に、イルカは眉間に皺を寄せたまま悲しそうに視線を地面に落とす。
「大事な手ぬぐいじゃ……なかったんですか?」
 親父の遺した手ぬぐいだとイルカに言ったのはいつだったか。
 確かに大事と言われたら大事だけれど。カカシは聞かれて、うーん、と軽く唸り、そしてイルカを見る。
「大切だから、使いたかったんです。きっとこの手ぬぐいも本望ですよ」
 それしか答えがない。
 何のことはないと言うカカシに、少しの間の後、力を入れていた眉がふっと下がる。
 イルカが笑った。
 何日ぶりかに見たイルカの笑顔を見た途端、急に周りが別世界のように明るくなった。心も軽くなる。
 イルカと喧嘩別れをしてから、自分の世界が死んでいて、ろくに息をしてなかったんだと、カカシはそこでようやく気がついた。
 
 
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