カカイルワンライ「告白の返事」

 一雨来そうだな。
 そう思ったのは買い物を終え商店街を出て直ぐ。昼間はあんなに天気が良かったのに、東から吹く風を肌で感じながら、仰ぐ空はどんよりとした鼠色の雨雲で一面覆われている。イルカは足を早めた。

「はー、参った」
 イルカは玄関を閉めながら玄関で濡れた頭を軽く振った。額に垂れてくる雨水を手の甲で拭う。帰るまでは何とかなるとは思ったが。案の定帰路を急いだ直後に大粒の雨が降り出し、帰り道を考えると買い物した食料片手にゆっくりと雨宿りする訳にもいかず、そして距離的にずぶ濡れになる。
 もっと職場から近いアパートを借りれば良かったと思うのはこういう時だが、喉元過ぎればなんとやらで、それもまた明日になればそこまでの事だと思わなくなるのもいつもの事だ。遊びに来たナルトや同期からはボロイだの遠いだの文句を言われるものの、見た目は兎も角、大家が管理をきちんとしてくれているおかげで困った事はなく、そして通勤距離を除けばこのアパートは自分の中では立地のいい優良物件だ。
 取りあえずは、とイルカは靴を脱ぐと部屋に上がり、濡れた格好のまま、買い物袋を持ちぺたぺたと音を立てながら冷蔵庫へ食材を仕舞うべく台所へ足を向けた。
 濡れた服を洗濯機に放り込むと、風呂を沸かすべく湯船からゴム栓を抜き、そこからイルカはトイレに入り扉を閉める。玄関の扉が叩かれたのはその時だった。
 こんな時間でこの天気で来るのは下の階の大家か、それかもしかしてナルトか。内勤の自分に火急の任務はほぼないが、トイレを出ようとドアノブに手をかけたイルカに聞こえたのは、聞き間違えでもない、はたけカカシの声で。思わず扉を開ける手が止まる。いや、さっさとトイレから出て応対しなければ。そう思ったのに。
「イルカ先生?」
 名前を呼びながら玄関が開く音に、トイレのドアノブを強く握りしめた。雨に降られた事で玄関の鍵を閉めるのを失念していた事に気が付く。しまった、と思うがそこを後悔しても後の祭りだ。眉根を寄せるイルカに、再びカカシから声がかかり、素直にイルカは困った。困るのは、カカシがここに訪問したからじゃない。自分の格好だ。パンツ一枚しか纏っていない自分の姿は、ここが自分の部屋で、家主であるにも関わらず、カカシがいるかと思ったら、実に滑稽に感じて。カカシに咎められるわけでもないし、ましてやカカシが笑うわけないと分かっているのに。体が動かなかった。思わず視線をトイレの床に落とせば、いないの?、そうそう聞かれ、どうしようかと息を顰めたくなるが、カカシが気配を探れば直ぐにここだと分からないはずがない。
「・・・・・・ここです」
 諦めながら、イルカは声を出した。
「先生、あの、」
「トイレです」
 姿が見えない自分にカカシの次の台詞が嫌でも予想でき、イルカは自ら居場所を伝える。
「あの、ちょっと、外に出ててもらえないですか?」
 直ぐに出ますので。
 語尾が弱々しくなるのは情けないと自覚しているからだ。カカシとは夕飯に誘ったり誘われたりする関係で。その前にカカシは上官で。そんな申し出は失礼だとも思うが、この格好を見せるよりは失礼ではない。きっと。そして服を早く着るのは得意だ。そんなにカカシを待たせる事はしない。だから、早く外に出てくれ。そう願うイルカに、カカシは少しの沈黙の後口を開く。
「腹でも痛いの?」
 心配そうな声に、選択を間違った。そう思うが、カカシの気配が近くなる。部屋に上がったんだと分かった途端、更にイルカに焦りが広がった。いやっ、と思わず否定したイルカの声は、明らかに上擦っていた。カカシがトイレを開ける訳がないと分かっていても、ついドアノブを掴む手に力が入る。
「違うんです、そんなんじゃ、」
「じゃあ、気持ち悪いの?」
「いや、その、」
 既にカカシの声はドア一枚を隔てた目の前で聞こえる。それが分かって、雨で体が冷えたはずなのに、額に汗がじんわりと浮かんだ。
 カカシにこの扉を開けられる。それだけは嫌だ。そう思ったら、イルカは口を開いていた。
「俺、今パンツ一丁なんですっ」
 言いたくなかったが仕方がない。
「さっき帰るときに雨に降らてしまって、それで風呂に入ろうと思って、だから、ちょっと外に出てもらえたら、直ぐ服着るんで、だから、お願いします」
 矢継ぎ早に畳みかけるように言ったイルカに、カカシは、しばらく黙った後、
「何で?」
 そう口にするから、またイルカは耳を疑った。頭の中にハテナが浮かぶ。
 何で。
 何でって、事情は今説明しただろう。どんな姿でいるか分かって、更に困っていると分かっていて、そんな事聞いてくるとか。
「だったら早く出たら?風邪ひいちゃうよ?」
「いや、分かってます、だけど、」
 言い掛けるイルカに、カカシがドアノブに手をかけたのが分かった、焦りが再び一瞬でイルカの体を駆けめぐる。
「恥ずかしいんですっ」
 大きな声がイルカから出ていた。
「あなたに見られるのが恥ずかしいからここから出て行きたくないんです、だから、」
「そんなの俺は気にしないから、」
「俺が気にするんですっ。ナルトじゃあるまいし、こんな格好、」
「だからなんで、」
「好きだからですよっ」
 自分の言うつもりもなかった言葉が、口から出てしまっていた。思わずしまったと、あ、と呟くも、言った後でどうにもならない。下着一枚しか羽織ってない体が、かあ、と熱くなった。
「いや、すみません、えっと、何というか、」
「・・・・・・それって、この前の告白の返事って事で受け取っていいんだよね?」
 それでも誤魔化そうとしどろもどろになるイルカに、確認するかのようにゆっくりと聞くカカシの言葉が被せられる。イルカは目を瞑った。
 先週、いつものように一緒に夕飯を食べ、その帰り道、カカシに告白された。
 嬉しかった。
 尊敬する忍びとしてではなく、自分も同じ気持ちだと、思っていたから。それでも、ナルト繋がりでこうして友人に近い関係を保てたとしても、恋人となると、直ぐに頷けなかったのは、自分じゃ釣り合わないと、そう思ったから。
 だから、悩んでいたのに。
 言っちまった。
 体の力が抜ける。
 カカシを好きなんだと、口にしたら、単純かな、カカシへの思いが加速した気がした。
 そう、好きだ。好きだから、こんな姿、恥ずかしくて、見せたくなかった。
 引っ込める事が出来なくなり、黙ってしまったイルカに、
「取りあえず、そこから出てきてくれる?」
 声をかけるカカシの声は甘く、優しい。
 そう、もう打つ手はないのだ。それを悟り、茹で蛸のように真っ赤になった顔を見せるべく、イルカはおずおずとトイレのドアノブを回した。
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