付き合いたてのもやもやなど

 子供達が笑う声が聞こえる。
 昼食後、木陰でぼんやりと小冊子を読みながらその笑い声にカカシは視線を上げた。
 昼休みの時間に今日はアカデミーの業務に就いていないイルカが書類を持って歩いているのを見つけたのだろう。子供たちがイルカを取り巻くように歩き、一人がイルカの手を引く。そしてもう一人が背中にぴょんと飛びついた。
 こらこら、重たいだろ。
 注意するも、イルカの顔は笑っている。そこから子供の一際大きな笑い声が辺りに響いた。
 イルカが子供たちに好かれているのは知っている。戯れ合う子供達も楽しそうだ。
 そんな平和とも言える和やかな情景は良いものなのに、カカシの胸に浮かぶ感情は穏やかなものとは言い難い。
 忍びであればカカシを知らないものはいないに等しいが、イルカは忍びであるなしに関わらず、本人は自覚はないだろうが、里の中では人気者だ。歩いていれば人に呼び止められている。生徒はもちろんその父兄や卒業生、商店街の人間や近隣の老人まで。それはひとえにおおらかで人当たりの良いイルカの人柄がそうさせていると言ってもいい。
 それを証拠に、見ていれば子供達と別れて歩き出したイルカにまた直ぐに声がかかる。同期だろう中忍がイルカの横に並んだ。
 そう、イルカはあんな感じで忙しい。
 でもね。
 それ俺のなのよ。
 イルカの隣を陣取り並んで歩く中忍に向かって心で呟くが、当たり前だがそんな声は届くわけがない。ゲラゲラと同期と楽しそうに笑い合うイルカを、カカシはじっと見つめた。

 少し前に飲み会があった。イルカの近くに顔見知りの上忍仲間がいて、たまたまイルカの隣が空いていたからそこに腰を下ろした。隣といえどそこまでぴったりと距離を縮めたわけでもないのに、イルカはテーブルのビールを取る為に腰を上げた後、少し自分から離れた。
 最初は気のせいかと思った。でも別の日にたまたま見かけて声をかけ、隣を歩いた時も。上忍待機室にイルカが顔を見せた時も。自分と距離を取る。
 恋人だと公言していないしイルカがそれを望んでないのを知っているから、仕方がないと思いたいが、自分ではない他の人と仲良くしているのを見るのは正直腹立たしい。
 俺、こんなに心が狭かったっけ。
 誰かのことで悶々とした気持ちになること自体過去なかったからか。
 任務終わり、そんな事を思いながら報告後ひたひたと夜道を歩いていたカカシはふと足を止めた。見上げる建物の、まだ電気が灯っている部屋はたぶん職員室だ。
 今週は残業が続くとイルカが言っていた。
 どうしようか。
 ポケットに手を入れながらカカシはしばらくその明かりをぼんやりと見つめる。漂わせた視線を建物に戻すと、そこからアカデミーの近くの大木に向けて飛躍した。
 
「どーも」
 声をかけるとイルカの身体がビクリとしペンを止め顔を上げる。カカシの顔を見てイルカが目を丸くした。
 職員室の前と後ろの扉はどちらも空いていた。真夏と比べ夜はだいぶ涼しくなったからだろう、窓も開け放たれていて、イルカは一人職員室で黙々と仕事をしていた。カカシはその扉の近くで机に向かっているイルカを見つめていたが、集中しているイルカは気配に気がつく様子がないから声をかけた。
「カカシさん」
 驚いた顔で名前を呼び、そこから、お疲れ様です、とイルカは頭を下げる。カカシはそんなイルカを見つめながらポケットから手を出すと銀色の髪を掻いた。
「電気が点いてたのが見えたから」
 理由を口にするとそこで初めてイルカが笑顔を見せる。
 いつもイルカは僅かだが、自分を見ると驚いた顔をする。昼間見た子供たちや同期のように、あんなフランクにとまでは求めないが同じように直ぐに笑ってくれたらいいのに。
 思うがカカシは口にはしない。
 歩み寄ってイルカの机を覗き込む。
「テストだったの?」
 広げられた答案用紙を見て聞けば、はい、と頷いた。
「赤点の生徒には追試させなきゃいけないんでそれも作っていたんですが、」
 中々進まなくて。
 鼻頭を掻きながら苦笑いするイルカにカカシは、へえそうなんだ、と返しイルカが書いていた用紙へ目を落とす。
 自分も部下がいて様々な課題を課したりはするが、筆記試験は基本しない。きっと自分には分からない別の大変さがあるのだろう。その気持ちを汲み取りたくて、
「大変だね」
 と言いながら同時に何気なくイルカの肩に触れた。言葉通り労いたかった。だけなのに。
 声をかけた時と同じように身体をビクッとさせたかと思うと、イルカは避けるとまではいかないが、身体を横に動かした。反射的だったからだろう、あ、と声を漏らしたイルカは気まずそうに、すみません、と呟く。
 浮かんだのは、何で?だった。
 気まずそうな表情も謝ることも。疑問しか浮かばない。
 カカシは、不機嫌そうに口布の下で少しだけ開いていた口を結んだ。
 別にアカデミーの子供たちと比べようとは思わない。思わないが、中忍の同期や他の上忍だってコミュニケーションとして肩を叩いたりしている。アスマなんかこの前、先生の頭を掻き回すように触ってたじゃない。
 今まで気にしないようにしていたが。どれもこれも些細なことに過ぎなかったのに。ぶわっと不満の塊になって言葉が出そうになるが。頭の中に浮かぶ言葉はあまりにも子供っぽいし言っても仕方がないと判断出来るから。カカシは口を結ぶ代わりに小さく息を吐き出した。
 嘆息とまではいかないが、ため息を吐き出したカカシにイルカが、違うんですっ、と直ぐに慌てた様に口を開く。
「違うって、何が?」
 素直に聞くとイルカは困った顔をした。イルカがそう言ったから聞いただけなのに。なぜ困る必要があるのか。イルカの性格は把握しているつもりだった。裏表がなく、嘘をつけない性格だ。じっと見つめる先で、イルカは言葉を濁した。
「えっとですね……、」
 カカシの視線を受けながら、だから……、とまたもごもごと口を開く。
 普段のあのハキハキと受け答えをするイルカは何処に行ってしまったのか。目を伏せながらしどろもどろになるイルカは珍しく、観察するように見つめていたカカシはその困り切った顔から僅かに覗かせる表情に気がつく。
「もしかして先生……恥ずかしいの?」
 聞くと、イルカはおずおずと黒い目をカカシに向ける。はい、と小さく答えた。
 聞いておいてなんだが。
 頬を赤く染めて恥ずかしそうにするイルカを前にしたら。感情が処理しきれなくなった。
 愛おしいとか抱きしめたいとかキスしたいとか頭に血が上るような衝動に駆られるがこの場にそぐわないのは分かっている。だからなんとか抑えなきゃいけない。ぐっと指先を丸め拳を作り耐えようとしたのに。
「好きだから恥ずかしいって変ですよね」
 恥ずかしそうに笑うイルカを見たら無理だった。手を伸ばしイルカの腕を掴む。
「行こ」
 急に掴まれ引っ張られ、え?と戸惑った声を出した。
「行くってどこに、」
「俺の家」
 カカシが口にした台詞をイルカはぼんやりとした顔で聞き、そしてしばらくした後、その台詞の意味を理解したのだろう、一瞬にしてその顔を真っ赤にさせた。
「ななななな、何言ってんだ、アンタはっ」
「何って別に変なことは言ったつもりはないけど」
「いやっ、順番!!!」
 ツッコまれてカカシは呆れてイルカを見る。
「順番って、……手を繋いで、キスして、デートを繰り返してやっとセックスなんて、そんなガキの付き合いじゃないんだから。好きって気持ちがあれば十分じゃない」
 あなただって、そのつもりで俺の気持ちに頷いたんでしょ?
 明け透けな言葉に加え突きつけられた言葉に、イルカは、うっと言葉を詰まらせるが。
「…………はい」
 認めたイルカに拒否権はない。
「仕事が終わるまで待つ?それとももういい?」
 気を使ってるようで性急だ。その気の使い方が今更だとイルカが恨めしそうに赤い顔でカカシを睨んだ。
「……今からで」
 素直な言葉にカカシはニッコリと微笑み、二人は木の葉と煙と共に消える。

 誰もいなくなった職員室の窓からは秋を知らせる虫の音が静かに鳴り響いていた。
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